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四壁の王  作者: 真籠俐百
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 周囲に人影がなくなると、ノーンハスヤはラウリを振り返った。

≪少し見ないうちに随分と老いたな、ラウリ・ノルドグレン≫

 ラウリは苦笑する。

「十五年ぶりだ。お前たちとは違い、人間にとっては老いるのに十分な時間だ」

≪そうか≫

 ノーンハスヤはそう言って低く笑った。

≪ところで、お前と最後に会ったあの時、次に会う時は、我との契約を次代に譲渡する時だと言っていたが…アレは今ここに居ないようだな。クラエス・ノルドグレンはどこにいる?≫

 思いがけずクラエスの名を聞き、ラウリは視線を伏せる。

「クラエスは死んだ…」

≪死んだ!? あの生意気な小僧がか?≫

 低い声とともに、ぞわりと周囲の空気が動く。ノーンハスヤの怒りに、空気が同調したのだ。

≪まさか病ということはあるまい≫

 そうつぶやいてからノーンハスヤはラウリを一瞥する。その表情から何かを確信した。

≪そうか…殺されたのだな。いったい誰が殺した? 我がそいつを殺してきてやろう≫

 瞬時にしてノーンハスヤが殺気を纏う。

 ラウリは、落ち着かせるようにノーンハスヤの首に手を触れた。

「それには及ばん。私がやる」

≪お前にできるのか? あのクラエス・ノルドグレンを殺したほどの敵だぞ? あの小僧は、ここ千年のノルドグレンの血統の中で、一番うまそうな魔力をしていた。あれほどの者を殺したとなると、お前の手には負えまい≫

「それでも、私がやらねばならぬ相手だ」

≪相変わらず堅苦しい男だな。お前にはお前の言い分があろうが、我にとってもそいつは我が物を横取りした敵。我にやらせろ≫

 言い回しはともかくとして、ノーンハスヤはクラエスを気に入っていたのだ。

 殺気とともにグルルと喉を唸らせ、牙をむいて見せる。

「相変わらずお前は情が深いな。クラエスの死を悲しみ、怒ってくれているのだな。そして私の心配もしてくれている。ありがとうノーンハスヤ。だが、敵は親として私がけじめをつけねばならぬ相手なのだ。今回ばかりは勘弁してくれ。そのかわり、お前には次の当主を守ってやってほしいのだ」

≪次の当主? 誰だ? どこにいる?≫

「名はウィルヘルミナ・ノルドグレン。クラエスの残した子だ。とてもいい子だ。きっとお前も気にいる」

≪はやく会わせろ。お前は、ノルドグレンの血統ではないからといって、遠慮して我を呼ばぬが、我はお前たちとともにありたい。我はお前の事も気に入っているのだぞ、ラウリ・ノルドグレン≫

「私もお前を気に入っている。だが、お前を呼ぶのは、私には少々荷が重いのだ。お前を気軽に呼び出すことはできぬ」

 ラウリが喉をさすってやると、ノーンハスヤは目を細めてクルクルと喉を鳴らす。

≪やはり血の契約を結んでおらぬと、負担が大きいか…。では時間もない事だし、お前のために今はできる限りの敵を屠ってやろう≫

 ノーンハスヤは、ラウリを守るように一歩踏み出し、現れた魔物を睨みつけた。

 いつの間にか、周りをたくさんの魔物が囲んでいる。

 ノーンハスヤが天を仰いで咆哮すると、瞬時にして魔物たちが凍り付いた。

 同時に、ラウリが肩で息をしはじめる。

 今の魔法で、ラウリの魔力が大量に消費されたのだ。

≪腑抜けている場合ではないぞ。この災いの元を絶たねば、魔物の出現はやまぬ≫

「災いの元?」

≪気づいていないのか。この先に、上位の魔物がいる。この辺りにいる魔物は、壁を越えてきた魔物ではない。全てその上位の魔物が召喚したものだ≫

「それは本当か!?」

 ラウリが荒い息の元問い返すと、ノーンハスヤがうなずき、頭を使って器用にラウリの体を自分の背中に押し上げる。

 その意図を理解したラウリは、ノーンハスヤの背によじ登り、背中にまたがった。

≪少々急ぐ。振り落とされるなよ≫

 ラウリは、返事の代わりに、ノーンハスヤの毛をしっかりと掴んだ。



 警備所でザクリスが遺体を検分した翌日の事――――。

 ラハティ教会学校の一行は、キッティラまで運ぶはずだった荷物の用意を待たず、一足先にキッティラを目指すことになっていた。

 夜中に警備所から外出していたウィルヘルミナとベルンハートは、迎えに向かったはずのペテルとヨルマとは行き違いになっており、ペテルたちが不在の時に詰め所に到着していたが、フェリクスとイッカは警備所を出ようとしたところでちょうど教師二人と鉢合わせしていた。

