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40話・没バージョン

最初はかなりシリアスな展開にするつもりでした。

捕まる→なんやかんやして認めてもらう→めでたしめでたし

という流れにするつもりだったんですが、その『なんやかんや』の部分が2話で収まらないうえ、かなりシリアスになってしまうので没にしました。

本編はジャンルの『コメディ』を優先して、あんな形にしたのです……。

 着替えたティアラを椅子に座らせ、俺は窓から外の様子を伺っていた。まだ追っ手が来る気配はない。アレクが上手く立ち回っているのだろうか。だがいくらあいつが強いからといっても、人海戦術でこられたらどうしようもないだろう。

 それにおそらく、他の警備隊の連中にもこの事態は知らされたはずだ。王女を攫った俺という『罪人』を捕まえるため、これから本格的に捜索が始まることだろう。 

 そんなことを考えていると、ティアラがどこか遠慮がちに小さく呟いた。


「おうち、誰も使っていないの?」


 彼女の視線は、右へ左へと(せわ)しなく動いている。まあ、ここまで埃が積もっていたら気になるよな。


「この様子だとしばらくは使っていないみたいだな。鍵は開いていたけれど」


 どこか他人の家のように話す俺に疑問を抱いたのか、ティアラの細い眉が僅かに内に寄った。


「俺はもう十年くらい家に帰っていなかったんだ。それに親も商人だから忙しいんじゃね? まぁ、闇市の商人なんだけどさ」

「…………!」


 鍵が開いていたのに、室内は特に荒らされた形跡がない。この辺の人間も、そして貧民街の奴らも、この家に何もないことがわかっているからだろう。母親は別の場所に拠点を持っているからだ。

 俺の存在は一時(いっとき)の過ちだったんだと、あの男に騙されたのだと、何度母親に言われたのかはわからない。あの男と同じ、その目と髪の色を見るだけで吐き気がすると、毎日のように罵声を浴びせられていた。だが、俺を直接殺してしまうほどの鬼畜でもなかったらしい。毎日テーブルの上に置かれていただけの食糧が、それを物語っていた。それがわかったところで、虚しさと嫌悪感が増したばかりだったが。


「怪しいモンの仕入れと販売に常に忙しそうでさ。物心ついた時には、既にほとんど家には帰っていなかったな。何度か着いて行こうともしたんだが、その度にすげー剣幕で怒鳴られてさ。……まぁ、いわゆる放置子ってやつ?」


 重くならないように軽めに言ってみたが、ティアラはそこで俯いてしまった。膝の上で握られた拳が僅かに震えている。


「ご……ごめんなさい……」

「ティアラが謝る必要なんて微塵もないだろ。今は別にそれで良かったとも思ってるし」

「そ、そんなこと――」

「そんなサビシー思いしかしていなかった俺に、生まれて初めて優しい笑顔を向けてくれたのが、ティアラだったんだ」


 ティアラの琥珀色の目が大きく見開く。俺は彼女の前まで移動し、床に膝をつく。ほぼ彼女と同じ高さの目線になったところで、俺はさらに続けた。


「だから俺、ティアラを好きになった。単純すぎるって笑われるかもしれねーけどさ……。それでも俺、あの時本気で嬉しかったんだ……」


 ティアラの瞳が揺らめき始める。俺も大概だけど、やっぱりティアラはそれ以上に涙腺が緩いな。俺は失笑を洩らしつつ、彼女の小さな頭をくしゃりと撫でた。


「で、今さらこんなこと聞くのもアレなんだけど……。本当に、俺で良かったのか?」

「嫌だったら、あの場で断ってるよ」


 ティアラはそこで頭に置かれていた俺の手を取り、そっと両手で包み込んだ。


「来てくれて、ありがとう。本当に、ありがとう……」


 瞼を閉じながら静かに、でもはっきりとした口調でティアラは告げる。改めて彼女の気持ちを知ることができた。俺の胸の中はかつてない幸福感で満たされていく。彼女に選んでもらえるなんて、本当に俺、幸せ者だ……。


