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ナルシスト夫婦の適材適所  作者: あさままさA
【6】ナルシスト夫婦の夏季休暇
53/71

優「ずぶ濡れから離れてくんねーかな」

 オフィスから望む景色に俺と三浦の帰宅する意思が揺らいでいた。無論、帰らないなんて選択肢はないのだけれど、電車通勤となる俺達にしてみれば少々の距離がある駅までの道のりでずぶ濡れになる決断はまだ下しきれないのだ。 


 決断を妨げるほどの豪雨――叩き付けるような音が「轟く」という表現を与えられて然るべきな大雨。刹那の流星の如く、眼前を閃く雨粒の軌道が地面を穿ち、唸り声のような雨音を響かせている。


 そのような雨音に俺と三浦は顔を見合わせて嘆息する。


 オフィスでこうして決断に踏み切れず、一抹の願いとして雨足の緩む瞬間を祈っているのは俺達だけではない。マイカー通勤の者は駐車場までの僅かな距離に対してカバンを盾にして駆け抜ける決意を容易に抱くも、歩きが伴ったり自転車通勤の人間はおいそれと飛び出せない状況。


 今朝は千切れた雲がまばらに浮かぶ程度の晴れ模様で、今日も帰りにアイスでも買って帰ろうかなどと退勤後のささやかな楽しみを思考いたくらいだのだが……天気が急変したのは昼過ぎだったと思う。突如として流れてきたどす黒い様相を湛える雨雲が空に蓋をすると、俺達の退勤を見計らったかのように突如、轟音を連ねて泣き出したのだ。


 車を持っている人間も方向が合わず、乗せてもらうわけにはいかず今に至る。


 さて、どうしたものか――そう、思っていた時に俺の携帯が鳴り響く。「会社内であるのにマナーモードにしていないのか」という疑問には俺の機械音痴を免罪符とさせてもらうとして、帰宅のため手に持っていた仕事用のカバンから携帯を取り出す。


 折り畳み式の携帯を開き、表示された画面。


「おや、登録されていない番号からだね。出ない方がいいんじゃないのかい?」


 画面に羅列された番号が視界に入ったのか、三浦は隣から指摘してくる。


「確か、この番号は勇だったと思う。俺ってば機械が苦手だから番号を覚えてないと判断できねーんだよ」


 後ろ頭を掻いて羞恥の体現としつつ、「勇」という部分はしっかりと社内であるため控えめの声量で語った俺に対して、三浦は「なるほどね」と呆れ気味に納得した。


 ……それにしても、勇がこの時間に電話とは。もしかすると雨が降っているから傘でも持って来てくれたのだろうか?


 俺は左右に配置されたボタンをきちんと確認し、通話の方を押して応答する。


「お、こっちが通話ボタンで正解だったみたいだな」

『何度か誤って電源ボタンを押されてますけど、それ本気でやってるのかなって時々思いますよ』

「冗談でそんな事するかよ。俺だって必死なんだっての」

『だとすると優は本当に現代社会を一人では生きていけなさそうですね……私がしっかりしないとって、本気で思いますよ』


 心底不安そうに語った勇。とはいえ、俺はそんな勇がいれば機械が苦手でもなんとかやっていけるから、安心だなと楽観的に思う。


 足りない部分を補い合っているなんて、なかなかどうして夫婦らしいじゃないか。


 とはいえ、馬鹿話をしていては話が進まない。


「で、どうしたんだよ。何か用件があるんだろ?」


 俺がそう言うと、勇は「ふっふっふ」と何故か不敵な笑い声を漏らして語る。


『この雨で大変かと思いましてね……迎えに来たんですよ。今、会社の前にいますよ。どうですか、この気が効く旦那。惚れ直しちゃうでしょう?』

「マジかよ……それは冗談抜きで惚れるなぁ。でも、まさか自分の分しか傘持ってませんでしたとか、そんなふざけたオチじゃないよな?」

『傘? そんなもの一本も持ってませんよ?』

「お前、真性の阿呆だな」


 ならば勇は今、俺の会社の前で傘も差さずにずぶ濡れで立っているという事か?


