鬼退治 【おりん】
須賀原さんです。
「あの辺りですかね」
「たぶんそうだな」
私達は亜世さんの元カレの手が発見されたとされる場所に来ていた。
「休耕地だなあ」
「荒れ果てていますねえ」
元々は田んぼだったようだが、今では草ぼうぼうになっている。
「なぜその益方さんは、こんなところに来たんでしょうね?」
「不可解だよなあ」
こんな休耕地に用があるとは思えない。
「野犬ってそんなにいるんですか?」
「うん、まあ、田舎ではまだいるところもあるね」
そう言ってぐるりと周囲を見回す。
草の背丈が結構あるので、視界は良くない。野犬に襲われたとして、その接近に気付かなかった可能性もゼロではない。しかしそもそもその可能性が高いとも思えない。
「何か感じますか?」
「何もないね」
思念の残滓でもあるかと思ったが、何もなかった。霊になって元カノのところに来ていることからも、ここに何か残っている可能性は低かったが。
「野犬じゃないと思っています?」
そう言われてドキッとした。
「噛まれるまではあるとするが、手だけが残って残りの遺体が見当たらないというのはどうもね」
「ですよねえ。でも噛み傷があったわけですから。熊とか?」
「中国地方にも熊は生息しているけれど。普通に考えてこんなところまでは降りてこないだろう」
「じゃあ、何だと思います?」
武田が私をまっすぐに見つめてくる。
「以前、呪いを使う一族がいるという話をしたよね?」
「ええ」
「例えばその連中が使う呪いなら、あるかな」
「一般人を殺したと?」
「うーん。そこなんだよなあ。あそこは呪いは使うけれど、それは除霊に使うためだから。基本的に」
「暗殺集団とかじゃないんですもんね」
「そう言うことだよ」
それとも益方と言う男性に何かそう言う呪いに関わるような事態が起きていた可能性もあるか。
「少し益方って男性について調べるか」
「探偵ですね」
「調査、だよ」
◇
「真面目な人でしたよ」
益方さんの上司である人に話を聞くことが出来た。
「人に恨まれるようなことは?」
「いやあ、知らないなあ。普段は落ち着いていたし」
「農業機械の開発を?」
「いや、どちらかと言う改良だね。カスタムって言った方が分かるかな?」
「農業機械ってカスタムするんですか?」
武田が変なところに食いついている。
「ああ、そうなんだよ。意外と知られていないがね」
「そうなんですね」
「実際に現地に赴いてそこで改良するんですか?」
「いや、違うよ。依頼を受けてそれを設計するんだ。もちろんその製作にも携わるし、時々現地に行って想定通りの性能を発揮しているか確かめることはあるがね」
「なるほど」
話を聞く限りでは仕事上でのトラブルもなさそうだ。
「男女関係はどうですか?」
「そんなことまで聞くんだ?」
「ええ、どこにヒントがあるか分かりませんから」
「ふーん。しかしそう言う取材って空振りが多いだろう?」
「そうですね、記事になるかは調べ終わらないと分からない感じですね」
「まあ、確かにそう言う怪奇現象が好きな連中からしたら食いつきたくなるネタだよなあ」
「で、どうです?男女関係?」
話が逸れそうになるのを戻す。怪奇系の雑誌の取材と偽って話を聞いているので、あまりそちらに話が逸れるとボロが出る可能性があるのだ。
「相手のある話だから、記事にするなら慎重に頼むよ」
「もちろんです」
「実はうちの会社の女性と交際していたんだ。結構いい仲に見えて、結婚するんだろうなあなんて思っていたんだが、分かれたんだ」
亜世さんのことである。
「それがなぜか別れてしまってね。別に喧嘩したとかそういうわけでもなさそうだったんだがなあ。なんかやむにやまれぬ理由があった感じだよ。あ、印象だからね」
「いったいどんな理由が?」
「分からないよ。そこまで親しい話をする間柄じゃなかったから」
「誰かの横恋慕があったとかそう言うことじゃないんですね?」
「無いと思うけどなあ」
本当に分からないようだ。
「誰かそこら辺のことまで知っている方は?」
「女性社員はいるかもしれないが、おたくらみたいな取材はきっと嫌われると思うよ」
「ごもっともです」
男性は比較的怪奇系の雑誌に理解があるが、女性は違うだろう。偽る身分を間違えたかもしれない。
「ちなみにこの辺りでおかしな現象を見聞きしたことはありますか?」
「そりゃこの事件だけど、一番は」
「まあ、そうでしょうね」
「俺は別に霊感もないしなあ。あ、そう言えば」
「何ですか?」
「今回の葬式の時。ああ、身体の一部だけでも葬式はやったんだよ」
「はい」
「そこであっちの親族のご老人がおかしなことを言っていたんだ」
「おかしなこと、ですか?」
「ああ」
周囲を見回して声を潜めた。
「鬼が出たって言ってたんだ」
◇
「ではよろしいですね」
