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自由都市カヤーニは、トゥオネラの南部にある人口三十万人規模の巨大都市である。この三十万人という数字は、トゥルク王国の王都イーサルミの人口に匹敵している。
自由都市というのは、自治権を認められた自然型成長都市のことで、例えば交通の要衝であったり、商工業が盛んであったり、もしくは司教座の所在地で人の出入りが多いなどの理由で、時間をかけて自然と発展してゆき、歴史の流れによって自治権を認められた都市の事を総じて呼んでいる。
対して、国王や領主が自領に意図的に作った都市を建設都市と呼び、自由都市とは一線を画していた。
建設都市は成立過程の性質上、統治権は建設領主にあるが、自由都市の統治権は、各自由都市の参事会にある。
都市参事会の構成人数は、都市によって多少のばらつきはあるが、およそ十五人程度で、全て市民権を持つ市民によって構成されていた。
自由都市の市民権というものは、住んでいる人間全員に与えられているわけではない。
市民権を持っているのは、貴族や自由都市商工業組合――――通称ギルドに所属する人間たちだけで、例えば奉公人や下層民などは市民権を持ってはおらず、もちろん市政へ参加する権利もない。トゥオネラに奴隷制は存在しないが、市民権を持たない者たちは皆、ただ貴族や家長、親方などの支配を受けるだけの、いわば奴隷に近い存在に過ぎないのだ。
ちなみに、自由都市に住む貴族のほとんどは、金で爵位を買った新興の成金貴族ばかりである。自由都市近隣に領地を持つ地方貴族や、中央から移住してきた都市貴族たちも利便性を求めて住んではいるが、自由都市在住の貴族の大半は、金で男爵位を買った勝ち組の商人たちばかりであるのが実情であるのだ。
カヤーニの都市参事会を構成しているのは、この成金貴族たちであった。
そして自由都市の運営は、都市法に従って行われている。
カヤーニの都市法によると、一年と一日以上カヤーニに滞在すれば、居住権を得ることができる。
それはただ単にカヤーニに住むことが許されるだけの権利なのだが、しかしこの居住権は、非常に貴重な権利であった。
カヤーニでは、身分や資産状況にによって住みわけがされている。
物の売買を行う商業区も決められており、都市の内部は区画ごとに塀で仕切られていた。
そのため、都市内部にはいくつもの区画門が存在しており、買い物をするにも設置されている区画門を通過せねばならない。
居住権のないものは、これらの門を一つ通過するたびに、いちいち出入の通行許可証を得なければならず、かなり不便なのだ。
その上、カヤーニは滞在するのにも許可証が必要で、居住権がないものは定められた期間しかカヤーニへの滞在を許されない。
仮に滞在期間を延長したい場合は、期限が切れる前にその都度許可証を更新せねばならず、もし延長の許可が下りなかったり、滞在期間が過ぎていることが発覚したりすれば、即刻都市から強制退去させられることになる。
このように、居住権を持たない者には厳格な行動制限が都市法によって定められているのだ。
一方、市民権を持つ特権階級たちは、都市防衛と納税の義務を負う代わりに、都市でのあらゆる権利や自由を保障されていた。また、場合によっては他都市での居住権や商業権、手工業権までもが保障された。
これらの商工業権というのは、一見誰もが持っていて当たり前の権利に思えるかもしれないが、トゥルク王国では厳しく規制されている。
例えば、一般的に『農村』と呼ばれる地方の村では、農民は領主から与えられた共同地用益権を有するが、しかし、商工業権を有してはいない。それゆえ、農民が村で商工業行為を行うことを禁じられていた。
つまり農民は、農地を耕し、得た作物を地主に納めて収益を得る権利はあるが、地主以外に作物を売ることはできないし、例えば加工したりして作物以外の商品を作って売る権利も持ってはいないのだ。
ただし、例外的に、農業に必要な鍛冶屋の営業だけは農民でも許されている。これは、農業に必要不可欠なために認められているだけで、他の例外は存在しない。
そのため、商店のない小さな農村では、日用品が必要な場合、物々交換によって村人同士で融通し合うか、行商から購入するか、危険を冒して違法の闇市で手に入れるか、ギルドの運営する正規の市場まで足を延ばして購入するほかにない。
