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「なあ、ベル。さっきイルが言ってた『ネズミ』だけど、この中にいるってことは間違いないよな。あいつここ見てたし」
イヴァールとエルヴィーラが、話をするために場所を移動していなくなった後、ウィルヘルミナはイルマリネンの言っていた『ネズミ』について考え始めていた。
イルマリネンの口ぶりでは、どうやらこのドームの中にいるようだった。
自らが作り出し維持しているドーム型の地界魔法をちらりと見てから、ウィルヘルミナは確認するようにベルンハートへと視線を移す。
その視線を受けてベルンハートはうなずいた。
「そうだな、あの口ぶりだとそういうことになるだろう。つまり、敵は我々を欺いて行動をともにしていたということになる。そしてその者は、今後仲間と合流する可能性がある。つまり、この近くに仲間が潜んでいるという事になるのだろうな」
ウィルヘルミナは息をのんだ。
(近くに仲間がいるのか…。少なくともニルス=アクラスじゃねえのは確かだよな。だってあいつはもう捕まえてあるし。それに、イルはこれから合流するみたいなこと言ってたし…)
考え込むウィルヘルミナに、ベルンハートはさらに続けた。
「それに、もう一点気になっていることがある。先ほどの魔物の出現、かなり違和感を覚えないか?」
ウィルヘルミナは顎をつまんでうつむく。
(そうなんだよな…。確かにタイミングが良すぎたんだよな。魔物が人間の指図を受けられるはずがねーんだけど、でも、偶然で片付けるにはかなり出来過ぎたシチュエーションだった。あの時の魔物の動きは、まるでニルス=アクラスがけしかけて操ってるみてーな感じだったんだよな。ま、そんなことできるとは思えねーんだけど。魔物を飼いならす方法なんてねーはずだから。けど…なんか違和感は残るんだよな…)
一抹の不安が、ウィルヘルミナの脳裏をよぎった。
ウィルヘルミナは顔を上げてベルンハートを見返す。
「確かにさっきの魔物の群れの動きは変だった。あいつら、何故かニルス=アクラスには襲い掛からなかったからな。あくまでも印象なんだけどさ…さっきの魔物の襲撃、まるでニルス=アクラスの仕掛けた罠の一部みたいな感じだったよな。正直言って偶然にしちゃかなり出来過ぎた状況だったと思う」
その言葉に、フェリクスとイッカの間に動揺が走る。
フェリクスが、その動揺を抑えるように口元を片手で覆いながら、半信半疑といった様子で首を横に振った。
「ちょっと待て、まさかあの魔物の群れは、ニルス=アクラスが故意に我々を襲撃させたものだとでもいうのか? そんなことあるはずがない。もしそうなのだとしたら、人間に魔物が操れるという事になる。そんな事は不可能だ」
フェリクスの意見にイッカもうなずく。
「そうです。もしそんな方法があるのでしたら、我々はもっと簡単に壁蝕を乗り切ることができるようになっています」
一同は考え込み、しばしの間沈黙が下りた。
最初に沈黙を破ったのはウィルヘルミナだった。
「確かにそうだけど…でもよ、さっきの襲撃は絶対に変だった。あれは普通の魔物の動きじゃねえよ。だってニルス=アクラスの事は一回も攻撃しなかったじゃねえか。それに魔物の出現にしたってどうやって説明をつけたらいいんだ? ここはキッティラより内地なんだぞ。そんな場所に、どうしてあんな数の魔物が突然出現したりすんだよ。おかしなことだらけじゃねえか」
ウィルヘルミナの言葉に、再び全員が黙り込む。
やがてフェリクスがのろのろと首を横に振り口を開いた。
