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17:逃げ道

 夕食をなんとか完食して、入浴をして、もう眠る時間になってもアーネスト様は帰ってこなかった。エーゼルさんが言ったように、王宮へお泊まりなのかもしれない。


 落ち着かなくてなんとなく部屋をウロウロしていると、鏡に映った自分に気がついた。

 ここに来てたった4日だけれど、休息を十分にとったことに加え、フリエさんたちが髪や肌のケアを頑張ってくれているからか、若干パサパサ感が軽減されている気がするし、やつれて疲れ果てていた気配もだいぶマシになっている。


 鏡に近づいて、しげしげと自分を見つめる。

 少なくとも老婆感は緩和されているものの、まだまだ健康的な様相には程遠い。痩けた頬に触れて、アーネスト様に食事食事と気にされるのも仕方がないかと苦笑する。


 けれど母親譲りの青紫の目には、自分でもわかるほどの生気があった。この4年ほど暗く沈み澱んだ目をした自分としか目が合わなかったのに、表情も明るくなっている。むしろ表情だけで人の印象はここまで変わるのかと、自分のことながら感心した。


 自然と浮かんだ笑みに両親が生きていた頃の自分が重なって、少し胸が苦しくなる。あの頃に帰りたいと何度思っただろう。タウンハウスに監禁されるように過ごし、両親たちの墓参りにさえ行けていなかった。

 こうして心のゆとりができて初めて、色々と気がつき思い出すこともある。寂しい思いを抱えていると、急に遠くでにゃーんと猫の鳴く声が聞こえてきた。


 帰ってきた?

 はっとして部屋から駆け出てエントランスへ向かう。すると階段を上がろうとするアーネスト様が、性懲りも無く屋敷内を走る私に気がつき、微かに目を見開いた。


「おかえりなさいませっ」

「……ああ、ただいま」


 近寄ると結構お酒を飲んできたのか、強いアルコールの香りがした。気だるげな様子だが、さほど酔っている感じもない。お酒もお強いのだろうか。

 そんなことを考えていると、アーネスト様はふっと苦笑を浮かべた。


「やれやれ。僕の妻は慎みというものをどこかへ置いてきたらしい」


 その言葉に、ナイトウェアのまま上も羽織らず走ってきてしまったことに気がついた。ちょっと恥ずかしくはなったが、どうせ昨日も見られているし、バスローブ姿や背中も見られているのでと開き直る。


「次から気をつけます」

「そうしてくれ。あまり薄着でうろうろするとまた体調を崩すぞ。もう遅いから、君も早く休め」

「はい。アーネスト様もゆっくり体を休めてください。今日はもうお帰りにならないかと思っていましたので、こうしてお会いできて嬉しかったです」


 浮き立った気分のままそう伝えると、その美しい顔に皮肉っぽい笑みが浮かんだ。


「まったく、呑気なものだね。そのままボケっとしていると、王家に逃げ道を塞がれて本当に僕に嫁ぐことになるよ。もう少し真剣に自分の将来を考えるんだね」


 思わぬ言葉に、一瞬反応が遅れた。


「それ、は……、陛下のご用件は私絡みだったのでしょうか」

「ああ。ナイシェルトのやつがいらないことを吹き込んだらしい。本当に余計なことばかり行動が早くて困る」


 ナイシェルトというのは、今日来られた第一王子殿下のことだ。


「逃げ道を塞がれるどころか、私のようなものでは不釣り合いと反対されるものなのでは……」

「いや? あの人たちは常々、僕のそばには僕を肯定して慕うものがいるべきだと言うんだ。正に今の君のようにね。ずっと意味の分からないことを言うものだと思っていたが、今になって……。いや、何でもない。さすがに飲み過ぎたようだ」


 軽く頭を振ると、アーネスト様は重いため息を吐いた。


「ほら、君も部屋に戻れ。また熱を出すぞ」


 色々と気にかかることはあるものの、確かに遅い時間だしアーネスト様もお疲れのようだ。ここで話を長引かせるのは良くないと思って、一旦疑問は飲み込む。


「はい。おやすみなさいませ」

「ああ、おやすみ」


 猫を引き連れて階段を上がっていくアーネスト様を見送る。その中にはノワもいて、きっと鳴いて知らせてくれたのはあの子だろうと、こっそりと心の中で感謝を送った。

 階段を上がり切ったアーネスト様がちらりとこちらを見たので、一礼して部屋へと戻ることにする。たぶんあの視線は早く戻れの意味だ。


 そう思って踵を返すと、ホールにひっそりと控えていた夜当番らしい使用人さんが、なんだか微笑ましいものを見るかのようにこちらを見ていたことに気がついた。たぶん私が走って来た時から見られていたのだろう。ちょっと恥ずかしくなって、軽く頭を下げて小走りに部屋へと向かう。


 パタンと自分に当てられた部屋へと戻り、ふと思った。

 ここの使用人さんは皆いい人だし、アーネスト様を慕っている様子だ。でもアーネスト様は父親である先代から力ずくで当主の座を奪ったことで、血濡れの魔公爵の二つ名が付いたはず。


 形骸化して久しい決闘による当主交代が何の前触れもなく行われたことで、当時は随分新聞を賑わせていたような記憶がある。嘘か真かわからない様々な憶測や決闘時の証言などが掲載されたが、その中から真実を見抜く目を私は持っていなかったし、そこまで強い興味もなかった。


 けれど6年も前のこととはいえ、無理矢理な当主交代であれば使用人達に恐怖や不信感を抱かれていそうなものだが、そんな様子はまるで見えない。そして王家もアーネスト様を気遣い、密な付き合いを続けているとなると、なにか深い事情があってのことだったのかもしれない。


 当時13歳だったアーネスト様は、どんな思いで決闘に臨んだのだろうか。

 ただの居候に過ぎない私は、そんな深いところに触れられる立場ではない。それに疑問はあるにしても、無理に真実を知る必要もないと思った。


 今私に接してくれるアーネスト様は、繊細な気遣いと優しさを持つ素敵な人だ。どんな過去を持つにしても、私が救われた事実は変わらない。今日だって泣いて縋ってしまったことできっと面倒をかけているのに、アーネスト様は私を見捨てないでここにおいてくれている。


 王家に逃げ道を塞がれても、私はきっと困らない。困るのはアーネスト様の方なのに。それを分かっているのだろうかと、逆にこちらが心配になってしまう。


 明かりを落としてベッドに潜り込む。

 祝賀会でも感じた通り、アーネスト様が多くの人に恐れられて避けられているのは事実だと思う。だからこそアーネスト様の優しさに気がついて感謝している私が、王家の方には新鮮に映るのかもしれない。救われて感謝するなんて、当然のことなのに。

 でも妻とは、それだけでよいものだろうか。それでは拾われ仲間の猫達と、何も変わらないのではないだろうか。


 考えても簡単に答えなんて出てくるものではなくて、諦めて目を閉じる。

 とにかく将来について考えるためには、アーネスト様ともきちんと話をする必要がある。明日、お時間をもらえる日はないかを聞いてみよう。


 そう決めてそっと息を吐くと、心地の良いベッドにあっという間に夢の中へと攫われていった。

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