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エルヴィーラの率いる東壁魔術師団の出現により、戦況は好転するかに見えた。
だが、減ると思われていた魔物の数は、予想に反して減ることはなく――――。
状況は好転するどころか、じわじわと悪化しはじめていた。
キッティラよりも内地だというのに、壁際に劣らないほどの魔物の出現率。
状況は、むしろ壁際以上に悪いといっても過言ではなかった。
何故なら、魔術師たちには守らねばならない生徒たちという足枷まで存在するのだから。
戦況が、徐々に悪化していくのも仕方のないことだった。
そこにきて、生徒たちの精神状態が目に見えて悪くなっていた。
恐怖におびえて泣きじゃくり、失神や過呼吸を起こすものも出ていて、収拾のつかない状況になってきている。
ウィルヘルミナは、ちらりと生徒たちを振り返り焦燥感を覚えた。
(やっぱりまずいな…このままだと、メンタルがやられちまうかもしれねえ。これがトラウマになって、教会魔術師になるのを挫折する人間も出てくるかもしれねえよな。それだけじゃねえ、まだ子供にこんな刺激の強い悲惨な経験させたら、普通に生活することすらままならなくなるかもしれねえ。元々はこんな無謀な派遣隊に志願するくらい気概のあるやつらなんだ。もしそんなことになったりしたら可哀そうだ…)
本来なら、こんな過酷な経験は、もっと場数を踏んでから経験するべきだ。
にもかかわらず、生徒たちは逃げようのない容赦のない現実に、まるで事故のように巻き込まれている。そんな状況に、ウィルヘルミナは同情を禁じえなかった。
(この隊は、もともとは後方支援のはずだったわけだし、この状況を自己責任なんて言葉で片付けて突き放すのはあんまりだ)
教会本部は、必ず生徒を派遣しなければならないと一方的に主張してきていた。
有志の部隊に自ら志願した生徒たちは、むしろ犠牲者といっても過言ではない。
(何とかしてやらねえと…)
襲い掛かかってくる魔物をたおしながら、ウィルヘルミナは素早く周囲に目を配った。
魔物たちとの戦いは、主に東壁魔術師団が担っている。
そこに教会学校側の人間が数名戦闘に参加している状況だ。
教会学校の人間で戦闘に参加しているのは、ウィルヘルミナ、ベルンハート、フェリクス、イッカ、イヴァールの五人だけ。
ペテルとヨルマは、生徒たちの側で声掛けを行いつつ魔法で魔物を攻撃して生徒を守り、フローラやヘリンたち一年生組も、同じく教師の援護に回っていた。
(東壁の魔術師は統率が取れてるし腕も悪くねえ。さすがだよな。けど、生徒たちを守るための陣形組んでるから、うまく攻めきれてねえ。せっかくの能力が活かしきれてねえんだ)
状況が状況であるため、防戦一方にならざるを得ず、そのため皆本来の力を発揮しきれていない。
おかげで、魔物たちの勢いをうまく削ぐことができず、むしろ魔物たちの攻撃の方が勢いづいているような状態なのだ。
(悪い流れだな。こっちの消耗の方が激しいから、このまま魔物の出現が続くと長くは持たねえ。その辺りをどうにかしねえとな…。どうすっかな…)
視線をめぐらせると、ベルンハート、フェリクス、イッカの消耗も激しいことに気づく。
(ベルたちだって、このままじゃいつまでもつかわからねえ。たぶん限界は近いよな…)
戦いながらも必死で考えめぐらせていると、不意に一つの案がひらめいた。
(そうだ、前に使ったあの手を使えばいいんだ)
ウィルヘルミナは魔物を捌きつつベルンハートの側に移動し、剣を振りながら口を開く。
「ベル、フェリクスとイッカと一緒に他の生徒のところまで後退しろ」
するとベルンハートが、怪訝そうに目を細めた。
「何故だ」
低く問い詰めてくるベルンハートを、ウィルヘルミナはちらりと一瞥する。
「前に教会学校で使った地界魔法を使う。このままだと生徒たちもお前たちも、限界が近い。だからいったん地界魔法で生徒たちを隔離するんだ。そんで、その間に一気に敵を叩く」
魔物を倒しながらウィルヘルミナが言うと、ベルンハートはしばし考え込んだ。
「なるほど、そうだな。確かにこのままでは状況は悪化していくばかりだ。その作戦には同意する。だが、私も外で戦う。そこは譲れない」
ウィルヘルミナは、ベルンハートをあきれ顔で振り返った。
「お前なあ…少しはオレの言うことも聞けよ――――」