もし農村で、店を構えて商業を営もうとする場合には、市場開設権を有する都市のギルドに所属する必要がある。
しかし、それはかなり困難な道のりであった。
何故なら、ギルドに所属するには、市民権を持つ市民による紹介と、ギルドに対してそれ相応の対価を払わねばならないからだ。
もし条件を満たして商業権を手に入れる事ができたとしても、今度は所属するギルドと、ギルドの設置されている都市とに定期的に税を払わなければならなくなる。新参には、より厳しい税率が課され、酷い搾取にあうため、多くの人間は最初からこの権利を手に入れることを諦めるのだ。
こうして、商工業を行う権利は、各都市の各種ギルドによって独占されており、新規の参入は厳格な条件により排除されているのが現状だ。
既得権益ばかりが富み、貧しいものは搾取され続ける。そんな不条理がまかり通るのは、法体系の不備に一因があった。
トゥルク王国の法体系は複雑で、全国で統一された司法が存在しない。
例えば、市民は各都市に定められている都市法に、聖職者は教会法に、貴族は各地の習慣法に、農民は所属農地の荘園法に従っている。その他にも、土地や共同団体ごとに、王が発する王令や、領主が与える特権状などの個別権利が与えられており、法体系をより一層複雑化させていた。
このように、土地が変われば法も変わり、支配体系や所属する共同体によってもまた法が変わるのが実情で、しかも、この世界には、弁護士や検察官、裁判官のような法の専門家とて存在しない。ウィルヘルミナのいた世界と比べて、かなり未成熟な社会であるのだ。
こんな社会形態では、法の不備によって衝突が起こるのは当たり前で、しかも、その問題を提起したところで、解決できることはありえない。ただ裁判権を持っているというだけの法の素人である貴族に投げやりな判決を下されたり、たらいまわしの末有耶無耶になったりして、対立の溝がうまることは決してないのだ。おかげで、より根深い問題になって、放置されることになるだけだった。
だからこそ、ギルドによる権益の独占を可能とさせる悪法も、正されることなく放置されたままになっているのだ。
不統一で無秩序な法体系が、様々な場面で齟齬を生み、問題を先送りさせ、いらぬ対立ばかりを引き起こしている。
そういう現状を鑑みて、国王は新たな成文法による国家統治を提案した。
だが、四壁や教会の反対にあって断念している。
表面的に見れば、国王の言い分の方に筋が通っているようにも見えるだろう。
しかし、国王が狙っているのは中央集権国家なのである。
立法権や課税権、聖職者叙任権、徴兵権などを独占し、四壁や教会の力を削ぐことが目的の法整備なのだ。
地方を弱体化させ、権力を国王に集中させる。
それが狙いであることがわかっているからこそ、四壁と教会は反対しているのだ。
この対立構図の中で、何故ギルドが国王側に与しているのかというと、国王が手中に収めんとしている権益の中に、商工業権が含まれていないことが大きい。
また、今回王国が作った草案の中で、対象として明言されているのは教会と四壁であって、自由都市にまでは言及されていない。自由都市が外されているのは、王国側がギルドを自軍に引き込む狙いがあっての事であろうことはわかりきっていたが、ギルドはあえてそれに乗った。
今後、王家の主張する課税権や徴兵権が自由都市にまで適用される可能性も否定はできないし、商工業権に言及する可能性も否定できないが、立法する側と友好的な関係を築いておけば、多少の目こぼしはあるだろうという打算が働いたのだ。
それともう一つ、ギルドには国内の治安を安定させる狙いもあった。
王家と四壁、そして教会は、各々独自の軍事組織を持っている。それはトゥオネラの性質上、魔物に対抗するための軍事力が必要だからだ。
しかし、小規模都市の都市貴族や地方貴族といった零細領主たちには、常備軍を持つほどの余裕はない。
それゆえ、有事の際は領民たちに兵役を課すのだが、普段農業や手工業に携わっている一般市民だけでは戦力を賄いきれず、傭兵も募集せざるを得ない。
しかし、その時に集まる傭兵たちは、平時には山賊や盗賊として暮らしている荒くれ者ばかりで、商人にとってはいわば天敵であるのだ。
