表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ナルシスト夫婦の適材適所  作者: あさままさA
【6】ナルシスト夫婦の夏季休暇
70/71

勇「言葉では足りない想いを」

 祭りの会場から少し外れた、寺の脇に連なる木々の群れ。そんな薄暗い、誰もいない場所にて、一人佇む夕映を見つけました。


 あれから随分と祭り会場を走り回り息も切れつつ夕映を発見した私ですが、まさかこんな所にいるとは……。そういえば、探している道中に他の四人を全く見かけませんでしたが、ちゃんと探してくれてるんですかね。


 私はこちらに背を向ける形となっている夕映へと歩み寄ります。石畳で覆われていた寺の敷地から外れ、僅かに雑草が生い茂る地面を踏みしめると、そこから伴った物音が夕映を振り向かせる形になり、私は妙に照れたような気持ちで後ろ頭を掻いてしまいます。


 そんな一方で――夕映の表情はどこか暗いものでした。


 空には刀のように鋭い三日月がぶらさがり、ばら撒かれたように散る星屑が輝いています。乏しい光源のため、眼前の夕映は月明かりを借りて輪郭だけを薄っすらと露わにした状態でしか把握できません。


 妙な空気感を伴いつつ、私は彼女に手が届く距離まで歩み寄ります。


「どうしたのですか、こんな所で?」


 私が問いかけると、先ほどまでの暗い表情をまるで払拭するかのように恥じらいへと変える夕映。


「な、何でもねーですよ」

「何でもない事はないでしょう。皆、心配してますよ?」

「……きっと、心配してるのは勇だけだってんですよ」


 儚く、小さな呟きに私ははっきりと聞き取れませんでした。


「何と、言ったのですか?」

「別にいーですよ」


 夕映はそう言い切ると歩み出し、私とすれ違って祭りの会場の方へと戻ろうとします。


 とはいえ、この状況は好機――そう、私は思ったので、切り出します。


「こんな二人っきりですから、もう一度謝らせて下さい」


 私の言葉に振り返り、仏頂面を差し向ける夕映は「何がです?」と言いました。


「いえ、ですから私の過去に行った、その……セクハラ的な奴ですよ」

「……違うですよ」

「え?」


 先ほどから妙に小さな声ではっきりと物を言わない夕映に思わず聞き返してしまう私。


 そんな対応に夕映は苛立ちの表情を浮かべます。


「別にそんな事、気にしてねーって言ってんですよ!」

「そ、そうですか? だったら私は気が楽ですけれど……でも、それなら私への態度はどういう事なのでしょう?」

「何でもないです」

「何でもあるでしょう」

「何でもねーって言ってるですよ!」


 夕映の自暴自棄気味に叫んだ言葉に私は、それ以上の追求を躊躇ってしまいます。


 本人的には触れられたくない部分なのでしょうか?

 とはいえ――。


「何かあるというならば、教えてほしいですけれど――教えてくれないならば、せめて許してもらう方法だけでも。何をしたら、私は許されますか?」


 その言葉に夕映は「許すとか、そーいうんじゃねーですけど」と不貞腐れたように呟き、それは聞きとめた私。夕映の言葉から連なる胸中に沸き上がった懐疑的な心情……とはいえ、無駄な追求でこれ以上、機嫌を損ねたくはありません。


 そんな私の思考を他所に、夕映はポツリと漏らします。


「……じゃあリンゴ飴」

「り、リンゴ飴?」

「リンゴ飴、奢れって言ってんですよ!」


 またしても怒鳴られ、私は身が竦む思いで「分かりました!」と反射的に答えました。


 うーん。そりゃあ勿論、リンゴ飴で物事が解決するならば、それほど簡単な事はありません。しかし、人間――簡単な要求で済ませようとする時ほど、案外裏に……重篤でどうしようもないものを抱えていたりは、しないでしょうか?

