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四壁の王  作者: 真籠俐百
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 ウィルヘルミナは、険しい表情で迫りくるウァプラを睨みつけていた。

 時間は、ちょうど壁蝕がはじまったばかりという頃合い。そして、ここはキッティラよりも内側。壁からは十分すぎるほど距離がある場所だ。

 にもかかわらず、魔物に遭遇している。

 なぜこんな内陸に魔物が出現するのか、この場にいる全員が理解できていない状況だった。

 だが、起こるはずのないその現象に、今まさに直面させられている。

 ウィルヘルミナは一瞬だけ逡巡したが、隣で立ち尽くすベルンハートに声をかけた。

「ベルンハート様、参りましょう」

 ベルンハートはすぐに我に返ってうなずくと、二人はウァプラに向かって真っすぐ走り出す。

(ウァプラ一匹なら、先生に任せときゃ大丈夫だけど、一応オレたちも援護体制とっといた方がいいよな。ウァプラは群れる習性があるから、早めに殺さねーと近くにいる仲間を呼ぶ可能性がある。万が一仕留める前に、仲間を呼ばれたりしたら生徒たちが危険だ)

 ウィルヘルミナは、走りながら周囲を警戒するように見回した。

 すると、フェリクス、イッカ、フローラの三人が後についてきていることに気づいた。

 ウィルヘルミナは驚き声をかける。

「危険ですので下がっていてください」

 しかし、三人は引かなかった。

「ここは東壁ベイルマン領、ベイルマン家の一員として私には領民を守る義務がある」

「私の職務はフェリクス様をお守りすることです。離れるわけにはまいりません」

「今回のキッティラ行きを決めた時に、もしもの時の覚悟はしてあります。先日は市場で皆様の足を引っ張るような無様な真似をしてしまいましたが、今回は決してお邪魔にはなりません。かならずお役に立って見せます。どうか私にも挽回の機会をお与えください」

 三者三様の答えを返してくる。

(まいったな)

 その表情から三人の意思の固さを悟り、ウィルヘルミナは困った表情を浮かべた。

 だが、誰も引く気がない事を理解すると、諦めたようなため息を吐き出す。

 仕方なく三人の意思を尊重し、ついてくるにまかせた。

 一方、周囲の生徒たちにはというと、かなり動揺していた。

 怯え慌てた様子で、ウィルヘルミナたちとは真逆の方向に逃げようと走り出している。

(まずいな。このまま森の中にばらばらに逃げ込まれて、生徒たちをはぐれさせたりしたら厄介なことになる)

 ウィルヘルミナは、隣を走るベルンハートにだけ聞こえるように小声で話しかけた。

「ベル、生徒に動揺しないで、その場に固まって待機するように指示を出してくんねーかな。ウァプラは用心深いから大概群れて行動するんだ。今は一匹しか見えねーけど、近くに潜んでる可能性が高い。生徒たちがはぐれて、森で遭遇したりしたらまずいから」

 ベルンハートはすぐに了承し、足を止めて振り返り声を張り上げた。

「動揺するな! 一か所に固まって指示を待て! 慌てずとも大丈夫だ。皆こっちに集まるんだ!」

 ベルンハートの力強い声に、生徒たちの足が反射的に止まる。

 恐る恐ると言った様子で、生徒たちはベルンハートを振り返った。

 揺らぐことなくきっぱりと断言するその姿は、他者を圧倒するような存在感を放っている。

 幼いながらも、ベルンハートにはすでに王者の風格が備わっていた。

 凛とした声は一瞬にして人々の心を鷲掴み、一同の意識は知らず知らずのうちにベルンハートに引き寄せられる。

 気がつけば、生徒たちは縋りつくような目でベルンハートとウィルヘルミナを見ていた。

 先日ラハティ教会学校で行われた模擬戦でのウィルヘルミナの健闘ぶりは、今や教会学校中の人間が知るところになっている。並外れたその能力は、生徒たち全員の記憶に深く刻まれているのだ。

 おかげで生徒たちは次第に落ち着きを取り戻し、逃げ惑うのをやめ、ベルンハートとウィルヘルミナの周りに集まりだす。

 生徒たちが逃げ惑うのをやめたのを確認すると、ウィルヘルミナはフェリクスにも声を潜めて話しかけた。

「フェリクス様、バラバラに逃げて遭難者が出ると困ります。ここからは、ベルンハート様とフェリクス様が中心となって、生徒たちがはぐれないように、うまくまとめてくださいませんか」

「わかった」

 フェリクスは、一同を見回す。

「ここはキッティラからそう離れてはいない。たとえ徒歩でも、じきに到着できる距離だ。だから安心してくれ。キッティラまで辿り着けば、そこには東壁の精鋭たちがそろっている。それに、キッティラは城塞都市だ。分厚い強固な城壁に守られているのでどんな魔物に襲撃されようとも何の心配もない」

