それから1
あれから2年の月日が流れた。
アミュール王国と帝国との戦争は首都機能を南に移した王国側が粘りを見せて戦線は膠着し、一進一退の状況となる。
そんな中で勇馬のつくった新しい街には次第に人が増えていった。
当初は住み家を追われた者たちが主だったが荒野の果てに新しい街ができたことは旅の商人や護衛仕事で移動する冒険者たちの口伝えで噂となり次第に今の生活に不満を抱く者たちも集まるようになった。
戦争による難民たちの受け皿として始まったこの街は次第に大きくなっていき、ついにラムダ公国から独立の日を迎えた。
新しくできるこの国は勇馬の苗字である柊からヒーラ王国となった。
勇馬としては多少不本意ではあったものの『神聖ユーマ帝国』だけは避けたかった妥協の産物だった。
この国の独立記念式典には周辺国の関係者たちが招待された。
エルフの里の女王であるアルフィミア。そしてベスティア獣王国の国王代理として参加したのは勇馬の知己である狐人族の族長ヴォルペ。
つつがなく一連の記念式典が終わったその直後、第三国であるこの場所で2人は両国の会談を行った。
「アルフィミア殿、これからよろしくお願い申し上げる」
「ええ、こちらこそ」
この場でエルフの里と獣王国とでは相互友好協定が締結された。
エルフの里はこれまで他国と取引をすることはあってもそれ以上に深く関わることはなかった。
いわゆる孤立主義。
それがエルフの里の方針だった。
そんなエルフの里の女王がそもそも新たにできる人族が王となる国の式典に列席するということ自体が異例であり、その事実は他の国々には驚きをもって受け取られた。
いくらその国の国王の伴侶がハーフエルフであるとはいえ、いや、ハーフエルフであるからこそより一層驚かれたというのが実情である。
「方針の変更には何か理由があるのですか?」
「そうですね、最近の周りの様子を見れば、ということでしょうか?」
「なるほど、たしかに最近の情勢は予断を許しませんからな。そんな状況であるからこそユーマ殿と縁を結ぶのは大事になりましょう」
アルフィミアのその説明は嘘ではない。
周辺国で起こった戦争はエルフの里も決して無関係とは言えなかった。
しかし、一番の理由はできれば他の国にはできれば秘しておきたいことだった。
(あれから2年、ですか……。)
長寿のエルフにとっては2年という時間などあっという間だ。
それでも目まぐるしく動く世界情勢への対応に奔走することになりそれ以上に時間が経つのが早く感じられた。
伝統と慣習を重視するエルフの女王がそう決意することになった理由。
それは彼女が10年に一度開かれるエルフ族の会議に出席するため里を離れたときに起こった政変が理由だった。
彼女の留守中に起こったその政変は人族を見下すエルフの純血主義者が起こしたクーデターだ。
その過程で里にいた多くの混血種は捕らえられ奴隷商人に売られたという事実は女王にとっては里の恥であり、この事実はそれまで穏健派だとか日和見だとか揶揄されていた自身の意識を変えるには十分だった。
それ以上にその政変の首謀者が自分の息子であり、その被害者が今は亡き姉の忘れ形見であったことは根本的に里の在り方を変えるきっかけとなったことは間違いない。
アルフィミアは里に戻るとすぐさま実権を取り戻し、政変を起こした純血主義者を徹底的に排除した。
そこにかつては穏健派だとか日和見と揶揄されていた女王の姿はなかった。
彼女は政変の首謀者が自分の息子だったことにはひどく心を痛めたがそこに一切の私情は挟まなかった。
もしも最初から彼女の息子にはエルフの里の長となる目がなかったことを彼が知っていればこんなことにはならなかったかもしれない。
そうは思いながらもまだまだ表舞台から去ることができないアルフィミアは目の前にいるヴォルペに気付かれないよう、そっと溜息をついた。
「あれからもう2年か……」
ここ最近、少し出てきたお腹を気にしつつ、クライスはラムダ公国の公主代理として出席した式典からの帰り道、今や建物がひしめき合う新王国の王都を馬車の中から眺めながらそうひとりごちた。
2年前、アミュール王国の王都が陥落し、大量の難民が隣国からラムダ公国へと押し寄せてきたことは彼の為政者としての経験上、最大の危機といってもよかった。
ラムダ公国は面積、人口では周辺諸国に比べると小規模な国であり大量の難民が押し寄せてきてもそのすべてを受け入れられるだけの余力はない。
対応を誤れば押し寄せてくる難民に蹂躙され国が亡びる危険さえあった。
そんなときに苦しまぎれにしたのがあの黒髪黒目の青年に対しての提案だった。
勇馬は付与師、錬金術師として活躍していて既にそれなりの財産をもっていた。
