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4 サージェント家へ2

 クライドは書架に囲まれた二階の書斎で、オイルランプの灯りの下、本を読んでいた。

 ガラスの筒の中で菜種油を受けて燃える火は明るい黄色で、蝋燭より明るく照らしてくれる。


 そこへ執事のフェルナンがカップに入った紅茶を運んできた。年の頃は三十代前半。常に柔らかな物腰と物言いを崩さないが仕事は的確で素早い。

 前代のサージェント侯爵の時からこの屋敷で働いており、クライドも頼りにしている。


「アシュリー様は眠られたとハウスメイド長が言っておりました。クライド様がメイドに申し付けた枕の香りのおかげかもしれませんね」

「まあ、だいぶ疲れてたみたいだからね」


 突然知らない場所へ婚約者としてやってきたのだから当たり前だ。


「まさかクライド様が本当に婚約なさるとは。ずっとお仕えしてきた私でさえ驚きました」

「王命だからな。仕方ないよ」


 国王である兄に呼び出され王宮に赴いた。だが面倒臭さしかない。タイミング悪く会えなかった事にして、義姉である王妃に礼儀として挨拶だけしてから帰ろうと思ったのだ。

 そこで偶然アシュリーが転びかけたところを助け、その後で、回廊の一角で老齢の王室長官に会った。


「クライド様。いえ、王弟殿下」と呼びかけられて、クライドは仕方なく立ち止まった。


「これは王室長官。久しぶりですね」


 会えた事は全く嬉しくなかったが、愛想のいい笑みで対応した。


「ご無沙汰しております。私どもは本当はもっとお会いしたいのですが。それより殿下、そろそろ身を固められてはどうかと国王陛下からのお言葉でございます」


(またか)


 内心うんざりした。サージェント家を継いだ四年前からずっと結婚を勧められている。そのたびに丁寧に、しかしきっぱりと断ってきた。

 だが、さすが年の功と言うべきか、王室長官は毎回まるで初めて伝えるような態度と口ぶりで接してくる。タヌキだなと心の中で舌打ちした。


「ありがたいお言葉ですが、まだまだ若輩者ですので。気長に考えたいと思います」

「もったいない事です。たくさんの女性から引く手あまただと聞いておりますのに。それに陛下もクライド殿下を心配していらっしゃいますよ。最近胃が痛いと、薬を飲んでおられます」

「それは、ただの食べ過ぎじゃないですか?」


 あの底意地の悪い兄が心配などで胃を痛くするはずがない。

 だが王室長官は首を横に振った。


「陛下は心配されていらっしゃいます。王族であるクライド様が、自らサージェント家を継ぐと言い出された、その時から」


 四年前と違い、長年蓄積され焦れたような色が王室長官の顔に浮かんでいる。

 クライドは心の中でため息を吐いた。


(――そろそろかな)


 以前から考えていた事だ。これ以上拒否し続けるのは得策ではない。クライドの目的に気づかれては厄介だ。


「わかりました。王室長官の熱意に負けました。婚約する事にします」

「ですから――え……?」


 いつものようにクライドに逃げられると思っていたのだろう。王室長官が唖然とした。


「ただし相手は自分で選びます。先程、謁見の間で会った令嬢。彼女にします」


 四年粘ったクライドがあっさりと承諾した事に、いぶかしそうに眉をひそめる。

 クライドは苦笑した。


「そんな顔をしないでください。私も自分なりに考えていたんですよ。何せ不出来な弟のせいで、兄上の胃をこれ以上痛くさせるわけにはいきませんから」

「……」


 長官の顔がますます怪しそうに歪んだ。クライドの言葉の裏が読めず、警戒しているのがわかる。


「……それで、お相手の女性はどなたなのですか?」

「確か、アシュリー・エル・ウォルレット。先ほど謁見の間で初めて会った、黒い髪に紫の目をした小柄なご令嬢です」

「先ほど初めて?」


 さすがに王室長官の顔が歪む。

 文句があるなら言えばいい。そうしたらそれを理由にこの婚約をなかったことにできる。

 そう思ったが、王室長官は実ににこやかに微笑んだ。


「そうですか。確かウォルレット卿の長女ですな。いや、ウォルレット卿は私の狩り仲間でして。陽気な楽しい男ですが、口は堅い。よい相手を選ばれました。さっそく手配しておきましょう」

「……」


 綺麗にまとめられて、クライドは諦めのため息を吐いた。

 王室長官が笑顔のまま丁寧に頭を下げる。


「婚約おめでとうございます、殿下」

「――ありがとうございます。兄にもよろしくお伝えください」



 大小合わせておよそ二十の国から成るこのキール大陸で、現在領土の大きさからも豊かさからも一番の大国が、このトルファ国である。

 大陸の東南部に位置し、東と南を海に接する温暖な気候の国だ。


 元々小国だったトルファが大国となった転機は、およそ六百年前。


 たくさんの国が領土を削られては増やし、また国自体も滅んでは興しを繰り返してきた中、当時隆盛を誇っていたのは魔王が治める魔国だった。

 大陸の東端、高い山脈と海に囲まれ、まがまがしい瘴気を発していた魔国は、近隣の国に攻め入り着々と領土を広げていた。


 その手はやがてトルファにも伸びてきた。魔王率いる魔族軍は強かった。だがあと一歩で陥落という時に、一人の勇者が立ち上がった。勇者とその仲間たちは残っていたトルファ国軍を率いて戦った。

 そして魔王を討ち、勢いのまま魔国の中心へと攻め入り勝ったのだ。


 トルファは魔国を吸収し、爆発的に領土を広げた。そして戦乱の中、さらに近隣の諸国を吸収したトルファ国はやがて大陸一の大国になったのである。



 ――「アシュリー様は可愛らしくて素直そうなご令嬢ですね」と、フェルナンの声で、クライドは我に返った。


 書斎の窓の外は真っ暗だ。フクロウの鳴き声がかすかに聞こえてきた。


「そうだね。いい、こけっぷりだったしね」


 思い出すと笑えてくる。

 フェルナンがめずらしく不安げな声を出した。


「ですが、あの厩舎は? 中にいるものをどう説明するのです?」

「内緒にするさ。そうする以外にない」


 クライドは王宮に赴いた時にポケットに入れていたハンカチを取り出した。普段はクライドの結界で抑えているもの――厩舎の中に蔓延する瘴気――が染み込んでいたのか。気づかなかった。


(それにしても「いい匂い」とは?)


 どこか懐かしむようにつぶやいたアシュリーを思い出す。

 魔族が出す瘴気だ。人間にとっていい匂いのわけがない。その証拠に、嗅いだ途端少し気持ち悪そうにしていた。


(変わった令嬢だな)


 ウォルレット家で見た楽しそうな家族と、それよりさらに楽しそうなアシュリーの姿に、ちょっと微笑ましくなったのは事実だ。だが――。

 罪悪感を心の底に押し込めて、湯気をたてる紅茶を一口飲んだ。最高級の茶葉のはずなのにひどく苦く感じる。


 結婚相手なんて誰でもいいのだ。

 これはクライドの目的をごまかすための婚約なのだから。


 だがどうせ誰かと結婚しなければならないのなら、せめてこの瘴気の匂いに抵抗の少ない女性の方が、まだうまくやっていける気がする――。


「クライド様」


 部屋の外から、気配をうかがうように小さな声がした。


「厩舎にいる例の魔族の件でまた問題が起こりまして、早急にきていただきたいのですが」

「わかった。すぐにいく」


 クライドは鋭い顔つきで勢いよく立ち上がった。


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