 不安げな眼差しのまま集まっていた生徒たちは、フェリクスの言葉に耳を傾けた。

 そこに、ペテルとヨルマが合流する。

「その通りだ。何の心配もない。だから、皆先生たちのそばを離れるな」

 ペテルの言葉を聞き、生徒たちの表情にようやく安堵の色が浮かんだ。

 ウィルヘルミナはホッと息をつく。

(これで生徒がはぐれる事態は回避できるかな。後はウァプラを始末するだけだ)

 大空を羽ばたいていたウァプラが、ゆったりと地面に降り立った。

 ウァプラは、例えるなら巨大なライオンに羽が付いたような姿をしている。

 空を飛べるだけではなく、地においては四本の足のおかげで俊敏に動ける難敵だ。

 ウァプラの前には、イヴァールが一人立ちはだかっていた。

(ま、先生がいるから、あっちはオレが手伝いに行かなくても大丈夫だな)

 ウァプラは、グルグルと喉を獰猛にならしながら、大地を蹴ってイヴァールに飛び掛かる。

 それを見た生徒たちは恐怖に竦み、とっさに頭を手で覆ってしゃがみ込むものもいた。

 だが、イヴァールは眉一つ動かすことなく魔法を唱える。

「バイザク」

 イヴァールの放った魔法は火界九位だ。

 しかし、驚くべき威力を発揮する。

 炎が渦を巻き轟音をあげてウァプラに襲い掛かかった。

 ウァプラは反撃する間もなく、一瞬にして黒焦げに燃やし尽くされる。

 怯えていたはずの生徒たちは、その光景を目の当たりにして驚愕に目を見開いた。

 それは、ベルンハートもフェリクスもイッカたちも例外ではない。

 一瞬にして消し炭にされたウァプラの亡骸を見つめ、全員が呆然と立ち尽くしていた。

 それも仕方のない反応だった。

 ウァプラは中位の魔物。

 そのウァプラをたった一撃で倒すことも驚きなら、使った魔法が九位魔法ということも驚きに値する。

 ペテルとヨルマすらもが、脂汗を浮かべてイヴァールの背中を見つめていた。

 ウィルヘルミナだけは、呆れたような半眼になってイヴァールを見ている。

(相変わらずえげつねー魔法だな、おい。オレだって九位魔法じゃ一撃でウァプラ倒すのはかなりしんどいのにな。さらっとやってくれちゃってさ。おまけに魔法具なしでこの威力だもんな…。マジで敵に回したくねー人だよ先生は)

 周囲の視線などまるで無頓着に、イヴァールは平然と一同を振り返った。

「周囲には、まだ魔物が潜んでいる可能性があります。決して油断しないように」

 冷然と言い放ちながら、生徒たちに向かって歩きだす。

「このまま固まって移動します。先ほどベルンハート殿下も仰っておりましたが、たとえ途中で魔物の襲撃があっても、決して単独行動はしないように。森で一人はぐれた時の方が危険だということを各自認識してください」

 では行きますよと、何事もなかったかのように声をかけ、イヴァールは皆に移動を促した。

 我帰った生徒たちは立ち上がり、まるでひな鳥のようにイヴァールに付き従う。

 ベルンハートは、まだ驚きから冷めやらぬといった様子だったが、呆れ交じりのため息を吐き出しながらウィルヘルミナを横目でちらりと見た。

「トーヴェもお前もそうだが…北壁は化け物が住む場所なのか?」

 その問いかけに、ウィルヘルミナは返答に詰まる。

(先生たちが特別なんだって言いたいところだけど、よく考えると御爺様もやべーんだよな…。ベルの言葉は、あながち間違ってねえのかも。北壁は、確かに化け物級の魔術師の巣窟かもしれねえな)

 ウィルヘルミナは、ただ乾いた笑いばかりを返した。

 だがその時――――。

 先頭を歩いていたイヴァールが、不意に足を止める。

 手を水平にあげ、無言で一行に止まるように合図した。

(まさか…さっきのウァプラの仲間が近くにいるのか?)

 ウィルヘルミナは素早く周囲に目を配る。

「ベルンハート様、フェリクス様、警戒してください」

 ベルンハート、フェリクス、イッカ、フローラが、すぐさま反応して散らばり、生徒たちを中央にして囲むように周りに立ち警戒した。

 一拍遅れてヘリン、ヤニカもそれに倣う。

 怯えた生徒たちが、中央に固まって寄り添うと、その時、フェリクスが鋭い声を上げた。

「居たぞ! あそこだ!」

 その声で振り返ると、森の奥からのそりとウァプラが現れたところだった。

 しかし、ウァプラは一匹ではない。

 後から続々と現れ、静かに距離を縮めてくる。

 気が付くと、周りをぐるりと囲まれていた。

 フェリクスたちは額に脂汗を浮かべつつ、それでも闘志を失うことなくウァプラに対峙した。


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