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四壁の王  作者: 真籠俐百
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82

 ラウリが考え込んでいるうちに、いつの間にか時が満ちていた。

 遠くで、魔法を使用した爆音が鳴り響いている。

 いよいよ壁蝕が始まったのだ。

 ラウリたちは表情を引き締め、周囲を警戒する。

 聞こえてきていた爆音が一旦鳴り終えると、辺りには再び無音の闇が広がった。

 それは、まるで嵐の前の静けさだ。

 湿気を帯びたへばり付くような空気ばかりが、ただひっそりと漂っている。

 タニヤたちの隊は、息を潜めてじっと神経を研ぎ澄ませた。

 遠くで、再び爆発音が鳴り始まったその時のこと――――。

 暗い森の奥で、何かが動く気配がした。

 全員がすぐさま臨戦態勢に入り、剣や槍を構える。

 しかし、ラウリがこのまま残るようにとタニヤ達に手で合図すると、一人足を踏み出した。

 気配を殺しながら歩を進める。

(この奥に、何かいる)

 ラウリの目は、暗闇に潜む何かの気配を、しっかりと捉えていた。

 一歩一歩ゆっくりと足を踏み出し、慎重に距離を縮めていく。

 すると、闇に潜んでいた何かが突然動き出した。

 あっという間に木々の間をすり抜け、何かがラウリめがけて飛び掛かってくる。

 それは、豹に似た魔物――――オセだった。

 ラウリは、剣を凪いでオセの攻撃を防ぐ。攻撃の軌道を逸らしたと同時に、氷界九位魔法を唱えた。

「イツァム・ガブ・アイン」

 氷の刃がオセの腹部を貫く。

 オセの体は力なく地面に落ち、そのまま動かなくなった。

(特に魔法が効きづらい感じはしなかったな…。だが、オセは下位の魔物。違和感を覚えているのは中位の魔物エリゴルのようだからな、まだ油断はできない)

 そんな感想を抱きつつラウリは踵を返そうとする。

 だが――――。

 間を置かず、すぐに茂みの奥から、低いうなり声がいくつも聞こえてきた。

 ラウリは歩みを止め、厳しい表情で振り返る。そして、暗闇の奥を睨みつけた。

 その視線の先には、いくつもの魔物の目がらんらんと輝いている。

 剣を構えたラウリの表情が強張った。

(どういうことだ? 何故こんな場所に魔物が群れで出現するのだ?)

 タニヤ達もまた、脂汗を浮かべながら暗い森の奥に向けて得物を構える。

 暗闇の中から、じりじりと魔物の群れが近づいてきた。

 それを見た魔術師たちに動揺が走る。

「怯むな! 構えよ!」

 タニヤが叱咤すると、魔術師たちは恐怖と戦いながらも逃げることなく得物を構えなおした。

 魔物の群れが大地を蹴ったと同時に、ラウリが再び氷界魔法を唱える。

「イツァム・ガブ・アイン」

 それを合図に、他の魔術師たちも魔法を唱え、攻撃を開始した。

「ヤートゥ」

「シャムバ」

「トゥンダ」

「ニシュムバ」

 様々な魔法が、魔物に向かって放たれ、轟音が鳴り響く。

 魔法をかわして襲い掛かってくる魔物を剣で切り殺し、槍で貫いてはまた魔法を唱え、それを繰り返す。

 だが――――。

(なんだこの魔物の多さは。尋常ではないぞ。これでは、二陣目の出動まで兵がもたない)

 通常ならば考えられないほどの魔物の数を目の前にして、ラウリは危機感を覚えていた。

 いくら東壁が酷い魔術師不足で、中位の魔物が打ち漏らされるような事態に陥っているとはいっても、壁蝕はまだ始まったばかり。

 最初から、これだけの数の魔物が前線を突破してくるとは、普通ならば考えにくい事だ。

 だが、そのあり得ない状況に直面させられていた。

 ラウリは剣と魔法でどんどんと魔物を屠りつつ、タニヤを振り返る。

 すると、タニヤもまた必死の形相で魔物を切りつけている所だった。

 タニヤは、周囲にいる魔術師たちを援護しつつ、自ら先頭を切って魔物を退治してゆく。

 しかし、かなり息が上がっていた。

 その必死な様子からも、この事態の異常さを察することができた。

 ラウリは周囲の敵を魔法で一掃すると、タニヤたちの援護に向かう。タニヤ達の周囲にいる魔物を氷界魔法で退けると声をかけた。

「カルペラ卿、ご無事ですか」

 魔物を切り殺しながらタニヤは頷く。

「はい、ありがとうございますギルデン卿」

 人心地ついた様子で、タニヤは周りを見回した。

「いったい何が起こっているのでしょう。壁蝕はまだ始まったばかりだというのに、こんなにも魔物が出現するとは…。これは、紛れもなく異常事態です」

 タニヤが強張った表情でそう訴える。

 ラウリも剣を使って魔物を切り殺しながら頷いた。

「これでは、壁際の前線とかわらない。この人数で、この状況を対応せねばならないとなると、交代の時刻まで皆の体力が持つとは到底思えません」

(それどころか、このままではそう遠くないうちに全滅だ)

