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ナルシスト夫婦の適材適所  作者: あさままさA
【4】ナルシスト夫婦の適材適所
39/71

優「女性的な服装をする男性が世に溢れる」

 俺が男性の肉体を有し、勇という名で自分の本当の性別を偽って生きていた頃、女性というのは衣服のバリエーションに富んでいて得をしている。そんな風に考えていた事がある。女性が男性的な服装をした所でボーイッシュという言葉で片付けられて、男性にはその逆が適用されないのは何だか不平等な気もして。と言っても、ガーリッシュなんて言葉と共に女性的な服装をする男性が世に溢れるというのも如何なものかと思うが。


 そんな風にして、過去には男尊女卑の風潮があったこの国おいて――いや、もしかしたら逆にそうであったからこそなのか、俺は生きていく上で女性が得する場面というのは現代において多いのではないかと思っていたのだ。


 男女という差がある以上はその「差」で「別」れる場面というのは多々あるものだろう。女性の方が有利だと意見を構築した時、それなりに共感の得られる思考なのではないかと俺は個人的に思っている。


 だからこそ――だからこそ、愛衣ちゃんに語られた勇の過去。


 それが俺には理解出来るようで。しかし、男性として生きてきた俺には到底、理解の及ばない部分で心の闇を得てしまっていた勇の「事情」は意外なものだった。勇が内心を男性としていながらも、女性の体を有していたからこそ起こり得た結末。


 そんな勇の事を愛衣ちゃんは、



「夢に破れてどうにもならなくなった」



 ――と、どこか物悲しげに語った。


 夢か、と思う。


 将来の自分を描く際のビジョン。果たして幼い時代に、これほど空想を膨らませて楽しい事はあるだろうか。確かに俺や勇はその性質上、将来の夢という観点においても障害を有しているように思える。


 しかし、案外実情はそうでもないのだと、少なくとも俺は思っていた。


 小学校の頃にはケーキ屋さんになりたい、と内心で思いながらも実際は飛行機のパイロットなどと周囲に嘘をついていた過去が俺にはある。それは無論、男性らしさを敢えて誇示する事で両親を欺くという、幼い心にはかなりの重圧となる罪悪感を孕んだ所業だったのだが――しかし、そのあたりをぐっと堪えて考えてみればどうだろうか。


 男性の姿でも、ケーキ屋さんにはなれるのだ。寧ろ、パティシエと評される人達に男性は多く存在し、下手をすればその比率は女性を上回っているのではないか、という印象すらある。


 だから、俺は「将来なりたいもの」に関して、性同一性障害が壁となるだなんて事はあまり感じた事はなかった。せいぜい自分の真意を曝け出せないくらいの障害でしかないと、それくらいに思っていたのだ。


 しかし、そんな認識が俺と、勇の「差異」なのだと愛衣ちゃんは語った。


 ――勇は小学生の当時、野球選手になりたいと思っていた。


 そう愛衣ちゃんに語られた瞬間、俺はそれがどれだけ重篤な問題を抱えている事なのかよく分からなかった。確かに、勇は内面が男性であるためにそういった職業に憧れを抱く事はごく自然な事だ。しかし、俺がさっき語ったように、将来の夢において性別など。


 そう思考しかけて気付いた時、愛衣ちゃんは静かに頷いた。


 考えた事も、なかった。

 確かに、そうだ。


 俺はあまり野球を好まないけれど、ニュース番組のスポーツコーナーで結果としてプロ野球の僅かなシーンを目にする事はある。野球を仕事とし、世間に夢を与える彼ら。そう、「彼ら」の中に女性が混じっている所など見た事がない。


 とはいえ、プロ野球の世界には確かに女性プレイヤーも存在するらしい。そんな話を聞いた事はあるが、しかしメディア露出が少なければ勇は……幼い頃の知識に乏しい「彼女」はどう思うのか。


 どんな印象を、受けるのか?


 それが俺と、勇との「差異」――そう、女性には選びづらい職業がこの世の中には存在する。それは確かだ。


 女性が土俵に上がる事に論争が巻き起こった事があった。女性大統領の出現が騒がれる事もあった。そんな性の壁は確かに存在していて。奇しくも男性の真理を有している勇が、女性に向けられる厚い隔たりを感じていたのだった。


 だからこそ時の流転と共に、野球少年だった少女「優」が予感していた「叶わないかもしれない夢」は確信へと姿を変えていく事になる。


 小学校の当時、勇は少年野球チームに混じって真剣に取り組んでいた。女の子ながらに、男子に肉薄する卓越したプレイで注目されるチームのエースだったそうだ。しかし、そんな栄光の下でプレイしていられるのも僅かな期間の事だった。心も体も大人へと近づき、小学校卒業を控えた六年生。この頃にはすでに他の男子のチームメイト達との身体能力の差を感じ始めていた勇。筋肉の発達、育ち盛りな彼らの急速な変貌が自分には訪れない事をまざまざと見せつけられた勇はその後、中学校に進学しても部活動には野球部を選ばず、結果として――野球を辞めた、という事になる。


