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N9148FM  作者: 鳴海 酒
1/4

危機


「ねえ、タバコはやめてって言ったじゃない」

「うるさいな、俺の口で吸ってんだから文句言うなよ」

「あたしの肺に入らなきゃいいわよ」

「肺は俺のだ」

「じゃ胃もだめよ」

「それも俺のだろ」


 私だって本気で言ってるわけじゃない。

 湿り気を帯びた煙が腹の中で渦巻く感覚も、彼と共有していると思えば悪いものではなかった。

 何もない日常はそれなりに幸せだし、彼とつながっている気分も悪くない。


「文句あるなら、体を返してよ」

 私は笑いながら言う。本気で言うと、冗談にはならないから。

「こっちだって、腹を貸してやってんじゃん」


 彼とつながってからもう一か月。今ではこれが、日常になりつつある。

 その時の私は気付かなかったのだが、それはとても儚くて、貴重なものだったのだ。


 ぴんぽんとインターフォンが鳴り、私は立ち上がる。

「はーい」と返事をしながら、お荷物カレを背負うようにして立ち上がる。


 ドアを開けると、そこに立っていたのはキレイなお姉さん。くりくりした目は、まるで豆鉄砲を食らった鳩のようだった。

 すぐ後ろで、彼がびくりと動いたのがわかった。縫い目が痛むから、あまり急に動かないで欲しい。


「――誰?」

 開口一番、お姉さんが聞いた。


「ええと、本田果歩ほんだかほと言います。彼のお知り合いですか?」


 私は少し体を傾けて、斜めになった彼を彼女に見せる。

じゅん? え、どうなってんの?」


 こんな体になってしまったのだ、まあ驚くのも無理はないか。

 立ち話もなんですから。私が彼女を部屋に招き入れようとすると、彼が耳元で囁くように言った。

「いやお前、今こんな状態だしさ、とりあえず帰ってもらうってのは」

「えー、そんなこと言っても仕方ないじゃん。だいたい時間が経ったからって、治るわけでもないんだし」

 しぶる彼を怪しみつつも、私は家にお姉さんを招き入れ、事の次第を説明をすることにした。


「ええと、何から話しましょうか」

 ソファーに座った私は、不審がる彼女の視線にもろにさらされていた。本来は彼のお客さんだというのに、彼は「お前から説明してくれ」と言ったっきり黙りこくっていた。仕方がないとはいえ、非常に居心地が悪い。

 発端は先月のドライブ。彼の運転する車は調子に乗ってスピードを出し過ぎ、対向車線にはみ出した。そのまま前からくるトラックと正面衝突だ。

 救急車が駆け付けた時、私の体は彼にめり込むようにくっついていたらしい。かつぎこまれた病院でそのまま縫合されてしまって、今に至るわけだ。


 お姉さん――川崎風子かわさきふうこさんと名乗ってくれた――は、ショートの黒髪を左に流すようにいじりながら聞いていた。ははあ、この人、きっと癖っ毛なのかなーと、私はのんきに考えていた。