「はい」
夜、忍立家には娘の亜世さんだけに残ってもらった。急だったがご夫妻にはホテルに宿泊してもらうことにした。
結局ことの真相は明らかにならないが、亜世さんの部屋に男の霊が訪問していることは確かであるし、怪異も起きている以上、祓うことにしたのだ。
目当ては亜世さんで間違いないと思えたので、ご夫妻には家を空けてもらった。祓う際にはまた怪異が起きる可能性もある。ご夫妻がパニックになっても困ると判断したのだった。
その代わり娘さんは全力でお守りすると伝えた。
幸い男の霊から敵意は感じない。彼女に直接的な被害を及ぼす可能性は低いだろう。
「ではこれを首から掛けてください」
「お守りですか」
「そうです。直接危害を加えてくるとは思いませんが、用心のためです」
亜世さんは素直にお守りを首から下げてくれた。ある程度の霊障が起きたとしても身代わりになってくれるはずだ。
家の周囲には盛塩を改めて施して、亜世さんの部屋の窓の方向だけはあえて開放しておいた。
武田にもお守りを持たせているし、彼女は数珠も持っている。教えたばかりの略拝詞も武田は上手に言えるようになっている。
ここからは待ちになる。
緊張気味の亜世さんだが、込み入った話を聞き出したいところである。
「元彼の益方さんですが」
「はい」
「まじめな方だったそうですね」
「調べたんですね」
「ええ、それが仕事ですから」
亜世さんが立ち上がって倒してあったフォトスタンドを立てた。
やはり彼との写真だったか。写真には昨日部屋を訪問して来た霊と同じ男があった。こちらはいい笑顔だが。
「どんな彼氏でしたか?」
「優しい方でした。とても」
「将来結婚するんじゃないかと思っていたと周囲の声がありました」
亜世さんがはっとする。
「そんな約束めいたことを話したこともありました」
「それなのに別れたのですね。どんな理由だったか教えてもらっても?」
「嫌いなったわけじゃないって言われました」
写真を見る亜世さんの目は優しい。そして寂しい。
「愛しているって言われました。でも別れようって」
「どういう意味です?」
「私達は一緒にはなれないって」
「愛し合っていれば結婚できるのでは?」
「私もそう聞いたんです。でも彼は首を振るばかりでした」
「不可解ですね」
「ええ」
愛し合っているのに結婚出来ないとは理解に苦しむ。
「誰か家の人が決めた許嫁がいたとか?」
武田が言った。なるほど、そういう可能性もあるか。
「いえ、別に好きな人がいるとか、誰か結婚相手が決まっているとか、そういうことではないって」
「病気になって余命がわずかだったとか?」
武田、よく思いつくな。
「いえ、たぶんそれもないかと。会社の健診でお互い問題が無かったって結果を見せ合いましたから」
「実はスパイで」
「武田」
「はい、すいません」
武田が自分が読んだ漫画や小説のネタを話しているのだと気づいた。
「家族から反対された可能性は?」
「それは、もしかしたらあるかもしれません」
「ほう。と言うと?」
「彼が自分の家系が面倒な家系なんだって話していたことがあったんです」
「家系ですか」
面倒な家系とはどういう意味だろう。
その後も益方さんとの話を聞いていくが、やはり別れた理由ははっきりしないし、彼が亜世さんを恨んでいるはずがないなと思えて来た。
亜世さんが語る範囲では、明らかに二人は愛し合っていたように思える。
どうもプロポーズ寸前になって別れ話になったようだ。
「さて、ではそろそろ本格的に準備をします」
香炉を置いて線香を立てる。火をつけて手で仰いで消すと煙が立ち上り始めた。
「武田」
「はい、準備出来ています」
武田にはおりんを持たせている。仏壇で鳴らす小さな器の形の鈴である。
おりんを鳴らすことで、邪気を払う効果があるのだ。私のお経のリズムに合わせることも、武田はマスターしてくれている。
おかげでお経に集中できてありがたい昨今である。
ミシリと家が鳴った。
来たか。
部屋の窓からすうっと男が通り抜けて来た。
彼女には「見えて」いない。しかし私と武田の表情で気付いたようだ。
「来たんですか?彼が」
「はい」
彼は相変わらず彼女を優しそうな目で、そして寂しそうな目で見つめるだけだった。
さっき写真立ての彼を見つめた亜世さんの視線と同じだな、と思った。
お経を小さな声で唱え始める。数珠をじゃらりと鳴らした。
男の視線がここで始めて我々に向く。
お経のボリューム上げる。さらに腹に力を入れてお経の言葉に魂を込めていく。
男の表情が変わった。
ぐにゃりと口が歪んだ。ここで敵意を向けてくる霊がいるが、彼は違った。
武田が読経に合わせておりんを鳴らす。
ぐらりと彼の身体が揺れた。
そして彼は亜世さんに向かって何かを言った。
聞き取れない。
あ、お?