どういう手段によるものかはわからないがエリクサーをも用意できるという以上、彼の力を頼りに難民たちの受け入れを迫ったというのが本当のところだ。
とはいえクライスはまさか勇馬が本当に自分の提案を受け入れるとは思っていなかった。
レンブラム要塞の外、アミュール王国との国境までの荒野はラムダ公国にとっては何の利用価値もない資源に乏しい土地だった。
せいぜいが隣国との緩衝地帯になるくらいだろう。
そんな土地をまさか本当に欲しがるとは思ってもいなかった。
やはり自分の街や国を持ちたいと思ったのだろうか。勇馬はクライスの提案を受け入れ難民たちの受け皿となる街をつくった。
クライスの見立ては彼の街は少なくとも10年間は彼の財産で難民たちの生活を支え続けなければならないはずだった。
その間、ラムダ公国は彼との取引で逆に大きな利益を得る予定だった。
それが彼の街はわずか1年で自分たちだけである程度の自給自足を可能にしてしまった。
それどころかその後も流入を続ける難民たちのその豊富な労働力によりあっという間にクライスの治めるサラヴィと同等かそれを凌ぐほどの規模の街となってしまったことは奇跡という言葉では足りないほどの衝撃だ。
その間に大陸の情勢は大きく変わってしまったことも忘れてはならない。
アミュール王国のリートリア辺境伯がアミュール王国からの独立を宣言し先立ってリートリア公国として独立した。
それだけではない。
アミュール王国に侵攻していたインぺリア帝国の皇女が御忍びでラムダ公国に救援を求めてきたときにはさすがにクライスも頭を抱えてしまった。
そのとき初めて彼らは帝国の権力中枢が魔族の手に落ちていたことを知る。
それは彼らにとっては夢にも思っていなかったことだった。
戦争前にアミュール王国やラムダ公国での付与師の不足は周辺国を疲弊させ国力を奪うための工作の一環だったという話も明らかとなった。
アミュール王国と帝国との戦争は膠着状態となり今も一応の停戦状態となってはいるが魔族が絡んでいるとなればこれは対岸の火事では済まされない。
一方でベスティア獣王国とレガリア神聖国との戦争は獣王国側が大きく勢力範囲を広げた状態でこちらも事実上の停戦となっている。
混沌とした大陸情勢を考え、クライスは一つの大きな決断をすることになった。
早急に勇馬の街を国として独立させ、先に独立したリートリア公国をも巻き込みこの3つの国で同盟を組み周辺国を牽制する。
幸い彼の街、いや国の発展は著しい。
クライスは哀れみや同情ではなく打算で勇馬の国の早期独立を後押しした。
勇馬の街は彼の自由にさせるべきだ。
決して足を引っ張るべきではない。
それがひいては自分たちの利益になるとクライスは結論付けた。
クライスは目をつぶってこれまでのことを思い返す。
彼と出会ってから最初から最後まで彼の周りは不思議なことばかりが起きる。
今や彼の国の兵士たちはミスリル製の武具を使っているという。
いったいどこからその希少金属を手に入れたのか。
元々彼の土地に眠っていたというのであれば何と勿体ないことをしたのかと思うが恐らく自分たちが彼の土地を持っていたとしてもミスリルが手に入ることはなかっただろう。
不思議とそのこと自体は自然と理解できた。
彼を神の御使いと崇める優真教は今やラムダ公国内で大きな勢力となっている。
クライスは当初その話を信じているわけではなかったがそのうちにそう信じてもいいのではないかと思うようになった。
勇馬の周りには奇跡が溢れ、それによって人も物も金も何もかもが集まっている。
今はまだ一つの小さな国に過ぎないが彼の国は直ぐに大きくなっていくだろう。
恐らくは自分たちの国をもあっという間に呑み込んでいくほどに。
「しかし、それもいいのかもしれないな」
クライスも出席した彼の国の独立式典。
その場であの黒髪黒目の青年が掲げたのは彼の国の憲法だとかいう法規範だった。
勇馬は独立してヒーラ王国を興すときにいち早く憲法を制定して国の基本理念を内外に宣言した。
その中にはクライスでも理解できるものも多くあったがそうではないものの方が多かった。
クライスは思う。
その考え方はこれまでの国と民との関係を根本から揺るがしかねない。
世界は大きく動き始めている。
恐らくはその中心となるのは彼の国だろう。
彼が本当に神の御使いなのかどうかは凡夫であるわたしにはわからない。
ただ、彼と敵対することは愚策だということだけはわかる。
彼の国とはお互いに共存共栄を図る。
それが我が国のひいては我が民たちの幸せにつながるだろうことは為政者の勘だと言うまでもなく理解することができた。




