衝撃の出会い
それから俺は、葉室家の執事として働いた。
この遊戯の主目的はお嬢様の育成だが、その育成を支えるのが、衣食住だってことを痛感させられる作りだった。
まず、衣。
京子お嬢様は和服好きで、洋服を嫌がる。和服の洗濯と仕立てには経費がかかるので、着回しの順にも気を遣う。
それと毎日のように千代子が報告して来る、幸運色と幸運小物にも意味があり、きちんと整えると育成の能力値の変動幅に効果があった。
次に食。
食費を倹約すると、財産は増えるが病気になったり、能力値の上昇が鈍る。だからと言って贅沢させると財産はすぐに底をつく。何事も均衡が大事だ。
最後に住。
やはり清潔な部屋は健康的な生活に必須だし、水回りの整備も大事だ。
これらを采配するのが執事の腕の見せ所で、その為にも「執事の慧眼」は大いに役立った。
使用人の誰が何に向いているのか分かるというのは便利だ。現実世界でもこの能力は欲しい。
適材適所と、綿密な行動計画、堅実な資産管理と、執事の仕事内容は総合職。旦那様を社長とするなら、執事は部長ぐらいの役回りだ。
先輩が「社会勉強に」と言っていた意味が、ようやく理解できたぜ。
そうして日々の生活とお嬢様の習い事を終えた、ある秋の日。
「伊集院君」
「旦那様、何か不手際がございましたか?」
未だに口調に慣れないので、受け答えは自動にしている。
「いや、そうではなくてね。京子を明日の観菊会に連れて行きたいんだ」
「畏まりました」
恭しく一礼したけど、観菊会って何だ?
手帳を取り出して、該当項目を探す。ザックリ言うと、秋の園遊会だ。
明日?
いやいやいや、何の準備もしてないから。
学生だし、通学時に着用している服で、どうにかできないだろうか?
髪飾りなどで、どうにか誤魔化せるだろう。
この時、簡単に考えていた俺は、痛い目に遭うことになる。
クスクスと忍び笑いが我々を襲う。
赤坂離宮の観菊会には多くの華族と、外国要人の子女まで集まっている。それぞれが立派な洋服なのに対して、京子お嬢様は通学時に着用する矢絣の小袖と葡萄茶色の袴姿、頭には臙脂色のリボンだから、場違いな外見と言えた。
温厚な旦那様もやや苛立ったように杖の持ち手を指先でコツコツと叩いている。
やっちまった。
この場でなければ土下座して謝りたくなる状況だ。
逃げたい、胃が痛い。
いつの間にか旦那様は見知らぬ女性と話している。不意にこちらへ振り返った。
「伊集院君、京子を連れて、この人と一緒に行ってくれ給え」
「畏まりました、旦那様」
この場から逃げられるなら何でもいい。旦那様の命令だし、お嬢様を連れて堂々と広間を退出する。
「お嬢様、申し訳ありません」
俺は素直に謝った。これは自動ではなく、手動にした。
ところが京子お嬢様はニッコリと微笑み返して来る。
「伊集院さん、よろしいのですわ。あのような場は苦手ですもの」
京子お嬢様、本気で天使。
俺たちは、正確に言えば京子お嬢様は奥の控え室に通された。俺は扉の前で待機だ。ややあって扉が開くと、そこには真紅の長丈礼服を着たお嬢様がいた。
「い、伊集院さん、どうでしょうか?」
「よくお似合いです、お嬢様」
眼福、眼福。
「実は、ヴァイオリンの演奏者が急病で来られなくなってしまい、急遽演奏者を探しておりましたら葉室子爵様からお嬢様をお貸し頂ける運びになりまして」
そ、そうだったのか。良かった、お嬢様にヴァイオリンの練習をさせておいて。確か腕前は中級まで行ってたよな?
先頭を女性、お嬢様を中央にして俺は最後尾を歩く。
皆が談笑している広間の手前に、小楽団が揃っていた。お嬢様は軽い打ち合わせと音合わせをしてから広間に入る。
「ど、どうしましょう。緊張して参りました」
「お嬢様、深呼吸をしましょう」
京子お嬢様は深呼吸をして落ち着いたのか、表情を凜とさせて準備を終えた小楽団に加わる。
演奏を問題なく終え、お嬢様は会場から暖かな喝采を浴びて退出して来る。その時だった。
「貴女、生意気ね」
突然、高飛車な口調で声を掛けられる。振り向くと、淡青色の礼服を着た少女がこちらを睨んでいた。
「たかが子爵の娘の分際で」
「失礼ではありますが、そこまでにして頂きたい」
俺はお嬢様を庇うように間へ割って入った。
「ふん、いいわ。明日から、学校で楽しみにしてなさい」
そう捨て台詞を浴びせてあちらのお嬢様は背を向けた。入れ替わるように、眼鏡の男性が俺たちの目の前に来る。
「小野家の執事、川原雄二郎、です! 以後、お見知り置きを」
妙な強弱を付けて川原は名乗り、俺の耳元へ顔を近づけて来た。
「観菊会の準備を疎かにするとは、貴方、怠惰ですね」
それだけを言い置いて川原もその場を後にする。何かいろいろとヤバイだろ、あれ。
その後も、事あるたびに妨害をして来る様子からして、悪役令嬢に目を付けられたのだろう。お嬢様は女学校卒業まで、全ての催し物で二位だった。
そして迎える終章。
「大正十二年三月、女学校を卒業した京子は──」
相変わらず、いい声のナレーションだぜ。お嬢様は大学に進み、音楽教師の道を志した。その横で葉室家の家宰を司るのが俺だ。この終章は別室の椅子に腰掛けて、録画を見るような形で鑑賞している。
幸せそうな葉室家の行く末を見て、俺の心も満たされそうだったその時、画面が大きく揺れた。
何だ?
部屋の中の家具が倒れ、小物が散乱している。
地震か?
大正十二年、……関東大震災だ。
千代子と令人が使用人を指揮して、屋敷の門を閉じ、闖入者を阻もうと準備を整える。
完全に閉門したところへ一人の女性が破れた衣服のまま駆けて来た。彼女は門を叩いて叫んでいる。
「助けて!」
逃げて来た彼女は、悪役令嬢だ。震災で焼け出されたのか、いい気味だ。弱い者の立場を理解すれば、……おいおい冗談だろ!
大勢の男たちが彼女を追って集まっていた。門は堅く閉ざされ、屋敷の中の誰も助けようとしない。そして悪役令嬢は……。
目を背けたが彼女の悲鳴から、何が行われているのかは想像がつく。仮想現実と分かっていてもこれはあんまりだ。
どうにかして、あの御令嬢を助けられないのだろうか?
明日、先輩に聞いてみよう。
そう決めて、俺は遊戯を打ち切った。
声の想定
伊集院 令人 小林祐介さん
伊集院 千代子 今井麻美さん
葉室 京子 生天目仁美さん
葉室 万蔵 寺島拓篤さん
小野 飛鳥 ゆかなさん
川原 雄二郎 松岡禎丞さん
ナレーション 宮野真守さん




