18 預りもの
アシュリーが母屋へ戻ると、クライドに急なお客がきていると、ロザリーたちメイドから告げられた。
「残念ですわ、アシュリー様。せっかく旦那様とご一緒に食事ができると思いましたのに」
「でもあの厩舎で一日中ご一緒だったんですものね。夕食くらい別でも構いませんわよね」
「明日もご一緒にいらっしゃるんでしょう。僭越ながら、私たち、お二人が仲良くなられて本当に嬉しいんですよ」
「……そうですか?」
「もちろんです。旦那様は以前はお疲れの顔をしていることが多かったのですが、アシュリー様がいらしてからは笑顔が増えましたもの」
(胸が痛いわ)
これほど喜んでくれているのに。夕食を食べながらちょっと遠くを見た。
食べ終わり食堂を出たところで、クライドに応接室へ呼ばれた。
広い家族用の応接室は、南側に大きなアーチ型の窓がついていて、そこから前庭の美しい緑が広がる。大きなマホガニーのテーブルと、肘置きと脚に細かい金の装飾が入ったソファー。部屋の隅には、音楽室とは別にグランドピアノが置いてあり、演奏ができるようになっていた。
ソファーに向かい合って座る。中央のテーブルには、布張りされた大きな四角い箱が置いてあった。
「さっきまで友人のレイター伯がきていてね、これを明日の朝まで預かってほしいと頼まれたんだ」
クライドが笑顔で箱を示した。
(何か入ってるの?)
不思議に思い、少しだけ身を乗り出す。すると突然箱が左右に動いた。
「ひいいっ!」
突然のことに、令嬢にあるまじき奇声を上げてしまった。しまった、と慌ててクライドを見ると、うつむいて笑いを堪えていた。
「開けてみなよ」
そう言われ、アシュリーは恐る恐る箱に手をかけた。近くで見ると、箱の側面には無数の小さな穴が開いている。真鍮の留め金を外すと、中から白い物体が飛び出した。
「わっ!」
驚いて、両手で頭を抱えその場にしゃがみこむアシュリーと、同じくテーブルの下に隠れた白い物体の目が合う。
(これは――!)
毛玉のようなふわふわした丸い体に、つぶらな赤い目。警戒するように二本の長い耳がぴんと立ち、アシュリーをじっと見つめる。
ウサギだ。白ウサギ。
しばらくの間、双方とも身動きせず、じっと相手を観察していた。
アシュリーは笑顔で、そっと右手を出した。
「おいで」
優しく呼びかけると、警戒していた様子の白ウサギはゆっくりと首をひねった。そして不思議そうな顔でぴょんぴょんとアシュリーの許へ近寄ってきた。
アシュリーの手のひらを、鼻を動かして嗅いでいる。それからゆっくりと、その手のひらに前足をかけた。
「いい子ね」
アシュリーは両手で白ウサギを抱き上げた。ふわふわと柔らかい頭にそっと顔をうずめると、白ウサギがぴくんと反応する。それでも逃げることなくおとなしくしている。
どうやら仲間でもないが敵でもないと認識されたようだ。ウサギではないが人間でもない、といったところか。いや、アシュリーはれっきとした人間だけれど。
(知らなかった。ウサギってこんなに柔らかいんだ)
ちょっと驚いた。前世は自分がウサギだったのでよくわからない。黒ウサギ同士、寒い時には体をすりつけたりもしたけれど、ウサギ同士なのでよくわからなかったのだ。それでも、
(わあ、仲間だわ)
満面の笑みで白ウサギを抱くアシュリーを、クライドが微笑んで見つめる。
「レイター伯が飼っているウサギだそうだ。義理の父から夜釣りに誘われて、馬車で一緒にツルーガ領に向かっていたが、急に狩りにしようと言われたらしい。レイター伯は結婚した時から義父には逆らえないんだ。それで近くにうちがあることを思い出し、急遽預かってもらいにやってきた、というわけだ」
「そうなんですか」
腕の中でふるふると震える白ウサギの背中をそっとなでる。
「アシュリー」と呼ばれて顔を上げると、途端にクライドが噴き出した。
「……なんですか?」
人を見ていきなり笑うなんて失礼じゃないか。
かつての仲間が腕の中にいると思うと気が大きくなったのか、それとも明らかに面白がられているとわかったからか、不思議といつものように恐いと思わなかった。
「悪い。なんだか似ているから」
意味がわからず、抱えた白ウサギを見下ろした。ちょうど同じタイミングで、白ウサギもアシュリーを見上げていた。おそらく同じような、きょとんとした表情をしていたのだろう。
クライドが堪えきれないというように笑い出した。
「……私はウサギではないんですが」
令嬢である。ひいては人間だ。
「レイター伯の奥方の名前はなんだと思う?」
不意に聞かれた。けれど知るわけがない。困惑して首を傾げた。
その少し前に、白ウサギが首を横に曲げて足で頭を掻いていたようだ。同じ方向に首を向けたのがツボにはまったらしく、クライドは笑い続けている。
これほど笑われると、なんだかモヤモヤしてくる。しかも先ほどの質問も明らかにわざとだ。
(もしかして私、からかわれているの?)