口の形からそう見える。
さらにお経を唱えて数珠を鳴らし彼に近づく。
「須賀原さん」
彼の顔がこちらへ向き、そして初めて怒りの表情になった。武田が反応したが、無視する。読経を止めるわけにはいかない。
怒りの表情になったのに。
我々に危害を加えようとする様子は無い。
なんだ、この霊は?
そしてまた彼は彼女へと顔を向けた。
ぐらぐらと身体が揺れて祓われる寸前だ。
また、彼女に向かって何かを言っている。
そして気付いた。
名前を呼んでいる?
彼は「亜世」と彼女を名前を呼んでいるようだった。
そして彼女に向かって手を差し伸べようとするような動きをした瞬間にぶわっと彼の姿が消えた。
「祓えました?」
「ああ、おそらく」
亜世さんの様子にも変化はない。無事に祓えたと考えていいだろうか。
明日も一応確認したいところだ。
「消えたんですか?」
「はい」
私が頷くと亜世さんは悲しそうに俯いた。名前を呼んでいたことを言うべきだろうか。
彼女に伝えることで、すでに死んだ彼への未練が増してもよくない。
死者への未練は度が過ぎれば生きる力を削ぐ。それは私が身をもって経験したことである。
「あ、これ返しますね」
亜世さんが首から掛けたお守りを手に取った。
いや、そのままでと言いかけた途端に亜世さんが悲鳴を上げた。
「熱いっ」
しかし同時に私は部屋の温度がぐうっと下がったことに気付いた。
これは?
「須賀原さんっ」
私はそれに答えず読経を始めた。
亜世さんに渡していたお守りが目の前で黒ずんでいく。
武田のお守りには変化がない。
お香から立ち上る煙が大きく揺れる。線香の先に灯った炎がすうっと小さくなる。
なんという力。
部屋にも置いた盛塩が黒くなっているのが見えた。
これは危険だ。
読経を続けながら札を取り出して、亜世さんの身体に貼る。
しかし札は貼るそばから黒くなりくしゃくしゃになってしまう。
彼にこんな力が?
いや、違う。
これは明らかに別の者の仕業だ。
しかもとびきり強力で、そして凶悪な奴だ。
大音声でお経を唱える。腹に力を入れて立っていないと膝が崩れそうだ。
武田が必死の形相でおりんを鳴らしてくれる。ありがたい。おりんが鳴った瞬間だけ圧が少しだけ緩むのが分かる。
亜世さんはすっかり怯えてベッドの上で毛布にくるまって小さくなっている。
最後の札を貼るとぎりぎり黒ずまずに止まった。
そしてふうっと圧が消えた。
がっくりと膝をつく。
その時に初めて自分が滝のような汗を流していることに気付いた。
「先輩っ」
武田が後ろから肩を抱えてくれた。その瞬間に温かいものが流れ込んできて、何とか立ち上がることが出来た。
「大丈夫」
と言おうとしたら喉が潰れてかすれた声しか出なかった。
なんだか長い話になってしまいました。次の更新までまた少し空いてしまうと思います。ごめんなさい。拙作に評価してくださる方、ありがとうございます。励みになります。誤字脱字報告もありがとうございます。




