煮付けの味
「店をたたむ?」
「ああ、そうだねえ」
寂しそうに微笑んだのは、駅から少し離れた場所でお惣菜の店を開いている三角さんだ。
「そろそろしんどくなってきてねえ」
「そうは言ってもまだまだ元気なんだから、三角さん」
「酒々井さんほどじゃありませんよ」
三角さんがそういうと「憩いの家」と呼ばれる集会所に集ってお茶を楽しんでいる老人仲間が笑った。
「でも三角さんのお惣菜が食べられなくなるのは困るわねえ」
「そうよ。あの味であの値段。私達年寄りには欠かせないお店だったのに」
「そう言ってくれるのは嬉しいんだけどねえ」
私は実は少し事情を知っている。
あの店を息子の嫁が手伝ってくれていたのだが、最近妊娠していたことが分かったのだ。
すでに四十路。
お盛んなことはいいことだが、長男、次男からずいぶんと間が空いての妊娠だった。本人達もまさかと思っていたのかもしれない。
そして高齢出産ということになるので、体調管理は万全にと産婦人科に言われて、総菜づくりの手伝いもやめることになったのだ。
「でもずっと仕事してた人は、仕事を辞めるとボケるって言うわよお」
そう言って専業主婦一筋でパートの神と呼ばれたとか言う豆田さんが、お菓子に手を伸ばした。
このお菓子は孫のつゆりが恋人と旅行に行った先で買ってきてくれたものだ。もっともその旅行は楽しい婚前旅行とは対極にあるような旅であったようだが。
「あら、美味しいわねえ」
「酒々井さんのお孫さんがまた?」
「ええ、そうよ。お口に合ってよかったわ」
「いいわねえ、酒々井さんのところのお孫さんはお婆ちゃん思いで」
三角さんがしみじみと言った。
「三角さんのお孫さん。就職して2年だったかしら。小さい頃はお店の手伝いもしていたわよねえ」
「そうねえ。今じゃたまにしか顔も見せないわよ」
「そんなものよねえ。邪険にされないだけましってものよ」
その後も話題は多岐に渡った。すでに先日の集まりで話したこともまた話題に上り、そして同じように結論に至って終わった。
片づけをして「憩いの家」を出る前に私は三角さんを呼び止めた。
「三角さん」
「はい?」
「お孫さん、何かあったのかい?」
先ほど孫の話になった時に表情が翳ったのだ。
「ああ、それね。酒々井さんは聡いわねえ」
すでに他のメンバーは「憩いの家」を出ていることを三角さんが確かめた。
「実はうちの孫があの店。って言うか土地を売らないかって言って来たのよ」
「何だいそれは」
そう言いつつ三角さんの孫が住宅関係の会社に就職していたと言っていたことを思い出した。
「営業って言うのかい?それだって」
「だから店をやめるって話に?」
「ああ、まあ、そうだねえ。それもあるのかねえ」
すごく寂しそうに三角さんが笑った。
「本当は続けたいんだろう?」
「そりゃそうさ。ずっと続けて来た店で、常連さんもたくさんいて商売も一応成り立っているんだからね」
「だったら続けりゃいいじゃないか」
「続けたいのは山々だけどねえ。ほら、息子の嫁もあの年で身ごもったし。辞め時かなあってね」
「私は、三角さんの煮付けを食べたいんだがねえ。まあ、今日明日って話じゃないだろう?」
「そうだね。取引相手との話もあるからね」
「もう少しよく考えておくれよ」
「分かったよ」
数回前の会合では新しくはちみつを入れて煮た肉そぼろがとても美味しく出来たと喜んでいた姿とは思えない。肩を落として去っていく後姿を見送りながら小さく嘆息した。
本当にあの煮付けが食べられなくなるのは痛い。決して冗談や慰めなんかではないのだ。
◇
「え?あのお店潰れちゃうの?」
「かもしれないって話さ」
おばあちゃんのところに来て島根県での出来事を詳しく話し終えたところで雑談となって、昔からお世話になっているお総菜屋さんが店を閉じるかもしれないと聞かされた。
「私、あそこの煮付け好きで、たまに買って帰るよ。上梨も気に入っているし」
