兄、再び
『ある男の嘆き』の続きのお話です。
第1部の真ん中辺りの時系列。
俺とティアラ、そしてアレクの三人は、活気ある城下町のメイン通りを歩いていた。
ティアラが愛用している羽ペンが先日壊れてしまったので、新しい物を買うために外出したのだ。本人曰く、自分の手に馴染む物を自分で選びたいから、だそうだ。小柄な彼女は手も小さめなので、万人向けの物は少し太くて持ち辛いらしい。
そしてつい先ほど、雑貨屋で目的の物を無事入手できた。だが「せっかくお外に出たのに、このまま真っ直ぐ帰るのも……」とティアラが少し寂しげに呟いたので、帰るついでにメイン通りに連なる店をゆっくりと見ながら帰ろう、ということになったのだ。
ちなみに今日の彼女は外出用のドレスではなく、いつもの部屋着の上にストールを巻くという非常に庶民的な格好をしているので、今のところ道行く人達からは「姫様だ」という声は聞こえてはこない。
「姫様、あちらの露店で売っていました。どうぞ」
一体いつの間に買ったのか、アレクがベーコンと野菜をパンで挟んだ食べ物をティアラに手渡す。アーモンド状をしたパンにはほど良い焼き色が付いており、香ばしい匂いを発している。その間に包まれているベーコンには黒と赤のスパイスらしきものが振られ、野菜は俺の髪よりも鮮やかな緑色をした、いかにもシャキシャキしていそうな葉っぱだった。
……美味そうだな。
心の中で涎を垂らしながらアレクを見ると、彼女も既にかぶりついた後なのか、口をモグモグと動かしていた。
「ありがとうアレク。美味しそう」
目を輝かせながらティアラはアレクに礼を言うと、小さな口ではむっ、とパンを齧る。
あぁ、その可愛い口で俺も齧って欲しい。指をかぷっとしてほしい。ついでに上目遣いで俺を見ながら舌で――っといかんいかん。こんな町中で危ない妄想に浸るな俺。
あれ? ていうかアレクのやつ、俺のは買ってくれていないのか?
「俺も食べたいんだけど」という想いを込めた目でアレクを見ると、彼女はふいっと俺から顔を逸らした。
こいつ…………。
呆れながらふとメイン通りの南へと視線をやると、見たことのある黒髪の男がこちらを見つめたまま、通りの真ん中で呆然と突っ立っていた。俺はその人物を認識した瞬間、思わず顔を引き攣らせてしまった。
艶のある漆黒の短髪、整った顔立ち、ざくろのような紅い瞳――。見紛うことなどありえない。この前俺の休暇を潰してくれた、アレクの三番目の兄だ。
うあ。もう会いたくなかったのに。しかもどうしてアレクが居るこのタイミングで会うかな……。
だが初対面でもないのに挨拶無しなのも悪い気がしたので、とりあえず俺は彼に友好的オーラを出してみることにした。
「この前は――」
「アレクうううう! 会いたかったああああ! 兄ちゃんは寂しかったぞおおおお!」
俺の挨拶を無視し、アレクに抱擁をするべく全速力で突撃したアレク兄だったが、しかしアレクは華麗に跳躍をしてそれをかわした。勢い余って店の石壁に顔面から激突するアレク兄。「ふごっ!?」という呻き声とゴンという硬い音が辺りに響くが、全く心配にならないのはナゼであろうか。俺はそれなりに他人にも優しい人間であると、自負しているのだが。
「もう、照れちゃって可愛いなぁアレクは」
割れた額からダラダラと血を流しながらも、アレク兄は満面の笑みをアレクへと向けながら言い放つ。痛くないのだろうか。たまたま壁に激突する様子を目撃していた周りの人間は、皆一様に引いている。
そんな元気いっぱいな兄の行動にもアレクは眉一つ動かすことなく、いつもの表情のない顔で兄を見据えて淡々と言った。
「三兄。どうしてこんな場所にいるんだ」
「よくぞ聞いてくれた! 実はアレクを想って毎日毎日、城の近くまで出てきていたのだ! アレクに近寄る変な虫を追い払うためにな! そう、例えるなら俺は農薬! 農薬騎士と呼んでくれ!」
通り中に響き渡るかのような声量で答えるアレク兄に、道行く人々が好奇の視線を一斉に注ぐ。
……やめてくれ。俺達まで注目を浴びて恥ずかしいからやめてくれ。そもそも農薬騎士って何だよ。絶対に毒属性付いてるだろソレ。
「こ、こんにちは」
