鬼退治 【連華】
「いいああああ」
壁をすり抜けて来た黒い塊が叫んだ。ビリビリとお腹まで響き、ともすれば膝から力が抜けそうになる。
再び唱え始めた須賀原さんの光明真言の声がかき消される。それでも須賀原さんがしっかりと光明真言を唱え続けてくれる。
「上梨っ」
「下がって」
杖を構えながらつゆりを背に隠す。そのまま一気に気を体内で練る。お腹の底の方からぐるぐると螺旋に回転しながら気が上昇してくる。その気を腕から杖に流し込む。
杖をしっかりと握り腰を落とす。
「しっ」
一気に踏み込んで杖を突きだした。黒い塊が手に持つ獲物を構えて杖を受け止めた。
ごんっと強烈な手応えを感じるとともに、黒い塊が持っていた獲物から黒い瘴気が飛び散った。
両刃ののこぎり。
しかしそれは大工が使うような薄いものではない。分厚く大きなそれは工具ではなく武器に見える。
「黄鬼だっ」
文太さんの言葉に、後悔等の象徴の黄色の鬼の武器が両刃ののこぎりだと思い出す。
手のしびれを取るために片手ずつ握って開いてをする。手だけではなく、腕、そして肩まで衝撃が響いていた。
「上梨、大丈夫?」
「うん」
あまり大丈夫ではないが強がった。体感だが先ほどの「黒鬼」よりも強い。
隣に立った未散ちゃんの持つ斬魔刀「青龍」が青い光を放つ。
「待って、未散ちゃん」
「待て、未散」
俺の声と文太さんの声が重なった。
勝ち筋が見えない今、無駄に未散ちゃんに「青龍」を使わせるのは悪手だ。つゆりの石がもう使えない状況で、この新しい鬼に対応しなければならないのだ。
「でもっ」
「支えますっ」
そうだ。
ここを支えることが出来るのは俺だけだ。
やれるのか。いや、やるのだ。やるしかないのだ。
きっとこういうのを不退転の決意と言うのだろうな。後でつゆりが褒めてくれるといいな。
俺は杖を構えて踏み出した。俺の杖の一撃も効果が無いわけではない。わずかな時間でも支えている間にアイデアを出して欲しい。
「しいっ」
進み出ようとする「鬼」に向かって、再び突きを放つがやはり「鬼」は両刃ののこぎりでそれを受けた。またもや腕に衝撃が走る。気を練っていなかったら肩が抜けていたかもしれない。
「文太さんっ、「斬魔一刀」を放ちますっ」
「まだ無理だっ」
「でもっ。このままじゃっ」
未散ちゃんと文太さんの会話を聞きつつ、さらに気をお腹から上げて行く。不幸中の幸いで、気は後から後から湧いてきてくれている。
今のところは、だが。
つゆり、何かアイデアを出してくれ。
視線を送ることも出来ないが、そう願った。
◇
杖を構える上梨の背中を見ながら涙が溢れそうになる。
ちらっと見た須賀原さんは光明真言を唱えるので精いっぱいだ。「鬼」の声にかき消されそうになるが踏ん張ってくれている。
どうしよう。切り札である「破魔」の石は使ってしまった。
後は私が気を上梨に流し込んで、彼が渾身の一撃を放つことくらいしか思いつかない。
おそらくこの「鬼」も長年神楽で封じられていた類の「鬼」なのだろう。
よく考えてみれば各地で行われている神楽が軒並み中止になったのだ。そのいくつかの場所では本当に「鬼」を封じていたのだとしたら、それらがこうして顕在化してしまうことになる。「鬼」が一体しかいないなんて、逆にありえないのだ。
前回追い払われた「黒鬼」がどこかから「黄鬼」を呼んできたとも考えられる。
印象的にはこの「鬼」の方が強そうに思えた。それも私達にとっての状況を厳しくしている。
「未熟な「斬魔一刀」でもしないよりはっ」
「まだ全開の「伏魔両断」の方がいいっ」
「でもどう見ても「伏魔両断」では」
未散ちゃんは「青龍」を、文太さんは「巻雲」を構えながら会話している。
どうしよう、上梨っ。
上梨の放つ杖の攻撃を「鬼」はことごとく防いでいる。上梨の杖は光の帯を引いて、彼の被る不動明王の面もうっすら光っているような状態なのに、それを受け切っているのだ。
こんなに気力が充実している上梨を見たことがない。杖を使った攻撃も流れるようで、ふとすれば踊りに魅入られるように思えるほどなのに。
「まるで神楽だ」
銀之助さんの声にはっとした。
そうだ。
上梨の血に、神楽を踊っていた者の血が流れているのだとしたら、今の動きにも納得できる。本人は無意識なのだろうけれど。
でも。
それでも「鬼」の力は今の上梨を凌駕するのだ。
上梨の振る木製の杖の破片が飛び散る。「鬼」が手に持つ両刃のこぎりが上梨の持つ杖を削っているのだ。
「酒々井さん、石をっ」
銀之助さんが叫んだ。
ダメなの。もう「破魔」の石は使えないことは銀之助さんも分かっているでしょう?
待って。
分かっているのに言ったの?
石?