 

        ○

 

 祭りの会場へと引き返した私達。他の四人の姿を求めつつ、同時にリンゴ飴を売っている屋台を探す私。暫し、歩き連ねる間は夕映との間に会話はなく、ただひたすらに前進するのみ。気まずさを胸に人と人の間を縫うように擦りぬけ、後ろからついてくる夕映がはぐれていないか時折、背後を確認して進む事、数分――目的の屋台を発見しました。


 店主にリンゴ飴を二つ注文し、代金と引き換えにそれを受け取ると夕映に一方を渡し、もう一本を自分のものとして私は周囲から洩れる提灯の輝きにかざしてそれを見つめます。


 キラキラと輝き、透明な飴が擁するリンゴはまるで巨大なルビーのような美しさ。


 光沢を纏ったそれを私同様、見つめる夕映。


すると――。


「リンゴ飴って、何かに似てねーですか?」


 夕映が唐突に私へ問いかけてきました。


「何かに……何でしょうかね?」

「それを聞いてんですよ」

「まぁ、それもそうですか」


 夕映の咎めるような口調で言った言葉に納得する私。


 まじまじと見つめ、夕映が私に「言わせようとしている」とさえ感じられる類似性を探ってみる事に。


 似ているもの……似ているもの。


「うーん、アレですか? ガラス細工とか宝石とか、そういう感じでしょうか……壊れやすそうなものには類似を感じますよね。――あ、そういえばグラスを作る時に息を吹き込んでいる最中のガラスに似ているかも知れませんね!」


 私がそう言うと、夕映は笑っているのか――それとも、いえ――何というのでしょう、妙に読み取りづらいあらゆる感情が混在した表情を浮かべて「なるほど」と言いました。


 どういう答えを求めてその問いかけをしたのでしょうか?


 すると、夕映は語ります。


「まぁ、私も似たようにものに類似していると――感じましたよ」


 つまり――似ているという事は、同じではない。


 何かを、伝えたかったのでしょうか……まぁ、深く考えたって私の中では答えが出ないでしょうし、同時に夕映もその正答を明かすつもりはなさそうです。いつまでも留意していたって仕方ないですかね。


 一方、夕映はリンゴ飴をぺろりと一舐めして、「うわぁ、どんだけ甘ぇーんですかコレ」と自分で奢れと要求しておきながら文句を言いだす始末。


 私も、と思い口に運びます。硬く、しかし呆気なく脆い飴部分と共に内部のリンゴにかぶりついて咀嚼します。


 うーん。甘いけれど――それだけではないように思います。リンゴの酸味が口の中で広がり、飴の伴っていた甘さと絡み合って絶妙なハーモニーを醸し出す……リンゴ飴って初めて食べましたけれど、意外と美味しいのですねぇ。


 片手にリンゴ飴というスタイルで再び歩き始めた私と夕映。こうして歩み始めるとまた会話が途絶えてしまうのはどういった気まずさなのでしょう……。夕映は私の過去におこなったアレが怒りの起源ではないと語りつつ、しかし――同時に「許す、許さないの問題ではない」とも言いました。


 ――それって、何なのでしょう?


 などと思いつつ歩いていると後ろからついてきていた夕映が突如、私の浴衣の袖を引っ張りある一方向を指差します。


「あれ、射的じゃねーですか! 射的やるですよ!」


 夕映の言葉に促され、視線を送るとその先にあったのは彼女が語るように射的の屋台。大型ゲーム機であったり、おもちゃにちょっとしたキャラクター用品、雑貨品などを陳列しており、恐らく用意された銃で撃ち落とせば貰えるという夏祭りの定番的な屋台です。


「夕映、射的って……ああいうの得意なのですか?」


 私がそう言うと不敵に笑む夕映。


「大物撃ち落としてやるですよ」

「得意とは言わないのですね。――とはいえ、優も探しているでしょうし、合流してからの方がいいんじゃないですか?」


 私がそう言うも、聞く耳を持たずに浴衣の袖をまくって屋台へと歩み寄る夕映。


 仕方ない、と言わんばかりに肩を竦めて嘆息しつつ、私は彼女についていきます。


 お金を手渡し、銃を受け取った夕映。誰が見ても不慣れな構え方で片目を閉じて狙いを定めているも、銃口は明らかにこの屋台の一番高額景品であろうゲーム機に向いています。簡単に取れるものに挑戦されるよりかはびくともしないであろうゲーム機を狙われる方が安心なのか、店員をしている髭面にスキンヘッドの「RPGだったら武器屋っぽい」店主は「頑張れよ」などと囃し立てています。


