33 洋梨と二度目の月
本日2回目の投稿になります。
前世の黒ウサギたちは果物が好きで、果実が生る時期になると皆でいそいそと食べにいったものだ。
いちごやリンゴ、ぶどうなども美味しかったけれど、洋梨は格別だった。細い枝からぶら下がり、甘い匂いただよう洋梨は最高のごちそうだった。
けれど木の上に生るし、もちろん黒ウサギたちは木登りなんてできない。だから熟し過ぎて地面に落ちた実を拾うのが常だったけれど、一度だけ皆で協力して木に生っている実を採ったことがある。
一匹の黒ウサギが丸まり、その背中にもう一匹の黒ウサギが上ってまた丸まり、さらにその背中にもう一匹の黒ウサギが――とウサギのタワーを作ったのだ。
最後に一番身軽な黒ウサギがそのてっぺんに乗り、短い両手と口を使ってなんとか洋梨をもいだ。
前世のアシュリーである黒ウサギは運動神経がなかったため、下の方で頑張った。グラグラと揺れる恐怖に耐え、仲間の重みにも耐えながら、洋梨の甘さを思い浮かべて必死に頑張ったものだ。
一個だけ採れたその洋梨に、黒ウサギたちは耳をぴんと立てて群がった。
押し合いへし合いしながら甘い匂いを放つ洋梨をかじる。端から見たら、黒い大きなかたまりがウゾウゾとうごめいていたことだろう。
初めて食べた、熟し過ぎていない洋梨。
皆で分け合ったため一口程度しかなかったが、それでもとろけるような甘さで、黒ウサギは幸せな気分になったものだ。
そんなことを思い出し、アシュリーはコンポートの入った器を手に持ち、スプーンですくって口に入れた。
みずみずしい洋梨の甘さが口いっぱいに広がる。
(最高だわ。今世は人間でよかった)
何しろ一口どころか器いっぱい食べられるのだから。スプーンを持ったまま感動にひたる。すると、
「これもどうぞ」
と声がした。見ると、クライドが笑いをこらえながら、自分の分の器をアシュリーの方に押しやっていた。
「人参だけでなく洋梨も好きなんだね」
「大好きです。クライド様は食べないんですか?」
「いらない。というか、アシュリーが食べている姿を見ていたい」
どういうことなのか。首を傾げると、
「最初にここで一緒に食事した時からそうだった。アシュリーを見ていると幸せな気分になれるから」
緑色の目が優しく微笑んだ。
アシュリーの胸の中がいっぱいになる。
「食後のコーヒーは応接室にお持ちいたしますね」
二人の仲睦まじい様子にメイドたちはまたもニコニコ顔で言った。
クライドと応接室に移った。オレンジ色の灯りがともった室内はやわらかい穏やかな空気に満ちている。
(ミルクを入れる前のコーヒーの色って、まるで黒ウサギの毛の色よね)
ソファーに腰かけて、濃いコーヒーの入ったカップにミルクをたっぷりと注ぎながらアシュリーは思った。昔の仲間の毛の色を思い出していたら、知らず知らずのうちに微笑んでいたようだ。
「どうして笑ってるの?」
クライドに聞かれた。
「いえ、なんでも」
と顔を上げて、クライドも満ち足りた顔で微笑んでいることに気がついた。
「クライド様こそ、どうして笑っているんですか?」
「ん? 今アシュリーが目の前にいて、これからもずっと一緒にいられることが幸せだなと思って」
端整な顔で微笑まれて、言葉に詰まってしまった。素直に嬉しいけれど、顔が熱くなってきたのがわかる。慌てて顔をそらすと、開け放たれた掃き出し窓から風に揺れる木々の黒いシルエットが見えた。
クライドが聞く。
「またバルコニーでいい景色を見る?」
「……もう結構です」
毎日あんなことをされては、とても心臓がもたない。
けれどカーテンを揺らし、室内に吹き込んでくる風は心地いい。うずうずしてきてアシュリーは提案した。
「バルコニーで、お互いに立って景色を見ませんか?」
「――いいよ」
「お互いに立って」を強調するアシュリーにクライドが噴き出した。
バルコニーに出ると、気持ちいい風が吹きつけた。アシュリーのふんわりとした黒髪を巻きあげる。
そっとクライドが手を伸ばし、後ろからアシュリーを両腕の中に抱きこんだ。アシュリーは驚いたものの、そのままじっとしていた。嫌ではなかったからだ。いや、むしろ――。
「そういえばあの時、全身を毛布にくるまっていたのはどうして?」
耳のすぐ後ろでクライドの落ち着いた声がした。
「ああするのが好きなんです」
「暗くて狭くて静かで、まるでウサギの巣穴みたいだから?」
「……まあ、そうです」
やはり見抜かれていた。不思議なことだ。
けれど遠くを見る代わりに、アシュリーは後ろを振り返った。しっかりと後ろから抱きしめられているので、半分も首を回せなかったけれど。
「でも、ここも同じくらい落ち着きます」
本心である。笑顔でそう言うと、
「そうか」
クライドが嬉しそうに、本当に嬉しそうな顔で微笑んだ。回された腕に力がこもり、ますます強く抱きしめられた。けれどその手つきは優しい。
心地いいクライドの腕の中で身を預け、幸せだなと思った。
最初にここにきた時とは大違いだ。
ここへきてよかった。クライドと婚約できてよかった。
そう思いながらアシュリーは白く輝く月を見上げた。
完結です。途中で長ーい長ーい間が空きましたが…、最後までお付き合いくださったことに感謝いたします。ありがとうございました!




