23 前世
アシュリーは覚えていた。その場所は魔国の西の端にあった島、今はトルファ国の領土であるフルト島だ。
仲間の黒ウサギたちと、ご飯の芽キャベツを背負って観光に出かけた覚えがある。当時は有名な観光地だったのだ。
クライドたちは状況が呑み込めないようで、唖然としたまま一言も発しない。
そんな中、低い重低音がした。
黒狼である。目を大きく見開いて唸り声を上げている。
『――そうだ。その島だ。西の崖のくぼみ。大きな岩がある。そこだ。思い出した……!』
その言葉に、クライドたちはまさに驚愕の表情で、身じろぎすらせずアシュリーを見つめる。
黒狼が詰め寄ってきた。
『お前、なぜそんなことを知っている!? 人間の匂いしかしないが、もしかして魔族なのか?』
クライドたちが一様にギョッとした。当然である。
アシュリーは黒狼を、そしてクライドたちをゆっくりと見回した。あんな顔をさせたくないからばれても仕方ないと決意したのだ。
揺れる心を抑え、体の脇で両手をギュっと握りしめて口を開いた。
「違います。ちゃんと人間です。でもあの……」
『なんだ?』
「――前世が魔族なんです」
「……前世?」と、クライドが唖然と聞き返す。
「はい。だから瘴気の匂いもわかりましたし、黒狼様についても知っていました」
というか憧れていたのだし。
「前世が魔族……?」
「人間に生まれ変わったということ? そんなことあるの……?」
ハンクとジャンヌが呆然と顔を見合わせている。
一気に言い切ったアシュリーは、恐る恐るクライドたちを見た。心は不安でいっぱいである。本当のことだけれど、どう思われるかわからない。
けれどクライドと目が合った瞬間、クライドが突然フッと笑った。それから、おかしくてたまらないと言うように笑い出した。なぜだ。
クライドは楽しそうに笑いながら、
「わかった。それでウサギっぽいんだ。ひょっとして前世は魔族のウサギだったとか?」
「黒ウサギです」
よくわかるな、と驚いた。
それでも長いふんわりとした黒髪に包まれて、不安げな顔でかすかに首を傾げているアシュリーを見て、クライドがさらに笑いを深めた。
(……どうなってるの?)
拍子抜けというか唖然としてしまう。驚かれたり恐れられたりするかもとは予想していたけれど、まさか面白そうに笑われるなんて思ってもいなかった。
納得できない顔をするアシュリーに、クライドが笑いながら続ける。
「そうか。前世だなんて考えもしなかった。実はアシュリーの先祖が魔族と関わりがあってその記述が残されているんじゃないかと思って、ウォルレット家に使いを出していたんだ。でもそんなものはなかったし、ご家族も何も知らないと伝えられて、どういうことかと不思議だったんだよ。ああ、なるほどね」
クライドはアシュリーが魔族でないとわかったからか、それとも黒狼や瘴気について知っていた理由がわかったから、どちらにしろ安心したようで、めずらしく次々と言葉を紡ぐ。
そしてアシュリーはといえば驚愕していた。知らないうちにそんなことをしていたのか。やはり油断のならない人だ。
警戒するアシュリーに、クライドが思いついたように目を見張った。
「そうか。だから俺を恐がっていたんだ? 俺が勇者の子孫だから?」
「……まあ、そうですね」
ずばりと言い当てられてうろたえた。
「それで『俺に慣れようと努力する』なんだ。ようやくわかったよ」
(どうして? あれは友達の話として伝えたはずなのに)
まさかばれているなんて思ってもいなかった。目が泳ぐアシュリーに、クライドが微笑んだ。
「言葉どおり慣れてくれたんだ」
「えっ?」
「ちょっといい?」
何を、と聞き返すより早くクライドに抱きしめられていた。
途端にアシュリーの全身がこわばる。けれどそれは突然で驚いたからであって、恐いといった感情も寒気も何も感じない。ただ戸惑っただけだ。
