第195話 本物のカミサマ
雪原にたどり着き、そこからさらに南下していくと、やけに魔力が充満している地帯を《『心眼』》で捉える。
範囲としてはスポーツ用ドーム1つ分といったところ。灑智が放っていた魔力は都市1つ分以上にまで広がっていたので、それと比べると規模としては小さい。しかし——密度がまるで違う。
普通の目で見る分には何の変哲もない真っ白い雪景色なのかもしれないけれど、ボクとしては非常に見づらい。もし戦いになるとしたら、不利になりかねない要素ですね。
とはいえ、もはや逃げるという選択肢はない。魔力の霧の上で«疾風迅雷»を解除し、ボクは戦場へと降り立つ。
視界の遮られる悪環境の中、【モーションアシスト】で明日香さんを探すと……その後ろ姿を捉えることができた。どうやら謎の『異形』と対峙している様子で、《SANチェック》の象徴たる触手を背中から無数に発生させながら戦闘態勢を取っている。
一方、明日香さんと向かい合う『異形』は異形ではない。仮に『異形』の定義が、「姿形が一般的な人類や動物と違う」というものであるならば、アレは間違いなく『異形』ではない。まさしく普通の人間そのものの容姿だ。
と言っても特徴的な要素もあり、虹のようなグラデーションを描いた頭髪なんかは、確かに一般的な人間とは乖離していると言ってもいいかもしれない。
《その腕を随分と使いこなしているようだね。気に入ってくれたのかな?》
「そうですわね、もはやこの触手は完全に私のものですから。だとしても——あなたのことは潰しますけど♥」
《嫌われちゃったね。そんなに悪いことしたかな?》
「いつでも心臓を握りつぶせるようなお人に、好意を抱けると思いますか♥」
《君には私の後継者を孕んでもらう必要があるんだ。そんなことはしないよ》
「……気持ち悪い。死んでください」
会話から察するに、あの男が『アクタニア』なのだろう。真名を知った相手を好きなように改ざんし、命を弄ぶ——神に等しい存在。
《私の名前は『ActorNya』だ。覚えてくれたかな?》
「あなたの名前は知っていますわ。急に自己紹介してどうしたんですか、痴呆でしょうか♥」
《いや、そこにいる君の友だちに挨拶をしたんだよ》
明日香さんが振り返ると、そこにはボクがいる。いつもの明日香さんなら気配で察知していそうなものだけど、よほどの緊張状態なんでしょうね。
「……!何しに来たんですか!?」
「助けに来たんですよ。明日香さんが暴漢に襲われそうになってるのに、見過ごすことなんてできません」
「……足手まといです!名前を聞いただけで終わりなのに!」
確かにボクはアクタニアという存在の真名を知ってしまった。このままではありとあらゆる情報を改ざんされて、都合のいい存在に改変されてしまう……というのが明日香さんから聞いた知識なんだけど……。こちらとしても完全に分のない戦いを仕掛けに来たわけではない。
「——アクタニアさん、ボクも明日香さんとお揃いの腕が欲しかったんですよ。試しに生やしてみてくれませんか?」
《構わないよ。《『触手よ生えよ』》》
特に長ったらしい詠唱やら準備も必要ないようで、言葉1つでボクの背中からずぼっと触手が飛び出してくる。
ただし、これは明日香さんのものとは少し違いますね。魔力によって生じた不可視の腕ではなく、明らかに物理的に触手が生えている。この違いは意図したものなのか、それとも……?
触手が増設される時の魔力の動きをじっくりと観察してみたけれど、周囲に漂う魔力はこの工程に関わる要素ではないようで、アクタニア自身から魔力が放出された様子もない。結果として触手だけがボクの身体に増設されている。
「やめてください、アクタニア!おねえさまは関係ないでしょう!」
《ほう——君自身を操らずとも、お友達を操るだけでこれだけの感情を私に向けてくれるわけだ。これは一緒に抱えておく価値があるね?》
「……まったく、とんだ駄目神ですね。好きな女の子をいじめたくなっちゃう小学生か何かですか?」
最上級の変態超越神にストーカーされてるなんて、さすがは明日香さんですね。
ボクの言葉にむすっとした表情を見せたアクタニアは、やれやれと首を振り……。
《じゃあ、そろそろ会話は終わりにしようか——《『奴隷になれ』》》
まるで息をつくように、さらなる改ざんをボクに施した。
これはただ触手が生えるのとはわけが違う。完全に生命の自由意志を剥奪する改ざんだ。これを受けてしまったボクは、もはやアクタニアに歯向かうことができない。
けれど、わたしはその言葉を完全に無視して«疾風迅雷»で接近し、杖を叩きつけて【ソウルフレア】を発動させる!
彼にとっては想定外の攻撃だったらしい。ダメージを受けながらも困惑の表情を浮かべるアクタニア。本当なら絶対に反撃してこないはずの奴隷に秒で裏切られたんだし、無理もないかな?
「どうしたの?カミサマでも鳩が豆鉄砲を食らったみたいな顔をするんだね」
物質干渉力によって後方に弾かれたアクタニアは、どうやら【モーションアシスト】にあまり詳しくないらしい。ゲームのプレイヤーなら即座に受け身を取って体勢を整えられるところを、彼は思いっきり後方に倒れ込んだまま、ゆっくりと立ち上がった。
《どういうからくりだい?君は私の奴隷のはずだろう?》
「さてね?なんなら心の中でも読んで探ってみたら?」
たぶんできないと思うけどね。からくりを強引に白状させるとかならできると思うけど、それまでの状態を無視して生物を改ざんするアクタニアの『権能』に、そんな能力までが備わっているとは思えない。だって必要がないんだから。
「おねえさま——いや、とがみんですか?」
「そうだよ。ま、この変質者には痛い目見てもらうから、安心して待っててよ♥」
ゲーム内でいくらぼこぼこにしたところで、現実には何の影響も及ぼさない。だからわたしがわざわざ出張ってきても、あまり意味がないのかもしれないね。けれど——たとえ現実に影響がなくてもやりようはある。
《……《『触手よ消えろ』》》
アクタニアくんの言葉とともに、わたしの背中にあった触手が消滅した。つまり、彼の『権能』が発動したことになる。
《改ざんできるデータとできないデータがあるのかい?こんなイレギュラーにはとっとと消えてもらってもいいのだけど——面白いね、ちょっと遊んであげようか》
「知ってるかもしれないけど、ここはゲームの世界だよ。だからさ、バトルするってのはどう?」
《いいね。じゃあ君が勝ったら明日香ちゃんには手を出さないことを約束しよう。代わりに君が負けたら、2人とも私のものになるってことで、いいかな?》
「どうする?明日香ちゃん」
「……私も戦いに参戦させてもらいますわ。自分の運命をおねえさまだけに任せてはおけません。アクタニア、構いませんか?」
《神ならぬ人間が神に挑むんだ。2対1くらい構わないよ?》
ゲーム内の神を倒したその次は、自称本物のカミサマ。『ボク』の時は7人だったパーティメンバーも、今回はたった2人だけ。
おまけにバトルで勝ったとしても、素直に条件を飲んでくれるとも限らない。相手にとってはすべてが茶番だ。
——だとしても。
「この戦い、負ける気がしないね。いくよ、明日香ちゃん!」
「……!はい♥」
《——すぐに屈服させてあげるよ。その後には、神に従う幸福というものを魂に刻み込んであげようか》




