桐野未散は剣を振る 後編
挿絵があります。苦手な方はご注意ください。
「使い道、無いよねえ。特に桐野家では」
帰り道。
ハンドルを握りながら銀之助さんが言った。
「まあ、多少気は入るが、やはり木刀に比べるとな」
「持ち運んでいて職務質問を受けないのは確かですよね」
私は住職からプレゼントされた竹刀の入った袋を撫でながら言った。
付き人をしていたこともあるので、持ち運ぶ苦労は分かっている。特に真剣を持ち歩くときは細心の注意を払っている。
特別な許可証はあるが、全ての警官がその効力を把握しているわけではない。
「まあ、利点はそれくらいだからなあ。威力に劣るだろう竹刀を持ち歩く線はないだろうな」
文太さんが結論付けた。私もまあそうだろうなと思う。この竹刀で祓う仕事をしようとは思わない。
「未散ちゃん、なんか試合があるんだろ?間に合うかもよ」
銀之助さんに言われて改めてスマホで時間を確認する。さらにカーナビの到着予定時刻を見る。
なるほど、確かに剣道の交流試合に間に合うかもしれない。
「もう今日の案件は終わりだ。銀、送ってやれ」
「道具は?自宅に置いてある?」
「あ、いったんうちの学校に寄ってくれれば」
「お安い御用さ」
銀之助さんがそう言うので、私はグループチャットに「間に合うかもしれないです」と打ち込んだ。
◇
「あらあ」
私は思わず口に出してしまった。
もちろん周囲に聞こえないボリュームで声に出したつもり。
会場についた時には、交流戦を勝ち抜いた個人戦と団体戦の決勝を迎える直前だった。
この交流戦では団体戦も男女混合と言う変わった形のカテゴリーがある。
実を言えば剣道部は十分な数の部員が揃っていないところもある。人気の部活じゃないもんね。
「ギリギリになるかもってことだったから、うちの団体の大将にしてあるから」
宮下君がそう言ってにかっと笑った。
「勝ち抜き戦だから、桐野の出番が来ないようにしたいけど、ちょっとすごいのがいるんだ」
うん、すごいのいるね。
すごいって言うか危険なの。
決勝で当たる相手チームの大将の男子がやばかった。あそこは弱小私立中学校のひとつで、男子だけでや女子だけで団体戦に出るだけの人数がいない。
中には他の学校と合同チームを組むところもあるが、あそこは個人戦と混合団体戦にだけ出場していた。ぶっちゃけうちの中学も同じ状況だけど。
「去年の個人戦の準決で、宮下君と戦った相手だよね?」
「そう。3年の紅舌だよ。何が起きたのか分からないけど、別人と思えるくらい強くなってる」
うん、そうだろうね。
そう言えばそんな珍しい名前だったと思い出しながら、そして彼の身体を包む黒い瘴気を見ながら頷いた。あれだけの状態になっていたら、私なら近くに立っていられないんじゃないかな。「見えない」「感じない」部員じゃないとしんどいだろう。
「そのくせ、ほら、女子で一人強いのがいたじゃないか。えっと中井戸だっけ?」
「名前は憶えていないけど、女子の個人戦で決勝行った子だよね?」
「そう。そいつは欠場なんだって」
「そうなんだ」
「何でも部活の中であの紅舌と大将を誰にするかで勝負して負けて、それで部活来なくなっちゃったと聞いたぜ」
「あら、まあ」
もしかすると勝負と言う結構ストレスが掛かる状況で、中井戸さんにもあれが見えてしまったのかもしれない。
「決勝まではあの人が一方的に?」
「ああ、そうだよ。いい勝負の学校も、結局あの紅舌に大将まで抜かれたんだ」
そうか。一方的にやられたとなれば、特に何かが「見えた」ようなこともないのかもしれない。もしかしたら戦う中で気分が悪くなったり、腕が重くなったりした者がいたかもしれないけれど。
「あ、桐野さん。竹刀の検量だけ急いでやってもらってきて。話は通してあるから」
「そうだね。行ってくる」
剣道では竹刀の長さや重量が違反ではないかの検査があるのだ。
私はいつもの竹刀ではなく、お寺の住職さんからもらった竹刀を検量に出すことにした。
ああ、そうだ。この竹刀にも名前をつけないと。
斬魔刀や竹刀には桐野家が公式に名前をつける。この竹刀はそれに当てはまらないから、自分でつけないと。
ふと須賀原さんを思い出した。そして須賀原さんが奈良県の方だと言うことも。
