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17 ご飯をあげてみよう

 野菜を台所へ運ぶ。

 ハウスメイド長のロザリーと同じく、白い丸襟がついたサージ生地の黒いワンピースに白のエプロンをつけた、キッチンメイド長が驚いた顔をした。


「あら、クライド様にアシュリー様。それに魔術師の方々も。どうされました?」

「悪いが、この野菜を調理してもらいたんだ。メニューは任せるよ。なるべく匂いが強い、温かい料理で頼む」

「わかりました。失礼ですが、先ほどお昼を召し上がられたばかりですよね? ――もしかして量が足りませんでしたか?」


 キッチンメイド長の顔色が変わる。


「いや、そうじゃない。俺たちが食べるんじゃないんだ」

「では、どなたが? お客様ですか? でしたら、きちんとしたお食事の用意をいたします」


 クライドが答えるより早く、ハンクが口を出した。


「お客じゃないんで大丈夫です。ちょっと黒い動物が食べるだけです」

「えっ……?」

「ハンク!」


 ジャンヌがハンクの頭をはたく。同時にクライドがハンクの姿を自分の後ろに追いやり、笑顔でごまかした。


「実は新しい魔術を覚えようと思ってね。それに必要なんだ」

「――ああ、なるほど」

「頼むね」


 キッチンメイド長は首を傾げていたが、数時間後、料理ができあがった。

 塩茹しおゆでしたブロッコリーに、濃厚なカボチャスープ。中身を茹でてオリーブオイルで炒めたアーティチョーク。カーヴォロ、ジャガイモ、玉ねぎ、セロリをぐつぐつと煮込んだ熱々のポトフ。


(美味しそう)


 いい匂いにつられて黒狼が目覚めてくれるといいけれど。

 さっそく眠る黒狼の鼻先に、料理の入った皿や鍋を置く。祈りながら待ったが反応はない。


「あおいでみましょう」


 ハンクが言い、馬房の端にある道具箱から古い扇子を取り出した。ポトフの鍋からたちのぼる湯気をあおいで、黒狼の鼻先へ届ける。


「私も」


 ジャンヌもカボチャスープの入った小鍋を持ち、黒狼の鼻先で揺らしてみせる。

 アシュリーも塩茹でブロッコリーをフォークに差して、黒狼の鼻先で小さく回してみせた。


(お願い。目覚めてください)


 ローブ姿の魔術師二人と、ドレス姿の令嬢が、実に真剣な顔で魔獣の前で扇子をあおぎ、鍋を回し、フォークを回している。変な図である。


「――駄目かあ」


 ぴくりともしない黒狼に、ハンクがため息まじりにつぶやいた。アシュリーとジャンヌもがっくりと肩を落とした。


「やっぱり、こんなのじゃ無理なんですかね」


 ハンクが失礼なことを言う。

 クライドは無言で炒めたアーティチョークが入った皿を手にすると、もう片方の手で黒狼の口を無理やり開けた。そして鋭利な歯が並ぶ口の中に炒め物を全て放り込んだ。

 ギョッとする三人の前でからの皿を床に置くと、両手で黒狼の口を閉じた。そして、


「はい。もぐもぐ」


 抑揚のない声で、無理やり黒狼の口の上下を噛み合わせる。


(恐いわ……!)


 アシュリーの体に震えが走る。さすが勇者の子孫である。魔王の側近だった気高き黒狼にこんなことをしようとは。


「クライド様……それはさすがにどうかと思いますが」


 ジャンヌが言葉を失い、ハンクも真顔でコクコクと頷いている。

 その時だ。黒狼の三角の耳が動いた。


「動いたわ!」

「またしても! 耳がぴくぴくって!」


 ジャンヌとハンクが大きな声を上げる中、黒狼の両耳はずっと動き続けている。いい匂いがするのになぜ鼻ではないのかとも思ったが、それでも風呂の時に続き大きな進歩だ。


(やっぱり黒狼様は野菜大好きなのね)


