エピローグ
「ユーマ殿、いや失礼。今はヒーラ王国、国王陛下でしたの」
「いえ、未だに慣れません。しばらくお世話になります」
ピコンと立ったフサフサな毛に覆われた猫耳に視線を奪われ、触りたい衝動にかられながら勇馬は目の前の猫人女性に頭を下げた。
「ナミル様、よろしくお願い致します」
「王妃殿下、こちらこそお頼み申し上げる」
アイリスが続けて頭を下げるとナミルが慌てて頭を下げた。
勇馬のヒーラ王国は新興も新興とはいえ今や周囲から一目置かれる立派な国である。
その国王と王妃という立場は獣王国内の一部族の長に過ぎないナミルよりも格上だ。
とはいえ公式の場ではないので勇馬はあまり堅苦しくないようにとやんわりと頼んだ。
「お二人の滞在場所として海が見えるこちらの宿の部屋をご用意致した。ゆっくりとくつろがれよ」
勇馬たちが新婚旅行と称して訪れたのはいつか行きたいと言っていたベスティア獣王国の猫人族の族都である。
勇馬たちのために用意されたのはこの港街にある一軒の高級宿泊施設だ。
海に面しているこの宿泊施設の部屋からは海が良く見える。
ナミルと別れて案内されたのは3階にある和洋折衷の広い部屋だ。
その窓から外を見えるとそこには一面のオーシャンビュー。
外のテラスに出るとそこからはるか水平線の彼方まで一望できた。
「これが海……」
初めて見る海にアイリスは目を丸くする。
旅の途中で勇馬から話を聞いてはいたものの聞くのと実際に見るのとでは大違いだ。
時間はそろそろ夕方に差し掛かろうとしている。
水平線の彼方、西の空に太陽が沈みかけて空が朱色に染まり、その光が海面にキラキラと反射する。
その輝くような光景にアイリスは思わず「きれい……」と呟いた。
「あ~、アイリスの方がその、もっと綺麗だよ」
隣の勇馬がそっとアイリスの耳元で囁いた。
その言葉にアイリスは勇馬に顔を向ける。
「ふふっ、主様、慣れないことをおっしゃるものではないですよ。お顔が真っ赤です」
「いや、これは夕陽、そう、夕陽のせいだから!」
花が咲く様に笑ったアイリスに勇馬はしどろもどろと言い訳をする。
2人がお互いの想いを確かめあってからそれなりに時間は経ったものの、夫婦となった今でもお互いに初々しさを残していた。
それでも間違いなく2人は着実に歩みを進めていた。
「あ~、海の匂い。久しぶりだな」
ばつの悪さを誤魔化すように勇馬はわざとらしくそう声に出す。
この世界のものではないが久しぶりの海の匂いだ。
「この何とも言えないにおいが、ですか?」
「ああ、海の水はしょっぱいんだ」
「たしかにそういう話を聞きますが本当でしょうか? みんなして私を騙そうとしていませんか?」
アイリスはそう言って半信半疑といった表情で目の前に広がる海を眺める。
「それなら明日実際に試してみたらいいよ」
そういって勇馬もアイリスとともに海を眺める。
そんな彼女の隣にいてふと思った。
もし彼女が奴隷にされずに自分と出会わなかったら。
エルフの里の中でずっと生活をしていたらどうなっていただろうか。
しかし、そんな意味のない考えを即座に振り払う。
いまここに自分がいて隣に彼女がいる。
それが唯一絶対の事実だ。
「それにしてもあちらに見える船は随分と大きいのですね」
港街ということもあり埠頭に目を向ければ高いマストを備えた大型の船が何隻も係留されていた。
着いたばかりの船なのだろう、その船からはがっしりとした体格の日に焼けた男たちが大きな荷物を船から港に運んでいるところだった。
この世界にはまだ自分たちの知らないもの、見たことがないものが溢れている。
それを隣にいる愛しい女性にも知って欲しい。
「いつか一緒に大きな船に乗って他の国に行ってみよう」
「他の国に、ですか?」
この異世界がかつて勇馬が思い描いていた世界であるのならきっとこの世界は多様性と驚きに満ちているだろう。
「それなら最初に行きたいところがあります」
アイリスはそう言って勇馬の黒い瞳を見た。
「……本当にいいのか?」
「はい、いつまでも逃げてばかりはいられませんので」