 風子さんは聞く。

「ええと、ちょっと待って。じゃあ果歩さんは、隼とドライブしてたってこと?」


 私は答える。

「はい、そうですけど?」


 言葉を選びながら、ゆっくりと続く質問。

「ええと、ご兄妹とか親戚では、ないわよね」

「はい、違います」

「お仕事が一緒とか?」

「いえ、別に」

「……もしかして、お付き合いされているのかしら?」

「ええ、そうですけど」



「はあああ?」


 風子さんはいきなり大声を上げて、立ち上がる。

「ふざけないでよ、何よそれ! 事故だって聞いて心配してたのに、会いに来たらいきなり浮気? 信じらんない!」


 ええと、浮気? 浮気かあ。

 脳みその中で「なんだそりゃ」と「やっぱりな」がぶつかり合っていた。


「ちょっと、隼。あんたもなんか言いなさいよ」

 私は首を精一杯後ろに回して文句を言う。


「なんかって言われてもなぁ……」

 あ、これ、見えなくてもわかる。絶対に今、めんどくさそうな顔をしている。


「えーと、つまり、あー、」


「「つまり?」」

 私と風子さんの声がシンクロする。



「……ごめんなさい」


 ごめんなさい、か。私は深い深いため息を吐く。

「すみませんでした。彼もこう言っていることですし、こんな体になっちゃいましたし、本当に許してください」


 頭を下げる私に、風子さんは言った。

「あんたは関係ないでしょ? 私は今、準と話してるんですけど」

「関係ないって言われても、そのー、一応彼女ですし」


「彼女は私でしょ? あなたはただの()()()()じゃないの」


 ぷちん、と私の中で何かが切れた。といっても、堪忍袋ではない。

 頭のなかはくらくらして、心臓はどくどくと必要以上に頑張って血液を運んでいる。

 考えなんてさっぱりまとまらない。


「浮気相手はあなたでしょう? 私は彼と、もう一年も付き合っているんですよ!」

「はあ? たった一年? それじゃ私の方が長いじゃない。私は一年半よ」

 なんだそりゃ。私と付き合い始めたときには、既にコイツは浮気していたのか。

 唇を噛んで言い返す。

「長さは関係ないでしょう」

 自分から振っておきながら、情けない。目じりがこそばゆかったけど、悔しかったので絶対に擦らないと決めておく。


 風子さんは私の右斜め後方をきっと睨むと、問い詰める。

「ねえ隼、あんたに聞いてんのよ? 結局、どっちが本命なのよ」


「俺に言われてもなあ。あー、どうかなー」


 まったく煮え切らない男だ。

 話にならないと思ったのだろう、風子さんは立ち上がり、彼の手を取り連れて行こうとする。

「あいたたた」

「痛い、ちょっと風子さん、やめてください!」


 私たちの悲鳴に、風子さんはびくっとしつつ、すぐに力を緩めてくれた。本当にくっついてるんだ。ぽつりとつぶやくのが聞こえた。

 私は縫い目をチラ見する。お気に入りのシャツに、血がにじんでいないだろうか?


「痛いじゃないですか、突然引っ張らないでください」

「……ごめんなさい」


「風子、俺たちこんな状態だしさ、日を改めて話し合わないか? 少し落ち着こう」

 後ろから彼が言った。悪びれもせず。

 風子さんは相変わらず彼を睨んでいるが、私に対しては少し申し訳なさそうにもしていた。

 ああ、きっとこの人は優しい人なんだろう。たぶん悪いのは彼のほうだ。


「……隼、あんたこれ、どういうことよ」

 風子さんがあらためて問い詰める。


 少しだけ、沈黙があった。


「ごめん」

「浮気してたの?」

「ええと、そもそもだけど、」

「うん」


「俺たち、付き合ってたん?」


 サイアクだ、こいつ。


「はあああ!? なによそれ、信じらんない! じゃあなによ、あっちが本命で、私が浮気相手ってこと?」

「いや、俺、恋人とか結婚とか、そういうのはまだいいかなって思っててさ……」

「ちょっと待ってよ、じゃあ私とはどういうつもりで付き合ってたの?」


「えーと、その、……わりと仲のいい、友人?」


 風子さんに仲間意識が芽生えた。なんということだろうか。

 なんてことはない。単に都合のいい女だったのだ、私も彼女も。



「ああああっ、もうっ!」

 風子さんは髪をばさばさとかき乱しながら、ぶつけようのない怒りをこらえている。

 首を振りつつ、彼にさらなる質問が飛んでくる。

「一応聞いておきたいんだけどさ、隼、他に女いるよね?」

「……いや、いないよ」


 あ、ウソだ。

 鈍い私にわかるくらいだ、風子さんにもすぐにわかったのだろう。

「ふーん、そう。じゃ、電話貸して」

「え、それはちょっと――」

「いいから貸して!」


 隼は観念したように言った。

「……います」

「何人?」

「あと、二人」



「はああああ!?」


 一際大きい叫び声が響いた。

 ここが風子さんの自宅なら、彼は即座にコーヒーカップを投げつけられていただろう。

 あーだのうーだの呻いていた風子さんは、長い深呼吸の後、不気味な笑顔を見せた。


「ごめんね、果歩さん。なんだか私の勘違いだったみたい」

 やけに明るい声だった。


「はい?」

「このクソ男の浮気相手は私だわ。じゃ頑張ってね、彼女さん」

「え、ちょっと、あ、待って!」


 ばたん、と叩きつけるようにドアを閉め、彼女は出ていった。嵐のような人だったけれど、ストレートで悪い人ではなさそうだ。

 まあそれは良いんだけど、これって結局、押し付けられたんだろうか?


「良かったな、平和的に終わって」


 彼がさらりと言った。今度こそ、私はキレた。


「ふざけんじゃないわよ、なによあれ! サイテーじゃん! 離れて、離れてよ!」


 私は彼の左斜め前にくっついている。彼は私の右後方に常にいる。

 殴りたくても殴れないのだ。


「このっ、このっ、あーもう!」

 私は勢いをつけて、後ろからソファーにダイブする。ぼふんと間抜けな音がした。肘で彼を殴ってやろうとジタバタしたが、全然力が入らなくて虚しかった。



 私はその夜、久しぶりにお酒を口にした。

 彼のビールを奪って飲んだ。彼には飲ませなかった。

 皆が苦いだけのビールを美味しそうに飲む気持ちがわかった気がする。痛いのだ、みんな。日々の痛みを苦みで紛らわせるのだ。注射の時に膝をつねって紛らわせる、あれと同じだ。


 私は、紛らわせることはできなかった。

 その夜、何度か吐いた。

 彼が優しく背中を撫でてくれた。今だけは、完全に私のものだ。私のものなんだけど――。



 うーん、虚しい。一人になれない体が恨めしかった。


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