「夕映、お菓子狙った方がいいんじゃないですか?」


 折角、お金を払ったのだから小さくても景品を取った方がいいと考えた私。


 しかし――その言葉に構えた銃を下ろし、不機嫌そうに「うるせーですよ」と言う夕映。


「大物狙わなきゃ、意味ねーでしょうが」

「でも、取れなかったらもっと意味がないと思いますよ?」


 すると、余計に不機嫌そうな表情を深める夕映。


「諦める事で見出す意味になんか――興味、ねーですよ」


 そう言って、再び銃を構える夕映。


 何だか格好いい事を言うのだなぁ……などと関心する私。


 狙いを定め、彼女の中で納得したのでしょうか……発砲し、球は勢いよく飛び出しました。本物の銃なわけがないですから、粗末な発砲音と共に飛び出した弾丸は飛躍し――しかし、狙い通り隔てる壁のようにそびえるゲーム機の箱に衝突したものの、弾を跳ね返してしまいます。


 そんな様子に唇を尖らせる夕映。


 それから、結局――与えられた弾の全てを、重量もかなりのものであろうゲーム機の箱にぶつけましたが、一ミリとして動く事はありませんでした。


 店主の「残念だったねぇ……もう一回やるかい?」という言葉に、悔しそうな表情を浮かべて悩んでいる夕映でしたが、そこは私がストッパーとして「取れませんから、やめときましょう」と言います。「ぐぬぬ」と漏らす夕映でしたが、店主に向かって「覚えてやがれです!」と言うと渋々、射的の屋台をあとにしました。


「まぁ、しかし……あんな取れないものを平気で景品にするのも変な話ですよねぇ」


 そう私が独り言として呟くと、夕映は「ちげーですよ」と否定の言葉を返してきました。


「取れないなんて、見れば分かってるです。でも――取りたいって思っちまったら、それはもう私にとって景品ですよ」


 夕映の言葉から只ならぬものを感じた私。


 強い思い、それに気付いたのです。

 そうですか……そんなにも、ですか。


 私は微笑み、夕映の肩をポンと叩いて言います。


「そんなにゲームしたいなら今度、我が家に招待しますよ」


 彼女の心中を看破したつもりで私がしたり顔と共に語ると、何故か嘆息する夕映。


 まるで分かっていない――と言いたげに。


「まるで分かってねーです」


 あ、本当に言われちゃいました。


 そんな会話を連ねつつ優達を探す私達なのですが、一向に見つからない現状。私も何だか必死に歩き回るのが馬鹿らしくなって、夕映に「金魚すくいしてもいいですか?」と言いました。そんな言葉に「そんな幼稚なもんしてーですか?」と揶揄するように語った夕映。そんな言葉に、少し私は不機嫌そうな表情を浮かべつつも地域的に経験した事のない夏祭りの代表格的遊び、金魚すくいに興じてみたいではないですか。


 ――という訳で、挑戦します。


 ポイと呼ばれるデリケートな用具で金魚を追いかける単純な遊び。全く持って捕まえられず結果――は零匹。まぁ、捕まえても面倒見られないですから、その方が良かったのかも知れませんけれど。


 しかし何故か――そんな私の下手くそ極まりない金魚すくいを、一匹もすくえなかった事を妙に悲しそうな表情で、夕映は見つめていたのでした。


        ○


 人混みに紛れているより、寧ろ人気の少ない方が見つかりやすい――そんな夕映の理屈で寺の脇、夕映を発見した場所へと戻って来てしまった私達。確かに彼女の言っている事は分からなくないのですが、果たしてこんな場所を優達は探しにくるのでしょうか。そう、夕映に問いかけると、「勇は来たじゃねーですか」と言い、いとも簡単に論破されてしまいました。


 そんな訳で、薄っすらと聞こえる祭りの喧騒と緩やかに吹き抜ける風が通り過ぎ、木々を鳴らす音色――それ以外に何もない場所で、私達はただ佇んでいました。


 空に視線を預け、気まずさからの逃げ場所として見つめている事に不自然さを感じさせないほどに魅力的な星空、閉じた瞼のような月、それらの光景が望める場所にあって沈黙は私と夕映の間に横たわっていました。