「いたか!?」

「いや、こっちにはいない」


 突如窓の外から聞こえてきた、怒声に近い男達の声。俺もティアラもその声に、思わず肩を震わせてしまった。

 俺はティアラを壁際に寄せ、カーテンの隙間から外の様子を確認する。

 帯剣した二人組の男の後ろ姿が見えた。彼らは辺りを見渡しながら、貧民街へと入っていく。間違いなく警備隊の連中だろう。


「マティウス……」


 不安気に俺を呼ぶその声は、少し震えていた。

 俺はティアラ頭に手を置き、彼女の目線と合わせるために膝を曲げる。薄暗い室内でも、ティアラの澄んだ瞳は煌きを忘れない。自分でも驚くほど、頭と心が冷静になっていくのがわかった。

 今まで俺は何度この目を見て、癒されてきたのだろう。


「……ありがとう」


 俺の口から、勝手に感謝の言葉が滑り落ちてきた。

 アレクが迎えに来てくれた時、正直に白状すると、嬉しかった。背中を押してくれたあいつらに、今は感謝の念しかない。

 しかし俺は、一国の姫をつれて当てのない逃避行をするつもりは、最初からなかった。

 ただ、会いたかった。

 国の、彼女の大事な日をぶち壊してでも、会いたかった。それだけなんだ。

 全て今日決めただけの、勢い任せの勝手な行動だ。しかしこれからその考えなしの行動に、責任を取らなければならない。

 その責任が、俺の命という形であっても。

 馬上でアレクが見せた表情が、俺の脳裏を()ぎる。死をも覚悟した、あの凛とした真っ直ぐな表情。そして俺を茶化しながらもアレクと共に動いてくれた、タニヤ。

 彼女達は、俺達のために覚悟を決め、そして動いてくれた。

 俺も覚悟など、とうに決めている。ただ、いつ動くか。あとはそれだけだ。


「ティアラ……行こう」


 どこに、とは俺は言わなかった。だがこの言葉だけで、ティアラは全てを理解してくれたらしい。彼女の白い顔から、さらに血の気が引いていった。


「そんな、だめだよ。だって――!」

「俺はもう充分だ。ティアラはあの場に残らなかった。俺を選んでくれた。……その気持ちだけで、俺はもう充分なんだ」

「私は、充分じゃない。いやだよ。私を迎えにきてくれたんでしょ? ずっと一緒にいてくれるんじゃないの?」


 俺は彼女のその言葉に答えることができなかった。誤魔化すように口の端を小さく上げると、ティアラは呆然と立ち竦んだ。


「そんな……そんなの……勝手だよ……」

「あぁ。俺、実は勝手な奴なんだ。すげー勝手で馬鹿な奴なの」


 ティアラの両目から涙が溢れ出す。俺は指で涙を拭うが、次から次へと零れる涙は止まりそうになかった。


「ありがとう。こんな馬鹿な、ただの護衛のことを好きになってくれて。本当にありがとう」

「そんなこと、言わないで。私が、何とかするから。みんなに、認めてもらうから」


 ティアラも子供じゃない。本当はわかっているはずだ。それが無理なことだと。

 武勲を上げたわけでもない。俺は何のとりえもない、育ちの悪いただの護衛だ。そんな奴が王宮に入るなんてありえないことだ。


「このままだと最後に俺が思い出すティアラの顔は、泣き顔になってしまう。それは困る。本当に困る」


 そう言いながらも、俺の顔はきっと今、そんなに困惑したものではないだろう。

 ついにティアラは声を押し殺すことなく、泣きじゃくり始めてしまった。こんなふうに感情を激しく表に出すティアラは初めて見る。不謹慎だが、やはりティアラは泣き顔も可愛い。

 俺は胸に彼女の頭を抱き寄せて、ただ無言で頭を撫で続けた。

 もしかしたら彼女のこの嗚咽で、見つかってしまうかもしれないな。そんな考えが頭を過ぎるが、それでも俺のために泣いてくれているという事実が少し嬉しくて、ティアラの声を抑える気にはならなかった。

 だがこんな時に限って、嫌な予想は当たってしまうものらしい。ドアを蹴破って、警備隊の連中が次々と家の中になだれ込んできた。


「そこまでだ!」

「姫様から離れろ!」


 狭い家に響き渡る怒号と無数の靴音。

 俺は抵抗の意思がないことを示すため、剣を床に放り捨てた。その一瞬の間に俺はティアラと離されてしまい、複数の男達に囲まれていた。

 

「やめて! おねがい!」


 ティアラの悲痛な叫び声と同時に、男達が一斉に俺へと跳びかかる。全身に強い衝撃を感じた次の瞬間、意識と視界が暗転した。



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