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22 その場所は

 アシュリーは、ジャンヌとハンクと一緒に姿見を抱えて厩舎へ戻っていた。


(これで黒狼様が目覚めてくれるといいけど)


 祈りながら足早に奥庭を抜ける。するとジャンヌが、


「あら、アシュリー様。何かついていますよ」


 腰を落とし、アシュリーのワンピースのスカートの裾についていたものをつまんだ。白い毛だ。今朝までレイター伯から預かった白ウサギのものだろう。

 その時に着ていたドレスは着替えたはずだが、一本だけくっついてきたのかもしれない。


「ああ、それは――」


 と笑顔で言いかけて、口をつぐんだ。


(そういえばクライド様がジャンヌさんには白ウサギのことを教えないでくれ、と言っていたわよね)


 返してもらえなくなるかも、と言っていた。でももう白ウサギは帰っていったし、どうしよう。言うべきか言わないべきか迷っていると、指でつまんだ白い毛を穴の開くほど見つめていたジャンヌの顔色が変わった。


「これは……もしやウサギの毛ではありませんか!?」


(わかるの!?)


 毛一本で判別がつくとは驚愕である。ジャンヌが目を見開いて迫ってきた。


「どうして! どうしてウサギの毛がアシュリー様の衣服についてるんですか!?」

「えっと……実は昨夜、クライド様の知り合いの方が飼っている白ウサギを一晩預かって欲しいと――」

「預かったんですか!?」

「……はい」


 ジャンヌの顔が驚愕に歪む。そして、


「どうして! どうして教えてくれなかったんですか!? ああ、ウサギ! 白ウサギがすぐ近くにいたのに――!!」


 頭を抱えて悶えている。ちょっと恐い。けれどこれほどジャンヌのウサギ愛が強かったなんて知らなかった。嬉しくなりながらも、常軌を逸したジャンヌの様子にアシュリーは焦った。


「あ、あの、ごめんなさい。今度こういうことがあったら、ちゃんと教えますから」

「そうしてください。絶対に。なにがなんでも」

「……すみません。その、今朝には飼い主の方に返さないといけなかったので、クライド様がジャンヌさんに言うと返さなくなりそうだからって」

「そりゃ、そうです」

「えっ?」


 真顔で言われて、アシュリーはぽかんとした。ジャンヌはまばたきもせず続けた。


「返しませんよ。私のウサギにします。だって可愛い可愛いウサギですから」


 アシュリーは混乱した。どうしよう。「だって」の後に続く言葉の意味がわからない。けれどジャンヌがごく真剣に言っていることはわかる。


(クライド様は正しかったのかもしれないわ)


 今度もし同じようなことがあっても、やっぱりジャンヌには言わないでおいた方がいい。

 白いウサギの毛を大事そうにローブの内ポケットにしまうジャンヌを見て、アシュリーは思った。


 姿見を重そうに抱えたハンクを手伝いながら、厩舎の奥の緑色の扉を開けて中に入る。その瞬間、


「嘘……」


 目の前の光景が信じられない。黒狼が起きているではないか。痩せ衰えてはいるものの、しっかりと四本の足で立ち、そしてこちらを漆黒の目で見ている。

 アシュリーもジャンヌもハンクもその場に立ち尽くしたままだ。あまりの驚きに声も出ない。それでも、


「クライド様!?」

「どうされたんですか!?」


 先に復活した魔術師たちが、黒狼の後ろで頭を抱えて座り込むクライドの許へ駆け寄った。そんなクライドの姿を見るのは初めてだ。どうしたのだと心配になった瞬間、


『なんでもない』


 と頭の中で黒狼の声がした。懐かしい声に胸がいっぱいになった。


「うわっ。なんだ、これ?」

「声が聞こえるわよ!」


 ハンクとジャンヌが驚愕の顔で叫ぶ。黒狼はしれっとした顔で続けた。


『考えていたことと結果が違った。それで落ち込んでいるだけだ』

(考えていたこととは――黒狼様を助けるということですか?)


 この話し方には前世で慣れているアシュリーは、緊張しながら心の中で聞いた。高等魔族とはこうやって話すのだ。自分は心の中で話し、相手は自分の頭の中に話しかけてくる。


 ――そのはずなのに。

 一心に見つめるアシュリーに、黒狼は首を傾げた。


『今、俺に何か言ったのか?』

(えっ?)

『どうした? 声に出さなくては聞こえない』


(ええ――っ?)


 どうやらアシュリーの勘違いだったようだ。恥ずかしい。憧れの黒狼を前にさっそくやらかしてしまうなんて。床が石ではなく土だったら穴を掘ってもぐっているところだ。


 黒狼がアシュリーたちを見回し、告げた。


『つまり俺が魔王様の魂の許へいくすべはないということだ』

「えっ?」


 ――黒狼と頭を抱えたクライドから、これまでのやり取りを聞いたハンクとジャンヌが顔を歪めた。


「そんな……」

「ここまできたのに……」


 泣きそうな顔で、床を叩いて悔しさとやるせなさをぶつけている。四年間を費やしてきたのだ。クライドの気持ちを考えても辛過ぎるだろう。


 けれどアシュリーは一人だけ違うことを考えていた。


(あれ? えっと、その場所って確か――)


『もういい。お前たちは充分やってくれた。魔族の俺なんかのために』

「そんなことないっすよ! 最後が駄目なら、今までのことが全部無駄になるじゃないですか……!」

「そうですよ! 最初はクライド様に頼まれたから渋々あなたを目覚めさせようと思っていたけど、四年間世話してきたのよ。愛着も湧くでしょう!」


(確かあそこよね? 島の崖沿いの――)


『世話になった。今まで生きながらえることができたのは、お前たちのおかげだ。それとそこのクライドとのな』

「こんなことあり得ないっすよ……」

「そうよ。絶対に助けてやるんだと思ってたのに……」


 クライドは言葉も上げない。黒狼が達観したように微笑んだ。


『実は眠っていたといっても意識はあった。途切れ途切れだがな。だから声は聞こえたし、光景もおぼろげながら脳裏に直接映っていた。俺の命は近いうち尽きるが、もう充分してもらったよ』


「あの、黒狼様――」


 恐る恐る話しかけると、その場にいる全員の視線がアシュリーに集中した。泣きそうな顔のハンクとジャンヌ、仕方ないと諦めた顔の黒狼、そして自分の力の無さに打ちのめされているクライド。


 アシュリーはこくんと唾を飲み込んだ。口にすれば追及される。きっと前世がばれるだろう。

 けれど黒狼もジャンヌもハンクも、そしてクライドにもこんな顔をしてほしくない。こんな顔は見たくない。

 唇を舐めて湿らせ、そして言った。


「あの、もしかして島だったりしませんか?」

『――島だと?』

「そうです。東の端にある小さな島です。今はフルト島と呼ばれていますが」

『フルト島……』

「そこの崖沿いだったりしませんか? 島の西側の、ちょっとくぼんだ場所」


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