「その原因は私にもわからないが…。では、レイフはニルス=アクラスが事前に魔物を捕まえておいて、内地にそれを解き放ったとでもいうのか? そんな方法があるとは思えないが、もしそうだったと仮定して、どうしてそんなことをする? 魔物を内地に開放するなど正気の沙汰ではない。そんなことをして人間に何の得があるというのだ?」
「解き放った理由だけを考えるなら多分簡単だ。おおかたオレたちを殺そうとでもしたんだろう」
ベルンハートも、そこには同調する。
「そうだな、おそらく私たちを殺すつもりだったのかもしれない。かなり危険な仕掛けではあるがな。普通に魔物の習性を考慮すれば諸刃の剣だ。自分も襲われる可能性があるのだからな」
「けどさ、魔物を操る方法があれば解決できるよな」
ウィルヘルミナのその言葉は、フェリクス、イッカの表情を凍り付かせた。
ベルンハートも含め、三人ともがウィルヘルミナの言っている可能性を否定したかったが、それをすることができない様子だ。二つの考えがせめぎ合っているような、そんな表情をしていた。
やがて、フェリクスが脂汗を浮かべながら口を開く。
「やはり無理があるのではないか? 人に魔物を操ることなどできるはずがない。きっと偶然だったに違いない」
それは、自分をそう納得させようと無理やり絞り出すような言葉だった。
ベルンハートは、不意に顔を上げる。
「だが…私にはレイフの言葉を馬鹿げたものだと否定しきることもできない。あれだけの数の魔物が、いったいどうやって内地まで侵入できたのだ? 今は壁蝕の時期。この時期にあれほどの大量の魔物が、突然内地に現れることはそれ自体が現実的でない。もしあれだけの数の魔物が包囲網を突破してきたというのなら前線は壊滅しているはずだ。だが、そんな情報我々には届いていない」
その言葉に、全員が沈黙した。
フェリクスが、額に汗を滲ませつつ口を開く。
「それでも…私には操る手段があるとは思えないのだ。あのように知能の低い生き物をどうやって操るというのだ。それに、魔物は本能で人間を襲って食う。あいつらにとって食料でしかない人間に、いったいどうやって魔物が操れるというのだ」
「じゃあなんでこんな場所に魔物が突然出現したんだよ? あの数を誰にも見つからずにここまで移動させるなんて、偶然できるようなことじゃねえだろ」
ウィルヘルミナの言葉に、四人は再び考え込んだ。
だが、結局その問題の結論を導き出すことはできない。
話が行き詰まり、空気も悪くなったため、ウィルヘルミナが気分を変えるように明るめの声を出しつつ話題を変えた。
「じゃあその件はまた後で考えるとして、とりあえず『ネズミ』が誰かについてなんだけど、さっきベイルマン辺境伯爵は心当たりがあるみたいだったけど、フェリクスはそれが誰なのか聞かされてるのか?」
「そうだな…疑わしい人間はいる。ただ、その確証をまだ掴めてはいない。今の段階では、心当たりがあるという程度のものだ」
イッカも頷き同調する。
フェリクスはその疑わしい人物の名前を告げるべきか否か、逡巡している様子だった。
機密事項を漏らしてよいかどうかを迷い、躊躇っているのだ。
イッカは黙ってそんなフェリクスを見守っている。判断は、フェリクスに任せるつもりのようだ。
やがてフェリクスは、覚悟を決めた様子で顔を上げる。二人に名前を告げようと、フェリクスは口を開きかけた。
だが、それよりも先にベルンハートが口を開いた。
「なんとなくだが、私にはわかったぞ。先ほどの戦闘の状態を見た限り、生徒であるとは考えにくいと思う。演技の可能性も全くないわけではないが、私の目には、本当に魔物におびえているように映っていたからな。そうなると、怪しいのは教師という事になる。おそらく教師のヨルマではないか?」
ウィルヘルミナは、ハッとした表情でベルンハートを見る。
「そういえば、パルタモで夜にこっそりと詰め所を抜け出してたことがあったな」