 ……一体、何しにきたんだろうか。


『阿呆とは失礼ですね! ……まぁ、いいです。好意を無下にされた事は後々、きちんと話し合うとして早く出てきてくださいよ。帰りましょう』

「ま、まぁ、そうだな。お前さんがそれ以上、雨に晒されて風邪を引いても困る……いや、手遅れな気もするけれど。とりあえず、すぐに向かう」


 俺はそう言って電話を切ると、隣に佇む三浦は懐疑的な表情を浮かべていた。


「傍から聞いてこれほど何の話をしているのか分からない会話もないだろうね……。とりあえず、どういった用件だったんだい?」


 三浦の半ば引き攣ったような表情が問いかけた疑問。


「とりあえず、ずぶ濡れになった勇が迎えに来てる」

「ずぶ濡れ! それはありがたいね」

「いや、迎えに来ている方を喜ぶべきなんじゃないのか。普通は」


 俺の顰めた表情に咳払いを鳴らす三浦。


「そうだね。言葉を改めよう。ずぶ濡れの勇くんが迎えに来てくれた。それは随分とありがたい事だね」

「ずぶ濡れから離れてくんねーかな……」


 俺はジト目で三浦を見つめつつも、勇の所へ向かうように促した。オフィスに残る同僚に別れの挨拶を告げると階段を降りて、一階の玄関まで移動し立ち止まる。


 目の前の自動ドアを越えれば途方もない量の降水を叩き付けられて、一瞬で髪や衣服がぐっしょりである。それをさけるため、ガラス張りの自動ドア越しに勇の姿を探す俺。


 しかし、ずぶ濡れの男なんてどこにもいない――と思っていると、玄関から出てすぐの歩道を挟んで向こう側の車道。路肩に止められた一台の見慣れない車、その助手席側ウインドウが開き――何故か運転席に座る勇が手招きをしている。


 俺は足で床を小突いて自動ドアを感知させ開き、雨音に掻き消されんばかりの大声で事の詳細を問いかける。


「どうしてお前さんが車に乗ってんだよ!」


 俺の言葉に聞き取りづらそうに表情を顰めつつ、勇は、


「とりあえず乗って下さい! 三浦さんも!」


 と言ったので、聞こえていたであろう三浦に「行くぞ」と言って瞬間的な降雨の中を駆け抜けて車へと歩み寄る。その最中「ずぶ濡れてない」とぶつぶつと文句を言う三浦だったが、少なくとも迎えに来ているのは事実なので別に良いはずなのだが。


 そして三浦が迷わず勇の隣である助手席に座ってしまったので、俺は後部座席の扉を開いて乗り込み、すぐさま扉を閉めてほっと一息。


 少々、雨水が衣服や髪に触れたものの、そこまでの被害ではない――と思っている最中。


 隣に座っている何者かの存在に遅れながら気付き、俺はそちらの方を向く。


「――え、只野?」


 俺がぽつりと漏らした言葉に対して、目を見開いて驚愕する彼。


 多少、汚れても放置しっぱなしの眼鏡や、皺だらけの服、冴えないと失礼を承知で思わず言ってしまうような容姿。髪はいつだったか見かけた時に比べれば随分と短いが――間違いない。只野で本人だろう。


「もしかして……『勇』くんかい?」


 恐る恐る、といった感じのイントネーションでそう呟いた只野。


 ……何故、初対面のはずの女性が突如として自分の苗字を口にして……それに対する反応が「勇」かも知れないという予感になるのか?


 確かに「入れ替わりの件」に関してはいずれ、只野に対しては開示しようと考えていたが――しかし、こんな急に機会が訪れるとは。


 俺が思いを寄せていた男と、俺に思いを寄せていた男に、旦那――という奇妙なメンツが乗り合わせた車は、叩き付ける豪雨がアスファルトを薄っすらと白く染める車道をゆっくりと、ぎこちなく慣れない運転によって走り出していく。


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