 そんな状況を打破したかったのでしょうか……私は口にします。


「それにしても昨日、今日と驚かされましたよ」


 私の言葉に背を向けていた夕映は振り向き、「何がです?」と問いかけてきます。


「デスメタル聞くってのにも驚きましたけど――煙草も吸うんですよね?」


 私の何気ない言葉に視線を伏せて、気まずそうに手遊びをする夕映。


 紺色の生地を主体とした浴衣の模様、彩るのは鮮やかな朱色で描かれた金魚。そんな繊細な筆さばきで描かれた美しい模様を湛えた浴衣を身に纏った夕映は、その視線を先ほどまでの私と同様に夜空へと預けます。


「いやいや、あれは嘘だってんですよ」


 夕映が羞恥心を孕んだように語る言葉を、私は一瞬で看破したため「ふふ」と笑って語ります。


「それこそ、嘘ですよ。リビングに吸い殻がありましたけど……煙草を吸う人は誰もいません。でも、そんな疑惑を仄めかしていた人はいたじゃないですか」


 突きつけるように私は言い、したり顔を浮かべました。


 すると夕映は瞬間、目を見開きましたが――そこからの表情は落ち着いたものでした。


「見られてたですか」


 夕映の言葉に嘆息してしまう私。


「見られて困るならきちんと捨てて下さい」


 呆れたもの言いに対し――優は微笑みを浮かべて私と視線を結びます。


 月明かりが夕映の半身に冷たい輝きを伴わせます。


 そして、首を横に振る夕映。


「困らねーですよ」

「……何だか、不思議な事を言いますね」

「不思議でもなんでもねーですよ。人間、誰だって知られたくねー事を、誰かに預けてみてーと思う時があるって事です。……きっと、音楽や煙草はそういうアピールであり、踏み台でかつ――助走でもあったんですよ」


 夕映はそう語り、頬を羞恥に突き動かされたがごとくポリポリと指で掻きました。


「夕映にとっての秘密って事ですよね。……開示される度に『意外だな』と思いましたけれど、踏み台や助走というのは? まるでまだ――開示されるべき事実があるかのように聞こえますけど?」

「聞こえるんじゃなくて――そう言ってんですよ」


 言い切った夕映の語り口調は強く、その表情にも真剣さが伴っていました。


 秘密。

 隠匿すべきという意味を持ちつつ――開示される未来を暗示する、言葉。


 瞬間、思い出すのは私や優が苦心して絞り出したカミングアウト。


 直観的に感じました。

 似ている――似ている?


 そう思ったのは、夕映が言い切った言葉以上に、光景が既視感を伴っているからでしょうか? 

 何かが告げられるような、光景。


「今のあたしは、全部――偽物なんですよ。幼い、子供のような体躯を見て周囲が抱くイメージ……可愛らしいとか、傷付けられない、悪意を抱えてなさそう。そんな印象に自ら傾くように偽り、演じる偽物……そんな裏側はギャップだらけの、意外性だらけ。本当は強い酒も飲むですし、煙草も吸っちまうです。口調も荒けりゃ、頂いたバイト代で休日はパチンコに行ったりもするですよ? でも、それが本当のあたし……それを他人に知られたくなる事も、あるってんですよ」


 淡々と語られた夕映の内面的事情……それに対する私の返答は呆気に取られて遅れてしまいます。


「驚きましたね……じゃあ、それを意外と形容するのは、間違ってますよね?」

「勿論です。これが――あたしの本性だってんですよ」


 胸に手を当て、私の視線をしっかりと捉えて語った夕映の強い口調。


 正直――驚きました。何が何やらという感じなのですけれど、とりあえず夕映がそういった本質を抱きながらも、周囲に抱かれるイメージに適応していくように生きてきた。


 それを、カミングアウトされた。

 なら状況を整理して、生まれた疑問を処理していきましょう。


 何故、夕映はそういったイメージで生きてきたのか?


 偽る……それは随分とシンパシーを感じる部分ですが、私が夕映のカミングアウトに既視感を感じたのはある意味でそういう事なのでしょうか?


 偽っている自分の、開示――。


 台本を片手に、繕った衣装を身に纏い、必要な表情を浮かべた仮面を被って、最適の台詞を吐き出して平穏と安寧を勝ち取る私達の過去――それと同じ?


