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28 フルト島へ送ろう4

 ジャンヌは応接室へ走った。ドアの前にいる兵士たちをにらみつけて、勢いよくドアを開けた。

 すると優雅にソファーに座って足を組んでいる青年の姿があった。クライドと同じ見事な金髪に緑色の目。クライドのすぐ下の弟、すなわち前国王の三番目の息子、ユーリである。


(確か十八歳になったばかりだとかいったわよね)


 ジャンヌよりだいぶ年下である。

 サージェント家に派遣される前は王宮にいたので、ユーリの姿を見たことがあったし、噂も聞いていた。兄二人を尊敬している。そして優しいが女好き、と。


(噂通りの方ね)


「初めまして、ユーリ様」


 笑みを浮かべながらジャンヌは心の中で毒づいた。顔立ちはクライドに多少似ているものの、中身は全く違う。


 ユーリの両脇には美女がはべっていた。見たことがない女性たちだから王宮から連れてきたのだろう。

 そして彼女たちがいるにも関わらず、ユーリは優雅にソファーにもたれたまま、興味深そうな目でジャンヌの全身をじろじろと眺め回した。


「えーっと、ジャンヌ……だっけ? 魔術師でしょう。王宮で見かけたことがあるよ」

「本当でしょうか?」

「ああ。美人は一度見たら忘れないからね」

「――光栄です」

「それで? 何か用? 厩舎へ行って様子を見てこいと国王陛下から言われているんだよね。ちょうどよかった。案内してよ」


 どうやら自分で異変に気づいたわけではないようだ。それに今、クライドが偽の結界を張っているがそれに気づいた様子もない。

 よかった、と心の中で息を吐く。では後は足止めをするだけだ。

 ジャンヌはとっておきの笑みを浮かべた。


「その前に、実はユーリ様にお教えしたい、とっておきのことがございまして参りました」

「後でいいよ。とりあえず厩舎に行かないと」


 腰を上げたユーリに笑顔で言い募る。


「ユーリ様が体験したことのない女体について、お教えしたいと思うのですが」

「体験したことのない?」


 ユーリの目が少し輝いた。美女たちが顔をしかめる。


「ふーん。それはジャンヌは教えてくれるのかな?」

「はい。私が手取り足取り、それに見本もお見せしましてご教授したいと思っております」

「へえ」

「それに、これはクライド様もお気に召したものでございます」

「クライド兄さんが?」


 ユーリが目を見張った。そしてものすごく興味深そうに笑った。


「そうか。ぜひお願いするよ」


 あの群がる女性たちを笑顔でかわすクライドが気に入ったなんて、ぜひ見てみたい。顔がそう告げている。ジャンヌは内心ほくそ笑んで一礼した。


「では準備してまいります。ここで少しだけお待ちください」


 ゆっくりと応接室を出て、勢いよく廊下を走った。ワインセラーの隣の物置用の小部屋へ入り、用意してあったものを手に取った。六日前にこの作戦を聞いてこんなこともあろうかと王宮の友人に届けてもらったものだ。

 それをそっとローブの胸元に押し込み、両手で胸元を押さえて応接室へ戻った。


 ワクワクした顔のユーリの両脇で、美女たちがむくれている。


「お待たせいたしました」


 ジャンヌは息を整えてユーリを見つめた。着ていたローブの胸元のボタンをゆっくりと外し始める。

 そして――。


「どうぞ存分に堪能してください、ユーリ様。このしなやかな腕に、なだらかに腰へと流れるライン。適度に筋肉のついた綺麗な足」

「ジャンヌ……」

「それにこのなめらかなお腹に、美麗な顔立ち。つぶらな瞳に小さく形のいい鼻」

「ねえ、ジャンヌ……」

「この思わず頬をすりつけたくなるような長い耳に、可愛らしいひげ! 全身に生えたモフモフの毛を!!」

「ジャンヌ!」


 顔をしかめたユーリにさえぎられて、ジャンヌは片眉を上げた。


「なんでしょう?」

「僕はクライド兄さんが気に入っていて、なおかつ僕の体験したことのない女体を見せてくれると言うから、こうしておとなしく座っているんだけど」

「ええ。クライド様がお気に召して、なおかつユーリ様が体験したことのない女体をお見せしておりますが」


 二人の間にあるテーブルでは茶色い毛のウサギが腹を出していた。

 ジャンヌがローブのボタンを外して中から取り出したもの。そう、ウサギである。王宮で魔術師仲間が飼っているもので、昨日の昼間に届けてもらったのだ。


「これほど美しく可愛らしいものは他にありませんから」


 真剣な顔で言うと、ユーリが眉根を寄せた。


「まあ確かに可愛いけどさ、クライド兄さんは特に動物好きではなかったよ」

「昔はそうでも今は違います。クライド様もウサギの可愛さについに目覚めたご様子です」

「本当に?」


 探るような視線をはっきりと見返し、「はい」ときっぱりと頷く。

 間違ったことは言っていない。確かにジャンヌが愛おしいと思うウサギと、クライドが愛おしいと思うウサギとには若干の違いはあるけれど、それでも両方「ウサギ」に間違いないのだから。


 ジャンヌの態度から嘘ではないと悟ったようで、ユーリが呆然としている。


「クライド兄さんがウサギを? えっ、なんで……?」


 動揺してぶつぶつ呟くユーリに、ジャンヌはたたみかけた。


「ユーリ様はクライド様を尊敬なさっておいでなのでしょう? ではユーリ様もウサギのよさをわからなくてはなりません。さあ、もっと身を乗り出して親身になって聞いてください。ウサギの可愛さを、もっともっとお教えいたします!」

