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第八十五話 風の精霊術五式



「マスクを大量に製造するには……産業革命から始めるか。疫病対策にはアルコールを用意。それも工場を作って――」

『お、おいライナー。本当にやる気かよ』

「当たり前だ。座して死を待つなんて不効率の極みじゃないか」


 問題のスケールが大きくなっただけで、やることは変わらない。


「蒸気機関を作るとして、細かい機構まで作る時間は無さそうだ。魔法で代用ができるところは、魔法を活用して……」


 解決策を考えて実行する。

 ただそれだけのことだと、ライナーは精霊の大図書館で企画書作りに入っていた。


『できるわけないだろ。科学力も魔法体系も未熟なこの世界じゃ、もう受け入れるしかないんだよ』

「そのセリフを吐くのは、死ぬ直前でいい。この際何でもいいから、お前もアイデアを出してくれ」


 やるだけ無駄だからと消極的な風の大精霊ではあるが。


『……あー、まずさ。疫病が起きるなら、発症する土地があるはずだろ? その地域の特定と封鎖からじゃないかな』


 それでライナーの気が済むならと、ポツポツ語り始めた。


「それもそうだな。火元で火消しをするのが一番効率的だ。……具体的な場所は分からないのか?」

『いや。正直オレも、世界の具合が良くないってことが漠然と分かるくらいでさ。いつ滅びるのかなんて分からないんだよ』


 つまり現状では、大精霊でも予兆を察知できていない。

 精霊神が「近々滅びる」とは言うものの。それ以外に何も情報は無いことになる。


 前提として地脈が崩れつつあり、世界全体が悪い方向に向かっているという。


 ライナーと出会った直後に大精霊自身もそう言っていたし、これについては嘘を吐くようなことでもないだろう。

 そのことを念頭に置いたライナーの頭には、二つの仮説が浮かぶ。


「仮説その一。そろそろ打開策を打ちたい精霊神が、発破をかけた」

『んー、主上様なら、やるかもな……』


 精霊神が何を考えているか分からないのは、風の大精霊も同じだ。

 このままでは滅びるぞと脅しをかけて、ライナーを扱き使おうとしている説もある。

 掌でいいように転がされているのではないか、という懸念はもちろんあった。


「しかしそれだと、わざわざ世界中の精霊を集めて、滅びを宣言する意味がない。もう何をやっても無駄だと、実際に匙を投げた奴もいるしな」

『うるせぇやい。んで、仮説その二は何よ』


 できれば認めたくないんだが、と前置いてから。

 ライナーは淡々と言う。


「滅びる速さが尋常でない場合だ。世界が一気に滅びて、予兆を感じた次の瞬間には手遅れなくらいに」

『それなら、なおさら無理じゃん』

「無理なものか。問題が表面化する前に抑えればいい」


 問題が起きた瞬間に、凄まじい速さで浸食が進むということは。

 逆に言えば、最初の一手を間違わなければ封じ込めも可能ということだ。

 そんな希望を持ち、ライナーは計画書をガリガリと書き上げていく。


「どうせ作戦に失敗したら、何千年か何億年か。暇になるだろ? だったら今は全力で付き合ってくれ」

『……主上様のお許しはいただいたし、いーんだけどねー別に』

「何?」


 ライナーが手を止めて大精霊の姿を見れば。身体を激しく明滅させながら、焦ったような声を出した。


『あ、か、勘違いするなよな! オレは……別に、世界が滅びたって生きてるんだし。お供え物が無くなるのが嫌なだけなんだからな!』


 どうやら風の大精霊は、最後までサポートしてくれるらしい。

 その許可を取ってから図書館に来たというのだから、手伝う気はあるようだ。


 状況を冷静に把握したライナーは、「なるほど」と呟いてから、結論を言う。



「これがツンデレというやつか」

『ツンデレちゃうわい! どこで覚えたそんな言葉!』

「現実の時間で、二年近くも図書館に入り浸っているんだぞ? サブカルチャーやら疑似科学やら……趣味の世界まで網羅している」


 執務の息抜きに、どうでもいい本すら読み漁ってきたのだ。


 スペースシャトルの仕組みや光の速度実験の本など。ライナーが居る環境とは無縁な本でも、時間がある時に片っ端から読んでいる。


「まあ、ジャンルを問わずに本を読んできた結果として、疫病への対策がスムーズになっているんだ。無駄な時間でもなかったな」


 知識を頭一杯に詰め込んだ結果が今、疫病対策に活かされている。

