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27 フルト島へ送ろう3

 速まる心臓の鼓動を抑えて足早に母屋へ向かう。母屋から厩舎までは一本道だから、もし魔術師長がこちらに向かっているとしたら途中で出会うはずだ。そう思っていたら、ちょうど母屋の裏口から出てきた魔術師長に出会った。


「魔術師長様、お待たせいたしました」


 フェルナンが深々と頭を下げる。

 ローブの上から金のストールをかけた魔術師長は、苦虫を噛みつぶしたような顔で頷いた。小柄で痩せており、神経質そうな人である。


「クライド様は――」

「こちらが、魔術師長様がお会いしたがっていたアシュリー様です」


 さっそく用件を満たそうとする魔術師長の言葉をさえぎり、フェルナンがにこやかな笑顔でアシュリーを紹介した。


「あっ、アシュリー・エル・ウォルレットにございます」


 ワンピースの裾を持ち上げてお辞儀する。いつもの裾がふんわりしたドレスではないため、持ち上げにくいが仕方ない。


「ああ、あなたが――」


 それっきり黙ったまま、まじまじと見つめられて落ち着かない気分になった。


「あの、何か?」

「ああ、失礼。女性に一切興味を示さなかったクライド様が選んだ相手なのだから、どういう女性かよく見てくるようにと、国王陛下からのお達しでして」

「……そうなんですか」


 まるで珍獣扱いのようである。

 魔術師長は言いつけどおりよく見ようとして一歩近づいた。その瞬間、目を見開いた。


「どういうことだ、例のモノが出す匂いがする! もしやあの厩舎の中へ入ったのですか!?」


 しまった、と青ざめた。瘴気の匂いだろう。すっかり慣れていたため気づかなかったが、着ているワンピースから匂ったのだろう。


(どうしよう!?)


「あの厩舎は直系王族と一部の王室関係者しか立ち入ってはならないところです。クライド様は何を考えて――!」

「魔術師長様」


 穏やかな声音で割って入ったのはフェルナンだ。


「勘違いなさらないでください。アシュリー様はあの厩舎へは近づいてはおりません」

「だが確かに例のモノの匂いが――!」

「失礼ながら、アシュリー様はクライド様の婚約者です」

「はっ?」


 脈絡のない言葉に魔術師長がぽかんとした。アシュリーもだ。

 フェルナンは笑顔のまま続けた。


「クライド様はアシュリー様に夢中でして。一時もお放しになりません。もちろんあの厩舎では別ですが、それ以外は四六時中アシュリー様を側においておいでです。ええ、それはもうこちらが目のやり場に困るほどに。その時にクライド様のローブから匂いがうつったのでしょう」

「そんな――」

「私ども使用人も、もうどこを見てよいものかわからないほどなのです。そうですよね、アシュリー様?」


 フェルナンに振られて動揺した。魔術師長のいぶかしげな視線が突き刺さる。


(なんて言えばいいの?)