私の言葉ににこりとおばあちゃんは笑った。本当にいい歳の取り方をしているなあと思う。笑うおばあちゃんって見ているだけで幸せな気分になると思う。
「息子の嫁さんが手伝ってくれていたんだが、妊娠したそうでね」
「え?結構な年じゃない?」
「ああ、四十路だね」
「お盛んだねえ」
でも私と上梨も人のこと言えないなあと思って、頬が少し熱くなった。
上梨は島根から帰ってから絶好調だ。
そして実は私も。
「今更アルバイトを雇うのもねえって」
「ああ、確かにねえ。あの味を理解している人じゃないと大変だろうしねえ」
「長男はよく手伝いをしていたからてっきり料理人にでもなって店を継ぐんじゃないかなんて思っていたんだがねえ」
「普通に就職しちゃったんだ?」
「ああ、住宅会社だね。そしてあの土地を売らないかと持ち掛けたらしいよ」
「えー、何それ」
おばあちゃんにとって大切なお店だと分かっているのに、なんかそれはないよなって気持ちになった。
「まあ、あの煮付けを食べられるのもあとわずかかもしれないから、買える時に買っておくんだね」
「うん、分かった」
帰ったらすぐに上梨に報告しなくちゃ。
◇
「ただいま。買って来たよ。最後の一つだった」
「おかえりー、ありがとう」
今日は上梨がバイトなので、私が晩ご飯の支度をすることになっていた。
家に帰ってから三角さんの煮付けを買って来るのを忘れていたことに気付いて、スマホで上梨に帰りがけにまだ残っていたら買ってきてくれないかと頼んだのだ。
「うーん、いい色だよねえ」
「そうだな。見た目も美味しそうって大事だよな」
そう言いつつ、私を後ろから上梨が抱きしめた。もうそれだけで少し流れ込んで来る。
「まずは手を洗って来てください」
私は流れ込む気の心地よさを少し惜しく感じながらもお尻で上梨をぐいっと押して言った。
「つゆりも美味しそうなんだもん」
な。
わたわたしかけるがすうっと息を吸って堪える。
「じゃあ上梨は煮付けいらないのね?」
「なんでそうなるんだよー。いるに決まってるだろう」
さすがにそこまで言われて上梨が手を解いて、手を洗いに行った。
私は煮付けをお皿に移して短時間レンチンした。
炊飯器を開けるとふわっとお米の美味しい匂いが鼻をくすぐった。
ああ、日本人で良かった。
「そう言えばさ」
手を洗った上梨が戻って来た。
「何?」
「つゆりが言ってた孫?たぶんそいつ、店に来てたよ」
「へえ、そうなんだ」
「なんか、あまりいい感じじゃなかった」
「え?」
「まずは食べようよ」
「あ、うん。いただきます」
「いただきます」
手を合わせていただきますをしてまずは味噌汁をいただいた。
島根県で買ったシジミ汁に絶賛ハマり中だ。
しばらく夕ご飯を堪能したところで上梨が先ほどの話題に戻った。
「で、その孫らしい男がいたんだけどさ」
「うん。いい感じじゃないって?」
「そうなんだよ。俺「見えない」けど、なんかそう言う空気感みたいなのを感じたような」
「え?そうなの?その孫に?」
「そう。その孫に」
「そうなんだ。今の上梨が言うなら間違いなくそういうのだろうね」
「つゆりなら「見える」から一発だったんじゃないかなあ」
なんだか少し心配だなあ。
煮付けがやっぱり美味しかっただけに、出来るだけお店には長く続いて欲しいんだけどなあ。
◇
「何やってんだよ」
「はい、すいません」
もう何度下げたか分からない頭をまた下げた。
「三角は給料泥棒なのか?あ?」
三角じゃなくて三角ですと言う反論は初日に封印した。そして給料泥棒と言われるほど多くの給料をもらっていないという反論もまた、出来るはずがないのだった。
「すいません。前向きに検討はしてくれているので」
「あんな古い店、さっさと畳んで更地にしろって」
「え、ええ。そうアドバイスしています」
「アドバイスねえ」
上司の目がじろりと自分を見下した。
「社会人2年目でまだまだ給料分働かない三角が偉そうに」
「すいません」
頭を下げることが仕事なのだろうかと思うほど頭を下げている。