アレク兄の勢いに圧倒されつつも、とりあえずティアラは律儀に挨拶をする。アレク兄はそこでようやく俺達の存在に気付いたのか、大げさに双眸を見開いた。
「こんにちは! って、君はこの間の! あの時はありがとう!」
「どうも……」
あまり関わりたくありませんオーラを発する俺との挨拶はそこそこに、アレク兄はティアラの前に移動すると、彼女の目線と合わせるために少し腰を屈めた。
「はじめましてお嬢さん。君もアレクに負けず劣らず可愛いね」
アレク兄の言葉に、ティアラの頬がほんのりと朱に染まる。
まぁ行動は暑苦しいこの兄だが、やはりアレクの血縁だけあって、見た目はかなり格好良いしな……。アレクより背も高くて体格も良いし。
ちなみに他の男がティアラにこんな言葉を投げ掛けたのなら、即座に俺は何かしら動いていただろう。唾を吐いていたかもしれない。が、この兄は重度のシスコンということが既にわかっているので、全くと言って良いほど、俺の頭の中の嫉妬センサーは反応しなかった。
「ん……? もしかしてこの子が、前言っていた君が好ぎぉっ!?」
俺は慌ててアレク兄の首にラリアットをかます。いきなりの俺の攻撃に、アレク兄は背中から派手に地に転がった。本当は手で口を塞ごうとしたんだが、とっさに腕が出てしまったのだから仕方がない。
っつーかそんな本人の前で堂々と言うなや! こんな形でティアラに俺の気持ちがバレてしまうなんて、冗談じゃない。
「い、いきなり何をする!?」
「この子言うな。彼女は俺とアレクが護っている王女様だ」
「そうだぞ三兄。姫様に失礼だ」
「なんとそうだったのか! いつもアレクがお世話になっております王女様。俺はアレクの兄のアーレントと申します」
「王女ティアラです。私の方こそ、アレクにはお世話になっております、お兄様」
この兄、アーレントって名前だったのか。この前名前を聞きそびれていた俺は、心の中で一人納得する。アーレントは一瞬俺を見た後、今度はティアラに視線を移す。彼女はパンを早く手元から無くそうと、懸命に続きを頬張っていた。
……可愛い。慌てて食べ物を咀嚼するティアラ可愛い。無理して食べなくても、俺が残りを食ってあげるのに。
心がほんわかしたところで、その様子を見ていたアーレントが、何か納得したように二度ほど頷いた。
「なるほど。つまり君は、王女様がす――」
「おっと肘が滑った!」
「――――!?」
腹に叩き込んだ俺の肘打ちに、アーレントは声もなくパタリと倒れ、悶絶する。だからなぜそれを喋ろうとする!? ちなみに肘は滑る物ではない、ということぐらい俺もわかっている。わざとだ。
「す……?」
「スルリと伸びたカモシカのような脚を持つ茶髪のお姉さんが、この兄の好みのタイプらしいぞ」
「へぇ。そ、そうなんですか……」
それにしては文脈的におかしいような……という顔をしつつも俺の言うことを素直に信じてくれるティアラ、マジ天使。
「た、確かに茶髪のお姉さんは好きだが! でも今は――」
「知らなかった。三兄、そうだったのか」
「アレク!? でも俺がこの世で一番好きなのは、アレクだけどな!」
「オレの一番は一兄なんだ。すまんな三兄」
「ずっおおおおぉ……」
凄い声を出しながら、アーレントはがっくりと床に手を付き、滝のように涙を流す。前も思ったけどこのシスコン兄、本当にいちいちリアクションが大げさだなぁ……。
立ち話も何だから、と理由をつけて俺は目の前の喫茶店に三人を誘導したのだが、そこはこの間俺がアーレントに強引に連れてこられた、お洒落感漂うあの喫茶店だった。
あのまま通りで、アーレントの『アレク愛』に溢れる寄行と奇声で注目を浴びるのが嫌だったからなのだが、入る店をおもいっきり失敗してしまった……。
いや。ものは考えようだ。ティアラが居る今が絶好のチャンスだ。何のチャンスかというと、この間俺とアーレントの関係を「そういう仲」だと勘違いしているだろう、ここの店員達の誤解を解くチャンスだ!
四人掛けのテーブル席に案内された俺達。俺はさり気なくティアラの隣にサッと腰掛ける。
この前の女性店員よ、しかと見よ。俺とティアラが二人並んだこの微笑ましい光景を。恋人同士にしか見えないだろう? だから俺は、アレク兄とは決してそういう関係ではないんだからね!