 いえ。それにしては腑に落ちません。


 私達が回避のために演技を行って、肉体の性に準じていたのとは違って……夕映の偽りは、どういった利害があるのか。「利」と「害」で言えばどちらなのか。


 その答えは、夕映から自ずと語られました。


「実はこの事実……すでに優さんは知ってるですよ」

「そ、そうなんですか!」


 驚愕に声高な返答をしてしまう私。


 優が知っていた……ならば、彼女の要所要所で引っかかる挙動も納得がいきます。まぁ、どのタイミングで――というのも気になりますがそれは現状、知る必要はないでしょう。


 私はそれ以上の言葉は噤んで、夕映が語る事へ促す無言の意思表示とします。


「バレると困る事を隠すあなた方夫婦と違って、あたしの方は随分と気楽――というか、利益のための行動ですよ。簡単に言えば、幼い体躯から連想するキャラに準じていけば皆から愛される、可愛がられる、傷付けられない、嫌われない。そんな算段で行っている……でも、それらは自分を曝け出すのを自ら封じる事です。偽りの付き合いを繰り広げる事になるですよ。でも、リターンがある分、我慢は出来るです。今回の旅行だって、あたしは入れ替わりのカミングアウトがある前から、慣れない自分の開示の一歩として音楽を流したりしてるです……これは、勇のセクハラがあたしを自暴自棄にして偽る事をやめ、猫被る事が馬鹿馬鹿しくなったとか――本当はそういう事じゃなかったって証明になると思うですよ。元々、そういうつもりでここに来ているですから」


 淡々と、事実だけを連ねていく夕映のイントネーションは確かに今までに聞いた事のないものでした。


 子供っぽい印象は確かに私も夕映に対して持っていて、それ故に可愛らしさに胸がいっぱいになって抱きついた……なんて過去が女性の体の時にはあり、まるで小動物を愛でるがごとく彼女を触ったものです。


 しかし、そんな全てが偽りだった。

 ――ショックではありません。


 自分が秘密を抱えている人種だから、相手の秘密も飲み込むとかそういう我慢ではなく――きちんと咀嚼した上で、意味を理解した下、そう思うのです。


 ですから――。


「驚きましたけど、それでも……夕映は『夕映』だと思いますよ。人間は簡単に変わらない――なんてのは私達夫妻のよく語る持論なのですけれど、その通りです。そんなアウトローな一面を見せられても、私のあなたへの印象は何も変わりません。寧ろ、深まったというべきでしょう。影を纏ったものこそが、この世では本物なのですから。影のない人間が怪しいように、そういった一面を持った人は等身大の存在を放っているようで好感さえ持てます。ですから――不安を抱いているとしたら、無用な心配だと思いますよ?」


 受け入れられるのか、という不安を知っている私。気付けばそんな風に言葉を連ねていました。カミングアウトする、という事は相手に理解を求める事で……それは自分という存在を相手の承認する領域に押し込む事ではないのです。


 ありのままを、そのまま無理なく受け取ってもらう事。

 私達、夫婦が短い間で知った――分かり合うという事。


 夕映は「まぁ、あたしの場合はカミングアウトに伴う緊張ってのは、勇達に比べればずっとマシなのでしょうけれど」と、わざとらしく笑い声を交えて言いました。


 とはいえ、それでも簡単に会話の折りに混ぜてぽろりと語れなかったのですから、重みがないとは言い切れない――と、そこで気付いてしまう私。


 今考えてみれば、どうしてなのでしょう。


 どうして――私が入れ替わりをカミングアウトする前から、彼女の方がカミングアウトを計画しているなんて状況が起きるのでしょう?


 例えば、私が仕事を辞めるから?

 最後に会えなくなる前に本当の自分を――なんて、理由になるでしょうか?


 何か、私の知らないピースが欠けているような……そう、決定的な情報が足りないのです。

 疑問の氷解には、あと一手何かが……。


「夕映、どうして私にその事実を……カミングアウトするのでしょう? 知られない事の方がメリットになるならば、その方がいいとは冷たいかも知れませんが――そういう境遇にある人間は、夕映がさっき言ったように誰かに秘密を預けたくなるのですか?」


 私は臆面もなく、純粋な疑問として問いかけたのですが――夕映はその投げかけられた質問に顔を伏せ、硬直してしまいました。


 投げかけるべきではなかった?

 ――いえ、とはいってもこんな質問は想定内のはずです。


 どういう事、なのでしょう。

 ……どういった行動原理、なのでしょう?


