あなたと私と、三人目
窓から差し込む朝日で目が覚めた。
時計を見ると、もう昼近い。彼のスマホは不用心に枕元に置かれたままだ。ちょちょいとロックをいじってみると、先週覗き見たときからパスワードは変わっていなかった。
画面を覗いているうちに、脳みその温度が上がっていくのがわかった。きっと顔も赤くなっているのだろう。
いびきをかいている彼を、がつんと頭突きで起こしてやる。
結局、彼が何を考えているのかはわからないままだ。聞いてないから当たり前だけど。
起きて、トイレに行って、ご飯を食べる。背伸びをして、洗濯をする。
何も、特別なことはない。
彼は珍しく素直に家事を手伝ってくれた。何か喋って、そこから余計なことを追及されるのが嫌なんだろう。
ふー。
ゆっくりと息を吐く。
吸う。
もう一度、吐く。
心臓がじくじく痛む。ぐっと右手で抑えて覚悟を決める。
「隼、ちょっといい?」
「ん、なに?」
「他の女の人と、話をさせて」
え、やだよ。彼は言った。
そりゃそうだ。この状況で喜んで呼ぶ奴がいたら、そいつはただの変態だ。
私だって覚悟を決めているのだ、さっさと観念して欲しい。
「ぐちぐち言わずに、スマホ貸してよ」
「それはちょっと……」
「じゃ、自分で連絡してよ」
彼は黙りこくる。
待っててもらちが明かない。私は立ち上がり、外に出る。
当然、彼もいっしょにだ。
「おい果歩、どうするんだよ」
「あなたが呼ばないから、私から会いに行くわ」
私は運転席に乗り込み、彼をシートに押しつける。
「狭いんだから危ねえだろ、せめて車はやめとけよ」
「事故った本人に言われたくないわ。危ないから、暴れないでね。なんなら一緒に死んでもいいけど?」
体の位置の関係で、今は私の方が運転がうまい。彼に勝てる数少ない要素だ。
クラッチを踏み込み、エンジンをかける。
狭い車内で密着していると、彼の体温が直に伝わってくる。この体になって気付いた小さな幸せの一つだ。
とりあえずこの感覚が我慢できているうちは、彼のことが好きなんだろう。
どこへ行くのか尋ねられた。
「亜紀ちゃんって子のところ」
首筋にため息がかかった。あー、今回は長いなあ。
「……なんでそれを知ってんだよ?」
「調べたから。簡単に出たわよ?」
全てわかっているのに、本当に往生際が悪いなあ。
実際に、彼女のことを調べるのは簡単だった。まったく最近のアプリは優秀だ。彼女の番号を登録するだけで、あっという間にお友達だ。あとはそこから適当にSNSを辿るだけ。名前も写真もすぐに出てきた。
亜紀ちゃんという子は、あろうことか女子高生だった。まあ、若いからこそすぐにネットで見つけられたのだろうけど。
「ちょっと待って、もしかして家まで知ってんの?」
ああ、これは本当に焦ってるなあ。少しだけ面白くなる。
「まさか。学校までよ。学校の前で待っとくわ」
校門を通り過ぎてすぐの100円パーキングに停めようとしたところで、彼が観念したように小さく言った
「わかった、ちょっと連絡するから、待ってて」
最初からそう言えばいいのに。
1時間くらい待っただろうか。コンビニの駐車場でコーヒーを飲んでいると、彼のスマホが鳴った。
なにか話しているけど、「ああ」とか「ちょっと」とかばっかりで、具体的なことはさっぱりだ。別にいいんですけどね。
亜紀ちゃんはすぐに来た。
思ったより普通の女子高生だったけれど、私より胸があるような気がするのが引っかかった。彼の好みを突きつけられ、吐き気がした。
しゃあないさ。デブなんだし、胸くらい許してやるよ。
「どうしたんですか、こんな急に呼び出して。って、あれ? 隼さん、どうしたんです?」
「あー、ちょっと事故ったってラインしてたじゃん。それで、こんな体になっちゃってさ。ごめん、急なんだけど、もう付き合えない。ごめん」
一息に会話を終わらせようとする彼。
「そうじゃないでしょ」
私はなるべく低い声で言った。
「ちゃんと説明して」
「え、いや、もういいじゃん」
きょとんとした表情で首をかしげる亜紀ちゃん。今回は風子さんのときとは違い、彼女は完全に被害者だろう。未成年だし。
自分だって、説明せずに終わらせたいという気持ちはある。が、それは嫌だ。それでは彼にダメージが与えられない。
「ちゃんと言え」
「……」
小さく舌打ちが聞こえたのを、私は絶対に忘れない。
「あのさ、こいつ、果歩って言って、俺の彼女なの」
亜紀ちゃんは頷いて、明るい声で答える。
「ああー、そうだと思いましたー。彼女さんとドライブ中に事故して、ケガしちゃったんですね。 大丈夫でした?」
あれ?