同時に思い出したのが今日の国語の授業で出て来た百人一首。確かそこに出て来た「初瀬」が奈良県だと先生が言っていた。
「初瀬」。
もう言葉の響きで決めちゃおう。
「よろしくね、「初瀬」」
私は検量をパスした竹刀を受け取りながら呟いた。
◇
「ああ、あれはミサンガだよ」
「ミサンガ?」
どこかで聞いたことがある。
「知らないの?昔はやったんだよ。願い事が叶うおまじないだよ」
「あの紐みたいなのでおまじないなの?」
「俺も詳しくは知らないけど、願いことを掛けて、身に着けてて、そんであのミサンガが切れたら願い事が叶うんじゃなかったな」
「そんなおまじないがあったんだ」
「サッカー部はしてるやついるぜ、うちの学校にも」
「メジャーなおまじないなんだ」
「いや、流行ったのは昔だぜ。剣道部って素足だから目立つよなあ。まさかあのミサンガのおかげで強くなったんだったりして」
宮下君が笑うが、事実そんな気がする。
どこから瘴気が発生しているのかをよく観察していたら、足首につけているミサンガからだと分かったのだ。
ミサンガの呪いなんてあるのかなあ。
あれって祓っていいんだよねえ。
「ちょっと待ってて」
「少ししたら集合だからな」
「うん、分かってる」
会場を出て取り敢えず銀之助さんに電話をしてみるが留守電になってしまった。文太さんはそもそも電源が切ってあった。
ひかりさんは海外だしなあ。
ふと酒々井つゆりさんを思い出した。困ったことがあったら連絡してねと言われている。「困った時は酒々井を頼れ」と言うのは、独立独歩唯我独尊の桐野家でも実はひっそりと口伝されている。
困った時の種類が違うと思うけれど、なんだか声も聴きたくなってスマホから電話をしてみた。
呼び出し音はなるが出る気配が無い。これはダメかと切りかけたら相手が出た。
『もしもし』
聞こえて来たのは酒々井さんの声ではなかった。そして聞き覚えがあるその声の主を私はすぐに理解した。
「酒々井さん。桐野未散です」
『おやまあ、桐野家のホープかい』
この声は酒々井家のおばあさんである。以前ひかりさんに連れられて行ったある温泉街で一緒に行動したことがある。
「すいません。つゆりさんのスマホですよね?」
『ああそうだよ。すまないね、つゆりは今風呂に入っているんだ』
「お風呂?」
こんな時間から?
それにおばあさんが出ると言うことは実家だろう。実家でこんな時間にお風呂に入るなんてどういう状況なのだろう。
『まあ、いいじゃないか。で、つゆりに何か用なら折り返させるよ。伝言で良ければ聞くが』
ああ、これも運命なのかもしれないな。
「あの、聞きたいことがあるのですが、ミサンガをご存じですか?」
『ミサンガ?もちろん知ってるよ。おまじないの道具だろう?』
「そうです。そのミサンガが呪いのようなことになることってありますか?」
私は呪いという言葉が周囲を通る人に聞こえないように少しトーンを落として聞いた。
『そんなことは桐野家で教えてもらっていることだろう?』
「ごめんなさい。教えてもらってません」
『まったく。文太は何をやっているんだい』
ああ、いけない方向へ話が向かってしまった気がする。
『まあ、いい。まじないは漢字で書いたら呪いの字を使って呪いと書く。そう言うことさ』
「ミサンガは切れたら願い事が叶うと聞きました。呪いに転じたとしても、それはミサンガが切れたら発動するのではないのですか?」
『それは見立てが違うね。そもそもミサンガはお守りみたいなもんだったのさ。切れたら願いが叶うなんてのは後付けさ』
「え?そうなんですか?」
元々の意味から変わってしまったのだろうか。日本人は外国の文化を取り入れるのが得意な人種だと社会科の先生が言っていたけれど、その意味合いややり方を日本流にアレンジしてしまいがちだとも言っていた。
バレンタインデーなんかがいい例だと。女性からの告白の行事では全然無いんだって聞いてびっくりしたのを覚えている。だから男性からお返しをするホワイトデーも無いんだって。
『まあ何に願掛けしてもいいけれど。もし仮にミサンガに願掛けしたのだとしたら、ミサンガは切れたら願いが叶うのではなく、願いが叶ったら切れるようになるはずさ』
