優「人畜無害の無邪気な明るい子」
あまりにも真奈と夕映の三浦に対する嫌悪がもの凄く、海行きさえ中止になりかねない彼女らの引き具合が悪化の一途を辿る前に出発する事とした俺達。
とはいえ当然、彼女らを三浦の車に乗せるわけにはいかない。なので、俺と愛衣ちゃんが三浦の車、勇の方に真奈と夕映という組み分けで出発する事となった。
真奈の別荘に向かう事となるため先頭を勇の車が走り、俺達がその後を追いかける形となるのだけれど――それにしても。
「お前さん、随分と嫌われてるなぁ……あの真奈でさえも引き攣った表情だったぞ。まぁ、あの水着の一見を踏まえれば当然と言えるだろうけど」
俺は助手席にて、運転に勤しむ三浦に呆れ交じりのイントネーションでそう言った。
「まぁ、人間同士には合う合わないがあるからね。仕方ないよ」
「まるで先天的に相性が悪かったみたいに言うなよ」
俺の引き攣った表情とは対照的に、淡々と無表情で勇の車を追うべくハンドルを握る三浦。本当に、俺への告白――その一件を経て精神的に強くなったというか、鈍くなったというか。
駅前で真奈と夕映にあからさまな嫌悪を向けられている時にも顔色一つ変えなかったもんなぁ。
「それにしても、あのお二人って確か水着を買いに行った時に遭遇したのだったと思いますけど、今日の海行きのメンバーだったんですねー」
後部座席にてペットボトルを手で弄びながら、愛衣ちゃんは想起を口にした。
ちなみにデニム地のサロペットに明るい色のハットを被り、髪を二つに分けて括っている愛衣ちゃん。長すぎない髪を二つに括ると演出されるあどけない感じは素敵だと思う。
俺の中でちょっと髪を切った事への後悔が沸々と湧き上がってこなくもない。
「あぁ、そうか。あの時、愛衣ちゃんには勇の元同僚くらいの認識しかなかったわけか。同行者だとは思うわけないよなぁ」
「まさか、おねーちゃんにあんな女友達が二人もいるとは思いませんでした。ちょっとショックかもです」
メラメラと嫉妬心を燃やし、唇を尖らせる愛衣ちゃんを首だけ後部座席側へと向けて見つめる俺。
「うーん、確かにそうだねぇ。勇くんの友達が女性ばかりだなんてちょっとショックかも」
「俺はお前さんの発言の方がショックだよ」
俺は溜め息交じりにそう語りつつ、視線をフロントガラス越しの進行方向へと移す。
街を抜け、木々の目立つ山道へと差し掛かったようで周囲の景色は深緑で彩られたものへと変わった。車が走り抜ける瞬間、その刹那に飛び込んでくる景色を通り過ぎ、追い越してもそこにあるのはひたすらの森林風景だけれど、妙な物珍しさと旅の高揚を持って見つめればなかなかに味わい深いものがある。この山道を越えれば他県へと突入して、それからもうしばらく走れば真奈の別荘が建つ海岸へと辿り着くらしい。
そんな道中、会話も途絶えていたので俺は話題を提供してみる事にする。
何せ、このメンバーである。
「そういえば、お前さんらって割と会ってるみたいだけど……そういう時って二人で何やってるんだよ?」
俺は三浦と愛衣ちゃん、交互に視線を配りつつ問いかけた。
正直、俺としては社会人と高校生という組み合わせ以上に少々、アブノーマルな性癖を有した二人という事で、彼らが会った際に行われる内容について兼ねてより疑問を持っていた。
そんな質問に対し、真っ先に口を開いたのは愛衣ちゃんだった。
「相談ですよ、相談」
「戦略会議とも言い換えられるかな。喫茶店で珈琲を片手に意見を交わすのさ」
愛衣ちゃんに続き、補足するように語った三浦。
「戦略会議って、何を話すんだよ?」
「どうやったら優を落とせるか」
「どうやったらおねーちゃんが手に入るか」
「俺らを離婚させる気か!」
あっけらかんと答える愛衣ちゃんと三浦に、叫ぶように返答する俺。
二人の好意は知っているけれど、よくもまぁ堂々と婚約状態の二人の仲を引き裂く発言を本人の前で出来るものだなぁ……。
と、――そんな俺の思考を読んだかのように三浦は「ちょっと待ってくれ」と言い、続ける。
「僕に至っては君達の敵にならないさ。君に対しては心、勇くんには体を求めているからお互い、僕を浮気相手とする事でちょっと喧嘩両成敗的な納得が出来るんじゃないかな」
「なら、おねーちゃんの心は余ってるって事ですか。利害の一致ですね。余っている優さんの体を私がとりあえず拝借すれば、素敵な四人の関係性が出来上がりますよ!」
「出来上がるか!」
俺は三浦の側頭部を迷う事無く引っ叩いた後、少々の間を置いて愛衣ちゃんの頭も小突いておいた。
うーん、初めて愛衣ちゃんに暴力的ツッコミを行ってみたけれど、「痛っ」と堪えるように目を閉じつつ、呟く姿は可愛らしいものである。
一方、引っ叩かれても無表情で「すまないね」と言ってくる三浦の言葉に「日本語って難しい。失言を謝ってるわけじゃないんだよなぁ」と思う俺。