 フェルナンは笑顔で誤魔化そうとしているのだ。だからアシュリーは頷くだけでいい。それはわかるけれど、アシュリーは嘘が苦手なのだ。幼い頃からどうあっても見破られる。

 今もそうだ。相手は魔術師長なのだ。一言も話さなくても態度や表情から嘘だと見破るかもしれない。


「そうなのですか、アシュリー様? 普段のクライド様を知っている者としましては、にわかに信じがたいのですが」


 普段の、人当たりはいいが他人に、特に女性には一歩引いて接するクライドなのに、と言っている。

 魔術師長が疑わし気な顔でこちらを見た。射貫くような目だ。

 アシュリーは必死に考えた。そして――真実を言うことにした。


「……はい。あの、クライド様は最近とても楽しそうです。それに私もここへきてから初めてのことばかりで、何と言いますか、とても刺激的な毎日です」


 おもに黒狼のことに関してだけれど。嘘はついていないのでまっすぐ魔術師長を見返せた。

 狼狽したように視線をそらしたのは魔術師長の方だ。


「――そうですか。とても仲がおよろしいようで、その、何よりです」


 それ以上に言いようがないのだろう。

 そこにフェルナンが口を挟んだ。


「それで、国王陛下からアシュリー様へのお祝いの言葉というのはどういったものなのでしょうか?」

「ああ、『このたびはおめでとう。いつでも王宮に遊びにきてくれ』と」

「非常にありがたいお言葉にございます。クライド様もきっとお喜びになると思います。アシュリー様もそう思いませんか?」


 またもフェルナンに振られて、アシュリーは大きく頷いた。


「はい。本当にありがたいお言葉です。ありがとうございます」


 魔術師長が頷く。


「それでは私はこれで。それと一緒に、ついでに厩舎の様子を見てこいとの、陛下からのお言いつけですので」


(やっぱり!)


 黒狼のことを気づかれているのか。でもどうして?

 焦るアシュリーに、魔術師長が思い出したと言うように足を止めて、再び疑わしげな口調で問う。


「先ほどハンクとジャンヌに会いましたが、私に軽く一礼するだけで目も合わせないのです。これはどういうことなのでしょう? そのこともぜひ厩舎でクライド様にお聞きしたい」 


 どうやら国王に言われて異変には気付いているようだが、詳しいことまでは知らないようだ。

 魔術師長なのだから厩舎の結界を破れるのだろう。絶対に行かせてはならない。


(でも、どうやって?)


 勢い込んで厩舎へ向かおうとする魔術師を、フェルナンが「お待ちください」と急いで呼び止めた。

 魔術師長が振り返り、顔をしかめた。


「なんだ? 邪魔をしないでもらいたい」

「いえ、魔術師長様の邪魔などするつもりはございません。ですがその、なんといいますか」

「フェルナン。私も詳しくは知らないが、今厩舎で例のモノについて何か起きているのだろう? ハンクとジャンヌもそれに関わっている。クライド様の命令とはわかるが、彼らは魔術師長である私の部下なのだ。私は厩舎を調べる必要がある。足止めは無用だ」


 鼻で笑う魔術師長に、フェルナンは笑みを浮かべたまま、けれど顔を曇らせた。そして苦悩するような口調で言葉を絞りだした。


「実は、このことはクライド様には内緒なのです。魔術師長様には申し上げた方がいいかどうか、ずっと悩んでいたのですが」

「何かな?」

「実は、ハンク様とジャンヌ様に関してのことなのです」

「そうか。だが今は忙しいから後で聞こう」

「クライド様には口止めされているのです。クライド様は『自分が直接兄上に報告するから魔術師長には黙っていろ』と」


 魔術師長の顔から笑みが消えた。


「――どういう話だ?」

「ですが今はお忙しいようですので。また後にします。といってもクライド様はこれから王妃様の誕生日パーティーのため王宮に向かわれるので、自動的に国王陛下にお会いすることに――」

「なんだ。早く言え」


 魔術師長が詰め寄る。フェルナンは真剣な顔で首を横に振った。


「ここでは申せません。私も先代の頃からサージェント家にお仕えしております。主人を裏切るのは非常に心が痛むのです。ですが昔から魔術師長様のことも知っておりますし、このまま黙って魔術師長様の座が危うくなるやもしれぬことを見ているのは気が引けて――」

「なんなんだ。早く言え」

「場所を変えましょう。ここでは絶対に申し上げられません」

「――わかった」


 真剣な顔のフェルナンに、ちょっと青ざめた顔の魔術長がついていく。


(……どこまで本当の話なの?)


 最初はフェルナンが時間稼ぎのための嘘だと思っていたが、あまりの緊迫さにどこまでが嘘でどこからが本当の事なのかわからなくなってきた。


(もしや全部本当なの?)


 混乱するアシュリーに、フェルナンがちらりと振り返った。そしてかすかに、いつもの穏やかな笑みで微笑んでみせた。


(全部嘘だわ!)


 驚愕である。全て演技なのか。魔術師長はすっかり信じ込んでいるではないか。


(さすがクライド様の信頼する執事だわ)


 さすが王家から魔獣を預かる家である。使用人もただものではない。

 ひたすら感心して、アシュリーは二人の後ろ姿を見送った。


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