 彼女の言葉を待つべく、私はただ沈黙に準じます。

 そして――。


「誰でもいいわけじゃねーですよ」


 ぽつりと、そう漏らした夕映。


 その言葉には僅かながらに、感涙が伴っており乱れた声質が帯びた感情は悲哀。


 どうして――どうして?


 理由の分からない感情を帯び始めた夕映を前にして唐突に、自分がどう言葉を、行動を選び取るべきなのかを見失う私。


 何も出来ず、何も起こらないまま、暫しの時を経て――夕映は開口しました。


「あなたは『あの優』であり、ついこの間までの『勇』ではない……それが、私にとって途轍もない苦痛なんですよ」


 唐突に、語られた言葉。


 私の質問から脱線しているように思えるも、それは回り道だと確信して夕映の言葉に向き合う私。


 今の、私――それは何者なのでしょうか?


 女性であった「優」の記憶を宿した男性である私は、彼女ら――夕映と真奈に対して初対面としての「勇」を貫いた時期があり、その仮面を外した私は。


 私は――私は?


 と、そんな複雑化した問いを脳裏で思考すれば、自然に蘇る言葉。


 ……あぁ、こんなにも簡単な答えを、私は握らされていたのですね。何気ない言葉……でも先ほど、夕映に自分で投げかけた全てがそのまま返ってくるみたいで。


 それは、きっと――付き合いの長い、「彼女」だから言えた言葉なのでしょう。


 そして、夕映が問いかけます。


「今のあなたは――誰なんですか?」


 その問いに対して、想起するは優を介して聞いた「彼女」の言葉。


「私は、私です。『優』だとか『勇』といった区分に惑わされましたけれど――気付きました。影を纏った、仮面を被った、演技で繕った夕映が夕映であるように、真奈も言っていた言葉です。私は――私。『ユウ』なんですよ」


 そんな強い意志を織り込んだ私の言葉に、夕映は涙を溜めてこちらを見つめます。


 今にも凍れそうな滴が月明かりを湛えて輝く。

 滴に伴う、光沢が揺れる。

 悲哀を、湛えて――。


 しかし、壊れそうで不安定な表情を浮かべた夕映は、それらに伴う感情を払拭したかのように――真剣な面持ちに。


 そして――、


「じゃあ、あなたは私の友人……『優』なのですか?」

「優、でもあります。それでかつ――」

「この数か月間を一緒に過ごした『勇』なのですね?」

「ええ」



「私の……私の恋した、あの『勇さん』なのですね?」

「――え?」



 時計の針が動きを止めて、思考だけが巡る奇異な状況。


 確かに、夕映は言いました。

 恋した、――と。


 その言葉に、含まれていた思い――そこから溢れ出す、今日までの。あの日から今日までの夕映が発した言葉。アルバムをめくるかのように蘇る、記憶。


 私の、夕映の――態度、対応。


 全てが噴き出すように私の脳内に溢れて、まともな思考が不可能になる現状。


 私を好き――そ、それは。


 入れ替わりのカミングアウトによって、私は元同僚である事を明かしました。婚約者がおり、いずれ結婚する事を明かしました。あの日から今日までの私が偽物である事を明かしました。夕映に対して「仕事を辞めても友達」などと軽々しく言いました。


 沢山の無自覚が、ナイフのように彼女を傷つけたでしょう。


 それは――それは、それは。



 ――どんな、想いなのでしょう?



 目の前の少女、夕映。その胸中に隠していた夥しい量の傷跡、いえ――今もまだ癒えていないでしょう。そんな生傷を見せつけられたようで。大量の血を長し、痛みに身を焼かれた日々の先にある今日。


 入れ替わりのカミングアウト、叶わぬ好意が決定的となり、そして。


 そして――そして。


 震える。体が――体が、震えて、とまりません。

 何を、何を、何を、言えば、いいのでしょう?