心の中で、この糞上司のテーブルの上にあるボールペンを手にして目玉に突き刺すことを想像する。
死ねよ。
「もっとプッシュしろって。ばばあだろ?もうボケてんだから言いなりに出来るだろうが」
「いえ、ボケてはいません」
祖母のことを揶揄されて思わず反論してしまってからはっとした。
明らかに目の前の上司の機嫌が悪い方へとさらに傾いた。
「三角う。お前こそボケてんじゃねえのか?」
「すいません」
「実績上げろって言ってんだよっ。糞三角っ。実績上げられないなら辞めろや、馬鹿が」
「すいません。また明日行きます」
「てめえ、実家に里帰りしてる気分なんじゃねえだろうなあっ」
「そんなことは、いえ、すいません」
なかなか実績を作れない俺に、上司が親族で土地持ちはいないのかと聞いて、その時に考えもせずに祖母の店の話をしてしまった。
土地売却の話を祖母に切り出した時の、祖母の表情が忘れられない。
「ボケ老人はよお」
上司がにたりと笑った。
「よく失火するんだぜえ」
ダメだ。
そんなことは出来ない。
心の一部が必死に抗う。
だが抵抗する自分が黒く塗り潰されて行くのであった。
◇
「ホープフル不動産?」
「ああ、そうだよ。南口のビルにある」
孫娘に向かって言い、スマホの地図情報を見せた。
「あ、ここかあ。でも調べたんだね」
「ああ、つゆりから彼が気になるって言ってたと聞いてね」
「うん」
どうもつゆりも彼氏も島根旅行を経て一皮むけたようだ。
「おばあちゃんは何だと思う?」
「む?」
「おばあちゃんのことだから心当たりがあるんでしょう?」
「まあ、そうだねえ」
つゆりにはなるべく余計な知識を入れずにいろいろと経験しながら学んで欲しいと思っている。
「今までつゆりが相手にしてきたのとはちょっと違うと思うねえ」
「え?そうなんだ?」
「まだ見たわけじゃないから分からないがね」
「えっと、それってどういう種類なのか教えてくれないの?」
「そうさねえ。ただ祓えばいいというものではないかもしれない、とだけ言っておくかねえ」
「祓わない方がいいってこと?」
「場合によってはそうだねえ」
「そんなことってあるの?」
「どう思うか、つゆりが判断すればいいのさ」
「えー」
口を尖らせるつゆりに向かって笑顔を向けた。
なぜか、つゆりと彼氏に任せておけば、いい方向に話が進むのではないかと思えるから不思議だった。
自分の孫娘ながら大したものだと思った。
◇
「明日は一緒に帰れるから寄ってみる?」
「そうだね。いい?」
つゆりの言葉に頷いた。
「でもどういうことだろうね?」
「うん、祓わなくていいかもって」
「うーん。俺の感じたのってあまりよくない感じだったんだけど。あれ、祓わないんだ」
「私も分からないんだよねえ。まるで謎解きなんだもん」
「名探偵つゆりの登場ってか?」
「サポートは頼むよ、ワトソン君」
つゆりがおどけて言った。
「どんなサポートが必要ですか?」
そう言ってつゆりの腰を抱き寄せた。
「ちょ、ちょっとたんま。私、ゼミのレポートあるんだってば」
「明日じゃダメなのか?」
「ダメなんですっ」
「じゃあ、邪魔しないから。ひっついてるだけで」
そう簡単にせっかく抱き寄せたつゆりを離したくないのだ。
「絶対ダメ」
「えー」
「本当にお願い」
「う」
上目づかいでお願いされてしまっては白旗を上げるしかない。
「分かったよ。今日は我慢する。その代わり明日は2倍だからな」
「に、2倍って何よ」
「さて、何でしょうねえ」
やっぱり惜しいので、もう一度ぎゅっとつゆりを抱いてから立ち上がった。
「お風呂入れて来る」
「ありがとうー。ねえ、2倍って何よー」
本当につゆりは可愛い。
◇
「あららー」
三角惣菜店で今日は竜田揚げを買って店を出たところで孫に会った。
もう一発で分かった。
「つゆり、「見えた」?」
「うん、バッチリ」
そう言って手に石を出した。
「ん」
「ほい」
阿吽の呼吸で上梨が手を握って来る。
「開眼」
これで上梨にも一時的に「見える」ようになる。
「えっと、おおっ?」
