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ナルシスト夫婦の適材適所  作者: あさままさA
【6】ナルシスト夫婦の夏季休暇
48/71

勇「膨らんでるのはその胸だけですか」

ここからは活動報告で予告していた執筆上の端材。

おまけエピソードみたいなものです。


とはいえ、【5】の続きとなってますけど。

 ――八月となりました。


 学生としては七月の余裕が消え失せ、夏休みの後半戦に言いしれない焦燥感を感じる頃でしょう。実際は八月の上旬は夏休みの中腹くらいなのでしょうけれど、それでも体感は全然違うものです。私は夏休みを六回しか経験していませんが、それでも八月の言い知れない虚しさは分かります。盆なんて過ぎようものなら新学期なんて目の前。


 そんな切ない夏の終わりとの付き合いを小学校の卒業と同時に終えてしまった私。中学校時代はずっと引きこもっていましたので、メリハリのない生活というか……まぁ、言ってみれば年中夏休み。春、冬、夏休みが合体してましたからね。自堕落三昧でした。


 さて、そんな切なさを味わえなくなった大人にとって「夏」というのは忌まわしい以外の何でもない期間といって差し支えないでしょう。お母さんにとっては、学校で給食を与えられて帰ってくるはずの我が子に、昼ご飯を作らねばならないですし、そう――私のようなサービス業に従事する人間としては、この忙しさは溜まったものではないのです。


 他人が休みの時が忙しい、というのはサービス業の宿命ですからね。ゴールデンウィークに加え、最近名を聞くようになったシルバーウィーク。加えて年末年始と、休みたい時にこそ人手の必要な職業は辛く、盆を擁する夏休みはその筆頭と言えるでしょう。


 そう――思っていたのですが。


「優。何故か今年のお盆、休みなのですけれど!」


 仕事から帰宅するや靴を脱ぎ捨ててクーラーの効いたリビングにてソファーにどかっと身を横たえ、心地よさそうにくつろいでいた優に開口一番、その珍しいとしか言いようのない事実を報告しました。


 私の言葉を受けて面倒くさそうに半身を起こして、こちらを見つめる優は寝惚け眼。日が傾いたとはいえ、まだ汗腺が大繁盛なクソ暑い外界を嘲笑うように文明が生み出した至高の一品、クーラーを従えてうたた寝ですか。羨ましい!


 と、そんな私の軽い嫉妬はともかく、目を擦りつつ優は答えます。


「お前さん、この国で盆ってのは毎年休みだろーが。知らねえのか?」

「そんな低級な揚げ足取りは欲しがってません。いいですか? サービス業に従事し、皆さんの休日に緩む顔を激務と共に拝まされる私――いえ、私達が繁忙期たるお盆に休みが与えられたのですよ!」

「うーん……。でも、俺も休みだしぃ」


 優は覚束ない口調でそう言うと、欠伸をしました。


「会社員たる優はそれで当然なんですよ。あなたのような人間が持たざる者に対して『パンがなければケーキを食べればいいじゃない?』とか言うんですよ」

「俺、実はパンより白飯派だぜ? 炊くの面倒だから朝はトーストだけど」

「話が全然、成立してない!」


 完全に室温のコントロールされた空間で快楽に浸っていたために脳みそが起動していませんね、優。とはいえ、流石は冷房器具の頂点に立つクーラーです。私が帰路で身に纏った汗も引いていきます。寧ろ、表皮に薄っすらと残留していた汗が室内の冷気に触れて心地いいくらいです。


 ――というか、ちょっと寒すぎるような?


 外の熱気に抱かれて上がった体温が中和された感じで私の方はそれほどの寒さは感じないのですが、よく見ると優は寝起きから段々と意識をはっきりさせてきたためか室温に対して自分で体を擦り熱を得ようとしています。


 なんだか、夏なのに寒さに震えるって、この上ない贅沢ですよね。


 ――とはいえ。


「優、あなたそんなに暑がりなのですか? クーラーがちょっと効き過ぎというか。……いえ、よく考えたら質問するような事ではありませんね。私が暑がりという事もなかったですから、関係ないですか。元は私の体ですもんね」

