優「心の底から――笑った」
祭りへの参加を決めた俺達。日が傾き、夕焼けが水平線に絞りつくされるまで海で遊んでから別荘へと戻る事に。水着への着替えは真奈の別荘で行っているため海と別荘間の道のりはパーカーなど各々、上着を用いて露出を軽減する。
水際という事もあって、何となく着替えを多めに持って来ていたので、洗濯もままならない現状で一度身に纏った服に再び袖を通す事無く、延長戦となる二泊目を迎えられるのはラッキーだったなぁ――などと思いつつ、私服へと着替えようとした最中。
真奈は「浴衣がこの別荘には保管されているみたいだよ」と言った。
――浴衣。
その言葉に目を輝かせるのは俺だけでなく、女性陣全員が同様の反応を見せていた。それは無論、俺達の地域が祭りというものに縁遠い場所である事に起因しており、全員が身に纏う初体験に気分を高揚させたのだ。
それにしても、和服というのは本当に素敵だと思う。奥ゆかしい美しさというか……例えば、洋菓子の主張が強い甘さに対して、和菓子が仄かな甘みを湛えるように、日本文化は一歩引いた美しさがある。洋式の煌びやかなドレスも素敵なのは分かるけれど、袖振り歩く浴衣の風情というのは別格の気品というものを伴っているのである。
という訳で、真奈は意外に富んでいる別荘の収納スペースから大量の浴衣を抱えてリビングに現れた。
真奈の家族、その人数分は明らかに超えている量ではあるが――それは盆になればこの別荘を利用するに備えて浴衣を持参してここを訪れる真奈の母親が、持ち帰っても仕方ない浴衣を毎年、置いていくからだそうだ。新しい浴衣を毎年着たいという願望は素晴らしいと思うし、それを実行できるのも流石といった所だ。
浴衣を並べ、それを俺と夕映、愛衣ちゃんがキラキラとした瞳で見つめていると真奈は想起したように「あぁ、そうだ」と言う。
「夕映、心配する事はないよ。私が幼かった頃の浴衣も数着あるからね、サイズ的な懸念は無用だよ」
真奈の言葉に視線を鋭くし、唇を尖らせる夕映。
「またそーいう方面であたしをイジってきやがるですか、真奈は」
不機嫌を含んだ物言いの夕映に対して、宥めるように「まぁまぁ」と言う愛衣ちゃん。
「体型が小柄だっていうのは女性にとって、それなりに得だと思いますよ?」
「愛衣ちゃん、そんな事は言われなくても重々、承知してるですよ」
「あ、案外、自覚的なんですね……」
夕映の愛衣ちゃんに対する反論に、呆れたような表情とイントネーションで語った勇。
あぁ、そうか……勇は夕映の本質を知らないんだもんな。
――少なくとも、今のところは。
とはいえ俺がバーベキューの際、夕映に耳打ちした「夏祭り、これはチャンスだな」という言葉に恥ずかしそうにも首肯していた彼女だから――きっと打ち明けるのだろう。
まぁ、それはさておき――。
「他人事みたいに言ってるけど――愛衣ちゃんだって、夕映と体型は変わらないんだから浴衣は子供用じゃないのか?」
俺がそう揶揄すると、目を丸くして驚愕を露わにする愛衣ちゃん。
しかし、傍からみれば愛衣ちゃんと夕映の身長は全く同じ。周囲の人間からすれば驚くべき事実でも何でもない。
当人としては案外、分からないものなのかなぁ。
「大丈夫だよ。夕映、愛衣ちゃん。二人とも選ぶ余地はあるから」
真奈の言葉に再び鋭い不愉快を露わにした視線が向く――も、今度は夕映と愛衣ちゃん、二人によるものだ。
「愛衣ちゃんはともかく、あたしはもう成人してるですからそういう扱いは慎んでくれってんですよ!」
「いやいや、成人とか関係ないですよ。言っておきますけどあたし、この身長ですけれど夕映さんよりは断然、胸大きいですからね!」
「え?」
不満を述べていた感情も忘れ、きょとんとした表情を浮かべる夕映。
見比べてみると確かに愛衣ちゃんの言う通りである。
「本当だ。愛衣ちゃんの方が、大きい胸してる」
そんな俺のぽろりと漏らしたような言葉に約一名の例外を除いて、皆の視線が一斉に愛衣ちゃんの胸部へと注がれる。
そんな視線に若干、恥ずかしそうに胸部を手で覆って隠す愛衣ちゃん。
うーん。そんなどうでもいい話より――何だかんだで湿った水着に上着という現状の俺達。
早く浴衣なり、着替えないと風邪引くと思うのだけれど。
「な、何でその体躯でそれだけの大きさを伴ってやがるですか! 何か入れてんですか! リンゴですか! ミカンですか! 正体を明かしやがれです!」
