チョコレートの種
halさんのバレンタイン企画に参加しました。
『挿絵に合ったお話をホワイトデーに掲載』ということで、halさんの美麗な挿し絵付きです。
20話「俺の為に作られたシチューがヤバイ」直後くらいの時系列。
いつもはベッドに入るとすぐに意識がなくなる俺だが、なかなか寝付けない夜もたまにはある。
頭の中で数字を数えたり、一日の行動を細かく順に思い出してみたり。何とかして睡魔を引き寄せようと試みるも、今日に限ってはそれらの行為も意味なく終わりそうだ。眠気がやって来る気配が全くと言っていいほどない。
半ば諦めた俺は半身を起こし、窓の外をぼんやりと見つめる。夜はまだ、そこまで深くなっていなかった。こんな時はいつもより時間が長く感じてしまう。
ていうか、腹が減ってきたな……。
睡眠欲より食欲の方が主張を始めてしまった。一応抑えようとはしたものの、それは無駄な抵抗で終わる。腹の虫が小さな音を立てた。
ここはちょいと食堂に行ってみるか。スープの残りくらいなら温めてくれるかもしれないし。
僅かな期待を抱きつつ立ち上がった俺は、狭い自室を後にした。
食堂の扉を開けると明かりが灯っていた。片付けでもしているのだろうか、厨房の方からは物音が響いてくる。とりあえず食べ物にはありつけそうだ。安堵しながらそっと厨房に近付いてみると、そこには意外な人物がいた。
侍女服を着た長い金髪のそいつは、ヘラを片手に銀色のボールと格闘をしていた。
……なんでタニヤがここにいるんだ。またろくでもない薬でも作ろうとしてんのか? そういうのは実家でやっているんじゃなかったのかよ、と思わず眉をひそめる俺。
俺の存在に気付いたのか、タニヤは手を止めてこちらに顔を向けてきた。
「あら、マティウス君。どうしたの? 勝手につまみ食いはダメなんだからね」
「そんなことしねえし。タニヤこそ、こんな時間に何やってんだ」
「見てわからない? チョコレートを作っているのよ。場所を借りたの」
「チョコレート?」
タニヤが持っていた銀色のボールの中身に目を向けると、確かに溶けた状態のチョコレートが入っていた。一応、チョコレートの色はまだ保っているようだ。
この間のシチューで嫌というほど思い知ったが、こいつとアレクの料理の腕は壊滅的だからな……。ここから青色に変色しても、俺は驚かん自信がある。
……いや。やっぱり驚くかもしれない。
ボールの中身を凝視していると、タニヤがさっと引っ込めた。
「もしかして食べたいの? これはダメなんだから。あ、でもクーベルチュールならあるけど?」
「いや、お前の作ったやつとかいらねーし。ていうか、クーべチュ……って何だ?」
「クーベルチュール。これよ」
そう言うとタニヤは置いてあったもう一つのボールを取り、中を見せてくる。中には、クッキーのような茶色の丸い物体がたくさん入っていた。
「なんだ。要するにチョコレートのことか」
寝る前に腹いっぱい食べるのもなんだし、これくらいの量ならちょうどいいかもしれないな。見たところ今は食堂にこいつ以外いないから、当てにしていたスープの残りも期待できない。タニヤが食べていいと言っているわけだし、ここは遠慮なく貰っておくことにするか。
俺はボールの中身からチョコレートを一枚取り、口に放りこんだ。
口溶けはさらっとして良いのだが、想像していたチョコレート的な甘さはほとんどない。むしろ苦い。
「なぁ、これさぁ……あんまり甘くないんだけど」
タニヤに抗議すると、彼女はなぜか肩を震わせて俯いていた。
「どうした」
「ほ……本当に食べちゃった」
声から察するに、どうも笑いを堪えているらしい。理由がわからんのに笑われると腹立つ。俺は思わず眉間に皺を寄せてしまった。
「なんだよ。もしかしてこれ、食べたらダメなやつだったのか」
「そういうわけでもないけど――くくっ。それ、製菓用の……ふふっ」
どうやらツボにハマッているらしく、返す言葉も笑い混じりだ。だから腹立つんだって。
「製菓用ってなんだよ」
「うん、そのまま食べる用じゃないってこと。マティウス君の行動は『オムレツを食べるぜ』と言いつつ生卵を食べちゃったのと同じってところかしら? あと苦いのはビターだからよ」
だったら止めろよ!? 見た目だけじゃ食材だってわかんねーよこんなの!