商人は、治安が良くなければ安心して商売を行うことはできない。だが、貴族たちは有事の際にならずものの傭兵をあてにしている。
そんなもたれ合いの現状が、賊たちの力を強めている現状があるのだ。
しかし、今後王家が主導する法整備によって、徴兵権が王家に渡った場合、零細領主たちが握っていた軍の統制権は王家に移ることになり、賊を雇用する悪習も改まるに違いないとそう踏んで、商人たちは安全保障を求める相手は国王に利があるとそろばんをはじき、国王側に与したのである。
この商人たちの支持が、国王側の力をかなり強めた。
ギルドから国王側に流れている資金は巨額で、対立の天秤の針は今国王側に傾いているのである。
王権は圧倒的な経済力に支えられ、その力を伸張させていた。
「ここが自由都市カヤーニです」
ウィルヘルミナは、イヴァールに連れられて巨大な城門の前に佇んでいる。
口をあんぐりと開け、その高い塀を呆然と見上げていた。
(でっけー)
厳めしい堅牢な外壁に守られたその自由都市の大きさに、ウィルヘルミナはただ圧倒されていた。
魔物の侵入を防ぐ目的も兼ね備えた城壁は、広大な街の敷地をぐるりと囲むようにめぐらせてある。そのけた外れの規模に、純粋に驚かされていた。
「行きますよレイフ」
イヴァールに呼ばれ、ウィルヘルミナは我に返る。慌てて走り寄った。
ウィルヘルミナは今、レイフという少年に扮している。
名を伏せて少年と偽り、神獣眼である左目を、美しい細工の施された銀製の眼帯で覆い隠して、修道士見習いレイフ・ギルデンとしてカヤーニを訪れているのだ。
「あまりよそ見をしていては迷子になります。しっかりついてきてください」
通りを行き来する人の数は多い。ウィルヘルミナはうなずいてイヴァールの後に従った。
イヴァールは、教会に用意してもらった身元保証書を城門で提示する。この教会の保証書は、市民権に準じる身分を証明するもので、カヤーニの政治への参政権こそないが、都市内のすべての区画門の通行と、滞在期間を無期限に保証されているものだ。また、事前にギルドの承認を得る必要はあるが、商工業の営業すら可能な特別な保証書であった。
二人は、カヤーニの城門をくぐる。
城壁の内側は、商業都市独特の活気に満ち溢れていた。
ウィルヘルミナは、目を輝かせ、キョロキョロと周囲を見渡す。
壁の畔の屋敷の周囲しか知らなかったウィルヘルミナには、見るものすべてが新鮮で、ついつい何度も足を止め、食い入るように見入ってしまった。
気付いたイヴァールが、ため息をつく。
「レイフ」
呆れ混じりのため息とともに名を呼ばれ、ウィルヘルミナは両手を頭の後ろで組みつつ不満げに唇を突き出した。
「少しくらい寄り道したっていいじゃん」
その言葉づかいを耳にしたイヴァールが、ギロリとウィルヘルミナを睨みつける。
「なんですかその言葉遣いは。もっとご自分の立場をわきまえた言葉遣いをなさい」
「立場をわきまえてるからこそ、わざとこういう言葉遣いにしてんの。オレは今男なんだぜ?」
ウィルヘルミナは、親指で自分の胸を指し、エヘンとばかりに胸を張ってイヴァールを見上げた。
正直なところを言えば、素に戻って見せただけの事だ。
いつもは伯爵家の令嬢として、配慮した――――猫を被ったともいう――――言葉づかいを心がけていたが、今は『修道士見習いの少年レイフ』なのだ。取り繕うことなく素の言葉づかいをさらけ出しても問題はないと、勝手に判断したのだ。
しかし、その言葉を聞いたイヴァールは目を剥いた。
「オレ!? なんですかその品のない言葉は!?」
ウィルヘルミナは、うるさいとでも言いたげに、わざとらしく耳に指を突き入れて見せる。
「そうカリカリすんなよ先生。ここでオレの素性がバレるわけにはいかないだろ? だからわざとやってんの。一芝居打ってんだよ」
「品位を落とさない芝居をなさい!!」
(あーうるせー、かてーよな眼鏡は)
「わかった、わかったから怒鳴るなよ」
「わ、か、り、ま、し、た、です。言い直しなさい!」
「わっかりましたー」
「レイフ!!」
ウィルヘルミナは首をすくめながら、怒鳴るイヴァールを走って追い越し、笑顔で振り返る。
「先生、お腹すいた。あれが食べたい」
無邪気な笑顔で屋台を指さした。