訝しそうに愛衣ちゃんの胸部を睨みつけた夕映は堪らなくなって、彼女の体躯には少々不相応に思われる胸を背後から揉むようにして確認する。
くすぐったそうに抵抗する愛衣ちゃん。
そんな光景を見つめて、どこかニヤニヤとする勇に呆れと侮蔑の視線を送りつつ、同じ男性である三浦の方へを向くと――至極、退屈そうにしている彼。
三浦は腕組みをし、嘆息して天井からぶら下がる照明に視線を預けている。
「ニヤニヤしている勇じゃなくて、もの凄くつまらなそうな表情してるお前さんが一番、危ない気がするの不思議だな……別に同性愛を卑下するわけじゃねーけど」
俺の言葉にまたもや溜め息を吐き出してこちらを向き、「考えてもごらん」と言う三浦。
「きっと筋肉質の男二人が抱き合い、胸筋を擦り合わせる光景を見て君達が抱く感覚に似ているんじゃないかな」
「最早、不快なのかよ!」
俺は声高に三浦を指摘しつつ、内心では「勇がそういう男二人が絡み合う作品を好む人種がいるって言ってたなぁ」などと想起する。
何でも腐っているんだとか。
三浦も確かに……うーん、腐ってるかなぁ。
一方で、過剰なまでのスキンシップを見せる夕映に対して、真奈は嘆息して言う。
「まぁ、君達は高身長だとか、大きな胸に憧れるようだけれど――それはそれで、隣の芝生は青く見えるという奴なのだよ。寧ろ私としては、低い身長の女性が羨ましいよ」
そう語る真奈に対し、絡み合いを瞬間――夕映と愛衣ちゃんが今度は嘆息しつつ外国人風に肩を竦める。
「大きい胸に、高い身長――両方持っている人間だから、そう言う事を言えるですよ」
「ですよねー。そんなの、王様が『町人は気楽そうで良いのー』とか言い出す、優越感から来る言葉ですよ。そして、それは優さん――あなただって、例外じゃありませんよ!」
突如として俺の方を指差し、愛衣ちゃんは犯人を看破した探偵のように言った。
確かに俺と真奈は身長もそれなりに高いし、胸の方だってそれなりだろう。
何故、こんな事で敵視されているのだろう、などと思いつつ……俺と真奈は顔を見合わせ、眼前の彼女と同じように溜め息を吐いて外国人的に肩を竦めるのだった。
○
浴衣に着替えた俺達――といっても三浦はやはりスーツなのだけれど。真奈に導かれるまま、祭りの会場へと向かう。不安定な記憶を辿る真奈だったが道中、俺達と同じように浴衣姿の人達を見かけたり、盆のお祭りという事で踊りを盛り上げるべく鳴り響く太鼓の音を頼りに歩み連ねると十分ほどで会場に辿り着いた。
それなりに敷地面積を有しているらしい寺で催されるお祭りは、俺達と同様に海に来たついでにあの段雷を聞いて参加を踏み切った人も混じっているのではないかと推測されるほどの人口密度だった。
アーチ状に吊るされた紐にぶら下がる提灯が怪しくも、温かみのある仄かな輝きをもたらす。提灯は紐が接続された中央の高台まで等間隔に連なり、屋台が発するライトで照らされた敷地内にあって強い存在感を放ってイベントの雰囲気構成に一役買っていた。高台では太鼓を叩く人物、この土地の伝統と思われる盆踊りの音頭を歌う人物を擁している。そして、その周囲を囲むように軒を連ねる屋台は溢れたかのように、寺へと接続される各方面の道に至るまで出店されていた。
高台を中心として音頭に合わせて踊る人々を見つめつつ、人と人の間を縫うようにして歩く俺達はとりあえず屋台を見て回る事にした。バーベキューで目に見えてお腹が膨れるくらいに食べた俺達だったけれど、夕食時になればやはり空腹感は伴う。夕食は祭りの屋台で済ませようと言う事になっていたため「何を食べようか?」という吟味も兼ねて歩き連ねているのだった。
人々とすれ違い、行き交う状況において立ち止まってゆっくりと吟味というのはなかなかに難しい。体が密着するほどの人口密度ではないものの俺達六人の合間に見知らぬ人がその間を縫うように入り込むと瞬間、他の五人を見失ったような錯覚になる状況下――。
俺は自分の空腹加減も気になっているものの時折、夕映の方にも視線を配っていた。
夕映の横顔に湛えているのは妙に緊張したような表情……無理もないだろうか。
周囲をきょろきょろと見つめては俯き、暫しの時を経て勇に視線を送れば、真奈と会話していたり、愛衣ちゃんに何かをねだられているかと思えば、三浦にセクハラ紛いの言葉を投げかけられている。
そんな状況において、彼女は円滑に告白を行う事が出来るのだろうか……。
――夏祭り。
シチュエーションとしては最高だと思ったのだけれど。