心の中でそう念じる俺に向かって、アーレントがテーブルに肘を突きながら口を開いた。
「君達が二人並ぶと、何だか見ているこっちが後ろめたい気持ちになっちゃうね」
「ちょっと待てや。どういう意味だそれ」
目を細めて静かに抗議する俺。だがアーレントの隣のアレクも、その兄の言葉に同意した。
「確かにそうだな。身長差が犯罪臭い」
「つまり俺はティアラの隣に存在するだけで罪ってことか!? ヒデー言い草だなおい!」
兄妹して俺を苛めんな!
二人に対して犬歯を剥き出しにする俺に、隣のティアラがおずおずと上目遣いで視線を送ってきた。
「確かに、マティウスは大きいよね。でも、私が小さいのが悪いんだし……。その、ごめんね……」
「ティアラは全然悪くない!」
拳を強く握って彼女に答える俺。むしろ小さくて可愛いし! と、さすがにそこまでは言えなかったが。
…………アレ? ていうかちょっと待ってティアラ。それって俺の存在が『犯罪臭い』のは否定しないってことデスカ? うう……。ちょっと俺泣きそう!
「とりあえず何か頼もうか」
アーレントがおもむろにメニュー表を開く。そうだな……。俺を含む三人もそれに倣った。
「私はさっきパンを食べたから、小さなデザートだけでいいよ。これにしようかな」
そう言うティアラの細い指が指す先には『メルダリのクリームのせ』と書かれてあった。ちなみにメルダリとはこの国特産の、細長くて皮が茶色の果物だ。中は赤い。甘味が強いので、主に女性や子供が好む果物である。さすがティアラだ。味覚まで可愛い。
「オレはこの『子羊のリゾット』にしよう」
アレクの口から出た名前に、俺は思わず反応してしまった。
「あ、それなかなか美味かったぞ。量は少なめだけど」
「マティウス、このお店に来たことがあるんだ?」
「うっ――」
ティアラの指摘に、思わず俺は言葉を詰まらせる。しまった。失敗した。ここはどう言って誤魔化したものか――。とか考える間もなく、アーレントが口を開き、何か喋ろうとしている。これは嫌な予感!?
「ああ。実はこの前――」
「おっと蚊が!」
「俺とごッ!?」
俺はアーレントの口に勢い良く右の拳を突っ込んだ。アーレントの舌が俺の拳を湿らせて不快感極まりないが、今はそんなことに構っていられない。この兄と二人きりでこの店に来たことなど、絶対にティアラには知られてはならない。あってはならないのだ。
俺の恋路の邪魔になる要素は、容赦なく排除するのみ。
「蚊……?」
俺の言動と行動が一致していなかったせいか、アレクが不審な目をこちらに向けてくる。そしてティアラも、同様の視線を俺に送っていた。
マズイ。
俺の額から一筋の汗が流れるのがわかった。
いや、焦りを見せると気取られる。落ち着け。態度に出さなければ大丈夫なはずだ。俺はやればできる人間だッ。
とりあえず俺は、アーレントの口に突っ込んだままだった拳を引き抜いた。
「あ、顎が外れるかと思ったぞ!?」
「スンマセン。頭の悪い人間にしか見えない凶暴な蚊型の魔獣がいたもんで、ついつい。でも安心してくれ。今の一撃で蚊は滅した」
「おお、なんとそうだったのか!? 助かったよ! 恩にきる!」
「ドウイタシマシテ」
おい……信じちゃったよ……。いや、今さら嘘でしたと訂正する気は、まったくもってないですけど。
とりあえず危機は脱したと言って良いだろう。アーレントが馬鹿で助かった。
気を取り直して椅子に座り直した俺は、再度メニュー表に目を落とす。
「じゃあ、さっさと注文しようぜ。俺はこの『ホワイトクリームの煮込みハンバーグドリア』にする」
「お。それ美味そうじゃん。じゃあ俺も」
いや、だからここでお揃いのメニューにするのはやめてくれっての……。しかし俺は、それを口に出すことができなかった。
注文を聞きに来た女性店員は、俺とアーレントをやけにキラキラした瞳で見てきた。どうやらまだ、誤解は解けていないようだ……。
料理を待っている間、アーレントはいかに小さな頃のアレクが愛くるしかったのか、そして今のアレクが可愛いのか、ひたすら熱く語っていた。もう「アレク教」の教祖と言っても過言ではない。しかしそれを聞かされるのは、信者になんぞなりたくない「ティアラ教」の教祖である俺だ。本当に簡便してほしかった。
ちなみにアレクはその横で、相変わらずの無表情のまま、その兄の賛辞の言葉を聞き流していた。もしかして日常茶飯事なのだろうか。全く動じていない。さすがにちょっとアレクに同情してしまうかも……。
などと考えていると、ようやく注文した料理が運ばれてきた。とりあえず各々スプーンを手に取り、食べ始める。
俺は真っ先にハンバーグにスプーンを付き立て、四分の1の量を一気に口に運ぶ。ええ、好きな物は真っ先に食べるタイプです、俺。
噛む度に口の中で広がる肉汁。濃厚なホワイトソースと絡んで絶妙だ。
……うん、料理は美味いんだよな、この店。でも女性向けを意識した店なのか、俺には少し量が足りない。まぁいいや。城に戻ってから食堂で何か食べよう、と次の一口を食べようとした時だった。
ふとティアラを見ると、彼女の可愛い唇の端に、クリームがちょんっと付いている! こ、これはもしかしなくても、絶好のイチャらぶチャンスなのでは!?