「と言うことは、ミサンガが呪いに転じたとすれば、それが切れない限り呪いも終わらないってことですね」
『そう言うことさ。ミサンガに使う色やつける場所によって種類が変わるなんて後から言い出したようだが、それが勝手に後から付けたことだとしても、願掛けしている本人にとっては真実になる』
彼は足首にしていた。
「足首につけていたら、何でしょう?」
『ははは。今言っただろう』
「えっと」
『場所によって効果が変わるなんてのは後付けさ。つまり誰が言い出した説を参考にしたのかによって、当人にとっての意味合いは違ってくるのさ』
「なるほど」
つまり、彼が何を願って足首に巻いたのかが分からないとダメってことか。
剣道が強くなったと言うことは、勝負運とかなのかなあ。
宮下君が私を探している姿が見えた。もう時間だわ。
「ありがとうございました。参考になりました」
『そうかい。斬魔刀をその年で授かったことは喜ばしいことだが、苦労も多いだろう。頑張りな』
「ありがとうございます」
やだ。泣きそうだ。
◇
「ああ、足さばきかあ」
私は周囲に聞こえないように呟いた。
男女混合の団体決勝戦。中学生だとまだ体格の差がそれほどではないので成り立つこの戦いで、うちの中学は先鋒と次鋒の二人で相手の大将、紅舌君まで辿り着いた。
そこからは紅舌君の独壇場。次鋒、中堅と立て続けに瞬殺されて、宮下君もたった今、一本取られて負けた。
「すまない。疲れさせることも出来なかった」
「いえ、大丈夫です」
私は「初瀬」を手に立ち上がった。丹田から気を練り始める。
手にしたばかりの「初瀬」だし、木刀ではなく竹刀だから流し込める気にも限界がある。
冷たい体育館の床が心地よい。
紅舌君は剣道の足さばきが格段に上達していた。足首に巻いたミサンガにそのような願いを掛けたのだろうか。
そんきょの姿勢を取る。
普通に戦っても祓えるかもしれないけれど、私としては足首のミサンガに打撃を加えて祓いたい。
剣道では足への攻撃は無効だ。
しかし桐野家では足への攻撃もしっかりやる。
立ち上がって竹刀を構える。
ああ、少し臭いな。
「初瀬」にさらに気を流し込む。これ以上は無理かな。まあ、これくらいでもなんとかなると思いたい。
「始め」の合図で紅舌君が一気に踏み込んで来た。身長は彼の方が高い。当然腕の長いのでリーチの差がある。それを生かして先手を取って来たのだが、私は「初瀬」で振られた竹刀を弾いた。
ぶわっと瘴気が散る。
鍔迫り合いは体格で不利なので足を使って回り込む。しかしその動きに紅舌君はついて来た。
ああ、やっぱり足さばきがいいわ。
とんと床を蹴って方向を変える。これには紅舌君もついてこれず、少し距離が開いた。
演技出来るかなあ。
少し不安に思いつつ一気に踏み込む。
桐野家の技、極端に低い姿勢から相手の脚を払う技を繰り出す。
こちらへ踏み出そうとしていた紅舌君の足首、そこのミサンガに「初瀬」がバシンと当たる。
ぶわっと瘴気が散り、ミサンガが切れて床に落ちるのを見つつ、私は「ひゃあ」と言いながら床に転がった。
今のは反則技ではなく、転んじゃったという演技。
審判から「待て」が掛かる。
「いたた」
痛くないけどそう言いながら立ち上がった。
紅舌君が足首を押さえて、そして切れたミサンガを見つめていた。
審判に促されて立とうとして紅舌君はがっくりと膝を折った。
そしてもう一度立とうとしてまた膝が砕けて床に倒れた。
「紅舌君っ」
観客の席から女性の声が上がった。
ちらりとそちらを見る。
ああ、あの人が原因なのね。
◇
結局紅舌君は立てなかった。
救急車を呼ぶことも検討されたが、向こうの学校の顧問の先生が車で来ていると言うことで、そこに乗せて運ばれて行った。
「あの」
「はい?」
私はその車を見送っていた女子中学生に声を掛けた。
「あなた」
私が紅舌君と戦った相手だと分かったようで、表情が険しくなった。
彼女の手首にもミサンガが2本巻かれているのにはさっき気付いた。
そこに瘴気が澱んでいた。
見送った場所からは人が離れている。誰にも見られないわよね。
「ミサンガにあまり思いを込めない方がいいわ」