「温度に対する感覚って、体で決まるのか?」


 優はそう言いつつ、可愛らしくくしゃみをします。


「え? そうではないのですか? あなたがお酒に強くなったのは、元々私がアルコール耐性の高い体だったからであるように、温度に対する感覚も体依存なのではないですか?」

「そういうもんか」


 さほど興味もないのか、適当に納得する優。


 彼女も今日は仕事だったようでジャケットを脱いでのクールビズが許されている職場らしく、ブラウスに黒いタイトスカート姿なのですが……帰ってきた時には暑くて堪らなかったのでしょう。ブラウスのボタンを三つも外しているために、その……えーっと、つまりあれです。ちょっと下着的なものが見えちゃってるんですよね。


 うーん、自分が身に着けていた時には何とも思わなかったのですけどねぇ。

 やっぱり、一人の女性として客観視するとどうしても……。


 とはいえ、視線が不自然にそちらへ行かないように必死にコントロールするも、磁力が伴っているかのように吸い寄せられる私の眼球。あちらから訝しんだ表情が向けられる事もないようですから、とりあえずはバレていないようです。


 ――というか、自分の妻に対して何を臆するのでしょう?


 大体、私と優の下着も同じ洗濯機でぐるぐると回され、同じように洗濯ばさみで吊るされているではないですか。外気に晒され、乾燥を待つ吊り下がった下着を見つめる事と、優がリアルタイムで身につけている下着を拝見する事にどう差異があるというのでしょう?


 いえ、違いませんよ。

 私は何も、間違ってません――ですから。


「別にいいでしょう」


 そう言って優の中途半端に開け放されたブラウスを指で少しずらしてみる事に。


「気でも違えたか」


 瞬間、脳内が真っ白になるくらいの威力で側頭部を引っ叩かれました。


 恥じらいを伴いつつも不機嫌そうな表情でブラウスのボタンを留めていく優。出勤する際でも一つは開けているというのに、今は首元まできっちり。全てのボタンをとめてしまいました。


 痛みに疼く側頭部を押さえつつ、私は閑話休題とばかりに話題を戻します。


「それで、ですよ。私の務めるお店が個人経営である事は前にも話したとは思います。そこを経営する店長が盆の期間中、店を締めると言うんですよね」

「へぇ、盆に店を? 一番忙しい時期じゃねーのかよ?」

「そのはずなんですけど、どうも店長に外せない用事が出来たようでして。なので店を閉めるんだとか。私達、パートのスタッフだけで店を回しましょうかとも言ったのですが、一番忙しい時期を休む店長的にはそういった負担を従業員へ一方的に押し付けられないとかで、今年は休む事となったようで」

「なるほどな……。ふーん。まぁ、とりあえずいい店長なんだな」

「え、それだけですか?」


 職場が休みに至った経緯、そして何より私が休みになったという事実を総括しての第一声が店長の人格に対する褒舌って……。ちょっとショックですね。


 だって――。


「いやいや、優。私と優の休みが重なったのですよ? 一緒に遊びに出かけたり出来るんですよ? いつだったか、あんなに私の休みに予定を重ねられない事を憤慨し、大喧嘩にもなったのにマンネリですか? そうなんですか?」

「落ち着けって……」


 私の問い詰める口調に圧倒されながらも必死に宥めてくる優。


 半身を起こした事で生まれたスペースを優は手で叩いて座れと促し、それに従ってソファーに腰を下ろすと、途端に嘆息してしまう私。


「連休が重なったのですよ? どこか行くとか想像を膨らませましょうよ。膨らんでるのはその胸だけですか」


 そう語って隣に座る優の胸を突いてみると苛立った表情で耳を引っ張られました。若干、釣り合っていない制裁だとは思いますが、懲りない私が悪いとか言われそうなので異議申し立てはしません。


 蛇足な事を言った私の罪です。


 一方、制裁という名のあからさまな暴力を振い終えた優は咳払いをします。


「あのな、お前さんといるのが俺にとってマンネリとかそういう事になったりはしない。結婚して、こういう風に過ごしている日常がどれだけ俺にとって幸福かって話だ。でもな、そういう日々における休日を敢えて派手に過ごすのではなくて……えーっとそう、ゆっくりと家の中でってのも悪くないと思うんだな。俺は」