石。
そうだ、石。
「文太さんっ」
「何だ?」
「未散ちゃんの実力ならば「伏魔両断」は存分に使えるのですね?」
「使える。問題ない」
私は孤軍奮闘する上梨の背に向かって声を掛けた。
「上梨っ。もう少しだけっ」
「任せろ」
そう答える上梨の汗が飛び散るのが見える。本当にお願い。がんばって上梨。
「斬魔刀「青龍」の力には余力がありますね?」
「ある」
「未散ちゃんは桐島家のホープでポテンシャルは破格?」
「その通りだ」
「未散ちゃん、あなたの「伏魔両断」に掛けますっ」
「え?でも」
私は石を取り出した。
普段は使わない石。その名は「連華」。
「この石は「連華」と言います。この場にいる力のある者のその気を連ねることが出来ます」
「何だと?それを未散に?」
「はい、私に連ねてそれを未散ちゃんに流し込みます」
「そんなことが出来るのか」
出来る。普段、私と上梨の相性が良すぎて使うことがない石である。しかし石を授けられた際におばあちゃんから教わり、実際におばあちゃんの気を連ねることが出来た。
「未散ちゃんと「青龍」の力を信じるしか手がありません」
「むう。未散?」
「やります。やらせてください」
覚悟を決めた顔で未散ちゃんが答えた。
「くそっ」
はっとして上梨を見る。なんと彼の使っていた杖が両断されていた。攻撃の隙を突かれて両刃のこぎりを振り下ろされてそれを杖で受け、そして一気に引かれて切断されたようだ。
上梨が短くなった杖を両手に持って構えた。
「まだまだっ」
ありがとう、上梨。もう十分惚れているけれど、さらに大好きになったよ。
「やりますっ」
「どうすればいい?」
「私の近くに。未散ちゃんは前に」
「はいっ」
文太さんが右横に、未散ちゃんが前に立った。すっと左横に銀之助さんが立った。
「微力ながら」
にかっと銀之助さんが笑った。背後から光明真言が聞こえて来る。
振り返ると光明真言と唱えることを止めずに須賀原さんと武田さんが背後に立ってくれていた。
ありがとう。
思い付きのような私のアイデアに乗ってくれて。
絶対に成功させる。
おばあちゃんとやった時のことを思い出す。
「未散ちゃん、流れ込んでくるときに変な感じがするかもしれないけれど、我慢してね」
「はいっ」
中学生の彼女に変な声を出させてしまうかもしれないことは申し訳ないが、背に腹は代えられない。
私は「連華」の石を手にまずはその石に気を流し込んだ。
淡い桃色の光を「連華」が放ち始める。
そして意識をまずは文太さんへ。
桃色の光が糸のように伸びて文太さんの手にする「巻雲」へ繋がった。その途端に糸のようだった桃色の光は太さを一気に増す。
そして「連華」の光もその輝きを増す。
ああ、これは文太さんだけではない。「巻雲」に込められた誰かの気が大小様々に流れ込んでいる。
続いて銀之助さん。
桃色の光の糸は銀之助さんの胸元へ伸びた。彼が首から下げている勾玉へと繋がり、そしてこちらも太さを増した。
こちらにも複数の気が混じっていた。銀之助さんはこの少し尖ったような気だろうか。そして大きな落ち着いた気がある。勾玉に込められていた誰かの気だろう。なんだか懐かしい気がする。
最後に背後の二人に桃色の光の糸を伸ばす。
もう後ろを向く余裕がない。
「連華」の石から気が弾けて零れそうだ。気を一瞬でも抜けない。
ぶわっと光がまた増して、須賀原さんと武田さんとも繋がったことが分かった。
こちらは純粋に二人の気だと思うけれど、武田さんの気が意外なほど強くて驚いた。
「ぬうああああっ」
上梨が短くなった方の杖を「鬼」に投げた。気を込めたことで光る棒みたいになったそれを「鬼」は叩き落せずに頭部へと食らっていた。
ばしんと杖が砕け散るが、同時に「鬼」が纏っていた瘴気の多くが消し飛んだ。
「お待たせっ」
そう言って上梨が私の足元に滑り込んで来た。汗びっしょりの上梨に感激しつつ、上梨にも桃色の糸を伸ばした。
ぶうんっ
音が聞こえたほどに糸が太くなり、もう私が「連華」を抑え込むのは不可能になった。そのまま糸を未散ちゃんに伸ばした。
「耐えてねっ」
糸が未散ちゃんの背中に繋がるのと同時に連ねた気を流し込む。
「あふうっ」
未散ちゃんがのけ反り、手にしていた「青龍」を取り落としそうになる。
まだよ、未散ちゃん。
さらに連ねた気をぐいっと押し込むべく私は「連華」の石をぎゅうっと握った。熱い。とても熱いけれど我慢する。
「んんんんっ」
未散ちゃんが歯を食いしばって耐えているのが分かる。そして斬魔刀「青龍」の青い光が部屋を隅々まで照らし、光景を白化させた。部屋のすべてが白く見える。
「未散、行けええええええっ」
文太さんの叫びに未散ちゃんがぐっと腰を落として構えた。
「渾身の一刀っ」
武田さんのおりんが絶妙のタイミングで鳴った。
「魔を伏し断つっ」
「ひいいいいあああああああああああっ」
目の前の圧倒的な力を感じ、己の運命を悟ったのか、「鬼」が叫んだ。
「伏魔両断っ」
あまりの光にどう「青龍」が振られたのかよく見えないが、圧倒的な力が放たれたことは分かった。
大きな音がしたようにも思えるし、何の音もしなかったようにも思える。
気付くと、光景が戻り、目の前には肩で息をしながら残心の姿勢の未散ちゃんがいて、その彼女の目の前では消えて行く「鬼」の最期の残滓が空中に消えて行くところだった。
「未散っ」
文太さんが叫び、先に駆け寄った銀之助さんが倒れる未散ちゃんを支えた。
「つゆり」
そしてやはり腰が抜けた私を抱きとめたのは汗びっしょりの上梨だった。
「ふぁい」
うん。上梨の汗の匂いも好き。




