優「I love you」
あれから、俺達は予定していた「責務」を終えて、行く宛も定める事もなく歩いていた。随分と緊張し、身構えていた感じはあったけれど、それでも――懸念を越えた先にある「分かり合う」という事に誰かと達する事はやっぱり嬉しい。
俺の母さんはそもそもがああいう人だから突拍子のない事にも動じないのだけれど、勇の父親の件に関してはどうだったのかと思い、本人に問いかけると「俺と同じような結末を迎えた」という事らしい。
結局、自分の子供がどんな姿であろうと受け入れてくれるのが親だ、などと語れば少し、綺麗事が過ぎるような気もするけれど。
しかし、俺達の秘密を知って自らの至らなさに後悔や苛立ちを覚えてくれる親から生まれた子というのは本当に幸せだと思う。他人の事で怒ったり、泣いたり……そういう自分以外の事で真剣になる余裕のなかった俺だからこそ、憧れてしまう。
そういう、「優しさ」というものに――。
さて、いつの間にか辿り着いた公園にどちらからともなく入っていく俺と勇。
俺の実家では母さんと談笑に興じる余裕もあり、滞在していたため日は傾いて夕暮れ時である。何だかこの公園を訪れる時は夕方である事が多い気がして、色んな思い出が蘇ってくる。
ぶつかって入れ替わり、勇とこれからを話した事や、女性としての体で初めての仕事を終えてここで待ち合わせた日には勇と只野を引き合わせる結果にもなった。他にも、三浦から意外な事実を告げられたり、俺達の「不和」が解かれたり……随分と、沢山。
そんな回想に耽りつつ、園内でベンチに座る事もなく立ち尽くして噴水に視線を預けていた俺と勇。
……そういえば、互いの実家に訪問を終えたというのに、勇はまだどこか緊張している風というか、落ち着きがない。そんなに尾を引くような事だろうか。俺の実家で母と談笑していた時にはもう完全に解れていたと思うけれど。
――と、そんな時。
勇は俺の事を改まったように「優」と呼び、俺はそんな声に振り向く。
真剣な表情に、強い眼差し。
勇はただひたすらに俺を見つめ、何かを語ろうとして口を噤む。
そんな挙動が垣間見えて。俺は頭上に疑問符が浮かぶばかり。やがて、勇の視線は俺から逸れてしまい、しかしもう一度、俺の視線とを結んでくる強い眼差しは、崩れかけた決心のようなものを打ち立て直した流れの縮図であるようで。
俺は、何となく茫漠とした予感を持って、彼の言葉に対して心構えをした。
空気に準じるように閉口し、勇の言葉を待つ。
そして幾許かの時を待って、それは語られる。
「ここにくると何だか思い出しますよね。私と優の体が入れ替わって、そしてこれからを考えていく中で突如として――私が申し出た提案が今日の二人を作っているんだとしたら、あの時の申し出に疑問を抱く日もありながら、それでも後悔するどころか正しかったんだと日に日に、確信するばかりです。でも、あの時の私は自分の理想としての、都合としての、利害としてのあなたに先約を入れるような、唾をつけておくような、縛っておくような意味合いで申し入れたのかも知れません。だったら、そんな約束が今も履行され続けてるって、おかしい事だと思うんですよ。ですから――ですから、私は思います。そして伝えようと決心し、ここでもう一度、申し入れます。
優。私と、どうか――どうか、結婚して下さい。
あなたが好むあなたが、どんな姿であれ好きでいられたのですから最早、あの時の約束は塗り替えられるべきです。新しい日々に、新しい約束を。正しい形に、正しい約束を。そう思って私は、もう一度優。あなたに告げると共に、これを渡したいのです」
勇はそう熱烈に、そして真剣そのものに強く語りきると、スーツの内ポケットから小さな小箱を取り出して、それを開いて俺の方へと差し向ける。
結婚指輪、である。
俺はそんな光景に微笑みを浮かべ、ゆっくりと思考する。
思い出す。
あの時の俺達に、互いを好きだという気持ちはあったとはいえそれは「同志」だからとか、自分にとって一番魅力的な容姿をしているからとかそういう理由で。
そんな日から、相手を見る目は随分と変わってしまった俺達。
相手の気に入らない部分に対しても、変化を求めず受け入れる。
自分を尊重し、自分を大事にする相手に惹かれていく俺達は、今までの日々を思えばそうならざるを得ない。本当の自分を見つめて、偽る事を嫌う。そんな、かつて自分を嫌い、疎む心を宿した俺達にとって、必然的な心理状況。
自分を好きになれた。
理由も不明で根拠も不鮮明な現象によって、適材適所に肉体と精神を入れ替えた俺達。
――でも、本当に適材適所を得たのは、入れ替わった体という意味だけだったのか?
まぁ、そんな御託を並べるのはもう、いい。
俺は心底から嬉しかった。
結ばれる事のない恋をして、本気で心を許せる友にも巡り合えず、やがて死にいく家族を見送り、誰にも打ち明けられない秘密を抱えたまま誰をも寄せ付けない生き方になり得た、俺の人生が今――幸福に満ちている。
生まれてよかった。
生きて、よかった――。
本気でそう思う事を教え、教えられた勇だから。
俺はこの先も一緒に歩いてきたいと思うから。
「本当に嬉しいよ。勇がそんな風にもう一度言ってくれる事も、そう思ってくれた事も全部、全部全部。だから、俺達には皮肉めいた、だけど――あまりにも正しく響くこの言葉を返事として、送らせてもらうよ」
そんな言葉に連ねて、俺は言う。
俺は少し気を衒って、素直には言わず。何だかんだでハッキリと物を言う俺だけれど、例えば「愛してる」なんて気恥ずかしい。でもそんな言葉を、ちょっと洒落て英語になんてしてみれば俺達――そう、ナルシストな夫婦には相応しい言葉になる。
皮肉なくらいに俺達の事を表したその言葉の傘の下。
それが――俺達の適材適所なのだから。
【最後に】
作中で優がアニメ作品に対して、ある嫌悪を示します。
そもそも劇中に登場するそのアニメは、この「ナルシスト夫婦の適材適所」という作品に置き換えられるべきもので、簡単に言えば作中でこの作品を否定しているキャラクターがいるという事になります。
これは、「性同一性障害」というものを作品のネタとしてしか見ていない筆者である僕自身に罪悪感が伴っているという意思表示でありながら、同時に咎めの意見を持った方々の代弁でもあります。
つまり、優の嫌悪は筆者としての価値観に混在する、相反した罪の意識という事で大衆の目に触れ得る場で作品を公開するにおいて、彼女と同じ境遇を持った方の目に触れた際のある意味で謝罪とも言えるでしょうか。
そういった事を明言させて下さい。




