桐野未散は剣を振る 前編
九州の桐野家、桐野未散ちゃん主人公のお話です。
「未散、テストの結果、見た?」
「あ、もう貼り出されたんだ」
友達に言われて私は椅子から腰を上げた。
「今度も未散は三傑入りかなあ」
「どうかなあ。今回数学の応用、すごく難しかったからなあ」
三傑と言うのはベスト3のことだ。貼り出されたのは、この私立中学校で定期的に開かれる実力テストの結果である。
私はこの三傑に結構な頻度で名を連ねている。桐野家の者はほぼもれなくこの中学に通ってきた。その桐野家の歴史の中でも私は珍しいケースらしい。
「あー、あれひどいよねえ。単位の数がえげつなかったもんなあ。だいたいデシリットルなんて、今後の人生で使うことないっつーの。存在すら忘れていたよお」
「あはは、そうだね」
ころころと一緒に笑いながら掲示板へと向かう。
すでに前の休み時間から貼り出されていたようで、昼休みの今はさほど人は多くない。
こうした学力のランキングなどを大っぴらに貼り出すのはどうかと思うけれど、切磋琢磨せよというのがこの学校の校風の一つであるから、仕方ないのだろう。
「あ、いたよ、未散。今回も3位だって」
「そうだね。わあ、今回僅差だね」
「本当だ」
上位5名は1点差や2点差の僅差だった。
「うわ、私50位以下だ。やばい、スマホ止められちゃう」
「そうなの?」
「これは隠匿するしかないな、うん」
「あはは、何それー」
友達の仕草が面白くて笑ってしまった。
「桐野」
「あ、宮下君」
「今度の交流戦。やっぱり無理か?」
「ごめんなさい。その日はもう予定が入っていて」
まさか霊障を祓いに行く予定だとは言えないけれど。
私は剣道部の宮下君に頭を下げた。
「決勝は夕方になると思うが、そこだけでもってわけにいかないか?」
「うーん、たぶん無理だと思うなあ」
行き先は同じ九州だけど、お隣の県だからなあ。銀之助さんに頼んで出発時間を早めて、現地ですぐに片付けばあるいは間に合うかもしれないけれど。
祓う時に雑念が入るのは避けたいとも思う。
今回は簡単な案件だと思うと銀之助さんは言っていたけれど、言葉通りだったことの方がたぶん少ない。
「一応、グループチャットに地図と場所入れてあるから」
「うん。分かったけど、本当に無理だと思うから期待しないで」
宮下君が去っていくと、友達がつんつんと肘で私を突いて来た。
「なあに?」
「悪くないんじゃないの?やっぱり」
「もう、その話は終わったのよ」
実を言えば宮下君には付き合ってくれないかと告白されたことがある。
桐野家の一員として学業と修業を必死に両立させているような私に、異性とお付き合いする余裕なんてない。
丁重に断ったが、その後ももう一度告白された。
悪い人ではないと思うけれど、私は申し訳ないけれど彼にそれほど魅力を感じていない。
桐野家の中はもちろん、この生業を通じて知り合った多くの男性女性の方々がとても魅力的だったから。比べたら失礼だと思いつつ、どうしても、ね。
「さ、戻ろう。次の英語の課題の確認したいし」
「え?課題あったっけ?」
「あったよ、和訳の」
「わー、死んだ。ってか未散、見せて」
「いいけど、これで貸しが2つになるよ」
「帰り道のコンビニスイーツで」
「乗った」
高級チョコメーカーとのコラボスイーツが発売されているはずだった。
◇
「なぜ文太さんが付き人なんですか?」
私は後部座席から助手席に座る桐野文太さんへと声を掛けた。
「む?不満か?」
「いえ、全然。でも、もう付き人は引退された立場でしょう?」
すでに重鎮入りしていて、次期大老は文太さんだろうと言う話は私も聞いている。
「今回は臨時だ、臨時。先方との付き合いがあるからな」
「ああ、そうなんですね。今回の依頼先と関わりがあるのですね」
