第145話 ロールプレイング
1つだけ手がある。AIの予測演算を打ち破り、拮抗し戦いに持ち込む方法がある。
この戦いの開幕直後——まだ演算用データが揃っていなかったときを思えば、こちらの行動さえ読まれなければ、互角に持ち込むことは難しくないはずだ。
そしてボクには、行動の予測演算に使われるデータを無効化する手が、たった1つだけある。
もちろん絶対に成功できる保証はない。それに、仮にうまくいってもすぐに修正と再定義が入り、元の木阿弥に戻るのが関の山かもしれない。
けれど——ボクならいける!これまでの修行の成果、存分に発揮してあげますよ!
「——後悔しないでくださいよっ。ボクにこの手を切らせたことを!」
「すぐに倒される悪役みたいなことを言い始めましたね。しかし、プレイヤーネーム『卍荒罹崇卍』の思考パターンから導き出される戦術は完全に予測して——」
「——《ロールプレイング》」
その瞬間、ボクはボクでなくなった。
それは役割を演じるゲームプレイの極地だ。思考の回路を切り替え、これまでの自分とはまったく異なる戦術と発想を生み出す究極の秘技だ。
客観的に見れば意図的に自らの精神を崩壊させるという異常としか思えない戦略だ。——けれど、だからこそ!これからの動きを読み切ることは不可能!
【女神像】を【ストレージ】から取り出し、それを紐で背中に縛り付けて準備完了!ここからはわたしの領域だ。
「さあ——潰れてもらうから♥」
その宣言とともに【テレポート】を発動させ、わたしはAWP-002の頭上に転移する。【空神の加護】を利用するための定型戦術。【女神像】を背負った時点でこう来ることは当然予測しているだろうけど。
AWP-002は当然のように【テレポート】してくるわたしを先読みし、弓を構える。この距離で放たれる矢を躱すことなどできないけれど……その上をいくよ。
そして告げられるその言葉は——この世の世界観を塗り替える。
「——《SANチェック》♥」
その瞬間——わたしの全身からこの世のものとは思えない、形容しがたいおぞましい狂気が放たれる。それと同時にわたしのお腹からグロテスクな触手のようなものが身体を突き破って現れ、絶対的な恐怖の暴威を放つ。
そしてこの触手は明日香ちゃんのものとは違い——視認することができてしまう。
「なッ……!」
『ボク』に関するデータには存在しない異次元の現象が、唐突に顕現する。そのあまりの衝撃にAWP-002は一瞬ためらう。そして、その一瞬が命取りになる。
「【イグニッション】【ソウルフレア】♥」
命を燃やし、多大なるダメージを与える炎属性における至高のスキルだ。その一撃を浴びたAWP-002のHPは一瞬にして半分以下にまで減少していく。続いて【サイハンド】で追撃をかけようとするが、わたしの攻撃を受ける前に派手に後方へ吹き飛び、距離を取られてしまう。AWP-002はそのまま家から降りて【テレポート】では届かない位置まで下がっていく。
しかし、わたしの【ソウルフレア】で吹き飛んだにしてはおかしいタイミングだったね。あれは間違いなく……。
「【マクロ】かな。自分が吹っ飛んだときのモーションを記録したんだよね♥」
「その通りです。プレイヤーネーム『卍荒罹崇卍』。こういうときのための緊急避難用の——」
「違うよ」
「……?」
「わたしは『屠神 荒罹崇』だよ?そう呼んでね♥」
「は?」
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>これはキマシタワー
>卍さん……明日香さんの狂気に完全に飲まれたか
>屠神 荒罹崇さんに卍なんてワードは含まれてないだろ!!
>女の子は女の子同士で恋愛すべきだと思うの
>明日香さんと仲良くなるとSANチェックが使えるってマジ?
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突然、今までとはまったく異なる異次元の言動を見せたわたし。こんな想定外のイレギュラーにもAIは対応できるのかな?楽しみだね♥
「……データの再演算を行えばいいだけです。【ヒーリング】【ファストコマンド】【アブソリュート】【ペネトレイト】【ダブルショット】——」
【ビショップ】の回復魔法と【ナイト】と【アーチャー】の攻撃スキル……。やっぱり複数の職業のスキルが使えるんだね。まあ【女神像】があるから今はこっちもなんだけど。
『ボク』は【アブソリュート】を受けきるのにも一苦労だったみたいだけど、『わたし』は【モーションアシスト】が封じられたくらいでは動じない。だって今のわたしの役割は『異形や怪異に挑む呪いに侵された狂気の少女』。アシストがなくても自分で回避できる程度の熟練度があるんだよね。
まったく問題なく襲い来る矢の嵐を躱していき、戻ってくる矢を【サイハンド】で弾き飛ばしながらとっておきのスキルでお返しする。
「【オーバードーズ】——【プレシジョンメディシン】♥」
【オーバードーズ】は同じアイテムを3個使うと効果が逆転するスキル。【プレシジョンメディシン】はポーションを座標指定で使うことができる。【アイテムマスター】で取得しているスキルだね。
じゃあこのタイミングでなんのアイテムを反転させて使うかというと……。
わたしが宣言した瞬間に、ポーションの瓶がAWP-002の頭上で弾け、内容物が彼の身体に降りかかる。それと同時に、一瞬にして彼のHPがきっかり50%減少した。
「この使い方は想定済みでしたが……それでも躱せませんでしたか」
そう、わたしが使ったのはプレイヤーの撃破報酬としてもらえるHPとMPを50%ずつ回復させる【エリクサー】。その効果が反転すればあら不思議、一瞬にして相手のHPとMPを50%減少させる魔法のアイテムに。
ここまで大量のスキルを使ってきたAWP-002が50%ものMPを減らされれば、枯渇は避けられない。
相手も【エリクサー】は持ってるはずだけど、それでも不意の一手にはなったんじゃない?
そのタイミングでわたしは«疾風迅雷»を駆使してAWP-002に思い切り殴りかかるけれど——。
ひらりと横にステップして拳を躱した彼は、わたしに対して蹴りを浴びせる。
そして後退したところへ一瞬にして肉薄し、そのまま顔面に弓を叩きつける。
【ホームリターン】で自分の陣地に戻り追撃を避けるわたしに、AWP-002は告げる。
「まさか私に対してここまで善戦するとは驚きですね。では、ここからはCPU負荷を1%から5%に引き上げて戦ってあげましょうか」
まだ変身を2段階残している、とでもいうかのように余裕綽々の態度を見せるAWP-002。今までの『ボク』だったらすっごく震え上がってただろうね。
でも、わたしの反応は違う。
「なるほど、今まではたった1%の力で戦ってたってことなんだね——だからなんだっていうのかな?」
魂の言葉その8 『ロールプレイング』
思考のチャンネルを切り替えて、新しい発想と戦術を生み出す自己暗示です。
原理としては役割演技の頂点に達する〈魂の言葉〉なのですが、
もはや精神が崩壊していると言っても等しいレベルで別の人格に切り替わるので、
目的や行動パターンはある程度主人格にあわせて演じないと気がついたら何やってるかわかったもんじゃないです。
……ついにこんなイカれた技を使いだしたんですね。ボクは。