 そして、身体的な事以外にも精神的な由縁が存在した。


 思春期特有の男女に形成される壁によって、自分と本来は同性であるはずの男子生徒達とは一線が引かれるようになる。まず、これによって男子生徒が十割きっちり占めている野球部には入れない。そして、それどころか思春期の最中にあって男性の精神を宿す勇は、肉体的に同性の女子生徒との交流も満足に出来なかった。


 まず第一に野球を仕事には出来ないと悟り、そして野球部としての居場所を得る事も不可能。一人では成立しない野球は本人の意思とは全く関係のない流れによって強制的に辞めさせられる事となったのだ。


 そんな精神的な負担が重なって勇は中学校時代、満足に登校する事が出来なかったのだそうだ。サボる癖がついて登校する日数は週毎に減っていき、結果的には完全な不登校に至った。家から一歩も出ないどころか、ずっと自室でふさぎ込んでいるような日々。夜更かしによって生活リズムが崩れ、登校どころではなくなって勇の中学生としての日常は完全に崩壊してしまった。


 そんな日々で元々、学習用として中学の入学を期に買い与えられたパソコンを用いてのネットにのめり込んでいく勇。彼がそんな方向へと傾倒していった理由も聞かされれば有無を言わさぬ説得力、



 ――そのネットという世界には、堂々と男性としての発言、振舞いを行えるという擬似的な願望成就を可能にする環境があった。



 そして、それは当然のごとく勇の心がっしりと掴んでしまい、中毒的に――もしくは、病的にとも表現できるくらいネットの世界を自分のフィールドとした。普通の人間にとってのネットと現実、その認識が逆転するくらいに。


 そんな勇が居場所としてのめり込んだのがネットゲームだった。このネットゲームにて自分が使用するキャラクターを男性として作成し、擬似的にでも自分の願望をそのネット世界で成就させる。そんな熱の入れようである時は食事を忘れ、ある時は眠気を失い、体に異常をきたすまでひたすらに遊び続け、ある意味では幸運な事に、現代では問題とされているネットゲームによって引き起こされる疲労死に至る直前、その生活は瓦解した。


 見兼ねた両親がネットの契約自体を解除してしまったのだ。


 勇の両親は、我が子が何に病んでいるのかを知らない。そう「性同一性障害」という悩みの種を勿論知らないのだ。そのため、ゲームに中毒的な様を見てネットが自分の子供に悪影響を及ぼしているのだと判断した。しかし、それは親の立場から考えてみれば至極、当然の行動。彼らの視点からしてみれば、そう思うのは無理もない話だろう。


 ある意味では中毒的。しかし、毒でありながら薬でもあった。中学時代に得た精神的重圧に対する麻酔とも言えるネット。私生活に悪影響を与えていたとしてもそれは所謂、必要悪で――実は精神的に大きな支えとなっていたそれを取り上げられた勇を、ただ見ているしか出来なかった。


 結果として、ネットの解約によって問題を解決したと思っていた両親の思惑は当然、外れる事となる。とはいえ引きこもっている事には変わりはなくとも、両親の視点からしてみれば諸悪の根源は摘んだといった手応えは得ていたのだろう。


 誰にも言えない悲しみを抱えて精神の支えを失った勇も引きこもっているだけでは、傍から見た光景では今までと変わらなくて。誰にも理解されず、知らせる事も出来ない痛みの疼きを抱えながら虚無とも言える日々を送ったのだという。


 そうして、中学は勇の預り知らぬ書面上、データ上とも言える移り変わりによって卒業していたと、卒業式の数日後にようやく知ったらしい。それはそうだろう。ろくに通っていない学校の卒業式、その日程など細かく認識しているはずもない。


 証書を教師から手渡される事もなく、級友と別れの涙を流す事もなく、ただ思い出無き空っぽな中学校生活の始まりと終わりだけで描かれた輪郭、その外縁が中学卒業という勇の最終学歴を形成していたのだった。


 それから日々は流れて、俺が高校生になった頃の話。勇は高校には進学していないので事実上は無職という事になるのだが、当然だろう。的な病み具合からいって社会に出る事は不可能。それは両親にも伝わったようだった。


 となれば、そういった精神的カウンセリングを受けるために病院へ行こうと言う両親の思考、これもまたやはり当然だったのだろう。心に何か問題を抱えているという漠然とした予感のようなものは勇がどれだけ自分の秘密を隠そうと両親には伝わってしまう。


 しかし、そんな両親の勧めに凄まじく反発を示し、暴れ回って抵抗したという勇。それはきっと「もしかすると性同一性障害が暴かれるのかも知れない」という不安だと俺は悟り、そんな過去を聞かされた瞬間には涙が溢れそうなくらいの理解を示してしまった。