「あぁ、折角の休みだからダラダラしたいんですね」

「む」


 私がそう指摘すると、優は絵にかいたような図星の表情を浮かべます。漫画的表現が適用されるならば、顔から汗がだらだらと流れ落ちている描写が成される事でしょう。


「いやぁ……そういう事ではなくてだなぁ。俺もそんな中年男性が息子との日曜日を無下にする文句のような事は言わないって」

「まぁ、別にいいのですけれど。体力の低下も気になるお年頃という事ならばゆっくりと休んで頂ければ」


 私がそう揶揄するように言うと、急にムッとした表情を浮かべる優。

 扱いやすいですねぇ。まぁ、そういう単純明快な所が私は好きなのですけれど。


「そ、そうだなぁ。折角のお盆だし、遠出でも何でもしないと勿体ないっての一理あるなぁ。俺ってば、休日を家で過ごすとか何を意味の分からない事を。ははは」


 わざとらしい演技で自分の前言を唐突に撤回し始めた優。ここで更なる弄繰り回しを行って敢えて優の羞恥と混乱、そしてその先に待っている怒りを誘い出してもいいのですが――それで乗り気な彼女の気が変わっては本末転倒。


 ぐっと堪えて、話題を進めていきましょう。


「なら決まりですね。――優、海にきましょう。海に!」


 私は指をぱちんと鳴らし、したり顔で優にそう提案したのですが――。


「海か……」


 さっきから混乱したり、羞恥の表情だったり、お怒りモードだったりと忙しい彼女ですが、唐突に真剣な面持ちで呟いたのでした。


 どうしたのでしょうか。海というワードで神妙な面持ちになるのは大概の場合、決まっているのですが――しかし、彼女が?


 でもそういう事実は正直、萌えるのですけれど。


「優。あなた、さては泳げないんですね?」


 私は意地悪そうな笑みと、それに伴う下衆なイントネーションで問いかけ、きっと彼女の焦燥感を焚き付けて「は、はぁ? 泳げるっての。馬鹿にすんな!」と前のめりな語り口調で返されると思っていたのです。あわよくばゲンコツ付きで。


 しかし、彼女の神妙な面持ちは崩れません。


「俺さぁ、泳げないんじゃなくて――泳いだ事がないんだよ」


 優は渋々といった感じでそう、重苦しく語りました。


 泳いだ事がない――それは人間が生きる上で起こり得るのでしょうか。小学校は大抵、水泳の授業があるでしょうし、家族で海に行く経験ならばこの引きこもりの過去を持つ私でもあるのです。正直、男性であるのに上半身にも布を纏うのが違和感でしかありませんでしたが――って。


 ――水着。

 なるほど、そういう事ですか。


 しかし、優の場合は肉体が男性ですから――いえ、男性だからでしょうね。女性であるはずの「彼女」がまだ「勇」だった頃、水泳の授業がどういう意味を持つのか。


「水着、それが問題となって学校の授業も休んでいた。……そういう事ですか?」


 私がそう問いかけると、優は「流石、分かるんだな」と苦笑交じりで答えました。


 そうなのです。優は女性でありながら、男性の水着を着用して授業に臨まなければなりません。一般的に上半身の露出を恥じるであろう女性が、それを曝け出して心の性別を視点とすれば異性となる男子達に素肌を晒す。


 ――そんなの、嫌に決まってます。


「一応、学校の先生にも全身肌が隠れるウエットスーツで授業を受けさせて下さいって言ったんだけどな。……無理だった」

「それはギャグとしか思えないですけどね」


 私はそう、笑い混じりで言いつつも「こんな所にも障害が自由を阻んでいたのか」と思います。そういった気持ちを、私は女性でありながら上半身を隠す事に対する違和感という真逆のベクトルで共感出来るのです。


 ですが――そこで立ち止まっていては、私達ではありません。

 入れ替わりによって、そんな問題はクリアされたのですから!