とか思ったりもしたけど、どうせそれをこの侍女に言ったところで徒労に終わりそうなので口には出さない。すっごく悔しいけれど。
「……とりあえずお前、一度殴っていいか?」
「女の子に何てことしようとしてるのよ。きゃーサイテー」
「にやにやしながら言うなっつーの」
まぁ、今のは俺も本気じゃねーけどさ。
……半分は。
デコピンくらいはいつか決めてやりたい。
「で、もう一回訊くけど、なんでこんな時間にチョコレートなんか作ってるんだよ」
いつもならこの手の問いには即答するはずなんだが、タニヤは無言のままだ。それどころか、気まずそうに俺から視線を逸らしてしまった。
おいおい、何だこの反応は? 今までに見たことがない表情をしやがった。
……ん? もしかして、こいつ――。
「まさかお前、男――」
「きゃーきゃー! それ以上は言わないで!」
「ぶべっ!?」
クーベルチュールの入ったボールを、思いっきり俺の顔面に叩きつけてきたタニヤ。行き場を失ったクーベルチュールが、いくつか俺の口の中に侵入してしまった。反射的に咀嚼してしまうが、やっぱり美味くはないっ。
「いきなり何すんだよ!? また食っちまったじゃねーか!」
「だって、マティウス君が急にそんなこと言うんだもん」
若干口を尖らせるタニヤの顔は、心なしか赤い。瞬間、俺の頭に小さな雷が走った。
「その反応……マジか」
俺の中にむくむくと湧き上がってくるのは、好奇心ともう一つの心。
これはもしかしなくても、俺の方が優位に立てる絶好のチャンスなのでは!? タニヤには今まで散々からかわれてきたからな。ついに俺がこいつの弱点を握る時がきた――っ!
「ほほぅ。で、どこのどいつだ。お前の標的にされたのは。俺で良かったら相談に乗ってやらんこともないぞ、ん?」
俺はテーブルの上に散らばってしまったクーベルチュールを一枚一枚ボールに戻しながら、さり気なく聞き出してみる。
「うわあ、相変わらず君ってわかりやすーい。そのにやけた顔、すっごく腹立つわねぇ」
……さり気なく聞き出す作戦、いきなり失敗に終わるの巻。くっ、自分の正直さが恨めしい!
思わず指先でクーベルチュールをパキリと潰した俺を、タニヤがジト目で睨んできた。
「それにお生憎様。今まで女の子と付き合ったことがないうえ、片思い歴を無駄に更新中の男にそういう相談はしたくありませーん」
今、俺の胸から『ぐさっ』と何かが刺さる音がした。痛いから気のせいではない。
「確かにその通りだけどなあッ! 何も間違っていねえけどなぁッ……!」
「涙目で言わなくてもいいじゃない。まぁ、そのうち君にも春は来るんじゃない? 姫様以外で」
「慰める振りして俺の心にドロップキックをくらわせるのはやめろ」
くそぅ、これではいつも通りじゃねえか。せっかくタニヤの弱点を握れるかもしれないってのに!