しかし、ベルンハートの覚悟を決めた視線とぶつかり、思わず口を閉じる。
(まいったな、こういう顔してるときは、何言っても聞かねえんだよなぁコイツ)
やがて、諦めたようにため息を吐き出した。
「ったく、大丈夫なのか? 本当にまだ戦えんだな?」
確かめるように見つめてきたウィルヘルミナの目を、ベルンハートは正面から見返す。
「むろんだ、足手まといにはならない」
「そっか、じゃあお前を信じる。しっかりやってくれよな。オレはフェリクスにも今の話通してくるから」
ウィルヘルミナはそう言い置いてベルンハートの側を離れ、フェリクスに近づいて同じ話をしたが、フェリクスにもベルンハートと同じ返事を返された。
ウィルヘルミナは、説得する時間も惜しいためしかたなく諦める。
渋々ながらもフェリクスとイッカが外に残ることを了承し、東壁魔術師たちへ今の話を通すことを頼んだ。
その間に教師たちにも事情を説明してまわり、準備ができるとすぐに地界五位魔法を使った。
「カレワンポヤト」
突如として土壁の巨大なドームが出来上がり、ペテルとヨルマを含んだ生徒たちをあっという間に覆い隠す。
それを見た東壁魔術師団の間に、明らかな動揺が走った。
このような地界魔法の使い方を見るのも初めてなら、この規模の魔法を見るのも初めてだったからだ。
しかも、ウィルヘルミナの作った地界魔法は、消えることなくずっと状態が維持されている。
同じ魔法を再現するには、いったいどれだけの魔力が必要なのか、常人には想像もつかなかった。
エルヴィーラも一瞬目を見張ったが、すぐに動揺を覆い隠してウィルヘルミナを一瞥する。
「なるほど、君がレイフ・ギルデンか…。フェリクスから話は聞いている」
エルヴィーラの視線と正面からぶつかり、ウィルヘルミナは思わずたじろいだ。
(なんか、すげえ迫力。美人だからかな。よけいに威圧感覚えるわ。さすが東壁の当主の貫禄って感じだな)
考え込んでいると、エルヴィーラが続ける。
「ところで、この地界魔法はどれくらい持つ」
「えーと…」
エルヴィーラの迫力に気圧され呆然としていたため、とっさに素で返しそうになってしまったのだが、すぐにはっと我に返りコホンと咳を一つして口調を戻す。
「そうですね、一日持たせろと言われたら無理ですが、半日くらいなら問題ありません」
真面目に答えると、エルヴィーラが驚愕に目を見開いた。
「半…日…?」
(へ? なんか変なこと言ったかオレ)
ウィルヘルミナは、キョトンとした顔でエルヴィーラを見返す。
遠巻きにそのやり取りに耳を傾けていたイヴァールが、『何を馬鹿正直に答えているのか』と言わんばかりの表情で、人知れずため息を吐き出していた。
エルヴィーラは、まじまじとウィルヘルミナを見下ろす。
エルヴィーラの推測では、せいぜい数分程度しか持続できないだろうと踏んでいた。だから半日という途方もない数字を出されて驚いていたのだ。
エルヴィーラの驚きを的確に理解したベルンハートが、代わりに返事をする。
「本人がそういうので、間違いありません。ここにいる魔物を全て狩るのに問題のない十分な時間、この地界魔法を維持して生徒たちを守れること、私が保証いたしましょう」
エルヴィーラは、ベルンハートに視線を移した。ベルンハートは、相手の東壁当主という立場を慮ってか、口調も表情もいつもより畏まっている。
「貴方がベルンハート殿下ですね。お噂はかねがね。彼は貴方の従僕であるそうですね。優秀な部下をお持ちだ。そのお力しばしお借りいたします」
エルヴィーラもまた口調を丁寧なものに変えて返す。
一度言葉を切ってから、エルヴィーラは再び視線をウィルヘルミナにもどした。
「ではレイフ、君はこのまま地界魔法の維持に努めてほしい」
「かしこまりました」
エルヴィーラは、うなずいて返してから再び部下たちに向き直る。
「これで防御は心配なくなった。存分に力をふるえ。総員総攻撃開始! 一匹たりとも逃すな!」
声を張り上げ鋭く言い放つと、魔術師たちは統率された動きで散り散りになって魔物たちに切り込んでいった。
それは、すさまじい光景だった。
まるで水を得た魚のように、魔術師たちはどんどんと魔物を倒してゆく。
イヴァールもまた、魔物の群れに向かっていった。
イヴァールの放つ激しい業火が、魔物の群れを次々と焼いていく。
魔物たちは怯み、どんどんと勢いを失っていった。