それから、俺は屋台でたこ焼きを買ったり、愛衣ちゃんにねだられた結果、勇がかき氷を買い与えたり――と、特に大きな進展もないまま夕映を時折、見つめる時間は過ぎていく。
何だか、俺まで緊張している……。
そう思いつつ、三浦や勇、愛衣ちゃんに真奈が話し掛けてくる全てを何だか、地に足つかない感じで受け答えする俺。
そして、やはり夕映は緊張や恐怖心、僅かな羞恥心も伴っているのか言葉数は少なく、どこか暗い表情でとぼとぼと歩き連ねるのみ。
といっても表立って何か声を掛ける事も出来ない俺がただ夕映を見つめていると、ある瞬間――勇が誰とも話さずに周囲を見渡しているタイミングがあった。
そんな時を捕まえて、邪魔の入らない静かな場所へと勇を連れ出す文句の一つでも言えれば……そう願う俺の視線の先、夕映は勇が着ている「真奈の父親のものらしい男物の浴衣」その袖を引こうとする――しかし、その間を縫うように通り抜ける通行人が無自覚に妨害し、夕映はその差し出した手を力なく引っ込める。
息の詰まる瞬間を見つめていたからか、俺はその結果的には残念な現象も込めて停止していた呼吸の反動たる深い溜め息を吐き出す。
それから、数回に渡るアプローチは無自覚な勇の挙動だったり、夕映の勇気の及ばなさによって失敗し――そして。
そして、夕映は望みが絶たれたかのように差し出した手をまた、力無く引っ込めると僅かな隙――通り抜ける人影の裏側を縫うように、姿を消してしまった。
人と人が重なる風景の向こう、自暴自棄的に走り去る浴衣姿の少女の後ろ姿が見えた気がした。
逃げ出してしまいたいほどに不甲斐ない自分を自覚し、そこから生まれた自己嫌悪に耐えかねたのだろうか……。
とはいえ、どこへ――?
などと、俺が思考していた最中――、
「あれ、夕映……どこに行ったんですかね?」
そう、ポツリと漏らした勇。
人混みと喧騒の中にあって、他の四人には響いた勇の言葉。
その言葉で俺達の歩みが止まり、五人の立ち尽くす合間を迷惑そうに通行人が通り過ぎていく。
そんな、瞬間――。
俺の中で、一つのアイデアが電流のように流れる。
よくあるシチュエーションだけれど、しかし――それが夕映の無自覚によって生み出されるというのは、なかなかどうして皮肉めいている。
――この瞬間しかない!
「はぐれちまったのかなぁ……手分けして探すか?」
俺は間髪入れずに勇の提案に対し、そう述べた。
「そうだね。知らない土地ではぐれるのはまずいし各々、それぞれの方角を担当して探しに向かった方がいいかも知れないね」
追い風となる言葉を発した三浦。
それに加えて、
「ならば、勇はあっちの方面を探してくれ、私達も同様にばらけよう」
「そうだね」
真奈の提案と、それに同意した愛衣ちゃん。
指示を与えられた勇は首肯して「分かりました」と言って指定された方向へと小走りで向かう。
俺が「あとはこの三人には留まっておいてもらわないといけない。勇に夕映を発見してもらわないといけないし」と思っていると――真奈、三浦に愛衣ちゃんは薄っすらと微笑みを浮かべて、動こうとしない。そんな表情のまま、勇の背中を見送っている。
どういう事だろうか……俺の思惑的には好都合だけれど。
と――俺の懐疑的な表情を察したのか、三浦は語る。
「勇くんが夕映を見つけ出さないと意味がない――そうだろう?」
「そ、そうだけど……どうして俺がそんな思惑を抱いているって分かるんだよ?」
俺が懐疑的なものから驚愕へと表情を切り替えると、愛衣ちゃんが「優さん達が今日、買い物に行っている時の話なんですけどね」と言って話題を切り出す。
「真奈さんから全部を聞いたんですよ。夕映さんがおねーちゃんを好きだっていうのは聞いてましたけど、まさか仕事を辞めるなんて……だとしたら夕映さんが今回の旅行で告白するのはシチュエーション的には最適ですし、最初で最後のチャンスじゃないですか。だから――今夜、そういうシチュエーションを設けてあげるのは当然かなと思ってました」
「買い物……あぁ、あの時か」
目の前の三人が俺の思惑を看破しているようにしたり顔を浮かべる由縁。それは、真奈の不自然過ぎる人選だった。しかし真実――バーベキューの買い物を基準の分からないメンバーで赴くように言ったのは、夕映と勇のいない状況で三浦と愛衣ちゃんに「勇が仕事を辞めるつもりだという事」を開示したいから。そして、俺は夕映と勇という反発する二人の間に入る役目として駆り出されたという事だろう。
