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24 落ち着くところ

 その夜、アシュリーはいつものように寝室のベッドの上で丸くなり、毛布にくるまった。


(ああ、落ち着くわ)


 薄暗い部屋で、頭からお尻まですっぽりと毛布にくるまるのは至福以外の何ものでもない。母や妹には呆れられたけれど、これ以上の幸せなんてない。

 幸福にまどろんでいると、断続的な乾いた小さな音がした。そして、


「アシュリー様? いらっしゃいませんか?」


 ロザリーの声だ。アシュリーは反射的に毛布から這い出た。

 衣服やタオルを抱えたロザリーが、ドアの前で目を丸くした。洗濯してアイロンをかけ終えた衣服などを持ってきてくれたのだろう。


「まあ、いらっしゃったんですね。申し訳ありません。何度もノックしたのですがお返事がなく、ドアが少し開いておりましたので、洗濯物だけ置いていこうと思ったんです」


 申し訳なさそうに頭を下げるロザリーに、アシュリーもまた恐縮してベッドの上で首をすくめた。

 かすかに聞こえた断続的な音はノックの音だったのか。頭まで毛布にくるまっていたので気づかなかった。


「こっちこそごめんなさい。ちょっと、その、休憩をしていたのもので――」


 薄暗くて狭くて静かな最高の場所を堪能していた、とは言いにくい。語尾があやふやになるアシュリーに、ロザリーが落ち着いた笑みを返した。


「わかっております。アシュリー様はこういった場所がお好きですものね」


(ばれているわ)


 実家のウォルレット家ならいざ知らず、ここのサージェント家のメイドにまですでに生態がばれている。なぜなのか、とアシュリーは遠くを見た。

 ロザリーは手にした衣類を作り付けのクローゼットに手早く仕舞った。そして笑みを浮かべた。


「それでは失礼いたします。ゆっくりお休みになってください」

「まだ! まだ寝ません。ちょっと休憩をしていただけなんです……!」


 こんな時間に眠るのは幼児くらいである。ごろごろするのは大好きだけれど、いつもごろごろしていると思われたら困る。動いている時だって多分にあるのだ。ベッドの上から必死に訴えると、


「はい。ちゃんとわかっておりますよ」


 ロザリーがドアの前で振り返り微笑んだ。そして、


「最近厩舎にこもりっきりで疲れておいででしょうから、どうぞ体を休めてください」


(なるほど。そうよね)


 ごろごろする大義名分を手に入れたアシュリーは、ロザリーが出て行くのを見ながら、再び毛布にくるまった。


(やっぱり最高だわ)


 ぬくぬくとまどろんでいると、すぐにまたノックの音がした。

 ロザリーだろう。先ほど置きにきた洗濯物の追加分だろうか。けれど大義名分があるアシュリーは気楽に、


「どうぞー」


 と毛布の中から、くぐもった声を上げた。

 ドアが開く音がして、絨毯を踏むかすかな足音が聞こえる。てっきりクローゼットに向かうかと思ったら、突然顔の前の毛布がめくられた。


「何してるの?」


 驚いて固まるアシュリーの視界にクライドの端整な顔が映る。緑色の目が優しい色を帯びているものの、明らかに口調が笑っている。


「……何もしていません」


 ロザリーではなかった。自分のうかつさを悔やみつつクライドに聞く。


「なんでしょうか?」

「これを頼まれたから」


 クライドが右手で毛布の端をつかんだまま、左手に持っていたハンカチを見せた。レースの縁取りがついていて、小さくライラックの花の刺繍がされている。アシュリーのものだ。