「――わかった。聞くよ」


 若干疑わしそうにはしているものの、一応納得したようだ。ユーリが真剣な表情で身を乗り出した。

 嬉々として語り出すジャンヌの前で、茶色いウサギが腹を出したまま眠り始めた。


 * * *


「こんにちは、ジョッシュ様」


 ギャラリールームの入口で、ハンクは笑みを浮かべて挨拶した。

 フェルナンが言っていた応接室にはユーリの姿しかなかったので、急いで他を探した。けれど兵士が部屋の入口を固めていたのですぐにわかった。絵画や彫刻などの芸術品が飾ってある部屋である。


「あっ、クライド兄さまのところにいる魔術師だ!」


 末っ子のジョッシュは年が離れているため、まだ十一歳を過ぎたばかりだ。

 金髪に緑色の目。四兄弟全てがそうだ。何十代も隔てているだろうに、魔力量といい勇者の血はそこまで濃いというべきか。


 ジョッシュは無邪気な笑みを浮かべて、ハンクの許に走ってきた。

 それにしても、なぜギャラリールームにいるのか。


 早くに両親を亡くし、年の離れた兄たちに可愛がられ甘やかされた末っ子のジョッシュは、天真爛漫で年齢より子供っぽいと聞いている。とても芸術に興味があるようには思えないが。


(でもまあ、この子でよかったよな)


 ハンクは正直ホッとしていた。ユーリなんて男のハンクに興味も持たないだろうし、魔術師長の足止めなんて絶対にごめんだ。


(適当に遊んでやって時間を稼ごう)


 そう決めた。


(黒狼はもうフルト島へ着いたかな)


 余裕から物思いにふけっていると、突然脇腹に激痛が走った。


「痛っ!!」


 思わず大声を上げていた。見ると、土を固めて作った馬を持ったジョッシュが無邪気に微笑んでいる。


(その馬は確かあそこに飾ってあった――)


 台の上は空っぽである。芸術作品である馬の彫刻で、ジョッシュが遊んでいるのだとわかった。その途中で馬がハンクの脇腹に追突したのだと。


「魔術師のお兄ちゃん、遊ぼう。お兄ちゃんの馬はこれね」


 そう言って渡されたのは、またもや飾ってあった木の彫刻である。しかも明らかに馬ではない。


「クライド兄さまが前に言っていたんだ。サージェント家に遊びにきたら、ここにいる男魔術師が好きなだけ遊んでくれるよって。その時は好きなもので遊んでいいって。だから僕、すごく楽しみにしていたんだよ」


(なんだと!?)


 一瞬驚いたものの、すぐに納得した。


(言いそう。クライド様、すげー言ってそう)


 しかも楽しそうに笑いながら、だ。

 ジョッシュが微笑む。


「馬で戦いごっこしよう」

「わかりました。やりましょう」


 まあいい。このまま適当に遊んでやっていれば、その間に黒狼をフルト島へ送る時間が稼げる。


「いくよー!」


 芸術品の馬を持ったジョッシュが、笑顔で突っ込んでくる。クライドに一番顔立ちが似ている。笑った顔はまるで天使のようだ。


 ハンクは馬と言って渡された、とても馬には見えないが何かと言われればわからない、でこぼことした作品を持って構えた。――といっても心のこもった誰かの芸術作品である。衝撃で壊れないように魔法で硬化しておいた。


 そうだ。ジョッシュの持つ馬も割れたりしないように硬化魔法をかけておこう。

 そう思った瞬間、目の前でその馬がみるみるうちに大きくなった。元の五倍の大きさはあるだろう。唖然とした。


 しかも魔法をかける前に、すでにハンクのより上等な硬化魔法がかかっていることにも気がついた。


(そうだ。この子、子供だけど直系王族だった……)


 やばい。とても避けられない。

 冷や汗が流れた瞬間、不意に踏み込んだ右足が滑った。ハウスメイドが艶を出す油を床に塗ったばかりだからである。上体が倒れ、そのおかげでハンクは大きな馬を回避できた。


(助かった……!)


「すごいよ、魔術師のお兄ちゃん! これを避けた人は初めてだよ」


 ジョッシュの心底嬉しそうな声が響く。被害者はすでにいるようだ。

 大きく息を吐いて体勢を整える。


 目の前ではばかでかい馬を宙に浮かせたジョッシュが、子どもらしいキラキラした目でハンクを見つめている。

 楽しいのだろう。王族相手に、誰もそんな危険な相手を全力でしてはくれないから。


(――よーし)


 ハンクは心が躍るのを感じた。元々こういった遊びは好きなのだ。


(一応、衝撃を殺す魔法をジョッシュ様にかけて)


 ハンクよりジョッシュの方が明らかに魔力量は高いけれど、王族でしかも子供に怪我はさせられない。

 ジョッシュはハンクの気遣いに気づいたようだ。そして本気で遊んでくれようとしていることも。


 ジョッシュの顔がこれ以上ないほど楽しそうに輝く。

 ハンクはローブの袖をまくり、呪文を唱えた。でこぼこした作品が大きくなる。


「いくよ、魔術師のお兄ちゃん!」

「おうよ!」


 二人は満面の笑顔で、芸術作品を全力でぶつけ合った。


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