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32 また明日と厩舎

次話が最終話となります。今日の20時に予約投稿しております。

もう少しお付き合いくださいm(_ _)m

「それではクライド様、アシュリー様。長い間お世話になりました」


 荷物の入った大きなカバンを持ち、ハンクは笑って言った。隣でジャンヌも笑顔で頭を下げる。


 これから二人は王宮に戻るのである。魔獣がいなくなったサージェント家に魔術師は必要でなく、引き上げ命令が出たからだ。


「寂しくなります……」


 サージェント家の門の前で、クライドと並ぶアシュリーが泣きそうな声でつぶやいた。


(この方がきてくれてよかったな)


 自分たちにとっても、黒狼にとっても、そしてクライドにとっても。

 心からそう思う。


 ジャンヌが笑って言った。


「また遊びにきます。アシュリー様も王宮に遊びにきてください。いつでもこられますよ」

「そうっすよ。なんたって国王陛下の義妹になるんですから」


 ハンクものると、アシュリーは畏れ多いと言いたげに、ぶんぶんと首を横に振った。その様子にハンクはジャンヌと一緒に笑った。


「それじゃあクライド様、お世話になりました」


 四年間仕えた主人に別れを告げる。

 クライドは笑みを浮かべたが、一瞬寂しそうな色が目に浮かんだのに、ハンクは気づいた。


 ここの主人がクライドでなければ、自分たちはあそこまで協力しなかっただろう。


 後ろ髪を引かれる思いで、それでも笑顔で、ジャンヌと一緒に王宮に向かう馬車に乗り込んだ。

 途端に、


「――何を泣いてるんだよ?」

「うるさいわね。あんたもでしょう」


 寂しさは一緒なのだ。よくわかる。

 しばらく無言で向かい合っていると、馬車が出発した。ああ、離れていってしまう。無性に寂しくなったハンクの前で、ジャンヌが涙を拭いて小さな窓から外を眺めながら呟いた。


「またアシュリー様に人参クッキーを作って届けにいくわ」


 ハンクの心に明かりがともる。それはいい考えだ。


「いいじゃん。今夜作ってくれよ。それで明日、届けにいこう。もちろん俺も一緒に行く」

「……明日って。さっきお別れしたばかりなのに早過ぎるでしょう」

「じゃあ明後日だな」


 ニヤリと笑うと、ジャンヌがこちらを見てフッと笑った。それから同じようにニヤリと笑い返してきた。


「いいえ。明日にしましょう」


 * * *


 アシュリーは厩舎にいた。からっぽの馬房はがらんとしている。目を閉じるとそこに黒狼がいて、ハンクとジャンヌもいたのに、再び目を開けると誰もいない。クライドだけだ。


「なんだか静かですね」


 ハンクとジャンヌが綺麗に掃除をしてくれていったので塵一つ落ちていない。


「そうだな」


 返ってきたクライドの声音も寂しそうだ。


 黒狼がいた間は閉め切られていた二階の鎧戸も、今は全て開け放されている。日差しが入ってくるので馬房は明るい。


(同じ場所なのに全く違うように見えるわ)


 黒狼たちがいた頃の馬房とは。

 うつむくアシュリーにクライドが穏やかな口調で言った。


「ここに馬を飼おうと思う。もう一つの厩舎と同じようにね。たくさんの馬がここで育って、やがて仔馬も産まれるだろう。そうしたらにぎやかになるよ」


 想像してみた。この馬房が馬のいななきでいっぱいになって、そして黒狼が寝ていた場所で小さな仔馬が一生懸命歩いていたら、それはとても楽しい光景だろう。

 ぽっかりと穴が開いた心に爽やかな風が吹き込んできた気がした。アシュリーは笑顔で頷いた。


「いいですね。楽しそうです」


 クライドが笑い返す。

 そしてふと思いついたように、からかうような口調で言った。


「同じように母屋も、子どもが生まれてにぎやかになるといいかもね」

「はい。いいですね」


 にぎやかなのは楽しそうだ。あまり考えず頷くと、クライドが真顔になった。目を見張ってアシュリーを見つめてくる。


(どうしてこれほど驚いているのかしら?)


 意味がわからず、しばし考えた。この馬房で仔馬が産まれてにぎやかになる。つまり母屋にも赤ちゃんが生まれて――。


 ようやく意味がわかり、途端にうろたえた。自分はなんてことを笑顔で頷いていたのだ。

 明らかに焦っているアシュリーの反応を見て、クライドが安心したように息を吐いた。


「よかった。いや、よくはないけど驚いたよ」


 それはそうだろう。アシュリーは何度も大きく頷く。

 クライドがいたずらっぽい笑みを見せた。


「でもアシュリーも承諾してくれた、ということだね。よかったよ」

「……もうすぐ夕食の時間ですよ! いきましょう。すぐいきましょう」


 駆け出すアシュリーを見ながら、クライドが楽しそうに笑った。




 食卓につき、アシュリーはソテーしたヒラメや野菜サラダなどを口に運んだ。サージェント家の料理は今日も美味しい。

 ふと視線を感じて顔を上げる。そんなアシュリーを、向かい合うクライドが笑顔で見つめていた。とても嬉しそうだ。


「……なんでしょう?」

「いや、ここで初めて一緒に食事した時とは大違いだなと思って」


 思い出す。あの時は勇者の子孫であるクライドが恐かった。だから多少、挙動不審に映ったかもしれない。けれど今は――。

 アシュリーは笑顔で口を開いた。


「もう平気です。だって婚約者ですから」


 クライドが小さく目を見張り、それから嬉しそうに笑った。


 そんな二人の様子に、給仕をするメイドたちも笑顔である。デザートの入った器を食卓に置いた。


「ラフランスのコンポートです」


 洋梨を砂糖水で煮詰めたものだ。ジャムよりも水分が残っているので、食感とみずみずしさが堪能できる。


(洋梨だわ)


 前世の黒ウサギだった時のことを思い出した。


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