「なんだよ、銀の字。お前、ちゃんと言ってないのか?」
文太さんが運転席でハンドルを握る銀之助さんに言った。
銀之助さんは桐野家ではいわゆるコーディネーターという立場で働いている。
祓う力はほとんどないけれど、こういう依頼をさばく力、情報収集する力に長けている。
その銀之助さんがハンドルを握ったまま肩を竦めた。
「別にわざわざ言うことですか?簡単な依頼でしょう?」
「ま、それはそうだがな」
私一人、蚊帳の外だ。
「あのー、私って事情を聞く権利あると思いませんか?」
「だとよ、銀」
「それこそ文太さんが付き人してくれているんだから、話してくださいよ。俺、運転してるんだし」
「まあ、それもそうか」
文太さんが今度は肩を竦めた。
「今日行くところは寺だ」
「お寺なんですか」
「ああ、桐野家とは古い付き合いになる」
「はあ」
「須賀原、分かるな?」
「はい」
須賀原さんはお寺の次男坊だ。と言っても仕事はサラリーマンで、祓う仕事を副業みたいにしている方だ。
今や「九州の女傑」と呼ばれる桐野ひかりさんとも関わりがあった方で、私も数回現場を一緒にしている。
「あいつの実家が「鬼」を封じているのは聞いているよな?」
「えっと、「鬼」と言っても得体のしれない存在を封じているみたいな」
「その通りだ。今日行く寺でも「鬼」を封じている」
「え?ええっ?」
いきなり恐ろしいことを文太さんがさらりと言ってのけた。
島根県での鬼退治にどれだけ苦労したか、文太さん本人も分かっているはずなのに。
「ああ、そんな驚くな。島根の鬼退治みたいなことにはならない。代々しっかり封じているから大丈夫だ」
「そうなのですね」
「ああ、未散が斬魔刀を授かったこともあるから、まあ、顔見世みたいな意味合いもある」
「と言うことは代々の斬魔刀を持った者も?」
「ああ、そうだ。まつりもひかりも行ったことがある」
そうなんだ。全然知らなかった。
「しっかり封じているのだが、まあ、月日が経つといろいろと澱むからな。桐野家の者が祓いに行くんだ、定期的に」
「なるほど」
「別に斬魔刀が必要な状況にはなりゃしないので、いつもは付き人レベルの者が行くんだ」
「長いこと文太さんが担当していたんだよ」
銀之助さんが言った。
「ま、俺も引退が決まったからな。一度顔を見せて挨拶をしなくちゃと思っていたところなんだ」
「引継ぎは誰がするのですか?」
「それなんだよなあ」
「それなんですよねえ」
二人が苦笑いしていた。
「どれですか?もう」
また蚊帳の外だ。
私は少し嘆息して後部座席のシートの身体を沈めた。
◇
「やあ、文太さん。わざわざすまないね」
「いえ、ご挨拶が遅れまして」
お寺の住職さんがご丁寧に出迎えてくれた。駐車場まで迎えに来てもらえるなんて思っていなかった。
「そちらが未散さんだね」
「はい、初めまして。桐野未散です」
「その若さでねえ。いや、素晴らしい」
きっと斬魔刀を授かったことを言っているのだろう。その話が伝わっていると言うことはつまり、古い付き合いなだけでなく、深い付き合いもあると言うことなのだろう。
「澱みの方はどうですか?」
「ああ、実は少し多いかもしれない」
「そうなのですか。じゃあまずはそれを片付けちゃいましょう」
「いいのかい?休憩とかしなくて?」
「未散、休む必要あるか?」
「いえ、全く」
実際後部座席に座っていただけだもの。
少し身体が強張った気がしていたが、車から降りて少し丹田で気を回したらそれも消えた。
「もう少し回しておくといい」
「はい」
私は文太さんの言葉に従って、歩きながら気を身体の中で回して練り始めた。
あれ?私がやるんだ?
文太さんじゃないのかな。私は顔見世って言ってなかったっけ?