アイリスが行きたいと勇馬に告げたのはどこということはない。
かつてアイリスが暮らしていたアルフィミアが治めるエルフの里だった。
たしかに勇馬はアルフィミアからエルフの里に来訪して欲しいという誘いは受けていた。
できればアイリスと一緒にということも言われてはいた。
外交儀礼上、伴侶であるアイリスが勇馬に同行することは望ましいことではある。
しかしこれまでのいきさつを考えれば無理強いすることは憚られた。
アイリスを第一に考える勇馬はアイリス抜きにして訪問する予定で考えていた。
「本当にいいのか? 無理はしなくていいんだぞ?」
勇馬はアイリスからアイリスがそこで受けた仕打ちについては聞かされていた。
いくらその首謀者たちがアルフィミアによって大規模な粛清を受けていたとしても、今や正面からハーフエルフであるアイリスを貶す輩はいなくなったとしても一度受けた心の傷というものはそう簡単には治らない。
それ以上に人々に根付いた差別意識というものは一朝一夕に変わらない。
そのことはアイリスもわかっているのだろう。
アイリスの手は小刻みに震えていた。
「その、緊張しないと言えば嘘になります。でもどうしても主様と一緒に行きたいところがあるんです」
「行きたいところ?」
「はい、その……お母さんのお墓参りに」
勇馬はアルフィミアから手渡された手紙でアイリスの出自については聞いていた。
アイリスの母親、アルフィミアの姉が既に亡くなっていることも。
「でも無理をして行くこともないんじゃないか?」
勇馬はアイリスが震える自分の手でもう一方の震える自分の手を抑えようとしていることに気付いた。
そんな様子を見て勇馬は胸が張り裂けそうな思いに駆られる。
「いえ、お母さんに報告したいんです。私は幸せです、だから安心して下さいって。私の旦那様はこんなに凄くて、カッコいいんですって」
その言葉を聞いて勇馬は思わずアイリスに抱き着いた。
「主様? 急にどうしたんですか、その、周りに人がいなくてもその……ちょっと恥ずかしいです」
「ごめん、うん、わかった。俺も一緒に行く。そしてアイリスのお母さんに約束するよ。あなたの娘さんを絶対に幸せにしますって」
「主様……」
勇馬はアイリスへの抱擁を解くと、まだ僅かに震えていた彼女の手をとった。
「不安はあると思う。だけど何があっても俺がアイリスを守るから。だから安心して欲しい」
「主様……はい、ありがとうございます」
アイリスはそう言ってはにかんだ。
「…………」
「…………」
2人はしばらくの間、無言のまま手をつないで海を眺め続ける。
いつの間にかアイリスのその手の震えは止まっていた。
そろそろ夕日が水平線の彼方に沈もうというとき、不意にアイリスが口を開いた。
「……主様の手、あったかいです」
アイリスはそう言って勇馬の手を握るその手にほんの僅かに力を込めた。
そんなアイリスに勇馬は顔を向ける。
ちょうど勇馬の方を向いたアイリスとその目と目が合った。
「主様、私の手、ずっと握っていていただけますか?」
「あっ、ああ勿論! 約束する、この手は絶対、絶対に離さないから!」
「それなら約束の証をいただけますか?」
アイリスはその金色の瞳を潤ませ一瞬わずかに俯いた後、すっと目をつぶってその顔を上げた。
アイリスが何を求めているのかはいくら鈍感な勇馬であっても直ぐにわかった。
勇馬はゆっくりとアイリスに顔を近づけると唇をそっと彼女の唇に重ねる。
そんな彼女の色白の頬は彼方に見える夕日以上に赤く染まっていた。
本編完結
ここまでお付き合いいただきありがとうございました。
後日、後日談的なものを追加することも考えておりますのでブックマークされている方はできましたらしばらくそのままでお願いします。
評価未了の方は評価をしていただけますと励みになります。
↓ の☆を★にするだけですのでご協力をお願いします(★の数は気分でご自由にどうぞ。いつでも変更することができます)。
後書きで書きすぎるのもどうかと思いましたので活動報告にあれこれ書いています。お時間のある方は覗いてみて下さい。




