護衛、変身する
『20話 俺の為に作られたシチューがヤバイ(後編)』『兄、再び』の後のお話。
「うーん」
それは、ある日の午後。部屋の掃除を終えたタニヤが突然腕を組み、何やら唸り声を上げた。
「どうしたの、タニヤ?」
「勿体ないなぁと思いまして」
タニヤはアレクの顔を見据えたまま、ティアラに答える。
「何が?」
「ねぇアレク。どうしてそんな男っぽい格好をしているの?」
俺の疑問の声は無視し、アレクに質問するタニヤ。無視されたのはちょっと腹が立つが、確かに俺もそれは気になることではあるので、あえて何も言わないでおく。
「護衛の仕事に女っぽさは無用だろう」
「確かにそうだけどさー。アレクって見た目カッコイイけど顔は整っているから、お洒落したらきっと凄くキレイになると思うのよ」
「あ……確かに」
「そうかぁ?」
正直、アレクは俺よりイケメンだ。こいつがお洒落をしたところで、女らしくはならないと思うのだが……。この前シチューを作った時にフリフリの可愛らしいエプロンを着ていたが、罰ゲームで女装しているようにしか見えなかったし。女なのに。
「ということでアレク。ちょっと私にいじらせて?」
「……断ると言っても、お前は強引にやるつもりだろう」
ある種の諦観を顔に滲ませながら、アレクは小さな声で呟いた。
「それじゃあ姫様、私達はちょっと席を外しますねー」
「うん。いってらっしゃい」
ティアラは二人を笑顔で見送る。そんな彼女に手をひらひらと振りながら、タニヤはわずかに目を細め、俺を見つめてきた。その目は「この機会に姫様との仲を少しでも進展させときなさい」と語っていた。
……そんな勇気があったらとっくにやっとるわ。ほっとけ。
『ティアラ。実は俺、お前に言いたいことが――』
『あの、私も、実は――』
『え?』
『私、マティウスのことが、ずっと好きだったの。大好き……なの……』
『ティアラ……! 俺も――!』
『私もう、我慢できないの。お願い。優しくし――』
「お待たせ!」
せっかく頭の中でティアラとの仲を進展させていたのに、溌剌としたタニヤの声に遮られてしまった。くそっ。もう少しだったのに!
「ほら早く」
タニヤは後ろに振り返り、おそらく姿を見せるのを渋っているのだろう、アレクを急かした。
しばらく間が空いた後、ゆっくりとした足取りで部屋の中に入ってきたのは、絶世の美女だった。キラキラとした圧倒的オーラを出す彼女を前に、俺は呆けることしかできない。
短かったアレクの黒髪は、腰に届こうかという長さになっていた。その質感は、まるで高級な絹のような滑らかさ。
身にまとっているのは、肩が大きく出た青い細身のドレス。腰から脚までのほっそりとしたラインが、彼女の胸の大きさをより強調させている。そして太腿まで入ったスリットが、大人の女性の魅力を主張していた。
耳元には、アレクの目と同じ色の赤い宝石をあしらったイヤリングが、控えめに煌めいている。
不覚にも、少しときめきかけてしまった……。
いや、騙されるな俺。あれはアレクだ。俺を投げ飛ばすアレクだぞ。
俺はティアラ一筋十八年(ただし十七年分は誇張)。馬鹿力の同僚にときめくなんてもってのほか。
「うわぁ。すごい……。アレク、とてもきれいだよ! 本当にきれい!」
「……ありがとうございます」
手放しで称賛するティアラに、アレクはやや照れたように指で頬を掻いた。その様子を、タニヤはうんうんと満足そうに見つめていた。
それにしても、えらく変わったもんだよな……。だが、化粧はほとんどしていない。髪の長さと着る物だけで、ここまで印象が変わるとは。
「それ、カツラか?」
「ウィッグと言って欲しいわね」
「要するに付け毛か」
「……デリカシーないわよね。マティウス君て」
「うるせー」
そんなことだとモテないぞー、と嬉しそうに言うタニヤは無視。モテないのは今に始まったことではない。それに、俺は間違ったことは言っていないはずだ。付け毛は付け毛だろ?