上梨が店を覗き込んで孫を見つけて驚きの声を上げた。
「なんかめっちゃ怒ってるんだけど。何あれ?」
私はもう分かっている。
おばあちゃんが言っていた意味も理解できた。
「あれは守護霊」
「え?」
「元々彼についていた守護霊だよ」
「いや、だって滅茶苦茶睨んでいるぜ。恨み全開って感じだけど?」
「うん。怒らせちゃったんだと思う」
「怒らせた?守護霊を?」
私は上梨に頷いた。
「守護霊って守ってくれるんじゃないのか?」
「もちろん基本的にはそうだよ」
「基本的にってことはそうじゃないケースもあるのか」
「うん。ある」
これは私が経験したことではなくて、おばあちゃんから聞かされた話だ。
「おばあちゃんが若い頃日光に旅行に行った時に」
「うん」
「華厳の滝に行ったんだって」
「日本一の滝か」
「うん、そしたら守護霊がすごい怒っている人がいたからびっくりして話を聞いたら、その人身投げをしようと思っていたんだって」
「ああ、自殺しようとしているから守護霊が怒っていたと?」
「そうみたい」
私は上梨に向かって頷いた。
「後は堕胎を繰り返していた女性」
「おっと」
「しかも一度はトイレで産んじゃってそのまま見殺しにしたらしくて」
「嫌な話だなあ」
「そう言う感じで守護霊が怒ることがあるって聞いたんだ」
「なるほどねえ。ってことは彼は守護霊が怒るようなことをしているってことか」
「ここを売ろうとしているからかなあ」
「それだけでそんなに怒るもの?」
「うーん」
私が首を捻ったところで、上梨が険しい顔になった。
「今の音聞いた?」
「音?」
耳を澄ますが何も聞こえない。
「ぼんて」
「ぼん?」
上梨が私の手を引いてまた店舗に入った。
「すいませーん」
上梨が大きな声を出すが返事が無い。
「あれ?煙?」
なんだか煙たい?
「くそっ」
上梨が奥へと勝手に入って行ってしまう。私も慌てて後を追った。
「つゆりっ。消火器探してっ」
「う、うんっ」
上梨が床に倒れているおばあさんを見つけてその身体を抱えた。
キッチンの一部が燃えている。
近くに消火器があるはずだ。
上梨がおばあさんを抱えて出て行くところで私は消火器が床の隅に置いてあるのを見つけた。
落ち着け私。
小学校の時に初期消火の訓練をしたことを思い出して。
ええと。
握ってピンを抜くんだっけ?
抜いてから握るんだっけ?
うろ覚えなので取り敢えずピンを引っ張ったら少しの抵抗を示した後にすぽっと抜けた。
ノズルを火元へと向けてレバーを握った。
消えろー。
◇
三角さんは救急車で運ばれたが、診断の結果、腕に火傷をしていて、後は軽い打ち身だけであった。
消防車も呼んだが、つゆりの初期消火がうまくいって、出番は無かった。
火元は鍋。その油に引火したということであった。
「孫のことは?」
「おばあさん、何も言わなかったみたいだね」
「調理中に失敗して火を出してしまったって言ったってことか」
そのせいか、私達も特に事情聴取はされずに、おばあさんを助けてお手柄だと言われただけだった。
「会社、行ってみる?」
「どこまで深入りするべきなんだろうなあ」
つゆりが迷っていた。
◇
「よしな」
背後から声を掛けられてびくっとなった。
慌てたので手に持っていたボトルを落としそうになってしまった。
振り返ると老婦人が立っていた。
「何?」
「それをやめなと言ったんだ」
ボトルは不透明なので中身が油だとは分からないはずだ。
「何を言ってるんだ?店はやってないぞ。って言うか誰だよ?勝手に入って来るなよ」
「三角さんの知り合いさ」
「今、入院中だよ」
「知ってるさ」
射抜かれるような視線に思わず怯んだ。
「あんたのせいで入院していることもね」
「は?な、何言ってんだよ」
一応とぼけてみるが、顔に動揺が出てしまった。
「いいのかい?この土地を手に入れるかわりに、あんたはすごく大事なものをたくさん失うことになるよ」
「部外者が口を出すな」
「それに放火の罪は重いよ」
「うるせえっ。口出しするなっ」
