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【閑話】【余話】夫と妻と、そして娘

その後を書かないと、と強く思ってしまった次第です。ずっと虐待していた父親視点です。




 入院した妻が眠るベッドの横に腰掛けて、いつの間にか痩せた妻の頬を撫でた。


「おかあさん、ねているの?」

「ああ、そうだな」


 私の横には娘が座って心配そうに妻を見ている。


 虐待を続けた私に、それでもなお寄り添って座る娘に胸が苦しくなる。


「おかあさん、おけがしたの?」

「ああ、そうなんだ」


 妻の手の爪は全て剥がれて傷ついている。今、こうして妻の手は痛々しく包帯が巻かれている。


「おかあさん、びょうきだったの?」

「ああ、そうだ。病気だったんだ。でももう大丈夫。きっと大丈夫だよ」


 自分に言い聞かせるように娘に向かって答えた。


 妻に憑りついた霊を祓ってくれた鹿嶋さんという方は、メンタルは相当弱っているはずで、それが回復するかどうかは、私と、そしてこの娘次第だと言う。


 普段通り暮らしていて霊に憑りつかれることはめったにないとのことだった。妻が悪い霊に憑りつかれたのは、何か心が参ることがあったからだろうと。そんな心が平衡を失った時に、悪い霊が忍び寄るのだと言う。


 以前住んでいたマンションは勤務地から遠く、私の帰りはいつも遅かった。念願かなって授かった娘だったのだが、今にして思えば妻は育児ノイローゼだったのだと思う。

 娘はよく夜泣きをしたが、私は仕事に差し支えるからとその相手をすることはなく、いつも妻が起きてはあやしていた。


 ある時定期健診から戻った妻が、娘に少し発育の遅れがあると言われたと泣いた。


 あの日を境に妻はおかしくなった。


 あなたの協力が無いからだと私を責めた。


 あなたがしっかりしつけないから思い通りにならないのだと、哺乳瓶を壁に叩きつけた。


 一緒に苦労していこうとプロポーズしたくせに、この嘘つきとなじられた。


 私は睡眠時間を削って娘の世話をした。


 しかし妻は収まらなかった。


 もっとしっかり教えろ。


 もっと厳しくしつけろ。


 もっとだ。


 もっとやれと。


 私にはもう削れる時間が無かった。


 そこで借りたのが勤務地から近い今のアパートだ。


 私は一層娘のしつけに時間を割いた。


 まだ幼稚園に入る前にひらがなを教え、足し算を教えた。


 出来なくて当然だ。


 今なら分かる。そんな詰め込みは、教育でもしつけでもない。ただの親のエゴだ。押し付けのエゴだ。


 しかし娘が出来ないでいると、妻は私を責め、泣き、喚き、物を投げ、物を壊した。


 私は妻の期待に応えようといつの間にか、娘に暴力を振るうようになった。


 朝、起きるのが遅ければ、風呂場へ連れて行き、冷水のシャワーを頭から掛けた。


 あいさつに元気がないと、頬を張り、朝ごはんを抜いた。


 ひらがなを間違えると、馬鹿となじり、手の甲をつねった。


 おもちゃはきちんとしまえないからと、全部捨てた。


 対象年齢が小学校低学年の本を与えて、きちんと音読できないと、その本で頭を叩いた。


 出来るはずがない。


 まだまだ幼い子なのだ。


 それでも娘はなんとかしようとがんばった。出来ない自分が悪いと謝りながら、必死に無茶な課題に取り組んでいた。


 今更ながらに自分の行為に戦慄する。


 きっとあと少ししていたら取り返しのつかないことになっていたに違いない。


 あの鹿嶋さん親子には感謝してもしきれない。




 娘が私の顔色を伺う。いつしか何をするにも私や妻の顔色を伺うようになってしまった娘の姿に、胸が締め付けられる。


「あの、これ」


 娘はポケットから安いチョコレート菓子を取り出した。


「おねえさんが、ないしょだよってかってくれたんだ」


 そのチョコレートを娘は妻の枕元に置こうとする。


「ないしょだけど、これ、おかあさんにあげる。げんきになってね、おかあさん」


 娘が不思議そうに私の顔を見た。


「きっとげんきになるよね?」

「ああ、きっとなるぞ」


 私の言葉は嗚咽を伴って震えていた。


 涙がボロボロと零れた。


 この娘は。


 内緒と言われたチョコレートを妻にあげる、心優しい娘なのだ。


 そんな娘になんということを私はしてきたのだろう。


 後悔で心が潰れそうだ。


 そして、そんな仕打ちを受けながらも、まるで天使のような優しさを見せる娘が愛おしかった。


 こんなにいい娘なのに。


 こんなに優しい、いい娘なのに。


 私は何ということをしてしまったのだろう。


「じゃあ」


 私は泣きながら精一杯の笑顔を作った。


「じゃあ、代わりにお父さんがチョコレートを買ってあげよう」

「え?でも、てすとでひゃくてん、とれてないよ」


 私は椅子から落ち、膝をつきながら娘を抱きしめて泣いた。


「いいんだ。もういいんだよ。てすとは無しだよ。小学校に入るまで無しだよ」

「はい」


 恐る恐る娘が泣きながら抱きしめる私の頭を撫でてくれた。


「おとうさん、だいじょうぶだよ。きっとおかあさん、げんきになるから」

「ああ、そうだな。もちろんだよ。チョコレートあげたもんな」

「うん、そう。おかあさん、ちょこれーとすきだから」


 私は、娘の身体をさらにぎゅっと抱いた。その細さにまた涙があふれて来た。







「さあ、久しぶりの我が家だぞ」


 妻の公佳のメンタルはまだ回復していないが、私は自宅での療養を選んだ。きっと妻には娘が必要だと思ったから。


 アパートを引き払ってマンションに戻ることにした私は、上司に掛け合って出勤時間をずらしてもらい、さらに自宅での仕事をすることで会社での勤務時間も短縮してらもった。

 そんな希望が通るのか心配していたが、妻の体調不良などの理由がすんなり会社に受け入れられた。話をしてみるものだ。


 マンションの部屋の玄関とベランダ、台所には盛り塩がしてあるし、部屋には頂いた破魔矢も飾ってある。

 木札は肌身離さず持ち歩いている。


 鹿嶋さんによれば、しっかり祓ったはずだが、残滓のようなものが残っている場合、それが復活することもあると言う。それを寄せ付けないための措置だった。


 妻はだいぶ回復したが、まだ受け答えが上の空の時がある。虐待していた期間のことは、うろ覚えだと言う。頭に霞が掛かったようにはっきりと思い出せないのだと。


 それでいいと思う。


 娘に対して私達夫婦がした行為は、今の妻の心では受け止めきれないと思うから。


 様子を見に来てくれた鹿嶋さんも同じようなことを言っていた。


 妻は無言で部屋を何となく見回している。そして壁の絵に目を止めた。


 そこには娘が描いた絵が飾ってあった。


 親子三人でお弁当を食べているという絵だ。


 その絵を妻が見つめ続ける。


「よく、かけたでしょ?」


 私と手をつないでいる娘が恐る恐る妻に聞いた。


 妻が、あの日以来、初めて娘をしっかりと見た。


「そうね。お弁当作って、公園に行きましょうね」


 妻が、涙を零しながら微笑んだ。


「うんっ」


 娘が私の手から離れて、妻の胸に飛び込んだ。


 娘を抱きしめながら涙をとめどなく流す妻に私は歩み寄った。


 膝をついて、その二人を抱きしめた。


 優しく。


 そして、力強く。





ほんと、虐待とか無くなれ、と思う。

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