「そうなのだ、あの時の様子はかなりおかしかった。だから私はヨルマに疑いを持ったのだ」
二人がうなずきあうと、フェリクスとイッカが驚いた表情をした。
「そんなことがあったのか?」
ウィルヘルミナはフェリクスに視線を移す。
「そうなんだ。どこに行っていたのかまではわからねえんだけど、オレたちはあいつが人目を忍んで詰め所から抜け出していくところを偶然目撃したんだ」
ベルンハートは顎をつまんで口を開いた。
「そういえば、その翌日、急に我々はこうしてキッティラを目指すことになったのだったな…」
その符合に、一同は一瞬言葉を失う。
ウィルヘルミナは、驚きから回復するとベルンハートにむけて言った。
「なるほど、あいつが秘密裏に詰め所を抜け出したのは、それを手配するためだったってことか…。もう『ネズミ』はヨルマで決まりだろ。だってあいつは教会関係者だし、上層部に働きかけることだってできるだろ? きっとあの夜に何か裏で手をまわして、オレたちの事を無理やりキッティラに移動させるように手配したに違いねえよ」
ベルンハートもうなずき目を細める。
「確かにそう考えればつじつまの合うことが多いな。フェリクスが探していたラハティ教会学校に潜んでいる緋の竜の一味というのもヨルマだったのではないか?」
フェリクスはうなずいた。
「そうだ。実は我々が何人かに絞っていた怪しい者たちの中に、ヨルマも含まれているのだ」
「やはりそうか…。きっとヨルマはコルホネンと繋がっているのだろう。だからコルホネンが誘拐に失敗したので次の手を打ってきたのだ。ニルス=アクラスという伏兵を用意し、我々を罠に陥れようとしたに違いない」
ウィルヘルミナは表情を強張らせてドーム型の地界魔法に視線を向ける。
「さっきイルは仲間と合流する可能性があるって言ってたけど…じゃあその仲間っていうのは、もしかしてコルホネンか? あいつがこの辺りにいるのか?」
一同はまだコルホネンの死を知らない。それゆえそういう結論に至っていた。
ウィルヘルミナの言葉に、フェリクスが一度息をのんだ。表情を暗く変えて口を開く。
「その可能性は高いな。何故ならキッティラ付近でコルホネンの姿が目撃されているのだ」
ウィルヘルミナは驚いた表情でフェリクスを振り返った。
「まじか! じゃあ、ヨルマはやっぱりコルホネンと合流しようとしてるってことか! まさかまた誘拐を企んでいるのか?」
フェリクスは一度唇を強く噛みしめ、やがてウィルヘルミナとベルンハートを見る。
「実は、コルホネンに私の姉が誘拐されている」
ウィルヘルミナとベルンハートは驚愕に目を見開いた。
フェリクスは、視線を伏せ気味にして続ける。
「つい先日母上から聞かされたのだが、キッティラ付近でコルホネンの目撃情報があった時、奴は若い女連れだったらしい…。あまりにもできすぎた目撃情報であるから、今回のコルホネンの行動は陽動の可能性が高いと母上は言っていた。恐らく敵は、母上をキッティラに誘き寄せようとしているのではないかと思う」
ベルンハートが厳しい表情に変わった。
「なるほど…そうだな。そう考えるのが妥当だ。だが、そうなると、キッティラ付近には何か大掛かりな罠が仕掛けられている可能性が高いぞ。それを承知でベイルマン辺境伯爵はキッティラに向かっているのか?」
フェリクスはうなずく。
「いつも逃げの一手を打っていた緋の竜が、ようやく仕掛けてきたのだ。この機を逃すわけにはいかない。母上は、決着をつけようとしているのだ。そして姉上を何としても助け出そうとしている」
ウィルヘルミナは強く拳を握りしめ、きつく唇を噛んだ。
「そうだな、フェリクスの姉ちゃんを絶対に助けてやらねえと…」
一同は、視線を合わせつつきっぱりとうなずく。
そこに、エルヴィーラとイヴァールが戻ってきた。