「それは冗談として。本当に相談するようなことがないのよ。始まる前から終わってるし」
「終わってる? そいつ既に彼女がいんのか?」
「彼女はいないみたいだけれど、明日の朝イチで故郷に帰って家業を継ぐんだって」
「ふーん……」
笑って答えるタニヤだったが、いつものような朗らかさはない。こいつ軽く言っているけれど、実は本気でその男のこと――。
「あぁもう! せーーっかく城の兵士の中に好みのタイプを見つけたってのに、本当にツイてないわぁ。あんな美形な兵士がこんな身近にいたなんて! もっと早くに見つけたかったけど、そもそも常に夜勤だったらしいのよね。生活時間が私とずれてたのよ。そりゃ気付かないしすれ違いもしないわよ。昨日の夜アレクの部屋にたまたま用事があって、その帰りに見つけたんだけどね。会って話したらいきなり『明後日に実家に帰ります』だもん。本当に私ってカワイソウ!」
…………。
いきなりぺらぺらと喋りだしたぞこいつ……。直前まで同情しかけていたんだが、話の内容的にその気持ちもきれいにすっ飛んでしまった。
「ということで、本当に相談することはないわけ」
「じゃあ、今作っているそのチョコレートは何なんだよ」
「これ? ただの餞別よ」
「んー?」
どうも怪しい。タニヤの性格からして、ただの善意でこんなことをするとは思えない。
俺は腕を組んだまま、しばらく視線だけでタニヤを追及してみる。
俺の視線攻撃が効いたのか、ほどなくして容疑者はヘラをぶんぶんと振りながら弁明を始めた。
「ほ、ほら。手作りのお菓子をあげたら、きっと印象に残るでしょ? あの兵士さんが家業を成功させて大金持ちになった時、窓辺で紅茶を啜りながらふと『そういえばあの時チョコレートをくれた侍女さん、とても美人だったなぁ……』と思い出して迎えにきてくれるかもしれないじゃない。玉の輿を狙えるかもしれないじゃない! 大輪の花を咲かせるためには、まず種蒔きからよ、種蒔き!」
金髪容疑者が吐いた無理がありすぎる将来設計に、思わず俺は眉間を揉みしだく。
まぁ、今回は薬じゃないから特に大きな被害はなさそうだし、チョコレートはこのまま作らせても大丈夫だろう。
しかしこいつ、このまま五年後も彼氏いない気がする……。
俺のその考えは、当然口に出すことはなかった。
翌朝少し早起きした俺は、廊下を歩くタニヤの後をこっそりとつけていた。
あの後、チョコレートの製作過程を見ていたのだが、タニヤは口に出すのも憚られるような『隠し味』を投入していたのだ。チョコレートは茶色のボディであることを強制的にやめさせられ、テカテカした紫色に変身してしまった。哀れとしか言いようがない。
料理なんてセオリー通りに作ればいいのに、下手な奴に限って自分独自の食材を入れようとするんだな、ということを俺はタニヤを見て学んだのだった。怖いから言わなかったけど。
足早に歩いていたタニヤが、ある兵士用の部屋の前で止まった。俺は廊下の曲がり角から様子をうかがう。タニヤがドアをノックすると、ほどなくして俺と同じくらいの背丈をした男が出てきた。
……なるほど、確かに美形だった。すっきりと整った顔のライン。形の良い弓形の眉と少し上がった目尻のバランスが良いのか、なかなかに凛々しく見える。やや癖のある短髪は清潔そうな空色。着る物を着たら、上品な貴族だと言っても通用するだろう。
タニヤも見た目だけは無駄に良い方だから、二人並んでも違和感はない。それが逆にイラッとする。
何やら言葉を交わす二人。ここからだと会話は聞こえないが、まぁ形式的な挨拶でもしているのだろう。タニヤはチョコレートの入った包みを男に渡すと「きゃっ☆」と可愛い声を上げて(怖気が走った)そのまま廊下を走って行ってしまった。
男は口を開けたまま、タニヤの後ろ姿をぽかんと眺めている。俺はすかさず男に接近した。
「話は聞いた。今日で城を発つんだってな」
「えっ? えぇと、君は――」
「俺? ここで働いているただの警備隊員。それより、あんたにこれをやるよ」
俺は隠し持っていた小さな皮袋を、男の手に押し付けた。
「これは……?」
「別に変な意味はねえから。えぇと、俗に言う口直しってやつ? さっきの女が渡したやつの後に食べろ。用事はそれだけだから。じゃあ元気でやれよ」
くるりと男に背を向け、そそくさと立ち去る俺。
袋の中身は、昨晩こっそりとくすねていたクーベルチュールが入っている。タニヤのアレよりクーベルチュールの方がまだ食えるだろうと判断した俺は、男の味覚と胃袋を救うべく動いてやったのだ。
うん、俺って優しいな。
自分で自分を褒めた後、俺はいつも通り愛らしい主君のいる部屋へと向かうのだった。