それにしても愛衣ちゃん、俺の体はとりあえずかよ……。
「とはいえ、君たち二人の心と体。そんな、どっちつかずな立ち位置こそ――僕の適材適所だと思うのだけれど?」
「適材適所って言葉を気安く使うな。俺達にとっては大事な言葉なんだよ」
「じゃあ、敵材敵所?」
「やっぱり敵じゃねーか!」
「でも優さん、ちょっと慢心なんじゃないですか?」
俺が三浦の対応に一段落と思い、嘆息していた所に割って入ってくる愛衣ちゃん。
「何が慢心なんだよ?」
「いや、だって戸籍上は優さんとおねーちゃんってまだ結婚してないわけですよね? 所謂、婚約段階――まだ、チャンスは十分にあるという事ですよ、これ!」
急に言葉に盛り上がりを絡めて語った愛衣ちゃん。
婚約だって破棄すれば違法なのだから、リスクが伴っている時点で勇としても浮気に及ぶなら慎重にならざるを得ないんだけどな――ってか、そんな事をしたらタダでは済まさないけれど。
まぁ、それはさておき――。
「俺、すでに勇から婚約指輪は貰ってるんだよなぁ」
俺が少し恥ずかしそうに呟きを漏らすと、「えぇ!」と二人は声を揃えて驚愕を口にした。
「そうなんですか!」
「ほう。それは驚きだねぇ」
声高に驚きを露わにする愛衣ちゃんと、本人なりに衝撃を受けているものの表情には表れず涼しい顔をしている三浦、二人の視線が一斉にこちらへと向けられる。
そんな驚きに包まれて悪い気分では俺は、膝の上に載せていたカバンに手を入れてゴソゴソと物色した後に「ある物」を取り出して、二人へと見せつける。
「ほら」
俺が満足気な表情で見せびらかしているのは勇からあの日、渡された婚約指輪の納めれた小箱である。何とも言えない質感の小箱を開くと格調高い白銀の指輪が上品に納められ、光から得た光沢を纏って厳かな存在感を主張する。
「優さん、持って来ちゃったんですか……」
「勿論! 片時も離さず持っておきたいからな」
俺の言葉にどこから呆れ顔な愛衣ちゃん。
「そんな状態で持ってくるなら身につけておいたらいいんじゃないですか?」
「いや、俺は結婚式の当日に身に着けると決めているんだよ。だから、それまでは毎日仕事から帰ってきたら自室で一時間はベットに転がってこの指輪を眺め、ウエディングドレスを着た自分を想像してニヤニヤとするのだ。にっしっし」
俺は思わず零れる笑みを自重する事無く浮かべ、指輪から連想するとろけそうな妄想を脳内に描き出せば胸がじんと熱くなる。
ウエディングドレスなんて、絶対に男の体では着られないだろうしなぁ。
「もう口調すら変わってます……。とはいえ、何か素敵ですねぇ。乙女な優さんもそうですけれど、あの甲斐性なしのおねーちゃんが趣味のアニメに注ぎ込みたいお金で指輪を買うなんて」
愛衣ちゃんの何気なく語った言葉にきょとんとした表情を浮かべ、硬直してしまう俺。
「言われてみればコレ、いくらしたんだろう……」
愛衣ちゃんの言葉に気付かされ、俺は初めてその疑問にぶち当たる。
「考えた事なかったんだね……とはいえ、決して安くはないと思うけれど」
三浦の言葉に俺は嫌な汗をかき、焦燥感が胸中に伴い始める。
「そうだよな。こういう指輪って高いよなぁ。なのに俺、こんなに軽々と海に行く荷物の中に交えてきちゃったけど……失くしたりしたら大変だぞ! 大丈夫かなぁ」
急に恐怖心が胸中を席巻し、血の気が引いてく感覚すらする。傍から自分を見る事が出来たならばきっと、顔面蒼白で汗をだらだらと流しているに違いない。
「うーん、何気なしに指輪を持ってきてしまうと紛失フラグになって夕焼けに染められた海の中、おねーちゃんが優さんのため必死に捜索する展開になり、それはそれで熱い展開なのでしょうけれど――しかし、紛失するかも知れないと自覚的な場合はフラグ回避となるでしょうから、大丈夫かと」
「何だ、そのフラグって?」
「知らない方が幸福、を体現したものですよ」
愛衣ちゃんはそう語って不敵に「ふふふ」と笑い、そんな表情を見つめて困惑する事しか出来ない俺。
うーん、まぁ俺には難しい話なのだろう。
俺がそんな風に自分だけでは答えの出ない疑問に、腕組みをして首を傾げて考察していると三浦は突如「そういえば」と言って話題を切り出す。
「えーっと確かあの二人、真奈さんと夕映さんだったっけ。彼女らは一体、どういう人達なんだい? どうも入れ替わりを露呈しないよう立ち回らないといけない風に聞いているけれど、それなら人物像は知っておいた方がいいんじゃないかと思ってね」
三浦の言葉に「それもそうか」と納得する俺。
三浦にあらかじめ与えている彼女らに関する情報はあくまで「入れ替わりをバレないようにしなければならない」という事だけだったのだ。とはいえ、俺もそれほど彼女について詳しくはないし……どう説明したものだろうか?