 喜びのあまり思わずジャンプしていたアシュリーに、


「アシュリー様の言ったとおり! さすがですわ!」


 とジャンヌが手放しで褒め、


「本当っすよ。ブラッシングだの風呂だの、正直最初は何を馬鹿なことを言っているんだと思いましたけど。すごいっすよ!」


 とハンクが笑顔で本音をぶちまけた。


「この調子でいきましょう! さあ、もっと匂いを嗅いでもらいますよ!」


 ハンクが高速で扇子を動かす。


「お料理も口に入れてみましょう」


 ジャンヌが鍋に入っているカボチャスープを木べらですくい、一口黒狼の口に入れた。

 瞬間、ごくんと黒狼の喉が小さく鳴った。


「えっ……?」


 呆然となるアシュリーだが、次の瞬間喜びが込み上げた。今確かに黒狼はカボチャスープと一緒に、口にあったアーティチョークを飲み込んだ。ジャンヌが声を上げる。


「食べましたよ! 黒狼がカボチャスープを!」


 そして急いでもう一口、口に入れた。

 けれどもう黒狼は動かない。元の状態に戻り、カボチャスープが口から流れ出た。


「黒狼様、食べてください。美味しいですよ」


 アシュリーは必死に訴えた。黒狼の頬を両手でなでながら頼み込む。

 だが、黒狼は反応しなかった。

 悲しくなり肩を落とす。


「いいよ。黒狼が初めて食べ物を口にしたんだ。充分だよ」


 クライドが微笑んで、アシュリーの頭をぽんぽんとなでた。

 衝撃が走る。けれど以前は脱兎のごとく逃げていたのだから、進歩である。


「ああ、忘れてた。アシュリーに近づく時は前もって言ってからにするんだった。ごめんね」


 クライドは申し訳なさそうに眉尻を下げて、けれど楽しそうな口調で言った。


(……そうよね。忘れていただけよ。人間なら誰でもあることだわ)


 必死にその場にとどまり、早鐘を打つ心臓を抑えようと何度も深呼吸した。

 そこへ、鍋を置いたジャンヌが一抱えほどもある袋を持ってきた。


「アシュリー様、実は昨夜人参クッキーを焼いたのです。お口に合うかわかりませんが、よろしければ召し上がってください」


 頬を赤らめて袋を渡す。


「いいんですか!?」


 声が弾んだ。地獄に天使とはこのことである。前日にジャンヌは確かにそう言っていたが、さっそく作ってきてくれるなんて女神のようじゃないか。

 満面の笑みで袋を開けると、ウサギの顔の形をしたほんのりオレンジ色のクッキーがたくさん入っていた。


「ちょっと作り過ぎてしまって」


 照れたように笑うが、むしろ嬉しい。さっそく一枚かじると、笑顔のハンクが寄ってきた。


「俺も一枚くださいよ」

「駄目」


 真顔で答えたのはジャンヌだ。


「なんでだよ?」

「あんたは絶対に駄目。一枚たりともあげないわよ!」

「……なんか最近、俺に厳しくない?」

「もとからよ。――クライド様もアシュリー様の隣で、ご一緒にどうぞ」


 一転して笑顔でクライドに言うので、アシュリーはクッキーのかけらがのどに詰まってしまった。咳込む背中を、ジャンヌが急いでさする。


「大丈夫ですか?」

「……大丈夫です」

「よかったです。ああ、クライド様。どうぞここへ」


 ジャンヌが自分のいた場所を譲った。

 アシュリーは隣に立つクライドに息を呑み、じっと我慢した。クライドがクッキーを食べる。


「なかなか美味いよ、ジャンヌ」

「ありがとうございます。アシュリー様がお好きだと聞きましたので」

「そうか」


 頷き、アシュリーを見た。そして、


「よかったね」


 と微笑んだ。


(……あれ? 恐くない気がする)


 驚いた。どうしてだろう。優しい笑顔だからだろうか。


 やはり少しずつ慣れてきたのかもしれない。一歩ずつ、の成果か。

 自分で気づかぬうちに微笑んでいたようだ。


 すぐ隣で幸せそうに笑ってクッキーを食べるアシュリーに、クライドが目を見張る。

 そして嬉しそうに微笑んだ。


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