「さっき廊下でロザリーとすれ違ってね。これをアシュリーに渡し忘れたと言っていたから、じゃあ俺が代わりに行くよと言って持ってきたんだ」


 ロザリーはアシュリーとクライドが仲良くすることを願っている。婚約者なのだから当然だろう。だから喜んで渡したのだ。

 そしてさらに、アシュリーが幸せそうに毛布にくるまっていると笑顔で教えたのだと見当がついた。


 納得できない気持ちはあるけれど、わざわざハンカチを届けにきてくれたのだ。渋々お礼を言う。


「……ありがとうございます」

「どういたしまして」


 そこでアシュリーは隙を見て素早く行動した。すなわち、めくられた毛布を引き下げにかかったのである。サッと手を伸ばし、力を込めて毛布の端を引っ張った。


 ところが毛布はちっとも動かない。クライドが阻止しているからである。


「……放してもらえませんか?」


 がっちりと掴んだ毛布の端っこを。クライドはそれには答えず、


「こんな薄暗いところで何をしているの?」

「ですから何もしていません」

「そう? なんだか巣穴みたいだね。さすがは前世の黒ウサギだ」

「……どうも」

「こういう薄暗くて狭くて静かなところで、ごろごろするのが好きなんだ?」

「……別に好きなわけではありません」

「本当に?」


 楽しそうなクライドに、


(からかわれているだけだわ)


 そう悟ったアシュリーは顔をしかめた。そして静かに息を吸い込み、思いきり毛布の端を引き下げた。

 今度はクライドの隙をついたつもりだ。それなのに毛布は動かない。


 眉根を寄せて毛布の中から見上げると、興味深そうに笑っているクライドと目が合った。


「放してくださ――」


 抗議した瞬間、毛布がするりと下がり、アシュリーの前に元のように覆いかぶさった。クライドが手を放したのだ、と薄闇に包まれた視界の中でわかった。


 やった、と喜んだものの、クライドが寝室を出て行ったのかどうか確かめるすべがなくなったことも事実である。


(――もう出て行ったはずよ。これで元通り落ち着く場所に戻ったんだからいいじゃない)


 毛布の中で丸まって自分に言い聞かせた。シェルターのごとく毛布の四隅をつかんで体の下にしまう。一応じっと耳を澄ますも、何の物音もしない。


(出て行ったのよね?)


 そんなことを考えながら再び目を閉じた。

 ――が。


(眠れない)


 いや、眠る気はなく、ただまどろみたいだけなのだが、クライドのことが気になって落ち着かない。集中して再び耳を澄ますが、やはり物音は一切聞こえない。


(でもわからないわよね)


 そんなことを考えると、だんだんと不安になってきた。


(これじゃあクライド様の思うツボじゃないの!)


 絶対にからかわれているだけだ。

 ついに我慢できなくて、アシュリーは先ほどクライドがめくったところとは違う場所を、ほんの少しだけ指で上げてみた。そこから覗くと、薄暗い室内が、そしてベッドの横に置いてある椅子の脚が見えた。そしてそこに座る二本の人間の足も。


(やっぱり、まだいる)


 思ったとおりである。勝った気がしてちょっと嬉しくなった。何に勝ったのかはよくわからないけれど。


 見つからないように、そろそろと細心の注意を払って、さらに少しだけ毛布を引き上げた。椅子に足を組んで腰かけるクライドの胸元まで見えた。


(目が合ったら大変だわ)


 警戒心いっぱいにゆっくりと毛布を引き下げようとした時、ちょうどクライドが膝の上で頬杖をつくために少し上体を落とした。そのため、少しだけ開いた毛布の端からちらりとクライドの顔が見えた。


(……えっ?)


 てっきり面白そうに笑っているのかと思いきや、違った。

 ドアは開いているが廊下は暗い。そして室内の明かりもついていない。唯一の光源と言えばベッドの向こうにある窓の外の月明かりだけだ。だからアシュリーから、クライドの表情が見える。


 けれどクライドからは、毛布をめくった部分から覗くアシュリーの両目は、逆光になっていて見えないだろう。

 だからアシュリーが自分を見ていると思っていないクライドは、素の顔をしていた。


 頬杖をついて山になった毛布を見つめる端整な顔には、幸せそうな笑みが浮かんでいた。

 これ以上ないほどリラックスした、愛おしそうな笑みが。


(……どうして?)


 いつものアシュリーの反応に面白そうに笑っている顔とも、綺麗な優しい笑みとも違う。


 この前レイター伯から白ウサギを預かった時に、そっと覗き見たクライドの表情を思い出した。

 なぜだか胸が詰まる。込み上げてくる感情がアシュリーを落ち着かなくさせた。


 唇を噛んで、そっと毛布の中に戻った。暗闇の中で息をこらしながら、早鐘を打つ心臓が治まるのを待つ。


(勇者の子孫なのに……)


 理解できない自分の感情を持て余しながら、アシュリーは毛布の中でギュっと目を閉じた。


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