「は?何言ってんの?紅舌君に怪我をさせておいて」
「ううん。違う」
「違う?」
「彼の脚が動かなくなったのは、あなたの作ったミサンガのせいよ」
「は?」
私の言葉に目が少し吊り上がってしまった。怒ってるなあ。
「どんな作り方をしたか分からないけれど、あれはおまじないの域を超えて、呪いになってしまっていたのよ」
「何を言ってるのよっ」
「あなたも」
「え?」
「あなたも呪われているわ。自分に」
私は手にしていた袋を持ち上げた。袋の中には鞘に入ったままの斬魔刀「青龍」が入っている。
「魔を祓う一刀是成、光明の太刀」
鞘に入れたまま。さらに袋に入れままなんて初めてだ。だけどここで真剣を出すわけにもいかない。
「青龍」の力があれば、きっと大丈夫。私は確信をもって「青龍」を振った。
光が放たれて、女生徒の腕を抜けた。
バシバシっと音まで立てて2本のミサンガが女生徒の腕から落ちた。
「あ?え?」
女生徒がきょとんとする。正に言葉通り、憑き物が落ちたような顔である。
「おまじないもほどほどに、分かった?」
「あ、え、うん」
分かってくれたと信じよう。
「桐島。ここにいたのか」
宮下君が走って来た。
「えっと、こちらは?」
「あ、もう終わったから、行こう」
「ああ、うん」
私はまだ少し呆然としている女生徒を置いて体育館へと戻った。
「団体戦、ごめんね」
結局協議の末、私の反則負けということになってしまい、うちの中学校は準優勝ということになった。
「まあ、いいさ。桐野さんもあんなことがあるんだと分かったから」
大将にまで据えてもらって出て来て、結局ずっこけて反則負けなんだからそういう評価になるわよね。
「でもミサンガって効果あるみたいだし、やってみようかな」
「やめなよ」
「え?」
私は宮下君をしっかりと見て言った。
「おまじないに頼る時間があるなら、その分稽古しよう」
「あ、ああ。それもそうか」
「学校に戻って稽古する?」
「今から?ああ、身体を動かし足りないのか。いいぜ、付き合うよ」
私は宮下君に向かって微笑んだ。
うん、悪い人じゃないのよね。
◇
「あれ?」
「ん?どした?」
つゆりが自分のスマホを見て怪訝な顔をしていた。
「なんか、通話記録がある」
「通話記録」
「うん、ほら」
つゆりが見せて来たスマホには「桐島未散ちゃん」とあった。
「未散ちゃん?電話で話したの?」
「ううん」
「え?じゃあつゆりのスマホで誰かが?」
「あ、おばあちゃんだ」
つゆりがスマホを置いた。
「なんでおばあちゃんが?」
「きっと私がお風呂に入っている時、あ」
「お風呂?」
つゆりがしまったと言う顔をした。
「なんでお風呂入ってるのかな?」
「え、えーっとなんでだっけな?」
「つゆり」
「うー」
何か失敗したんだな。つゆりの顔を見れば分かった。
「何をしくじったんだ?」
「別に大したことじゃないよお」
「じゃあ、話しなよ。秘密は無しだろ?」
「うー」
つゆりがじたばたする。なんか可愛いぞ。
「おばあちゃんがお土産にもらったお煎餅の袋を開けようとして」
「ぶちまけたのか?」
「なんかなかなか開かなくて」
「はさみで開けろよ」
「だってえ」
「だってじゃないよ。そんで頭から被っちゃったからお風呂か」
「そうです」
しゅんとなるつゆりの頭に手を乗せて撫でる。
「でも未散ちゃん、何だったんだろうな?」
「そうだね。でもおばあちゃんが話してくれたのなら大丈夫かな」
「ま、それもそうか」
俺も納得して頷いた。
「で、そのお土産のおすそ分けは俺にないのね?」
「あ、ごめん。袋がどばーってなっちゃったから湿気ちゃうと思って二人で全部食べちゃった」
「あ、だから晩ご飯の進みが悪かったんだな」
「ごめーん。晩ご飯は美味しかったよー」
つゆりが抱き付いて来る。
「三角惣菜だけどな」
「あ、そうだった」
まったくもう。
「じゃあ、お腹いっぱいのつゆりさんに洗い物は頼もうかな」
「やる。やるよー」
つゆりはそう言うとぱっと立ち上がってキッチンへと向かった。
本来は俺の当番だ。俺もゆっくりと立ち上がった。
洗い物をするつゆりの後ろからちょっかいでも出すとしよう。
最後は主人公を出したいのでした。