古いお寺だけれど手入れが行き届いていて、とても雰囲気がいい。こういう場所だと気もよく練られる気がする。
「ところでご住職。今年のご神木は?」
「ああ、先日賜ったところだよ。出来はいい方だと思う。陰干ししているところだから、帰りに見ていくといい」
「分かりました」
一体何の話だろう。私が疑問に思っていると銀之助さんが教えてくれた。
「このお寺の持っている山の木を、桐野家では木刀としているんだよ」
「あ、そうなのですね」
「山は修業にも使われる霊山でね。そこの樹木はご神木なんだ。それを我々はうやうやしく定期的に賜っているわけ」
「木刀全部ですか?「秋月」も?」
「もちろんそうだよ」
「秋月」は私が幼少の頃から使っていた木刀だ。島根県での鬼退治で、祓うための木刀としての力はほとんど失われてしまって、今はまたその力を蓄えるために私はまめに鍛錬に使うようにしている。
ひかりさんからは別の木刀にしとけと言われ、さらにもう斬魔刀を使うのだから木刀は卒業だろうとも言われた。
そうは言っても真剣はそうそうに持ち歩けるものでもない。まあ、こうして袋に入れて持ち運んでいるけれど。
お寺の奥へ行くとさほど大きくはないお堂があった。
「ああ、あれですね」
「そうだ。澱んでいるだろう?」
私は文太さんの言葉に頷いた。
お堂の周囲には黒い染みのような澱みが出来ていた。静謐な空気さえあるお寺の敷地の中で、すごい違和感だ。
「よっと」
文太さんが木刀「巻雲」を取り出した。元々愛用していた「夕雲」は鬼退治の時に砕け散ってしまった。あれは「夕雲」が文太さんを守るために自らが砕けたらしい。
「あの「巻雲」は「夕雲」と同じ木から作られた木刀なんだよ」
銀之助さんが解説してくれた。
「ほいほいと」
ぶんぶんと「巻雲」を文太さんが振ると、黒い澱みが吹き飛んで消えて行く。
やっぱり文太さんがやるんだ。
私の出番はなさそうね。
「とまあ、こうして振り回して消してもいいんだが」
文太さんが私を見た。
「え?私がやるんですか?」
「もう俺は引退しているしな」
たった今「巻雲」を振るだけで澱みを吹き飛ばしていたのに。やっぱり私もやるのか。
「でだ」
「はい」
「ここで「十連羅斬」してみろ」
「はあ。えっと「初月」で?」
力を失った「秋月」の代わりに、木刀では「初月」を持ち歩いている。まだ「秋月」はこうして現場に持って行くレベルの木刀に戻っていないから。戻らないのかなあ。戻って欲しいなあ。
「そうだな。「青龍」じゃあ強すぎるだろう」
「分かりました」
「せっかく覚えたのに、あの時は使うタイミングがなかったからな。ちゃんと修業しているかチェックだな」
「はあ」
もちろん鍛錬はしている。でももっぱら斬魔刀の「青龍」を使ってだ。
まさか「初月」で「十連羅斬」を使うとは思っていなかった。大丈夫、だよね。
「我、其方を拒絶する」
本来、相手を抑え込む性質の技である。この使い方でいいのかは分からないが、文太さんが言うのだから大丈夫なのだろう。
「初月」を上段に構える。
「十連羅斬」
まずは縦に一刀。
さらに横に一刀。
合計十回「初月」を振り、格子状になった十本の光がお堂へ向かって飛んだ。
「これはこれは。次の女傑は未散さんか」
住職がぽつりと言うのが聞こえた。
「どうでしょう?」
「ああ、バッチリ合格だ。「初月」でそんなに出来るとはな」
文太さんが複雑な笑顔をしていた。
澱みは全て消えて、お堂の周りもお寺の敷地同様に静謐な雰囲気を醸し出しているように見えた。
◇
「なるほど、これはいいな」
「そうでしょう?」
帰り際にご神木を陰干ししているところに案内された。
文太さんはその木材を撫でて満足げだった。
「これだと十本くらい作れそうですね」
私が言うと文太さんがきょとんとした。
「馬鹿言うな未散。これから一本だ」
「え?」
「一番いいところを削り出すんだ」
「ふわあ、そうなのですね」
と言うことは材木が2本だから、木刀も2本だけなんだ。
「それに削り出してみたら意外とダメなこともあるしな」
「知りませんでした」
「来て良かっただろ?」
「ええ」
銀之助さんの言葉に素直に頷いた。
私は何しろ経験と知識がまだまだ足りない。もっともっといろいろ経験して、見聞を広げないといけないなあ。
「ところで未散さん」
「はい」
住職が棚から袋を取った。
「うちの山には竹林もあってね」
「はあ」
「こういうのも作ってみたんだが」
住職が袋から取り出したのは竹刀だった。
次回後編にてまたお会いしましょう。未散ちゃん可愛いなあ。