 この時、フェリクスたちの一連の行動はペテルによってきつく戒められ、今後二度と勝手な行動をとらないことを約束させられた。

 翌朝、眠りもそこそこに起きるなり、教会学校の生徒全員が呼び集められ、急なキッティラ行きを知らされた。

 これには、ウィルヘルミナたちを含めた生徒全員が驚いたが、結局昼にはパルタモを出立することになったのだ。

 そして今に至る―――。

 すでに日が暮れ、ウィルヘルミナたちは野営の準備に取り掛かっていた。

 生徒たちは皆、黙々と役割をこなしている。

 移動中も始終表情は硬かった。

 さもあろう、壁蝕がはじまる当日に、壁を目指さなければならないのだから。

 出発直前に、ペテルが生徒たちに向けて厳しい言葉で注意を促したことも影響している。

 ここから先は、遠足気分でいては危険だ。それはペテルもよくわかっているのだ。

 おかげで、パルタモまでの緩みきった道中とは違い、生徒たちの口数はかなり減っている。

(雰囲気は悪くなったけど、でもこれでよかったんだよな。あんなはしゃいだ感じでいたら、いつどこで事故が起こるかわからねえからな)

 野営の準備をする生徒たちの表情は、皆一様に不安げに曇っていた。

 ペテルの厳しい注意や、詰め所を出るときに見送ってくれた人々の物々しい雰囲気から、壁蝕中の壁に近づくという危険を、ようやく実感できたのかもしれなかった。

 ウィルヘルミナは、側で作業するフェリクスを振り返る。

 フェリクスもまた、明け方に詰め所に戻ってきて以来、ずっと暗い顔をしていた。

(フェリクスの奴、オレとベルと別れてからなんかあったのかな? それとも先生たちに怒られたことがきいてんのかな?)

 昨日までと全く様子が違うフェリクスに、ウィルヘルミナは内心で首をかしげる。

 フェリクスは、エルヴィーラへの報告を行った折、姉であるイリーナの行方不明の話を聞かされており、そのためふさぎ込んでいるのだが、事情を知らないウィルヘルミナは気になって仕方がない。

 時折話しかけてはみるのだが、しかしフェリクスはどこか上の空で、ウィルヘルミナの調子まで狂うほどだった。

 そして、ベルンハートも昨日の夜の一件以来ふさぎ込んでいる。

 ふとしたきっかけで思い出してしまったカスパルの事で、ずっと自分を責めたまま全くウィルヘルミナの言葉を聞こうとしないのだ。

 フェリクスもベルンハートも昨日までとは全くの別人で、ウィルヘルミナは戸惑いを隠せない。

 どうやったら二人が元通りになってくれるのかと一人悩んでいた。

(まいったな…。二人とも元気がねーと心配になるじゃん。だいたい、ベルは気にしすぎなんだよ。カスパルさんちの大まかな事情は教えてもらったけど、あれはどう考えてもベルのせいなんかじゃねーじゃん。なんでああいう思考回路になるかな…)

 ウィルヘルミナは、人知れずため息を吐き出す。

 今もまだ自責の念にとらわれ続けているベルンハートの横顔をそっと盗み見た。

(こいつ、たぶん現在進行形で、オレの事も心配でしょーがねーんだよな。もしオレに何かあったら、絶対また自分を責めるに違いねー。ベルはオレの事情を知らねーから、余計に不安なんだろうな。やっぱ、オレの敵が誰で、オレが何者なのか、ベルには話したほうがいいのかな)

 イッカがウィルヘルミナの事をエルヴィーラに報告すると言った時に、ベルンハートがかなり取り乱していたことを思い出して考え込んだ。

(けどなぁ…今の状況がよくわかんねーし、オレの判断で勝手に教えていいものかどうか迷うんだよな。イヴァール先生に聞くチャンスがあるといいんだけど、今の状況じゃそれも難しいし…まいったな)