 見方によっては今日のための下準備を、先回りして終わらせていたことにもなるだろう。

 そう言って一人頷くライナーをげんなりとした表情で見ながら、風の大精霊は次の問題点を指摘する。


『お前の情熱がどこから来てるかは知らないけどさぁ、天変地異の方はどうするんだよ』

「公国の周りは山が深いから、台風の影響は無い。例えば地震でも、二階建ての建物が少ないからな。心配なのはがけ崩れくらいだ」


 しかし、風の大精霊が心配しているのはそちらではなく。

 もっと大きな視点でのことだった。


『いやいや、気候変動とかはお手上げだろ。火山噴火で灰が巻き上げられて、星全体が寒冷化したりさ、長雨が続いて作物が育たなかったりさぁ。世界規模の問題なんだし、それくらいは想定しとけよ』


 世界全体に影響があるレベルの災厄が待ち構えていることは想像に難くない。


 そんな気象が続けば公国も滅びるだろうと大精霊が言っても。当のライナーは余裕の表情を浮かべるばかりだった。


「大丈夫だ。そこはこの図書館を出る前に(・・・・)何とかする」

『何言ってんだ? お前』


 風の大精霊が左に三十度ほど身体を傾けて――球体なので、少し回転して――その身で疑問を呈すれば。

 ライナーは何でもない表情で、彼にとんでもないお強請(ねだ)りをしてきた。



「大精霊。俺に風の精霊術を、五式まで教えてくれ」



 風の精霊術は、発動の難易度で段階分けがされている。


 一式で風を作り。

 二式で風を流し。

 三式で風を(まと)う。


 下級精霊は精々二式までしか扱えず、三式が扱えれば一端(いっぱし)の精霊として扱われる。

 だから、三式まで習得したライナーは。既に精霊の仲間入りをしたと言っても過言でないのだが。


『バ、バカなことを言うな! できるわけないだろ!?』

「それは規則の問題か?」

『難易度の問題だよバカ野郎!!』


 指導を頼まれた方は、激しく動揺していた。

 五式と言えば、大精霊が扱える限界の力だ。

 四式までしか扱えない大精霊もいるくらいに、難易度が高い。


 そんな技を人間が扱えるわけがないだろうと、風の大精霊は仰天していた。


「四式で法則を十全に扱い、五式で法則から外れる、だったか? 大地は三式で限界だろうが、風なら行けるところまで行けそうだ」


 ライナーはフラットな表情で、至極真面目に言っているが。

 これは「神々と同じ力を寄越せ」と言っているのと、大差は無い。

 間違い無く。精霊術を極める前に、寿命を迎えることだろう。


『オレがその境地に辿り着くのに、何百年かかったと思ってるんだよ!』


 だから大精霊は、無謀な挑戦を止めようとしたのだが――


「大丈夫だ、何も問題は無い」


 制止を振り切って、ライナーは全力で前に進もうとしていた。

 彼は企画書から目を離すと。

 力強い目で大精霊をじっと見つめて、確信めいた口調で言う。


「精霊術の指導者がいなかったんだろ? 正解を知っている師匠がいれば、習得までの期間は短縮できるはずだ。できる」

『その自信はどこから来てんだよ……』


 実際のところ。()であればライナーも諦めただろうが、ここはどこか。

 時間が経過(・・・・・)しない(・・・)、精霊の大図書館である。


 内部的にも時間は経たず、腹が減らなければ髪が伸びることもない。

 そんな空間だ。


「習得にかかる時間は五年か、十年か。……何年かかってもいい。それさえ習得できれば、大半の問題にはカタがつくからな」


 精霊たちの謎ルールで、現世には干渉できない。

 しかし人間であるライナーが技を使う分には、どれだけ強力な力であっても問題はない。


 だから、何十年かけてもいいから、五式まで習得した後に外の世界へ戻る。


 それがライナーの策だ。

 横紙破りもいいところな、ルール違反級の作戦だった。


『やっぱりお前、頭のネジがぶっ飛んでるわ』

「よく言われる。というか聞き飽きた」

『……ああもう、ツッコむことすら面倒くさいわ。……ほら、さっさとやるぞ』


 何を言っても無駄だと、あっさり折れた大精霊の元で。


 新たな力を手に入れるための修行が始まった。



 四式:物理法則などの範囲内で起こせる、全ての事象を再現可能。

 五式:物理法則などを無視、又は変更が可能。


 これを習得したら何ができるかは、後でのお楽しみとなります。

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