俺もあの晩、知った事実だった。
勇が仕事を辞めるという事――それを知っていれば、夕映の気持ちは如何なものか察しがつく。
折角の海行きだ――告白だって考えるだろう。
奇しくも真奈は唯一「勇の退職」と「夕映の好意」を知っていたのだ。考えてみれば、勇と夕映の諍いに真奈は仲裁に入ろうとはしなかったように思う。
でも、それは夕映の問題がどうにもならなくて、かつ――勇のセクハラという語弊を恐れず言えば、些末な問題よりももっと、根の深い部分に問題を抱えていたのを知っていたから。
だから、真奈は手も足も出せず――ただ、干渉できない状況でいるしかなかった。
しかし、転機が訪れた――後押しが出来る、状況が。
それは――、
「真奈、寝不足ってもしかして……」
俺の問いに首肯し、「そうだよ」と言った。
「二階から暗いリビングを長時間、見下ろす事になってしまったからね……睡眠が足りていないのだよ。沢山眠らないと私は辛くてね」
と、真奈は回答を口にする。
あの時、奇しくも目撃者が存在した。
いや――それは必然か。
トイレは一階にしか存在しない――ならば、誰もが尿意を催せば、あの俺達の会話を聞く事になってしまう。
俺が、無自覚に夕映を発見したのと同じように。
流石は、真奈といった所だろうか。
「私達は結婚しているおねーちゃんに恋心を抱くという、ある意味で背徳的な状況に慣れていますからね。車の中でしたっけ、夕映さんの好意を聞いた時にそれが叶わない事実がいかに大きいのかピンとこなかったんですよね……完全に麻痺してます。ですから、夕映さん達に入れ替わりが露呈した……その事実を私と三浦さんは大した事のように思ってなかったんです」
舌をぺろっと出して茶目っ気を含ませた愛衣ちゃん。
――言われてみれば確かに妙だったのだ。
実は海に到着してから海水浴場へ向かう道中、三浦と愛衣ちゃんに「勇が夕映にカミングアウトした」と報告しておいた俺。しかし、夕映の気持ちを教えたはずの彼らなのに「夫婦ってバレたらあの子の恋心的に、マズいんじゃないのかい?」などという指摘がないなと思っていたのだが……そういう事か。麻痺って……。
その上、夕映の元々のキャラクター性をほとんど知らない二人だから、猫を被っていた事実に気付かず勇が夕映から制裁を受けている様も「元々そういうものだ」と受け止めていたという事か。
認識の差が顕著に出てたんだな。
「とはいえ、真奈さんは君達が買い物に行っている間にその旨を僕たちに伝え、理解した。それが現状に繋がっているのだよ――この四人が、夕映さんを探しに行く理由なんて、どこにもないさ。叶わなくとも告白したい……それは愛衣ちゃんと僕には痛いほど分かる気持ちだからね」
三浦がそう語ると、真奈驚いたような表情を浮かべて「そうなのかい?」と問いかけ、それに愛衣ちゃんが答える。
「私と三浦さんはこの、ナルシスト夫婦のおかげで自分を曝け出せたというのはありますもんね」
「しかし、三浦さんの例を鑑みれば、悪影響のような気もしてくるけれど」
「違うんです、真奈さん! こ、これは特例なんですよ!」
愛衣ちゃんは三浦を指差し、彼はその事実に「僕は『これ』呼ばわりかい……」と少し悲しそうな表情をした。
しかし――。
俺はそんな三人の気持ち、計らいを思うと心の底から――笑った。
快活で、優しく、一方で勇ましくもある三人に対して、感謝のような気持ちを孕みつつも喜びに似たものを含ませ、しかし答えの出ている疑問も忍ばせた――笑い。
だから、俺は問いかける。
「でも、夕映が勇に告白する事は、恋敵が重要な場面へと邁進する事で……それは言ってみればお前さんらとしては、敵に塩を送るのと同義だろ。邪気に満ちてるとか、有害とか……車の中で散々、敵視していたお前さんらが――そんな行動を取っていいのかと思うけれど?」
俺はそう、どこか揶揄するように投げかけた。
すると、三浦と愛衣ちゃんは不敵な笑みを浮かべ、そんな両者の合致に理解の及ばない真奈の表情は懐疑的だ。
しかし、真奈と俺の疑問はすぐに払拭される。
いや――俺に至っては疑問にすら思っていない。
きっと、彼らの返答に対して俺は「そう言うと思った」と返答するからだ。
そして、三浦と愛衣ちゃんは「決まってるじゃないですか」「決まっているだろう」と口々に語り――そして、決定的な一言を述べる。
「敵の敵は味方――そういう事ですよ」
「敵の敵は味方――そういう事だよ」




