お礼掌編:淡い夢のなごり
本編21前後
セリーナがお屋敷に留まることを許されて、魔術を習いたいとアーネストに申し出た、その日の夜の出来事
「お父様〜〜〜!」
穏やかな昼下がり。気候が良いので庭のベンチで読書をしていたアーネストは、その元気な声を受けて読みかけの本から顔を上げた。
視線の先には妻に似た顔立ちの、まだ幼い娘の姿がある。プラチナブロンドをなびかせて颯爽と駆け寄ってきた娘は、立ち止まるなりパッと腕を広げてみせた。
「新しいドレスなの! どう? かわいい? 似合う?」
「ああ、なかなかいいんじゃないか?」
赤の瞳を輝かせる娘に、アーネストは穏やかに首肯した。すると満面の笑みを浮かべた娘は、慌ただしく屋敷の方へと駆け出していく。
「お母様〜〜〜! お父様が、このドレスとっても似合うって! 私のこと世界一かわいいって〜〜〜!」
賑やかに遠ざかる声に、アーネストはふっと笑いのこもった吐息を溢した。
「まったく、誰に似たのやら」
とんでもなくポジティブで強メンタルな娘は、見ていてとても気持ちがいい。そう思いながら小さな後ろ姿を見送っていると、入れ替わるように屋敷からマリアが姿を現した。その足元には、さらに幼い息子の姿もある。
マリアに伴われて近づいてきた息子は、アーネストの服をチマっと掴んだ。
「とうさま、ぎゅー!」
「はいはい」
促されるまま息子を膝に乗せて、アーネストはその小さな体を抱きしめた。外見は父親に生き写しの黒髪赤目の息子だが、物怖じせず人懐っこい性格で、屋敷中から愛でられている。自分に瓜二つの存在がにぱっと笑みを浮かべるたびに、アーネストはどこか不思議な気持ちになった。
これを、幸せというのかもしれない。
アーネストはそう思いながら、懐いてくる息子の頭を撫でた。魔術の才に恵まれない妻と娘に対して、心無い声がないわけではない。けれど今、この屋敷にはかつてないほどの活気と笑い声があふれていた。
ふと視線を動かした先に、娘を伴って屋敷から出てきた妻の姿が見える。その妻が優しく手を振って、アーネストの顔にも自然と、柔らかな笑みが浮かんでいた。
〜*〜*〜*〜*〜*
パチンッと泡が弾けるように、唐突に目が覚めた。
淡い夢のなごりが、じぃんと身体を支配している。見慣れた自室は、静かで暗い。その現実が少しずつ心に染みてきて、アーネストは大きくため息をついた。
「妙な夢を見たものだな……」
夕食時にセリーナが、子の指導がどうのこうのと、突拍子もないことを言い出したせいだろうか。自分には縁遠い、物語の一幕のような光景を夢に見るなど、どうかしている。
「はぁ……」
身体を起こして、片手で顔を覆った。
先ほどまで夢の中にいたというのに、今は妙に頭が冴えていて、再び眠れる気がしない。夜明けまではまだしばらくあるだろう。少し考えて、ベッドから足を下ろした。
あかりをつけて、己の部屋を見渡す。
何か時間を潰せるものをと思うけれど、いまだ胸の中はざわついていて、小難しい本に目を通す気にはなれなかった。
気持ちを落ち着けるようにしばし部屋の中を歩いていると、ふと視界の隅にエーゼルが置いていった資料が見えて、惹き寄せられるようにそれらが積み上げられたテーブルへと向かう。
そこには『シーンに合わせたプレゼント特集』や『恋人との絆を深めるデート20選』、はたまた『円満な夫婦関係を構築する秘訣』などというこの部屋にはそぐわない類の資料が積まれていて、アーネストは思わず舌打ちした。近くにマリアが置いていった購入希望リストも置かれているけれど、これもセリーナに関するものだ。
「はぁ……」
うっかり拾って帰ってしまった娘に心乱されていることを、あの2人に早い段階で勘づかれたことは分かっている。引き取りに来た殿下を追い返したことで、手放しがたく思い始めた心境も読まれていただろう。
そして今日、セリーナと東屋で話し合う前に、自分はエーゼルに問うてしまった。あれを本当に妻にすると言ったら、おまえはどう思う? と。
「旦那様のお心のままに、などと言っていたくせに」
エーゼルのあからさまな意思表示である資料を端に追いやり、アーネストはとりあえずテーブルについた。風魔術でペンを引き寄せ、マリアの寄こした書類にサッと目を通す。そのリストすべてに許可を与え、ついでに薄着のままパタパタ駆けてくる姿が脳裏に浮かんだため、上着の追加指示も書き込んだ。
セリーナが言葉通り、ここに留まり続けるかは分からない。明日には我に返って、殿下の元へと保護を願いに行く可能性もある。先ほどの夢が現実になるとは、アーネストには思えなかった。
「はぁ……」
ため息が止まらない。
心はずっとざわついたままで、気を紛らわせるものはないかと見渡す視界には、エーゼルの資料がずっとチラついている。
「……」
これに手を伸ばせば、我が意を得たりと資料を追加されることは目に見えていた。でも他に手頃な暇つぶしは見当たらない。
アーネストはしばしの逡巡ののち、結局その資料を手に取ってしまったのだった。
そんな夜から2ヶ月も経たず。
「ア、ア、アーネスト様っ。そちらの新聞はお読みにならない方がよろしいかとっ!」
顔を真っ赤にした婚約者が、自身の贔屓にしている新聞をアーネストの手から取り戻そうと頑張っている。
それもそのはず。先日『私は心からアーネスト様をお慕いしていますし、アーネスト様以外を選ぶことなど、絶対にありません!』と高らかに宣言した場面が、さらに盛られて特集記事にされてしまっているのだ。
これまでアーネストの記事を集めることを好んでいたセリーナの気持ちが、今のアーネストには理解できる。なかなかに気分がいい。
「エーゼル、僕の部屋に飾る用の紙面も取り寄せるべきかな?」
「すぐに手配致します」
「エ、エーゼルっ!?」
そんなまさか!と、とんでもない裏切りにあったような表情を浮かべるセリーナを見ていると、堪えきれない笑いが込み上げてきた。
アーネストや2人の関係性に対する魔爵家の印象は、あの事件後に大きく変化しただろう。そしてダメ押しのように出されたこの特集記事は、まるで恋愛小説のような仕上がりで、当事者としてはむず痒い思いがする。発言の張本人であるセリーナからしたら尚更、穴があったら入りたい心境なのかもしれない。
あわあわしているセリーナを眺めていると、不意にいつか見た夢が脳裏を過ぎった。
現実とは程遠い夢だと思っていたのに、今はその夢がすぐ近くに感じられる。この先もずっと、セリーナはアーネストの隣で笑っているだろう。そう信じられる自分の変化に、アーネストは胸の内が温かくなるのを感じた。
そして思う。
きっとこんな日々を、幸せと呼ぶのだ、と。
掌編までお読みいただきありがとうございます✴︎*
完結後、ブックマークや評価をくださった方々のおかげでランキングに顔を出しておりました。ありがとうございました!
感想も幸せな気持ちで読み返しております。
お互いの欠けた部分を補いながら距離を縮める2人を温かく見守ってくださり、ありがとうございました!




