(4/10)古典女になりたい
勝ってない。お前は何もしていない。そもそもリングにすら上がっていない。
しかし中原紗莉菜は勝った気満々であった。この喜びを胸に家に帰りたい。2次会は断って帰途に着こうとした。
駅まで行く道で花沢が声をかけてきた。
「中原さん!」と。
紗莉菜は振り向いた。パニックになる。なぜ花沢がアタシに声をかけてくるのだ!?
居酒屋と駅の間は公園を抜けるのが早かった。レンガ風の道にポツポツと街灯が建っていてぼうっと辺りを照らしている。
遠くに誰かが置き忘れたかのようなゾウの乗り物がポツンと見えた。
紗莉菜と花沢の2人きり。
「あ……花沢くんなに?」
何じゃねーんだよ、ということだ。ビックチャンスやんけ! ということだ。しかし紗莉菜の返答はいかにも素っ気無いものであった。
花沢が破顔した「2次会いかないの?」
行きませーん。花沢くんが古典女をフッてくれたからね!! アタシ今めちゃくちゃ気分いいんでーす。
「オレも今日はやめておくよ。路線は何?」と聞かれたので答えるとちょっと残念そうに「あー。オレと全然違うねー」と言われた。
残念!? 残念なの!? えっアタシと一緒に電車に乗りたかったの!?
ここで古典女なら『ねぇ。2人で2次会いっちゃう!?』というだろう。そう古典女なら。
それなのに紗莉菜は全く違うことを言ってしまっていた。
「ここまで走ってきたの?」と。花沢の息がちょっとキレてたからだ。花沢はうなずいた「うん! 中原さんの背中が見えたからねっ。追いかけてきたよー」と。
さすが花沢である。古典女と同じくらい恋愛偏差値がある。普通の女ならここで相好を崩すところだ。
ところがだ。
本当に、本当に、中原紗莉菜というのは『女として残念なやつ』だった。下手に花沢の言葉に乗って先ほどの有橋美琴のようにかわされたらどうしようと思ってしまったのだ。
お座敷の隅に、たった1人で取り残されていた美琴。
「追いかけてきたとか! キモーい!」と言ってしまったのだ。
あの、笑顔崩さぬ花沢が一瞬スーッと真顔になった。次の瞬間には笑顔を取り戻していた。
「ホントだわ! オレだいぶ酔ってるね! あ! オレ電車の時間がせまっていて! さようなら!」と走り去ってしまった。
なんで花沢!!
なんでここで『誰がキモいだこのノッポ!』と言ってくれなかったのだ!! そしたら『誰がノッポだこのチビっ』ってぶちのめして『がっはっはー!』って…………。
紗莉菜は立ち尽くしてしまった。心からあの『古典女』になりたかった。
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ミツヒコと付き合ってからその話もしてみた。
ミツヒコがワナワナした。
「あれねーっ!! 覚えてるわ。もうメッチャ覚えてるわ!! 人が必死に追いかけてみたらよりにもよって『キモい』とか。『もう2度と話しかけるか』って思ったわ!」
あああ〜。本当ごめんなさいー。今から『古典女』の爪の垢でも煎じて飲んできますほんとごめんなさーい!
紗莉菜はひたすら謝った。当然である。あまりにひどい。ミツヒコがニヤニヤした。
「謝ったくらいじゃ心の傷は癒えないなーっ」
紗莉菜をのぞきこむ。
「じゃあ今日はオレの言うことなんっでも聞いてもらおうかなーっ」
「な……なんでもって何?」モジモジしてしまう。
「何かなーーっっ」
ああ。もう。どうしよう。
中原紗莉菜なんて言うのは。しょせん『まな板の上にのろうとしなかった鯉』なのであった。
一度のってしまえばミツヒコの敵ではない。
あっっっという間に調理されてオシマイ。ご愁傷様だ。
【次回】とどめを刺したキーホルダー事件




