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5 食事1

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 翌朝、アシュリーが目覚めると同時に、ウォルレット家から一緒にやってきたメイド二人がドアをノックした。

 見慣れた顔に安心して、コルセットの後ろの紐を結んでもらい、ふんわりとした髪を後ろで綺麗にまとめてもらう。


 ちょうど準備が整ったところで、再びドアがノックされた。

 ツイードの黒のスーツを着たフェルナンが、落ち着いた笑みを浮かべていた。


「おはようございます、アシュリー様。当家の執事を務めておりますフェルナンと申します。昨夜はよく眠られましたか?」

「はい。枕からラベンダーのいい香りがして、すぐに寝てしまいました」

「それは、ようございました」


 フェルナンが優しく微笑んだ。そして斜め後ろを見て、


「こちらはハウスメイド長のロザリーです。アシュリー様のお世話をいたします」

「ロザリーです。よろしくお願いいたします」


 白い丸襟がついたサージ生地の黒いワンピースに、白のエプロン。そして縁にフリルのついた白のキャップをかぶったロザリーが頭を下げた。口調ははきはきしているが、少し垂れた目が親しみやすさを感じる。

 アシュリーは「よろしくお願いします」と、笑顔でお辞儀した。


「食堂はこちらになります」


 寝室を出て、ロザリーについてすぐ向かいにある中央階段を下りる。


(緊張してきたわ……)


 クライドに会う事が、だ。


 庭に面した明るい食堂は、アシュリーの私室のちょうど真下にあたる。白を基調とした室内、壁際に置かれた棚にはよく磨きこまれた銀器がずらりと並んでいた。


「おはようございます……」


 アシュリーは恐る恐る足を踏み入れた。警戒して素早く中を見渡すがクライドの姿はない。

 思わずホッとして、こわばっていた肩の力が抜けた。


 しかしロザリーも、給仕をするサージェント家のキッチンメイドたちも、アシュリーが婚約者を探し求め、姿が見えない事に落ち込んだと勘違いしたらしい。一様に顔を曇らせた。


「申し訳ありません、アシュリー様! 旦那様は緊急事態との事で、昨晩遅くから奥の厩舎にこもりっきりなのです」

「決してアシュリー様に冷たい態度をとっているわけではないのです。ただその、あの厩舎は旦那様にとってひどく大事なものと申しますか、その――」

「いえ、大丈夫ですよ」


 緊張が一気に緩み、大きく息を吐いた。ウサギなら体をひねりながら陽気にジャンプしているところだ。

 助けてもらったのに申し訳ないが、クライドに会わないで済むなら、むしろ気が楽だ。


「朝食、いただきますね」


 濃い色のマホガニー製の長テーブルに着いた。十人は座れそうな大きさだ。

 テーブルの中央には新鮮な果物が載った銀製のスタンドと燭台、そしてワインを飲む時に使うデカンターが置かれている。


 そして白身魚をこんがりと焼き甘酸っぱいソースをかけたものや、大きく切った鶏肉と数種類の野菜を濃厚なソースで煮込んだもの、新鮮な果物、焼きたてのパン。さらにしぼりたてのオレンジジュースやワインなどが所狭しとテーブルに載っていた。


 クライドがいない――外に出ているのではなく屋敷の中にいるのに出てこない――事へのお詫びのように、ずらりと並べられた朝食を、アシュリーは笑顔で口に運んだ。白身魚の皮がパリっとしていて中身がふっくらしている。おいしい。


 目を細めて楽しそうに食事する様子を、またもや無理していると勘違いしたのか、メイドたちが痛々しそうに見つめた。


「今朝だけでなく、最近はずっと奥の厩舎にこもりきりで……」


 おかわりのオレンジジュースを注ぎながら、メイドの一人がため息を吐いた。

 クライドが決して近づくなと言っていた厩舎の事だ。あそこまで強く言うからには、


「その厩舎で飼ってるのは馬ではないんですよね? 何を飼っているんですか?」


 なにげなく聞くと、ロザリーとメイドたちは顔を見合わせ、示し合わせたように小声で言った。


「私たちも決して近づいてはいけないと言われているので何もわからないんです。他の使用人たちも、です。フェルナン様だけは許されていますが、それでも中へは入りません」

「前に決まりを破って近づいたお調子者の庭師は、すぐさまクビになりました。厩舎の中へ入るのは、旦那様と魔術師たちだけです」

「魔術師?」

「はい。王宮からきている魔術師たちです」


 この世界で魔術師は希少だ。六百年前はそうでもなかったが、文明が発達するにつれてどんどん魔力を持つ者が減ってきている。ゆえに魔術師は国から優遇されている。


 そんな貴重な魔術師があの厩舎に? 何のために? 中にいるのは強い魔力を持つものなのか?