 痛ましい彼女に、対して。


 そんな私のあからさまな混乱、動揺に対し――優しく微笑む夕映。


「ずっと隠していた気持ち、それに驚くのは無理もねーですよ。でも、同じ偽っている人間だって予感した同族意識は……すぐに恋心になっちまったです。同じように生きている人にならこの胸中は曝け出せる、私は誰にだって今まで自分の真実を開示してこなかったんですから、誰にでも開示するわけねーです。ただ、一人……心惹かれるあなたに知って欲しいって、思ったですよ。だから、そんなカミングアウトに添えてこの想いを……同志だって感じた人に、



 ――私達が一緒にいられた場所から旅立つ勇へ、

 好きですって――言いたかったですよ。



 結局、ちょっとした手違い、すれ違いで勇の真実を知っちまって恋心を見失いかけたですよ。もしかしたらそれでよかったかもですけど……優さんが背中を押してくれたですよ。好きになったのなら、その好きな相手がどうであれ文字通り好きなのだから構わずに告白しろって……婚約している旦那に打ち明けろって、勧めてくれたですよ。迷惑だってのは分かってます。でも、伝えるだけでいいんです。叶わなくてもいいんです。破れたっていいんです。壊れたっていいんです。それでも……私は、あなたが好きです」


 夕映の告白。


 芯の強さに伴う誠実さと、真剣さが退廃的で、破滅でしかない未来を理解していつつ語るその様の、美しさ――残酷さ。涙に濡れた瞳を擁した表情は、あくまでも気丈で、気高く強さを伴っていて、真剣そのもの。


 決めるのは、私ですから――分かりきっている未来。


 でも――いえ。


 きちんと告げて、終止符を打つべきなのです。せめて、苦いだけの思い出にならぬよう、その締めくくりはしっかりと、私から。上手く言葉に出来るだろうか、などという不安を胸中に抱えつつ、手探りで語り始めます。


「きっと夕映も理解している通り、私は……その気持ちには答えられません。でも……何なのでしょう。この、夕映の気持ちに気付けなかった悔しさは。あなたの胸中を思えば、胸が張り裂けそうになるのです。そんな胸中に咲く感情、名も無き花弁を纏め、花束にしてあなたに贈りたい気持ちはあっても、言葉がついてこない。嬉しいとか、光栄だとか、ありがとうとか、ごめんなさいとか……そんな言葉では足りない想いを、私は――」


 何一つ出来ない、という無力感に打ちひしがれた私の言葉。それを、夕映は背伸びして私の唇に人指し指を添え、言葉を遮りました。


 優しく、愛らしく、壊れそうで切ない、感情の複雑に入り混じった笑みは私の知らない夕映の表情。鮮烈な感情を孕んだその面持ちは、私がいかに子供であるのかを教えれるくらいに、大人びていて……未熟なこの脳はその微細な表情から正しい解釈を捻り出せません。


 そんな私を見つめて「そこまででいいです」と言って、ゆっくりと首を横に振る夕映。


「そんな気持ちが、その胸中にあると知っただけで――十分です。仄めかしてくれた言葉だけで、十全ですよ。私は貴方達夫婦の幸せを願う強さはありません。でも――弱いなりに、あなた達の不幸を願う邪な心を払拭する強さくらいは持ちたいと思うですよ。それくらいの力で私は歩いていけるですよ。ですから――勇にとって今日の事を、思い出にしちゃ駄目ですよ。あなた達の思い出に、今日という日は要りません……ですから、そこまでで大丈夫です。多くを語らず、そこで引いて……我が儘ですけれど、こんな私の気持ちは、忘れて下さい」


 涙に打ち震えながらも気丈に振舞う夕映は、堪えつつ続けます。


「これからもきっと――私は今までと変わらずに自分を偽って生きていくでしょう。誰かの好意に甘えて生きていくでしょう。誰かのイメージを演じて、生きていくでしょう。でも、そんな私が裏の顔を見せたのはあなた達だけ――そんな事実が忘れられる日まで、私は忘れないでしょう。それでいいんです。それだけで――いいんです。ですから勇、それ以上何も言わなくて、いいですよ。ただ私から一言だけ――あと一言だけ言わせて下さい」


 そう言うと、私の唇から指を離して両手で涙を拭いそして、見慣れた太陽のように明るい笑顔を浮かべて、夕映は言ったのです。



「ありがとう、勇――私はあなたを好きになれて、嬉しかったよ」



 私の一番よく知っている夕映が語りかけてきたような感覚。


 夕映の、表の顔。


 敬語を伴わせず、親しげに語る彼女の胸中。恋心を抱いて、一歩引いて用いていた敬語を取り除け、語ったその言葉に……私が夕映へと抱いていた願望が奇しくも達成されたのだと知って、途方もなく悲しくなりつつ――、一人の少女の恋が、終わったのでした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