「優、それを聞いたら私はより一層、海に行きたくなりました。そんな過去の問題、入れ替わりでクリアされているのです。あまり深く考えないで、女性らしい水着が着られる機会を得たくらいに思ってポジティブに出かけてみませんか?」


 私がそう改めて誘うと優はそんな考えが思考外だったのか目を見開き驚くも、自分の懸念が氷解した事の安堵も手伝ったかのような柔らかな微笑みと共に「それもそうだな」と言いました。


 何だかこういった事実に直面すると考えてしまいます。普通の人にとって当たり前の娯楽や行事を避けて通るしかなかった私達にとって、これは取り戻すという行動なのかも知れません。目の前にありながら手放した数々の経験を拾い集めていく行為。ならばまた一つ、普通の男女としての生き方を取り戻したと言えるでしょうか。


 さて、行くとなれば――。


「それでは肝心の水着ですが、私は個人的にあのパレオというものが付属したビキニタイプが大好きでして。流石に引きこもっていた当時の私は着用してみる気にはなれなかったものの、是非とも優には――」

「いや、水着はウェットスーツを買う」

「何でですか! どうでもいいですけどあれ、結構高いですよ?」

「金に糸目はつけない」

「使いどころを誤らなければ格好いいセリフなんですけどねぇ」


 頑として譲ろうとしない優の言葉で、すでに水着姿を思い浮かべていた私の中で理想が音を立てて崩れていくようです。


 一体、露出のない水着に何の意味があるのでしょうか。いつだったか肌の露出がない清楚な女性が好きだとか言いましたけど、水着は表面積の少なさに価値があると思うのですが。


「そもそもウェットスーツなんてどこで買うのですか。ネット通販もろくに利用できない優に購入する手段があるとは思えないのですけれど」

「それに関しては問題ない」


 そう言って立ち上がった優は何故か私の部屋の扉まで歩み寄り、「入るぞ?」と確認すると返答も待たずに開けてしまいました。


 そして――。


「愛衣ちゃん! 今度、勇と海に行く事になったから、今度の週末に水着買いに行こーぜ! そんでもって海にも一緒に行こう!」


 私の私室内に対してそのように叫ぶと、扉をぱたんと閉めて私の方を向き「愛衣ちゃんならそういうもんがどこに売ってるのかも知ってるだろ」と、他人の妹を何だと思っているのかと言いたくなるような発言をしました。


 まぁ、確かに愛衣の全知全能感は半端ではないですが。


 それにしても部屋に向かってそんなお誘いを叫ぶとか正直、優は夏の暑さで頭がおかしくなったのではないか――などと思っていると私の携帯がポケットの中で振動し、その瞬間に悟りました。


 あぁ、そういう事かと。


 振動はメールの着信を伝えるもので送信者は愛衣、そして内容は優のお誘いに対する返答。水着を買いに行く事と海に出かける両方を承諾するものでした。そんなメールに対して、私は半ば慌てるように返信のメールを送ります。


 いい加減に、私の部屋から盗撮カメラを外すように――と。


「愛衣ちゃん、オッケーって言ってたか?」


 バイブレーションの音で愛衣からの着信だと悟っていたらしい優。


「ええ、買い物も海も行くみたいですど……私の部屋で連絡取らないで下さいよ。メールして下さい。電話でもいいですし」

「いや、番号もアドレスも知らないし、そんな複雑な文章を打ったら日が変わっちまう」

「そんなに時間掛かるんですか!」


 私は素っ頓狂な声でそう驚きを露わにしてしまいました。


 ……相変わらずというか。機械音痴は治りませんねぇ。仕事場では実際、どうしているのやら。


 というか私のプライバシーですよ。パソコンに仕掛けられてしまっているので自分で取り外そうとして壊してしまうリスクを考えるとやはり取り付けた本人に何とかして欲しいのですが……どうも私の真剣さが伝わっていないようで愛衣は一向に行動を起こそうとしません。


 ――などと、思っていると外界から得てきた熱気も冷めきったのか室温に震えてくしゃみを一つしてしまう私。女性と違って、ちょっと豪快な奴を。


 あぁ、そうでした。


「そういえば、話が流れてしまってましたけど……どうしてこの部屋、こんなにクーラーが効いてるんです? 寒過ぎますし切りましょうよ」


 私がそう問いかけると優は突如として頬を指でポリポリと掻いて、視線を逸らし「あー」だの「うー」だの気まずそうな言葉を踏まえて語ります。


「クーラーのリモコン壊して、電源がきれねーんだな。これが」


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