 ウィルヘルミナは、またしても人知れずため息を吐きだした。

 ウィルヘルミナは、以前コルホネンにラウリの話を聞かされた時に、自分が置かれている状況を全く知らされていなかった。

 イヴァールに話を聞くことが難しかったため、ウィルヘルミナは、コルホネンから不意打ちに知らされた北壁の話がどこまで本当なのか、あの後一人で調べたのだ。

 すると、ラウリとウィルヘルミナは、本当に北壁から手配を受けていることがわかった。

 謀反人として手配されていることを知った時にはかなり動揺した。

 あの時の事を考えると、どうしても慎重にならざるを得ない。

 もしかしたら、他にもウィルヘルミナが知らない動きがあるかもしれないからだ。

 おかげで勝手な判断で事情を話してしまうことが躊躇われた。

(それに、どこまで話したもんか、そこも判断に困ってるんだよな…。実はオレが女だって事をベルに話したら、きっと今の関係は壊れちまうし…。ま、いずれバレることだし、いつかは言わなきゃならねー事なんだけど…今は言う勇気が出ねえんだよな)

 この世界での女性の地位を考えると、どうしても話すことが躊躇われる。

 真実を教えれば、たぶん今までと同じように接してもらえなくなるに違いない。それを考えると、寂しい気持ちにもなるのだ。

(まあ今の状況の方がウソの上に成り立ってる関係なわけだし、本当の状態に戻るだけ。だからしょーがねーんだけど…。でも、まだそうなると決まったわけじゃねえし…。もしかしたらベルならあんま偏見とか持たねーで今まで通り接してくれるかもしれねーし。ま、無理だったとしても、そんときゃそんときだよな)

 そんな考えにとらわれていると、不意にベルンハートが声をかけてくる。

「どうしたレイフ、疲れたのか?」

 ウィルヘルミナは眼を瞬き、怪訝な表情でベルンハートを見返した。

「いいえ? 疲れてはおりませんが」

「その割には、何度もため息をついていたぞ。疲れていないのなら、何か気にかかることでもあるのか?」

 ベルンハートは、心配そうにじっと見つめてくる。

(っとに気にしいだなベルは…。なんでそんな不安そうな顔すんだよ。何か問題があるとか、そういう意味でため息ついてたわけじゃねーんだけど。どっちかっつーとお前が心配でため息が出てたんだけどなぁ)

 あまりの心配ぶりに、思わず苦笑が漏れてしまった。

「お気遣いありがとうございます。ですが、大丈夫です。疲れてもいませんし、心配事があるわけでもございません。気にしてくださるのはありがたいですが、これではどちらが主なのかわかりませんよ」

 ベルンハートの心配を否定する。

 そして、ウィルヘルミナは心からの微笑みを浮かべてみせた。

「私は大丈夫です。何も心配はありません。だから安心してください」

 自分に任せろ。

 そう強い意味を込めて見返した。

 それでもベルンハートの不安はぬぐえない。何か言いたそうな顔で見返すばかりだ。

(ったく、これじゃ埒が明かねーな。昨日だってあんなに説明したのに…。どうしたら安心するんだよこいつは)

 ウィルヘルミナは、困ったように首の後ろを掻く。

 その時、少し離れた場所でどよめきが起こった。

(ん? なんだ?)

 ウィルヘルミナとベルンハートは、声のした方向に視線を向ける。

 すると、夜空を舞う巨大な鳥の姿が見えた。

 だが、巨大な鳥に見えたそれは、よく見ると鳥ではない。

「まさか…あれは、ウァプラか!?」

 ウィルヘルミナは、驚愕に目を見開いた。

(なんでこんなところに魔物がいるんだよ!? 壁蝕は、まだ始まったばかりの時間だぞ!? それに、ここは壁からだいぶ離れてるじゃねーか)

 ウィルヘルミナの声を拾い、ベルンハートもはじかれたようにその視線の先をたどる。そして、驚愕に目を見開いた。

「あれが…翼ある獣ウァプラなのか?」

 ベルンハートが、緊張でかすれた声でつぶやく。

 二人は、呆然と空飛ぶウァプラを見つめた。


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