15 密約
「それではお返事をお待ちしています」
勇馬はテーブルに出した瓶をしまうと、自分が泊まっている宿の名前を書いた紙を固まったままのエクレールの目の前に置いて個室を出た。その際に「お勘定はこちらが持ちますからお好きな物を頼んでいいですよ」と告げたがエクレールに勇馬の言葉がきちんと伝わったかどうかは定かではない。
勇馬は店員に何も注文せずに店を出ることを詫び、個室の使用料として大銀貨1枚を置いて店を出た。
もしも連れの飲食費で足が出た場合には追加分を支払うからと宿泊先と名前を一応は告げている。しかし勇馬の中では120%そういったことはないと確信していた。
ちなみにこの店では個室を利用しても飲み食いした分しか代金はかからないしカップルが食事をしても普通1万ゴルドもかかることはない。
エクレールと会った後、勇馬は宿の部屋へとまっすぐに戻って来た。
この日アイリスはメイドの家庭教師をしてくれたメレナの自宅に行っており夕方まで帰ってこない。セフィリアは友人と過ごすという話で夕食も友人と食べて帰ることになっている。
つまり宿の部屋には勇馬1人しかいない。
勇馬は部屋に入るとベッドに横になった。
「うわ~、やっちまった! どうしよう、どうしよう!」
勇馬は1人叫んでベッドの上をごろごろと左右に転がった。
勇馬はセフィリアからエクレールの話を聞いたとき、エクレールが誰かの奴隷になるというのなら自分が買いたいという気持ちを持ったことは事実である。
しかし勇馬がエリクサーを手に入れた今となってはエクレールが奴隷になる必要などない。元々エクレールが自分を奴隷として売るのはエリクサーの購入原資にするためだからである。
端的に勇馬がエリクサーを善意で譲れば済むだけの話であった。
勿論、エクレールやクレアは恐縮して受け取りを拒むかもしれない。
しかし、本心では喉から手が出る程欲しいことは間違いないはずである。そのときは適当な対価をもらってお茶を濁すなり何なりすればいい話であった。
勇馬としてはエリクサーを譲るつもりでエクレールを呼び出したにも拘わらず、エクレールから挑発するかのような言葉を受けて、売り言葉に買い言葉であれよあれよという間にああいった展開になってしまった。
やはりまだ経験の浅い若者といったところだろう。
(これじゃあ、貧しい女の子の頬を札束で叩いてる成金そのものじゃないか!)
ここにきて主人公にあるまじき失態。
感想掲示板が開いていれば荒れること間違いなしである。
「はぁ、エクレールがあんな感じで挑発するからつい乗っちゃったじゃないか」
勇馬は溜息を付くとそう言って件の女性の顔を思い浮かべた。
エクレールからの返事が来るのは早かった。その日の夕方には宿に勇馬宛に手紙が届けられたのだ。
「本当かよ……」
その手紙を読んで勇馬はそうこぼした。
幸いアイリスもセフィリアもまだ宿には戻っていない。
エクレールからの手紙の内容は、勇馬の申し出を受けるというものだった。
そのうえで明日の夕方、エリクサーを持ってこの街の奴隷商館に来て欲しいということだった。
瓶の中身をエリクサーであると正式に確認をすることができればその場で手続をするという流れにしたいとのことだった。
勇馬から申し入れたとはいえ、その場の勢いというやつだ。
勇馬ははっきり言っていざというときには尻込みするチキン野郎である。
(これはどうしたらいいだろうか?)
勇馬が思案していると宿の従業員が部屋のドアをノックした。
「お客さんが来られていますがいかがされますか?」
勇馬がいぶかしく思いながらロビーに降りるとそこには見知った顔があった。
「ユーマ、冒険者ギルドから連絡があって驚いたぞ! 久しぶりだな」
絶賛渦中の人であるクレアその人だった。
「なるほど、そんなことになっていたのか……」
勇馬は宿にある食堂の一画でクレアに今起こっている状況を包み隠さず話した。
「確かにわたしの怪我はエクレールを守ろうとして負ったものだ。勿論エクレールの言うとおり彼女は冒険者として大きなミスをした。しかし、だからと言ってエクレールだけが悪いわけではない。エクレールを助けようと判断したのはわたしだし、わたしも必要な技能がなく十分な防御ができなかった。わたしも同じく未熟だった。エクレールには確かに生活費を助けてもらっているし感謝もしている。でもエクレールがわたしの人生に責任を感じる必要も責任をとる必要もない。冒険者になった以上、わたしの人生に責任を負うのはわたし一人だけだ」
クレアは一気にそうまくし立てた。
「わたしがその場に乗り込もう。そんな取引は認めるわけにはいかない!」
力強くそう宣言するクレアを勇馬は頼もしく思った。
こうして勇馬とクレアとの間で密約が成立した。