「ねえねえ。ちょっと町に出てみましょうよ」
「何を言っているんだ」
タニヤの大胆な提案に、アレクは大きく眉をしかめながら答える。しかし好奇心の塊であるこの侍女に、アレクのその表情の変化も効果はない。
「だってこんなに綺麗な子、皆に見せびらかしたいじゃない」
「オレはお前の私物じゃないんだぞ」
「私も一緒に行ってみたいな……」
タニヤを援護する声は、意外なところから上がった。さすがにアレクも、ティアラの言うことには強く出られないらしい。諦めたように、嘆息しながら小さく肩をすくめた。
「少しだけだからな」
「さっすがアレク。話がわかるぅ!」
タニヤに誉められても、アレクの眉間にできた小さな皺は消えそうになかった。
大変だな、お前も……。
城下町に出るや否や、俺達は注目の的となってしまった。特にイベントもないのに、着飾った美女が突然現れたら当然そうなるだろう。
それに可愛らしいティアラと、見た目だけは無駄に良いタニヤまで一緒なのだ。はっきり言って、俺の場違い感が凄い。
『あの冴えない男は何で一緒にいるんだ』という、他の野郎共の嫉妬と羨望の混じった視線が突き刺さり、居心地がわるいったらない。
注目を浴び、タニヤは鼻高々だ。私がプロデュースしたんですよ、と野次馬のおばちゃんに吹聴していた。プロデュースって何だよ……。
招かれざる客が現れたのは、俺がそう考えたその時だった。
「うおおおおおお!」
群衆を掻き分け、雄叫びを上げながらこちらに突進してくる一人の男。その声を聞いただけで、俺はげんなりとしてしまった。
「アレクうううう! 何て綺麗なんだー! 世界一の美女! もうこのまま兄ちゃんと結こ――」
最後まで言い切る前に、アーレントの顔面にアレクのハイヒールがめり込んでいた。
ドレス姿で飛び蹴りを綺麗に決めたアレク。こんな格好で、いつも通りのキレのある蹴りを繰り出すとは。やはり彼女の体術はスゲーな……と、俺は感心しきりだ。
「なになに? もしかしてこれがアレクのお兄さん?」
石畳の上に仰向けに倒れたアーレントを、興味津々といった様子で覗き込むタニヤ。
まずい。ついに二人が出会ってしまった。このままでは確実に騒ぎが大きくなる。二人が会話するだけで爆発が起こるかもしれない。俺の頭の中で!
とりあえずアーレントにはもう少し寝ていてもらおう。
俺は伸びていたアーレントを、ついうっかり踏んでしまった。そう、ついうっかり。
「ぷぎゅ!?」
「ああ! スンマセン!」
わざとらしく謝った俺に、アレクが「良くやった」という眼差しを向けてきた。どうやら今、アレクと俺の考えていることは同じらしい。初めて彼女との間に生まれる一体感。同僚として俺はお前を全力で応援する。
アーレントは今ので完全に再起不能になったらしい。口から泡を出しながら、死体のように横たわるばかりだ。
アレクはそんな兄を軽く一瞥すると、無言のまま踵を返す。
「戻るぞ」
「えっ? アレク、ちょっと!」
タニヤの静止の声を振り切り、アレクは一人でスタスタと城へと戻り始めてしまった。
「お騒がせしましたっ!」
観衆に一言放ってから、俺達も彼女に続く。
「あのままでいいのかな? お兄さん……」
アーレントは放っておいても大丈夫だろう。頑丈そうだし。
タニヤは伸びたアーレントを名残惜しそうに何度も振り返っていた。彼と話をしたいのなら、俺のいない時にしてくれ。頼むから。
「次はキュートな感じを試してみたいわね」
城に帰って早々、アレクはいつもの格好に戻ってしまった。タニヤは既に二回目もヤル気でいるらしい。本人の意思は置き去りで、次のコンセプトをワクワクしながら考えていた。
ちなみに、帰ってから一度もアレクの口からアーレントのことは出てこない。どうやら彼女、あの兄が少し苦手らしい。アレクの意外な弱点発覚。
「それにしても、アレクのお兄さんもっと見たかったなぁ」
タニヤの言葉にアレクは眉をピクリと動かし、若干顔を強ばらせた。
「タニヤとお兄さんがお話すると、とても賑やかになりそうだね」
ティアラが小声で俺に話しかけてきた。その顔は心なしかイタズラっぽい。こんな表情は初めて見る。可愛いなちくしょう!
タニヤは勘弁だが、ティアラにならイタズラされたい……と俺は心から思うのだった。