(……知らなかった。私、いつの間にかクライド様に慣れていたんだわ)
自分の腕の中で動揺してかすかに震えてはいるが、おとなしくしているアシュリーを、クライドが心のまま強く抱きしめる。そしてやわらかい髪に顔をうずめて、嬉しそうに笑った。
「アシュリーのおかげで希望が見えたよ」
先程までとはまるで違い、喜びにあふれた声が頭の上から聞こえた。
呆然としていた黒狼も我に返ったように顔をクシャクシャにして、感極まったようにつぶやいた。
『ああ。魔王様がお生まれになった場所がわかった……』
クライドが笑って応える。
「そうだ。魔王の魂のところへいけるよ。こんな勇者の子孫が作った箱庭なんかで命を終えるのではなく、望み通りの場所へ」
黒狼がうつむいた。そっと目を閉じ、そこから大粒の涙がこぼれ出る。
そんな黒狼の姿にアシュリーは胸がいっぱいになった。よかった。どうして前世の記憶なんてあるのかと思った時もあったけど、こうして役に立てた。
ハンクとジャンヌが手を取り合って喜んでいる。その前でクライドが不敵な笑みを浮かべて言った。
「俺と黒狼の魔力を合わせて、そのフルト島に魔法陣で黒狼を送るよ。ただそんなことをしたら王家が黙っちゃいない。途中でこの計画が露呈したら、黒狼は連れて行かれてすぐに殺されてしまうだろう。だから秘密裏に行わないといけない」
「はい」
転移魔法は時間がかかるのだ。ここから遠く離れたフルト島へ、しかも魔獣を送るのだから、およそ半日ほどか。
「そのために当日は、目くらましとしての偽の結界をこの厩舎に張る。黒狼の気配や瘴気が消えたことを気づかせないようにするためのものだ。ジャンヌにハンク、一緒に頼むぞ」
「わかりました」
二人が真剣な顔で頷いた。
アシュリーは不思議に思った。厩舎には普段から黒狼の魔力や瘴気が外に漏れないように、結界を張ってあるのではないのか。それでもばれてしまうのか。
その疑問がわかったのか、クライドが答える。
「もちろんそうだし、偽の結界で王宮にいる魔術師たちや魔力を持つ王室関係者くらいならごまかせると思う。ただ直系王族――俺の兄弟たちだけは難しいかもしれない。魔力の質が違うから」
(そうなんだ)
さすが勇者の血を引く者たちである。末恐ろしい。
(クライド様の兄弟って、確か兄が一人と弟が二人だと言っていたわよね?)
このサージェント家へくる前の会話を思い出した。兄とはもちろんこのトルファの国王である。
「黒狼の体調を考えても実行は早い方がいい。ちょうど六日後に義姉上――王妃の誕生日祝いが王宮で開かれる。国内の主要貴族たちも招待されている大々的なものだ。もちろん兄上も弟たちも出席する。決行はその日にしよう。俺も予定通り参加すると告げておく。それなら兄弟たちの気がそれるし、何かしらの異常を察知したとしても、すぐには会場を抜け出せない」
「わかりました」
「黒狼がいなくなったことはいずれ知られる。だが全てが終わってからなら、なんとでもごまかせるしごまかす。だからその決行時間の間だけ邪魔されなければいい」
ハンクとジャンヌが頷き、アシュリーも大きく頷いた。
『皆、感謝する。よろしく頼む』
黙って話を聞いていた黒狼が感極まったように頭を下げた。
「そんな、黒狼様。頭を上げてください……!」
うろたえるアシュリーに、黒狼が穏やかな目を向けた。
『お前は黒ウサギだったのか。といっても覚えていないのだが。すまない』
「いえ! もちろんです」
何せ草を食べるだけの下っ端魔族だったのだから。
『お前のおかげだ。礼を言う』
「そんな……」
胸が詰まる。どうしよう。泣きそうだ。まさか憧れの黒狼からお礼を言われるなんて思ってもいなかった。
涙をこらえて黒狼に抱きつくアシュリーを、クライドが優しい目で見つめた。