そう叫ぶが老婦人は小さく嘆息して買い物客が待つために設置してある椅子に座ってしまった。
「ここの総菜が好きでね」
「は?」
「三角さんとも懇意にさせてもらっているんだよ」
なんだ、このババア。
いっそ店と一緒に燃やしてしまうか。
そう考えると胃がきりきりと痛んだ。首もなんだか痛い。
「三角さんがある時にね。おまけをくれたんだ」
「何の話だよ」
「いいから聞きな。そのおまけはね、店を手伝ってくれる孫が作った肉団子だって言うんだよ。それを話す三角さんの嬉しそうな顔ったらなかったねえ」
知っている。
この話は知っている。
肉団子を作ったのは俺だ。
「三角さんは言っていたよ。孫には料理の才能があるんじゃないかって。この店を継いでくれたら嬉しいんだけどねえって」
確かに小さい頃にそんなことを祖母に向かって言ったこともあった。
いつしか店の手伝いに行かなくなり、もちろん自分の将来の夢はこの小さな店を継ぐことではなくなっていた。
「元々、手伝ってくれていたあんたの母親が妊娠してしまったので、手が足りない。そこへ今回の怪我だ」
年甲斐もなく懐妊した母親に対して、全然祝う言葉を言えていない。
正直恥ずかしい。
いい年をして妊娠だなんて。それに至る行為を両親がしていたこともなんだか気恥ずかしい。
「このままじゃこの店は終わるだろうね。あんたの望んだ結果に行きつくだろうね。満足かい?」
「こんな店、潰して売った方がいいに決まってる」
「そうかい?私はここの総菜の根強いファンだから悲しいけどねえ」
知っている。
この店には常連がついている。
定期的に総菜を買いに来る客も老若男女。もちろん少し「老」が多めではあるが。
店を手伝っていた時には「偉いねえ」と言われ、顔を覚えてもらった人も多い。街中で会って声を掛けられたことも一度や二度ではない。
だが、それが何だ。
こんな店。
更地にして売り払って、俺の実績にするんだ。
「それにねえ」
ふっと突き刺さるようだった視線が緩んだ。
「あの肉団子も美味かったんだよ」
知っている。
それも知っているんだ。
だっておばあちゃんがすごく褒めてくれたから。
そしてお店のおまけにしようねえって言ってくれたんだ。
そしてそれを食べた常連客達に、また褒められたのだ。
楽しかった。
料理するのは楽しかった。
おばあちゃんの手伝いをするのは楽しかった。
そのおばあちゃんを傷つけてしまった。
思い出がいっぱいのこの店を燃やそうとしてしまった。
「あ、あれ?」
いつの間にか俺は泣いていた。
◇
「こっちは正真正銘の霊障か」
「そうだね」
男女の声が突然聞こえてぎょっとした。
「誰だっ?」
それでも声を殺しながら問うと、すっと街灯の明かりの下に男女が現れた。
「そっちこそ誰だよって聞きたいけど、実は知ってる」
「は?」
「ホープフル不動産でしょう?」
ちっ。
なぜバレているんだ。
「三角さんのお孫さんをだいぶパワハラで追い詰めていたようで」
「なんのことだ?」
「今更とぼけてもダメですよ。その手に持ってるポリタンク、何に使うつもりです」
もちろんこの糞みたいな店を燃やすためだ。
あの馬鹿三角がこの店を燃やさなかったばかりか、突然会社を辞めると辞表を出して来たのだ。
おかげで社長に俺が叱責されてしまった。
忌々しい。
そもそもこんな店があるのがいけないのだ。
燃やしてしまえば再建は出来ないだろう。売るしかなくなるに違いない。
あの馬鹿三角が失敗したのなら、俺がやればいい。面倒だが仕方ない。
「燃やすんだよ」
「それって放火って言う犯罪ですよ」
「燃やすんだよ」
「ああ、確かにこれは大変な状況なのかもなあ」
「でしょう?」
そう言うと男女が重なった。女の後ろに男が立ったのだ。
女が手を前に出す。
手には玉?
その玉が突然光り出した。
「な」
「破魔」
ぶわっと光に包まれた。
何かが取れた。
身体が軽く、いや、心が軽くなった?
あれ?
俺はなぜこんなポリタンクを持っているのだ。
放火?