 そんな日々を経て――勇は意外な形で転機を迎える事となる。


 そう、あのアニメである。勇がこよなく愛し、その後に働く事となった職場から得た給料を惜しみなくグッズに注ぎ込む事となった、あの作品。


 それが地上波で放送開始される事となったのだ。勇はその情報を事前に知っているはずもなく、ただ真夜中に持て余した膨大な時間を消化させてはくれないだろうかと付け焼刃的にテレビを視聴している最中にその番組と邂逅。衝撃を受けたのだそうだ。


 まぁ、衝撃を受けるのも無理はない。



 その作品の題材は奇しくも――性同一性障害を題材にした作品だったのだ。



 そう、勇がこよなく愛するキャラクター、「ドゥーニャちゃん」と呼ばれるあの少女は本来、肉体的には男性なのである。そして、性同一性障害によって精神は女性のものを宿している彼女は、周囲にバレぬように女子生徒として学校生活を過ごしている時、一人の男子生徒に正体を見抜かれる事となる。しかし、その男子生徒も身体的には女性で、ドゥーニャちゃんと同じ性同一性障害を有する特異な存在だった。そんな二人が秘密を共有しつつ、学園生活をおくる作品。


 勇と只野が好み、そして俺がそういった作品を嫌うきっかけとなったアニメ。


 当時の勇にとって刺激的でかつ希望となり、勇気を与えたアニメ。作中で気丈に振舞い、自分の障害を何のそのといった感じで向き合って乗り越えていくキャラクター達の姿に勇気付けられ、触発されて。勇は社会復帰のために必死で努力を始めたのだという。


 つまりは――まるで、俺達の入れ替わりからの日々を物語を映像化したようなその作品を俺と勇は違えた価値観で受け止め、反発していたのだ。

 

 そして、見知らぬ誰かと上手く話せない、集団生活から離れていたブランクを抱えながらも必死に何十件という面接に落選しながら、見つけた職場。最初の一歩として決して長くはないシフトで働けるパートを選び、そこで今まで背を向けていた社会の厳しさを知りつつも友人に恵まれた。


 ちなみに精神的な強さを獲得し、もう大丈夫だという姿を見せた事で両親の納得を得てネット環境などの制限も解除してもらったようだ。


 結果として――俺がアニメという媒体に対して嫌悪感を抱くきっかけとなった作品が、実は勇にとってこの上ない勇気と希望を得るきっかけになっていたとは、なかなかどうして皮肉なものだと思った。


 俺は「自分があのアニメに対して抱く価値観こそ、自分のような人間の感想として絶対的なものだ」と信じて疑わなかったのだ。だから、勇があのアニメを好んでいると知った時、理解に苦しんだ。他でもない、勇がこういったものを好むのはどうしてなのか?


 俺は、嫌いだ。

 アニメという媒体の都合の良さが、嫌いだ。

 この作品をきっかけとして、そう感じるようになった。


 自分達の性同一性障害を話のネタとして扱っているようなこのアニメに――どうして、揶揄されているという怒りにも似た感情を抱かないのか?


 俺はそのような価値観で、都合の良いリアリティの排除を行うアニメという媒体を嫌った。


 アニメだから可能なのだ。男が女性のフリをして、女装をして生きる事がバレないなどという事は現実では難しい事で。ただ、髪を伸ばして女性の服を身に纏っただけの男性が看破されずに日常生活を送れるものなのか。そういったリアリティに疑問が生じてしまう。


 だからこそ、パスとリードという言葉の間で悩まされる性同一性障害者の苦悩が都合よく排除されているとしか思えない。

 

 しかし、俺が嫌った一方で勇は惹かれていった。

 その答えは、俺が絶望に近いものを感じたのに反して――勇にとっては希望だったという事。


 それを聞かされて初めて、俺は「そういった解釈も存在する。存在し得る」という事実を衝撃と共に受け止めたのだ。


 俺だって、もしかしたら境遇によっては――。


 ――とはいえ、そんな解釈を聞いた所で俺のアニメに対する抵抗は解かれない。しかし、そんな話が無意味だったと思わないのも事実だ。現に俺はそういう媒体に対して「歩み寄るべき」と確信している自分を見つけていたからだ。


 そんな意味を形成するには、勇の悲痛な過去話は効果的だったと言える。

 勇にとって、そこまでの思い入れがある作品だというならば。


「愛衣ちゃん、俺はやっぱり見てみる事にする。勇がどんなものに希望を抱き、勇気をもらったのか。この目できちんと確かめたいからな。きっと、それから俺個人の価値観を定めていくのが一番、正しい事だと思うんだ」


 勇の過去において一通りを語り終えた愛衣ちゃんに対して、俺は決心を胸にそう語ると、微笑みを浮かべて「そうですか。そう思ってくれたなら話した甲斐があります」とどこか嬉しそうに笑った。


●話中で登場した「パス」と「リード」について。


「パス」は日常生活で望んだ性と他者に認識される事です。

女装した人が「あの人は女性だ」と認識される……というかスルーされる事となります。


「リード」は日常生活で望んだ性を偽っていると看破される事です。

女装した人が「あの人は男性だ」と看破され、スルーされなかった事となります。

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