猫型妖精の王、朝食を作る
現在、猫型妖精の王オシアンは、鳩の血色の紅玉さながらに輝く魂を持つ人間に仕えている。
五十を少し過ぎたその婦人は、しなやかに引き締まった肉体と、凛とした雰囲気の持ち主だ。夜明けと同時に起き出して、オシアンの作った軽い朝食を摂り、鍛錬をするのが日課になっている。
だからオシアンは毎日、夜明け前には必ず厨房に入るのだ。
いかにオシアンが猫としては身体が大きいとはいえ、厨房の規格が人間用である以上、この姿のままでは手が届かない。そこで彼は、厨房では必ず人間の男性の姿に変わる。背の高い、五十代後半の、整った顔立ちの男性の姿に。
いつものように白いシャツの胸から黒いズボンの膝まで覆う紺のエプロンをかけ、流しで手を洗った彼は、壁にかけていた鉄のフライパンを薪ストーブに乗せ、そこにバターをひとかけら落とした。
主でもあり、最愛の女性でもある彼女には、いつでも安心して最高の物を食べて貰いたい、とオシアンは思っている。
だから、バターと胡椒は東南亜大陸の神々が作った最高級の物。世界樹に棲むニワトリが産んだばかりの玉子。神牛の乳。ネクタルを発酵させて得た酵母と楽園の小麦で焼いたパン。北国の小人が世話するとっておきのもみの木から摂れる「もみの木の蜂蜜」。東の太陽の女神の末裔の巫女姫が清めた桃色の岩塩。森の貴婦人が手ずから育てたローズマリーとセージ。ケツァルコアトルが大事に育てたトマト。旧大陸の東の高山に住む神仙の弟子たちが手摘みした茶葉。
人間になったオシアンの指はしなやかに長く、それでいて力強い。その指で器用にボールに玉子を割り入れ、牛乳を注ぎ、適量の塩と刻んだハーブを入れて、慣れた様子で手早く丁寧に混ぜていく。
フライパンに溶き玉子を流して焦がさないように注意深くフォークでかき混ぜながら火を通せば、とろけるようなオムレツが完成する。
次に焼くのはナイフで薄く切ったトマト。加熱することで甘味が増したトマトに、軽く塩と胡椒を振ってオムレツに添える。
同時進行で炙ったパンにはバターと蜂蜜をたっぷり塗り、オムレツとトマト、熱々のミルクティーとともにワゴンに載せる。そして彼は猫の姿に戻ってワゴンを押しながら最愛の人の寝室まで朝食を届けに行くのだ。
「おはよう、ヒルダ」
彼女を傷付けないように肉球で優しく肩に触れると、今朝も彼女が低めの掠れた声で優しく返事をしてくれる。
「……おはよう、ボンボンショコラ」
まだ少し夢心地の彼女は、オシアンのふわふわとした毛並みをゆっくりと丁寧に撫でる。
オシアンは、一日のうちで、この時間が一番幸せだと思っている。
彼女が低く掠れた声で特別な愛称を呼ぶのも、婦人としては硬くて大きな手で優しく撫でてくれるのも。
時々、彼女は自分に対して少し無防備過ぎるのでないかと心配にはなるものの、この日の朝もオシアンは満ち足りた気持ちでゴロゴロと喉を鳴らした。
その昔、休日の朝から放送していた情報番組の「世界の新婚さんの朝ごはん」というコーナーが大好きだったのです。
夫婦でも恋人でもなく、使い魔とその主なのですが。