ふとそんな疑問が浮かんだ。しかしクライドはアシュリーの前世なんて知るはずがない。
(うーん)
わからない。それでもこれほど目の前で楽しそうに笑われると、なんだか釈然としない。
「明日の朝まで、私が寝室で預かります」
と言って、さっさと応接室を出ようとした。
後ろからクライドの声が追いかけてきた。
「よろしく頼むよ。それとジャンヌには決して見せないでくれ。明日の朝には返さないといけないから」
「――わかりました」
(やっぱりジャンヌさんはウサギ好きってことよね?)
ドアに向かいながら考えた。
見せたら返してもらえない、という意味だろう。合っているかクライドに確認しようとして迷った。応接室を出てドアを後ろ手に閉めながら逡巡する。どうしよう。いや、でもやはり知りたい。
ドアの少しだけ開いた隙間から、そっと中を覗いた。
するとクライドが微笑みながら、アシュリーが座っていたソファーを見つめていた。愛おしいものを見るような幸せそうな笑みを浮かべている。
その表情の意味がわからず困惑し、アシュリーはその場からそっと立ち去った。
二階の寝室に着いた途端、白ウサギが部屋中をジャンプし出した。慌てて追いかけているうちに、先ほどのことが頭から消え去る。
アシュリーは白ウサギを捕まえると、急いで寝床を準備した。ベッドの側の床に大きなクッションとタオルを重ねる。
古いタオルももらってきてトイレを作り、陶器の器に新鮮な水も用意した。必要なものがわかるのはいいことだ。
白ウサギは了解していたようだ。すぐにその上で丸くなった。
姿形は違えど、前世が同じウサギ仲間だということを、動物の本能で感じ取っているのかもしれない。安心して丸まる白いふわふわを、アシュリーは笑顔で見つめた。
明日の朝にはお別れなのだ。少し寂しい気もするけれど、白ウサギは丸々としているし毛並みも綺麗だ。きっと飼い主に大事にされているのだろう。
「おやすみなさい」
そっと声をかけてアシュリーもベッドにもぐった。
翌朝、白ウサギを抱えて一階の客用応接室へ向かうと、すでにレイター伯がきていた。
「ああ、待っていたよ! いい子にしていたかい?」
立派なひげを生やした大柄なレイター伯が、満面の笑みで白ウサギを抱きかかえる。白ウサギはちょっと迷惑そうに顔をそむけたが、それでも逃げることはしない。
笑顔で見つめるアシュリーにクライドが聞いた。
「昨夜はちゃんと眠れたか?」
「はい。その白ウサギもぐっすりと眠っていましたよ」
アシュリーが答えると、レイター伯が破顔した。
「そうか。急遽預けなくてはいけなくなってとても心配していたけど、ここに預けてよかった。本当にありがとう」
「いえ。じゃあね、白ウサギさん」
太い腕の中にいる白ウサギに、アシュリーは笑顔で別れを告げた。
「じゃあ行くよ。感謝する」
白ウサギを連れて玄関に向かうレイター伯を、クライドは見送った。アシュリーは応接室の入口で手を振っている。
廊下を二人で歩きながら、レイター伯がクライドに言った。
「突然悪かったな」
「いや」
「お前もウサギを飼えばいいのに。ウサギは可愛いぞ」
満面の笑みを浮かべるレイター伯に、クライドは微笑んで言った。
「ああ。よく知ってるよ」




