23 お願い
「フィーネ! カリナ!」
「「アイリスちゃんっ!」
勇馬が荒野を農地に変えたその日の夕方。
アイリスは二人の旧友と再会していた。
3人はお互いに抱き合い涙を流しながらお互いの無事を喜びあった、のだが……。
「……フィーネもカリナも、ちょっと臭いです」
「アイリスちゃん、乙女に向かってそれはあんまりだよ」
「そうそう、それは言いっこなしだよ」
フィーネとカリナは顔を顰めたアイリスに非難がましい言葉を浴びせる。
しかし、アイリスも彼女たちを貶めたいというわけではないし、フィーネたちも本気でアイリスを非難している訳ではない。
3人がメルミドで共に過ごした時間はそこまで長くはなかったが、この程度の軽口を叩き合えるだけの親密な関係にはなっていた。
波長が合うとでもいうのだろうか。
必ずしも性格が似ている訳ではないが妙に馬が合ったといったところだ。
「ところでアイリスちゃんに聞きたいんだけど」
「なんでしょうか?」
フィーネの言葉にアイリスが首を傾げる。
「ユーマさんってその、本当に神の御使い様なの?」
「ああ……」
農場予定地での勇馬による奇跡の演出の後はセフィリアが勇馬のことを神の御使い様であると喧伝していたことをアイリスは思い出した。
フィーネとカリナは農業従事組としてこの日の勇馬の奇跡の演出を目撃した集団の中にいた。
実際には周りに人が多くて勇馬のしたことをその目ではっきりと見ることはできなかったものの、周りの人々が叫ぶ『奇跡』の言葉とさっきまで赤茶けた荒野だった場所が見るからに肥沃そうな農地になったという事実を目の当たりにしたためそう思うのも無理からぬことだろう。
「で、どうなの? アイリスちゃんは神の御使い様の僕なの?」
「……よくわかりません」
勇馬がすごいことは知っている。
そのことはずっと勇馬とともにいるアイリスは十二分にわかっている。
しかし、それがいったいどういうものなのか、そして勇馬が本当にセフィリアが言うように神の御使いなのかを判断することまではできないままだった。
二人の会話を黙って聞いていたカリナが口を挟む。
「もしもユーマさんが神の御使い様ならここに浴場を作って欲しいな~。もう何日もお風呂に入ってないんだもん。たまには入りたいよ」
「お風呂、ですか」
「そうそう、アイリスちゃんが頼めば聞いてくれるんじゃない? ユーマさん、アイリスちゃんのこと大好きだから」
カリナの言葉にアイリスは考え込む。
(主様の力のことを知るにはいいかもしれません。それに……)
できれば目の前の友人たちの生活環境を改善してあげたりという気持ちもある。
しかし、こんな個人的な理由でそんな大それたお願いをしていいものだろうか。
そんな悩んでいるアイリスにフィーネが囁いた。
「ユーマさんも自分にメリットがあれば積極的に動いてくれると思うよ。ということでアイリスちゃんには一肌脱いでもらいたいんだけど……」
「? なんでしょう、私にできることなら何でもやりますよ」
「その言葉、忘れないでね?」
ニッコリと微笑んだフィーネに思わず言ってしまった自分の言葉をアイリスはちょっと後悔することになる。
「主様、折り入ってお願いしたいことがあります」
「お願い?」
その日の夕食後、勇馬はアイリスから突然そんな申し入れを受けた。
アイリスが勇馬にお願いをすることは滅多にない。
いや、これまでにそんなことがあっただろうか。
勇馬は自分の記憶を探っていくが直ぐには思い当たる節はない。
(これはついにアイリスがデレたと考えていいのだろうか!)
そんな的外れな思考の海に沈む勇馬にアイリスは話を続けた。
「実は、ここに浴場を作って欲しいのです。その、難民のみなさんは着の身着のままでここに来られている訳で、今も身体を拭くことくらいしかできていないそうですので」
「浴場、風呂か……」
勇馬は考え込む。
ラムダ公国の軍人としての活動でしばらく風呂に入れないことはあったがやはりそれは日本人である勇馬にとっては耐え難いことだ。
この異世界も勇馬が思い描く世界ということもあってヨーロッパ風の世界のわりにはお風呂に入る習慣がそれなりに根付いている。
それに衛生面を考えれば伝染病の予防のためにも風呂に入って清潔にすることは推奨されるべきだろう。
生半可な勇馬の乏しい知識ではそういうことになっている。
考えれば考えるほどメリットしかない。
それを作ることができる環境があり、そのためにかかる労力を考えなければではあるが。
「あの、難しければ無理をされなくてもいいですので……。他に優先しないといけないこともあるでしょうし」
考え込む勇馬を見てアイリスは勇馬が難しくて思い悩んでいると勘違いしていた。
「ただ、その……」
「んっ? なに?」
「もしも、その、私の我が儘を聞いていただいて浴場を作ってもらえるのであれば、その……、主様と一緒にお風呂に入ってお背中を流したいな~、なんて……」
アイリスは色白の勇馬よりも長い耳を真っ赤にさせて俯くと最後は蚊の鳴くようなか細い声でもにょもにょするように言った。
(う~、恥ずかしいっ、恥ずかしいですっ!)
フィーネたちに言われたこと。
それは文字通りアイリスが一肌脱いで勇馬を篭絡してはどうかというものだった。
『どうせアイリスちゃん、勇馬さんとの仲は進展してないんでしょ?』
『!? そっ、そんなことないですよっ!?』
『アイリスちゃん、目が泳いでいるよ。いい機会だからユーマさんとの仲を進めちゃいなYO!』
フィーネとカリナとの間でそんなやり取りの末のアイリスの精一杯の誘惑だった。
「よし、作ろうっ!」
「えっ、即答……ですか?」
「浴場を作ってアイリスと一緒に風呂に入る!」
「えっ、ええっ……」
やっぱり最後の言葉は聞こえていましたよね、とアイリスはがっくり項垂れる。
難聴系の主人公でも自分に都合のいい言葉はいくら小さな声でも聞き逃さないのがお約束とはいえ異世界人であるアイリスがそんなことを知る由もない。
こうして新しい街づくりの第一歩としてまずは公衆浴場ができることになった。