(強い魔力――)


 不意に懐かしい魔国の光景が浮かんだ。だが、


(そんな訳ないわよね)


 寂しくなりつつ苦笑した。瘴気に包まれた魔国は六百年前に滅びたのだから。


(ん?)


 そこで思い出した。


(瘴気といえば……)


 何か引っかかる。最近、瘴気について何かあったような――。


「アシュリー様、デザートのプディングです」


 まだ湯気を立てているできたてのプディングが前に置かれ、一瞬で考えていた事を忘れた。


「おいしそう」


 スプーンで割ると、中から温かいリンゴのソースがあふれた。ごろごろと入っている果肉が柔らかくて甘い。


「おいしいですね!」

「よかったです。そうだ、アシュリー様。新鮮なウサギの肉が手に入りましたので、昼食にお出ししようかと思うのですがいかがでしょう?」


(ひい――!!)


 鳥肌ものだ。


「いいえ、ウサギは結構です! 私、苦手で。絶対に出さないでください。お願いします!」

「……そうですか? ひき肉状にして原型をとどめずお出しするのも――」

「いいえ、無理です! 目の前に出されたら恐らく卒倒します」


 実家のウォルレット家でも、アシュリーが前世を思い出してからはウサギ肉は出ない。

 今でも思い出す。アシュリーが十歳を過ぎた頃、父がウサギを狩りで獲ってきたのだ。それまではおいしく食べていたから喜ぶと思ったのだろう。すでに血抜きされた白ウサギの両耳を持って、父は誇らしげにアシュリーの目の前に突き出した。


 ぶらんぶらんと揺れる白ウサギの体。

 あの時の衝撃といったら、今思い出しても背筋が冷たくなる。結果アシュリーは白目をむいて気を失い、医者を呼ぶ騒ぎになった。


「……そうなのですね。わかりました」


 青ざめたアシュリーの魂の叫びともいえる気迫に、メイドたちが若干引いている。


(ウサギさん、どうか安らかに)


 アシュリーは肉にされたウサギに、心の中で合掌した。


 そして昼食にもクライドの姿はなかった。ウサギ料理もだ。

 メイドたちのいたわしげな視線に気づかず、ますます気が楽になったアシュリーは笑顔で食事をした。


 昼食後は庭を散歩したり、図書室で本を読んだりした。カーテンを閉めきった薄暗い室内でソファーに寝そべって本を読む。

 するとロザリーやメイドたちがお詫びの意なのか、こまめに紅茶やら焼き菓子やらを運んでくれた。


「そんなに気を遣ってもらわなくても大丈夫ですよ」


 逆に申し訳ない。だって今こんなにも楽しいのに。

 だが彼女たちは頑として首を横に振った。なぜなのか泣きそうな顔の若いメイドもいた。


 焼き菓子の表面はサクッとしていて、噛むと中からバターの旨味がじゅわっと染み出す。絶品だ。紅茶とのコラボでどれだけでもお腹に入る。


(天国だわ)


 こんな生活なら十日といわず、ずっといてもいい。アシュリーは笑顔で焼き菓子を頬張った。



 * * *


(疲れた……)


 クライドはローブの襟元をいとわしげに緩めながら、大きな息を吐いた。

 アシュリーがやってきた日の夜中に魔術師に呼ばれ、それからずっと奥の厩舎にこもりっきりだったのだ。


 ごくわずかな王室関係者と、王宮から派遣された魔術師たち、そしてフェルナンしか知らない事だが、奥の厩舎には生き残りの魔族――魔獣がいる。


 トルファ王家はサージェント家に預けたまま、我関せずの態度を貫いている。力になりたいと思っているのは、おそらくクライドだけだ。

 だがサージェント家を継いでから四年間、クライドが何をしてもそれ以上のことがどうやっても進まない。


(どうすればいい?)


 舌打ちし、苦く重い気持ちを噛みしめて足取り重く厩舎を出ると、前でフェルナンが待っていた。


 空は夕焼けから夜空に変わろうとしている。ほぼ丸一日厩舎にいたのかと思うと、さらに疲れが増した。


「どうした?」

「そろそろ休憩をなさってはいかがですか。朝から何も食べておられないでしょう。ちょうど今から食堂で夕食の時間です」

「悪いが、それどころじゃない」

「それにアシュリー様がかわいそうだと、メイドたちが訴えておりまして」


 クライドは眉根を寄せた。


「朝も昼も一人きりで食卓についておられます。食堂に入ってくるたび、不安そうにクライド様を探しておられると。ですが文句も泣きごとも言わず、けなげに微笑みながら耐えて食事をされているそうです。せめて夕食はご一緒に」

「……わかった」


 仕方ない。瘴気の匂いが染み込んだ黒のローブを脱ぎ捨てて、クライドは食堂へ向かった。


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