そんな馬鹿な。
「我に返れました?」
「え?えっと」
なぜ俺はこんなことをしようとしていたのだろう。
◇
「おばあちゃん、本当にごめん」
病院から無事に退院出来たおばあちゃんに土下座した。
「あらあら、何でしょうねえ。そんなことしなくていいよ」
「いや、俺、本当に馬鹿なことをしようとして、そんでおばあちゃんも傷つけてしまって」
頭を床に擦りつけたまま言った。
「もう退院できたんだし、いいんだよ」
「それなのにおばあちゃんは俺のことを庇ってくれて。大切な店を燃やされそうになったのに怒りもしないで」
「元々そろそろ辞め時かもって思っていたんだから」
「そんなのっ。まだまだ働けるじゃんか」
「そうだねえ。だけど一人じゃしんどいんだよねえ」
そう言っておばあちゃんは俺の身体を起こした。
俺は涙顔を見られるのが照れくさくて顔を逸らした。
「仕事も辞めたんだって?」
「ああ、パワハラ上司だったし、ブラック企業だったし」
「そうかい。じゃあまた就活再開なんだね」
「う」
言われるまでもない。
でもぶっちゃけ次の就職先にあてなんてない。
「これ、使えるかねえ」
「え?」
おばあちゃんはすっかり色がくすんだ封筒を手にしていた。
おばあちゃんが大切そうにその封筒から紙を取り出した。
「有効期限は無期限ってあるから使えるよね?」
「何を?」
おばあちゃんがその紙を千切って渡して来た。
手の平の上に乗った紙。
『おてつだいけん』
幼い頃の俺の字がその紙に力強く書かれていた。
「使えるかねえ?」
「うん」
涙を零しながら震える声でなんとか絞り出した。
もちろん、使えるよ、おばあちゃん。
◇
「少し塩気が強いかねえ」
おばあちゃんの言葉に思わず苦笑した。
「私は普通に美味しいと思うよ。まあ、常連さんって認めたくないんだろうねえ、跡継ぎの味を」
「何を言っているんだい、つゆり。私は客観的に判定しているよ」
「はいはい」
三角さんのお孫さんがしばらくの間あの総菜のお店を実質的に切り盛りすることにしたらしい。おばあさんもお店に入っているけれど、調理はほとんどお孫さんがしている。
調理師の免許も取ることにして勉強を始めたと聞いた。
「ちょっと上梨、あんたはどうだい?」
「そうですね。おばあさんの言う通り少しだけ塩気が強いですね」
「え?本当に?」
何よ、上梨。
それじゃ私が馬鹿舌みたいじゃないの。
「僕らは若いので少しくらい塩気が増しても平気ですが、お年寄りにはもう少し薄くした方がいいでしょうね」
「そうよ。若者にはこれでいいのよ」
「ふん、味音痴が何を言ってるんだい」
剛速球でおばあちゃんにダメ出しをされてしまった。
「味音痴じゃないもんっ。ちゃんと分かるもんっ」
「分かると言えば」
上梨が話を切り替えてしまった。
まあ、私も味音痴どうのこうので議論をしたいわけじゃない。そもそも乗ったら不利な気がするし。
「どうしてあのお孫さんの話を聞いた時に、普通に憑かれていると考えなかったのですか?」
「あ、それ気になってた、私も。どうして守護霊が荒ぶっていると思ったの?」
おばあちゃんはさらに煮付けを口に運んで答えた。
「三角さんのところは代々守護霊が強いんだよ」
「そうなんだ」
「あそこは元々巫女の家系でね。あの一家には強い守護霊がいる。ちょっとやそっとの霊じゃ憑けるわけないのさ」
そうだったのか。だから上梨の話を聞いて守護霊が荒ぶっている可能性が高いと思ったのか。
「守護霊って普段から「見える」のですか?」
「いや、見えないね。後光がさしていることはあるが」
「なるほど」
「見ようと思ってじーっと見てるとなんとなーく見えるんだよ」
私が言うとおばあちゃんもうんうんと頷いていた。
煮付けの味に頷いているんじゃないよね?
私も再び美味しそうな色の煮付けに箸を伸ばした。
長いこと更新していないと、この話は完結しないかもですよって言う文言が出ちゃうので、追加で書きました。まだ覚えている方が読んでくれたら嬉しいです。