腕組みをし、首を傾げつつ俺は何とか彼女らの印象を言葉にする。
「えーっと、とりあえず夕映の方から。背が低い方だな。この子はもう片方の事があるからこんな表現になってしまうけど、人畜無害の無邪気で明るい子だよ。他に語る事があるとするなら……そういえば、勇に気があるって言ってたな。それくらいしか俺も印象がない子だよ」
「いやいや、十分に特徴的――っていうか、有害じゃないですか!」
「そうだね。邪気に満ちているね」
意見を重ね、夕映に対して敵意とも呼べる意思を示す二人。
……何なんだよ、その団結力は。
「……どういう意味で夕映に問題があるんだよ」
「勿論、恋敵的な意味さ。勇くんを狙っている人間が僕ら以外にもいたなんてね。由々しき自体だよ」
「一応言っておくけど、俺はお前らから旦那が狙われている側だからな」
俺は呆れた表情とそれに伴うイントネーションで語った。
何だかんだでウチの旦那モテモテだなぁ……誇らしくなければ、羨ましくもねーけど。
などと思考している最中――愛衣ちゃんが「あれ?」と何かに気付いたように思案顔で呟く。
「今考えてみれば、三浦さん。優さんだけでなくおねーちゃんも狙っているという事は――私の恋敵でもあったって事ですか?」
愛衣ちゃんの顰めた表情で投げかけれた質問に三浦は、「あぁ、その事か」と言って続ける。
「さっきも言ったけれど、彼に関しては体目当てなんだよ。ワイルドな見た目は好みだけれど、彼の性格に関しては趣味に合わなくてね……だから、僕の心は優夫妻の間で揺れ動いてしまって随分と難儀な状態なんだよ」
淡々と涼しい顔でとんでもない事を言ってのけた三浦。
うーん、偏見的だけれど「男性と好きな男の趣味が被った」というこの状況は何とも形容し難い気分にさせられるなぁ。とはいえ、俺の好みで生まれてから二十年と少しの間で演出した「勇」という男性に三浦が食いついただけという形ではあるけれど。
一方、愛衣ちゃんは三浦の言葉に何度もうんうんと頷き、納得しているようだった。
「つまり、敵の敵は味方という事ですか」
「そうだね。そう語ってしまえば手っ取り早いね」
「おい! その間に誰を挟んでんだよ! 俺か、俺なのか!」
俺の空しい叫びはさておき、閑話休題。
「――で、真奈という女性はどんな人なんだい?」
三浦の問いかけに「この質問は簡単だな」と思う俺。
「うーん。そうだなぁ……危険人物だな。ただし、愛衣ちゃんの次に」
俺は揶揄するように語って意地悪そうに笑むと愛衣ちゃんを見つめる。
想定外の被弾を受けたからなのか、愛衣ちゃんは目を丸くして驚愕を露わにする。
「ちょ、ちょっと優さん、私の事をそんな風に思ってんたんですか! おねーちゃん寝取りますよ!」
「す、すげえセリフだな! ――ってか、そんな事を言いだす時点でやっぱり危険だよ」
「とはいえ、愛衣ちゃんの次ならば無害に等しいと思うけれどね」
三浦の揶揄する言葉に、今度は頬を風船のように膨らませて機嫌を損ねたように表情を曇らせる愛衣ちゃん。
「三浦さんまでそんな風に思ってたんですか! おねーちゃん寝取りますよ!」
「そ、それは困るね」
「いやいや、俺の旦那だから」
――と、そんな他愛もない会話を繰り広げている時。
目の前を走っている勇の車が蛇行運転を始める。ふらふらと車道上を覚束ない運転を連ねる前方の車に対して「やっぱり一朝一夕の運転技術じゃ無理があったのか?」と思うも現在、二台の車が走っている道路はひたすらに直線――真っ直ぐに進むのみの単純な運転しか求められない状況。
「何やってんだ……あっちの車は」
「随分とご機嫌な運転をかましているじゃないか。さぞかし、良い事があったのだろうね」
「私は悪い予感しかしませんけれど……」
不安を湛えた口調で語った愛衣ちゃん。
根拠はないけれど、俺も彼女に同意見だ――と思いつつ、不安定な運転を未だに繰り返す前方の車を見つめていた。