私は何か違和感というか、嫌な予感がした。
この子、状況わかってんだろうか? そもそも全然驚いてないことが引っかかるんだけど。
「びっくりしないの?」
「ええ。他にも付き合ってる女の人がいるってのは、聞いてましたし」
ああ、なるほどね。私はがっくりと肩を落とす。
隼は、波風を立てたくない。亜紀ちゃんは、納得していた。なんてこった、これじゃ私の一人負けじゃないか。
完全に怒りは消え失せ、虚しくてバカらしくて。
「あー、完全にくっついているんですね。ひあー、いたそー。――あ、ところで隼さん、次のデートっていつにしますー?」
「はああああ!?」
あんたねえ、状況わかってんの? バカじゃないの? 何考えてんの?
私は怒りのままにまくしたてる。
「わかってますよ。もう退院したから、会いに来たんでしょ?」
「違うわよ! だいたいデートって、この体でどこへ行く気よ! すみませんでしたねえ、水族館でもドライブでも、私が一緒なんですけど!」
「え、デートってホテルのことじゃないんですか?」
「――っっ!!」
私と彼の位置が逆だったら、私は迷わず彼の首をきつく締めていただろう。
なぜだ? おかしいのは私なのだろうか。最近の若い子って、みんなこんなドライなんだろうか? 別の女性に聞いてみたいものだ。
頭の中に出てきたのは、女友達ではなく風子さんだった。
「……また、日を改めましょ」
「あ、はーい。じゃあ隼さん、またねー」
完全に白旗をあげた形になってしまった。
うなだれる私をよそに、亜紀ちゃんは軽い足取りで帰っていった。
――疲れた。
部屋に帰った私は、ベッドに横になって身を丸めた。自然と彼に抱きしめられる形になる。
目を閉じると、隼の鼓動が聞こえた。でも、目を開けると聞こえない。変なの。
「ねえ、隼」
「……どうした?」
「その、話しかけるときにびくってなるの、やめてよ」
「だってさ」
「自業自得でしょ?」
「……ごめん」
「ねえ、隼」
「なに?」
「抱きしめてよ」
ごそごそと衣擦れの音がした。包まった毛布の中で、彼は黙って後ろから私を抱きしめてくれた。
「ねえ、隼」
「なに?」
「キスして」
私が振り向かずにいると、彼は私の首筋に優しく唇を付けた。
うなじのあたりの毛が逆立ち、ぞくぞくとした感覚に身を任せる。
嫌なことが忘れられるなら、これでよかった。
「ねえ、隼」
「今度は何?」
「結婚してよ」
「えー、それはちょっと」
こいつ、この期に及んで。
「だいたいさ、こんな体になっちゃったら、もう結婚してるようなものじゃん」
「そうだけどさ」
「なら、別にいいじゃん?」
「子供が欲しいって言ったのも、覚えてないんだ。隼って自分のこと以外、どうでもよさそうだもんね」
都合が悪くなり黙り込む彼に、私は言ってみた。
「別れてもいいよ」
彼は言った。
「ムリだろ、くっついてんだし」
「でも、このままだとエッチもできないよ? 届かないし」
「別にいいよ」
「他の人とするから?」
「……違うよ」
今の微妙な隙間はなんのつもりだろう。もしかして、私が許してあげるとでも思ったんだろうか。
「なにが違うのよ?」
「えーと、んー」
やっぱり、どうでもいいんだろうな。
そのまま黙り込む彼。私は彼に体重を預け、ゆっくりと目を閉じた。