『ティアラ。ちょっとこっちを向いて』
『ふぇ?』
ペロッ。
『ひゃぁっ!? な、ななな舐め…!?』
『口の端にクリームが付いてたゾ(ここで爽やかにウインク)このおっちょこちょいさんめ☆』
……いかん。何を考えているんだ俺は。究極に恥ずかしい。でも顔が勝手にニヤけちゃうッ。
そんな妄想に浸っている間に、アレクが先に動いてしまった。
「姫様。少しこちらを向いてください」
「ん?」
腰を浮かせたアレクは、ティアラの口の端に付いていたクリームをナプキンで優しく拭き取った。
「綺麗なお顔が台無しですよ」
そして、微笑。普段が無表情なだけに、彼女の表情の変化は些細なものでも常にインパクトがある。つまりどういうことかと言うと、俺がやっかむほどのイケメンスマイルということだ! チクショウ! 店内の他の女性客達が今にも黄色い声を上げそうなほど、高揚した顔付きをアレクへと向けていた。
前回同様、またもや目立っている俺達。よくよく考えたら、俺以外の人間の容姿は平凡ではない。目立つのは必然なのかもしれない。
アレクの笑顔に、ぼしゅっ! という音と同時にティアラの顔から煙が出始める。
悔しいが、こればかりは仕方がない。ティアラはアレクの格好良さに憧れているようなことを、以前言っていたしな……。でもやはり、俺が舐め取って――いや、拭いてあげたかった。
再び椅子に座り直したアレクの横で、アーレントはスプーンの先にホワイトソースを付け、自分の頬に擦り付けていた。
兄……。あんたって人は……。
「アレク。俺の――」
「三兄。頬にソースが付いているぞ。良い大人がみっともない。拭け」
「…………」
目の端にキラリと光の粒を浮かばせながら、アーレントはナプキンでそっと自分の頬を拭う。ちょっと可哀想だと思ってしまったのは、俺も同じことをしようかなーと密かに考えていたからだ。やらなくて良かった。
うん。やはり何事も露骨なのはダメだよな。
会計は一番年上だから、とアーレントが払ってくれた。
「あの、これをどうぞ」
会計をした黒髪の女性店員が、俺達に小さな飴玉を手渡してきた。俺とアーレントは赤色の飴、アレクとティアラには黄色の飴。
「これは?」
「只今期間限定で、ご来店くださったカップルさんにプレゼントさせていただいております」
そう言って女性店員は微笑む。その彼女の視線から、俺は気付いてしまった。女性店員は、アレクとティアラの美少年美少女カップル、そして俺とアーレントの怪しいカップルという認識で俺達を見ていることに――。
しかしアレクのことが美少女にしか見えていないアーレントは、どうやら自分とアレクがペアに見られたと思ったようだ。このまま十秒で世界を一周してきそうなほど、嬉しそうな顔をしていた。ここは口を挟むべきではないだろう。俺だってティアラとペアが良い。
そして俺達は店を後にする。結局、ここの店員達には誤解されたままになってしまった。俺がこの店に来ることは、二度とないであろう。
「帰りが遅いと思ったら何々? アレクのお兄さんと会ってたの!?」
帰ってティアラから一連の出来事を聞いたタニヤは、爛々と目を輝かせていた。
「うん。アレクと顔は良く似ていたけれど、凄く元気なお兄さんだったよ」
「あぁん、もうっ! そうとわかっていたなら私も着いて行ったのに! 姫様、次は私もお供して良いですか!?」
「うん、もちろんだよ」
しかし今回は、タニヤが着いて来なくて本当に良かった。できればこれから先も、あの兄とタニヤとはエンカウントしないで欲しい。例えるなら、爆弾に爆弾をぶつけるようなものだ。そして巻き込まれるのは俺達だ。無事で済むわけがない。
悔しそうに声を上げるタニヤを横目で見ながら、俺は堅牢の女神に祈った。
あの兄とタニヤが近付くことがないよう、二人の間に結界を張ってください、と。




