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四壁の王  作者: 真籠俐百
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 ノーンハスヤは、森の中を疾走していた。

 巨体に似合わず足取りは軽やかで、音もなく木々の間をすり抜けてゆく。

 その背中にしがみつくような形で、ラウリは表情を曇らせていた。

(先ほどノーンハスヤは、向かうこの先に上位の魔物がおり、その上位の魔物が下位の魔物の群れを召喚していると言っていたが、あれは本当だろうか)

 ノーンハスヤが嘘をつくはずもないことをラウリは承知していたが、しかしラウリには信じられなかった。

 下位の魔物を召喚できる上位の魔物とったら、人型であることは間違いない。

(人型の魔物は、一応『上位の魔物』のくくりには入るが、しかし、我々が認識している『上位』とは別の次元の存在だ。今ではもはや伝説で語られるのみの存在――――)

 一般的に、壁を越えてくる『上位の魔物』は、大型であったり、もしくは人に近い容姿をしていたりする魔物の事をさしている。

 しかし、この『人に近い容姿の魔物』というのは、あくまでも獣よりは人に似ているという程度のもので、知性は人間とかけ離れている。

 見かけは少しばかり人に似ており、二足歩行であるとは言っても、言葉を話せるわけではなく、思考はより獣に近いのだ。

 そのため、魔法を駆使して何かを召喚するような、知的水準を必要とされる魔法の行使はできない。

 召喚魔法を使えるような知能の高い人型の魔物は、今となってはペルクナスとともに神話の中でのみ語られる存在でしかないのだ。

(ノーンハスヤが言う『上位の魔物』はおそらく超上位種の事で間違いない。そんな魔物が、はたして壁を越えられるものだろうか…)

 ラウリは、深刻な表情で考え込む。

(だが、もしそれが本当だとしたら大変なことになる。超上位種が壁を越してくるということは、壁の力が弱まっている証拠に他ならないのだからな)

 長年にわたる壁の畔での調査で、壁蝕の期間がほんのわずかに短縮していることはラウリも把握していた。

 それが、壁の弱体化の兆候ではないかと危惧してもいた。

 そして、それによっていきつくことになるであろう最悪の状況についても考慮していた。

(いやな一致だ…。弱まっているだけならばまだマシだったが、これは常々憂慮していた最悪の事態を想定しておかねばならぬ時がきたのやもしれぬ)

 ラウリの言う『最悪の事態』とは、壁の消失だ。

 今までも、その可能性は常にラウリの念頭にあったが、あくまでも最悪の事態として想定していただけにすぎなかった。

 しかし、いよいよその最悪の事態が現実味を帯びてきたのである。

 偉大なる召喚士ペルクナスの張った結界の消失に、とうとう備えなければならない時がきてしまったのだ。

 その困難に立ち向かうためにも、人間たちが一丸となる必要があった。

 世界中に乱立する対立に終止符を打ち、早急に新しい体制を築かねばならない。

 だからこそラウリは、四壁と教会の橋渡しに腐心し、何とか王国側との妥協点を探るべく動きかけ続けていたのだ。その必要性を痛切に感じていたから。

 しかし、人はどこまでも愚かだった。

 結局人は自分の事しか考えない。

 身のうちに野心ばかりを抱え込み、我が手にこそ金や覇権をと考える。

 そんな身勝手な輩に対して、ラウリは必死に語り掛け平和の必要性と、融和とを説いて回ってきた。

 対立ではなく、共生、平和こそが人々の未来には必要なのだと、文字通り全身全霊をかけて伝えてきたのだ。

 だが、その結果はといえば今のラウリの立場が全てを物語っている。

 今のラウリといえば、祖国からも追われる身の上となり果てていた。

 共存、共生、平和などは夢のまた夢。

 一歩進んでは二歩後退する。その繰り返し。

 衝突し合う人間同士の落としどころを探り、かりそめの平和をもたらしたところで根本の解決には至らない。

 人は、不満がたまればすぐにまた過去を蒸し返す。

 一度収めたはずの矛を再び構え、同じ問題で諍いを繰り返すのだ。

 水に流したふりをして一時の平和に隠れて爪を研ぎすまし、再び相手の首を狩りとる機が満ちるのを虎視眈々と狙うばかり。

 真の平穏など、決して訪れることはない。

 結局、ラウリの言葉が、いったいどれほどの人に響いたものか。

 また、今までの自らの行いに、どれほどの意味があったのかと考えるたびに、ラウリは途方もない疲労感ばかりを覚える。

 ただがむしゃらに、自分の信じた道を貫くために奔走し続けてきたが、結果はいつも砂を噛むような思いばかりを痛感させられた。

 わが身の選び取ってきた道の結果を突きつけられるたび、無力さを自覚させられ挫けそうになる。

 いったいどこから間違っていたのか、どうすればよかったのかと、無性に叫びたい衝動にもかられた。

 今もそうだ。

 最愛の家族を失い、息子に追われるわが身を顧みるたび、酷い自己嫌悪に陥った。

(不甲斐ないことだな…結局私には、何もなしえぬ。卑小な凡人にすぎぬこの身には荷が重すぎるのだろう)

 ラウリは弱気になって視線を伏せる。

 しかし、すぐにきつく目を閉じ拳を強く握りしめた。

(だが、だからといってこの歩みを止めるわけにはいかぬ。今更全てを放り出すわけにはいかないのだ。ウィルヘルミナのためにも、そして北壁の領民たちのためにも絶対に退くわけにはいかぬ)

 諦めれば、何一つ守ることができなくなる。

 たとえどんなに無謀な挑戦であろうとも、途中で放棄することなど、絶対にできはしないのだ。

 ラウリは、ノーンハスヤの背中でそう自らに言い聞かせ、決意を新たにしていた。

 顔を上げ、暗い森の先をじっと睨みつける。

(この先に何が待ち受けていようとも、絶対に逃げ出すわけにはいかぬ。すでにたくさんの人間を巻き込んでいるというのに、今更私がここで迷ってどうする。たとえ無謀と笑われようと、私には突き進むしか道はないのだ)

 挑みかかるかのようにまっすぐ前を見つめていると、不意にノーンハスヤが声をかけてきた。

≪気を引き締めろ、この先に数頭の魔物がいる≫

「それは先ほどお前が言っていた上位の魔物か?」

≪いいや違う。この先にいるのは下位の魔物だ。恐らく群れからはぐれた魔物だろう≫

「そうか、わかった。では、それらの魔物は私が始末をする。お前の力はまだ温存しておいてくれ」

 ノーンハスヤが魔法を使えばラウリへの負担が大きい。

 そのため、ラウリが対応することにしたのだ。

≪承知した。だが、殲滅は念頭に置くな。この場は一気に駆け抜ける。お前も上位種との交戦のために魔力の温存をしておけ≫

 ラウリは無言のままうなずき、剣を引き抜く。

 神経を研ぎ澄まし、準備を整えた。


 やがて森が開ける。


 ラウリの視界に、突如星空が飛び込んできたと思うと、同時に、谷底にたむろする魔物の姿もとらえた。

 ノーンハスヤは、躊躇なくその魔物の群れに突っ込んでいく。

 ラウリは、ノーンハスヤの背中で剣をふるい、襲い掛かってくる魔物を次々と屠った。


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