薬屋の娘
For 赤穂雄哉 様
コラボ短編のお礼です
乱雑。
その部屋の状態を表すには、この一言で充分だった。
年季の入った木製の長テーブルの上には、皿一枚置ける余裕もないほどに物で溢れている。
分厚い本。枯れた薬草。真っ黒な鳥の羽。爬虫類の干物。怪しい色をしたキノコ――等々。その中でも試験管やフラスコの類が、特に数が多かった。
タニヤはそれらに視線を一巡させたところで、金の髪を指先で弄りながら、背もたれのない丸椅子に腰掛けた。
「相変わらず散らかってるわねぇ」
ポツリと洩らした独り言に返事をする人間は、誰もいない。
ここはアウラヴィスタ城の近くにある、タニヤの実家――の地下。
彼女の実家は薬屋を営んでいるのだが、ここ最近『傷薬』や『毒消し薬』といった物の売れ行きは鈍く、経営状態はなかなかに厳しい。もちろんそういった旅の必需品である薬以外の物――例えば風邪薬なども置いてはいる。だが、ほとんどの町の人間はそういう薬は医者の所でもらうので、この薬屋に潤いを与えるほどの収入にはなっていない。
そんな厳しい経営状態を何とかするべく、タニヤ一家は日々新薬の研究に勤しんでいた。
久々に休暇をもらったタニヤは家に帰って早々、地下の研究室へと足を運んだところだった。
店番は専ら母親。新薬の研究は、タニヤと父親の役割となっていた。
そのタニヤの父親は、現在他国に出張中。様々な国の薬屋を回り、使えそうな物を片っ端から持ち帰ってくるのだ。出発したのは二日前。一週間は帰ってこないだろう。
タニヤはしばらく椅子に座ったまま、天井の染みを呆然と眺めていた。この薬屋を救う、画期的な薬のアイディアはないものか思案していたが、突然目を輝かせながら両手をパンッと合わせた。
「そうよ。別に薬=治す物、に拘らなくても良いじゃない! 前の時の増殖薬みたいな路線でいけば、きっと上手くいくわ!」
世紀の大発見、と言わんばかりに喜色めいた声を出したタニヤは、机の上に無造作に置かれてあった小瓶の内の一つを手に取った。小瓶の中で、濃いネズミ色をした液体が怪しげに揺れている。以前ティアラの記憶を取り戻す時に使った、『忘却』の異常を治す薬である。
「これを改良して、逆に忘却状態を作り出す薬にすれば……! うん、良い感じじゃない?」
思い立ったら即行動が、彼女の座右の銘。すぐさまタニヤは小瓶の蓋を開ける。しかしはた、とその動きが止まった。彼女の頭の中で、あっちへこっちへと駆けずり回るアイディアの種。それを即座に回収したタニヤは、小瓶を持ったままさらに一人呟く。
「あとは戦闘の補助の薬なんかも良いかもね。筋力二倍で攻撃力も二倍とか! よし、それも作っちゃおう」
忘却の薬を一度置き、タニヤは机の上に転がっていた空の小瓶を手に取る。続けざま水差しの中の水を、その小瓶の中に注いだ。
「父さんが帰ってきたら、すぐにまた出発してもらわなきゃ。これに『力の女神』の祝福を授けてもらってオーガの血と混ぜたら、きっとできるはずだわ」
彼女の作る薬のレシピは、閃きと勘のみという大雑把さ。しかし毎回それっぽい物ができてしまうのだから、才能はあるのかもしれない。副作用という、嬉しくない特典まで付随することが難点か。
「オーガの血は、マティウス君に頼も」
マティウスを操るのは簡単だ。ティアラの名前を出せば良い。嫌な顔をしながらも、彼は確実に動いてくれるだろう。
「うーん、もう一つくらい何か欲しいわね」
白い指で顎を支えながら、タニヤの独り言は続く。彼女は考えていることがすぐに口に出てしまうタイプだが、本人はあまりそれをわかっていない。
「そうだわ! いっそのことダメージを与えてしまう薬なんていいんじゃない!?」
タニヤの灰色の瞳が、そこで星のように煌いた。今日の彼女の頭の中は絶好調らしい。上機嫌に鼻歌を歌いながら、部屋の奥に備え付けられた戸棚をごそごそと漁り始めた。
「あったわ! 『火薬の女神』の恩恵を受けた粉! 父さんも良い物置いているじゃない。これに自爆蟻の体液を混ぜたら面白そう。これもマティウス君に取ってきてもらっちゃお」
自爆蟻は瀕死になると、その名の通り自爆して道連れにしようとしてくる魔獣だ。そんな危険な魔獣と相対する術など、ただの侍女であるタニヤにはない。しかしマティウスなら死ぬことはないだろう、とタニヤには確信めいたものがあった。
「馬鹿は死なないって言うしね。大丈夫でしょ」
正しくは『馬鹿は死ななきゃ直らない』だが、それをタニヤに指摘する人間は、残念ながらいない。
仮にマティウスに頼みを断られたとしても、タニヤには彼を絶対服従させる秘策があった。
「取ってきてくれないと『マティウス君、私とのことは遊びだったのね……』と姫様の前で言うわよ」
この一言をマティウスの耳元で囁けば、青褪めながら彼は首を何度も縦に振るだろうとタニヤは確信していた。腕を組んだままふんぞり返って、そのままブリッジをしてしまうくらいの、絶対的自信。
「何だか楽しくなってきたわぁ」
再び鼻歌混じりで作業を開始したタニヤの金髪は、薄暗い地下室でイキイキと輝いていた。
タニヤの目の前には、三つの小瓶が並べられていた。中はそれぞれ、汚水のようなネズミ色、鮮やかなオレンジ色、そして鮮血のような赤色。さらに赤色の薬は、狭い小瓶内を稲妻が走り回っているというありさまだ。
あれから材料を取りに行くようマティウスに脅――いや、懇願したタニヤは、次の休暇を使って三種類の薬を一気に作り上げたのだった。
忘却の薬と爆薬は、まだ試してはいない。しかし筋力増強剤だけは、一回だけだがネズミを使ってちゃんと実験はした。副作用でネズミは二日ばかり動かなくなってしまったが、とりあえず生きてはいるので、タニヤ的には合格の範疇だ。
「量産体勢に入る前に、まずは人間できちんと実験しなきゃね。よし、早速明日持って行っちゃいましょ」
小瓶に詰めた薬を眺めながら、タニヤは満面の笑みを零す。
観客のいない喜劇と悲劇が入り混じったショーの幕が、静かに上がった。
そして「Guardians Days And Nights(守護者達の日常と不可触民ズ:utb 6th)」へ続く。
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