「そうですね」

 タニヤは、言葉に出さなかったラウリの考えを察しつつ厳しい顔でうなずいて続ける。

「それに、この現象が、はたしてここだけで起きている事なのか…今の時点では判断がつきません」

 タニヤの言葉に、今度はラウリの表情が強張った。

(確かにそうだ。もし、この異変がこの場だけではなく、他の場所でも起きているとしたら緊急事態だ。間違いなく魔物が町に侵入することになる。そうなれば、対抗手段を持たない弱者は、魔物に惨殺されるだけだ。そんな事態は何としても食い止めなければならない)

 考え込んでいるその間にも、魔物の群れが際限なく現れ続けていた。

 タニヤは、脂汗を浮かべながら周囲を見回す。

「応援を呼ぶにも、この状況では誰かを単独で動かすのは危険。まして我々が退避をすれば、キッティッラに被害が及ぶことになります。いったいどうすれば…」

 そうしている間にも、怪我人が出始めていた。

 聖界魔法の契約者が回復に回るが、間に合わないペースで増え続けている。

(カルペラ卿以外の魔術師は、新兵と老兵がほとんど。これだけの人数を、私一人では守り切れぬ。まずいな…町どころかこの隊を維持することすらも難しい状況だ)

 ラウリは、魔法を駆使して魔物を倒しながらタニヤを振り返った。

「カルペラ卿、やはりここは一旦後退しましょう。このままここで食い止めていても、事態が好転することはありません」

 むしろ全滅は時間の問題。

 本心を言えばそう思っていたが、口にすれば隊の間に動揺が走ってその時期を早めるだけ。

 そうわかっていたからこそ、ラウリははっきりと明言することを避けた。

(もっと野営地近くまで退くことができれば、この異変に気付いて増援が来るかもしれない。とはいえ、もし他の場所でもこれと同じ異常事態が起きているのだとしたら、増援の望みは薄いが…)

 この可能性についても、口に出さずに飲み込む。

 タニヤも、先ほどからの会話でその可能性に気づいているだろうが、安易に口に出したりはしなかった。

 知らせたところで兵たちを動揺させるだけだということを、タニヤもわきまえているのだ。

「わかりました」

 タニヤはうなずき、すぐさま声を張り上げ後退を叫ぶ。

 魔術師たちは、戸惑いと怯えの色をその目に宿しつつも、その指示に従った。

 ラウリがしんがりを務め、タニヤの隊は魔物を倒しつつどんどんと陣を後退させる。

 しかし、戦況は急速に悪化していった。

 魔物の数が多すぎるのだ。

 倒しても倒してもきりがない。

 そのため、怪我人が増え魔法具や聖界魔法での回復が追い付かず、一行はとうとう足止めをやむなくされた。

 怪我人を中央に集め、周りを無事な魔術師たちが囲む。

(まずいな、最初は皆魔力温存を考えて下位の魔法を使っていたが、疲労のせいで魔法の精度が落ちている。その結果、上位の魔法を使わざるを得なくなってきた。全滅は、もうすぐそこまで迫っている)

 ラウリ一人ならば、この魔物の群れを突破して逃げ切ることは可能だ。

 だが、この状況で自分一人だけが助かる道を選ぶことなど、ラウリにできるはずもなかった。

(召喚魔法を使うしかないな。使えば消耗が激しいことはわかりきっているから、できる限り使いたくはなかったが…。それに、下手をすればエイナルに私の居場所を覚られかねない。だが、召喚魔法を使うことを惜しめば全滅は必死。もはや迷っている状況ではない)

 そう決意したラウリの表情は、どこか吹っ切れている。全てを受け入れ切った達観した表情だった。

「カルペラ卿」

 タニヤは、必死の形相で魔物を切りつけていたが、ラウリに呼ばれて振り返る。

「なんですかギルデン卿」

「私が魔物を足止めして、時間を稼ぎます。カルペラ卿は隊を率いて急ぎ本陣まで後退してください」

 タニヤは目を見開いた。

「この数の魔物を足止めする? そんなことができるのですか!?」

「はい」

 タニヤは困惑したような表情を浮かべる。

「本当に? しかし…」

 躊躇うタニヤにラウリは首を横に振った。

「ご心配なく。今から召喚魔法を使って、この周囲の魔物全てを駆除しますので」

「召喚魔法で駆除する!? ギルデン卿は召喚魔法を使えるのですか!?」

 タニヤは、驚愕と畏怖の混じった表情でラウリを見やる。

 ラウリがうなずき返すと、タニヤはホッと息を吐き出した。

「なるほど、わかりました。ですが、ギルデン卿お一人で残るのは危険です。私も残ります」

「いいえ、残るのは私一人で十分です。どうぞカルペラ卿は退避してください」

「しかし――――」

 タニヤは食い下がろうとしたが、ラウリはきっぱりと首を横に振る。

「一人の方が、身動きがとりやすいのです」

 それは、タニヤの身を案じるために、あえて突き放すように言った言葉だった。

 正直なところ、召喚魔法を使うとかなり魔力を奪われる。

 もし、魔法の使用後に今までのような群れ単位で魔物が出現すれば、ラウリといえど、どこまで食い止められるかわからない。

 それでも、今はその無理を通さねばならない時だった。

 ラウリの表情から、タニヤはその意図をくみ取る。

 タニヤは無念そうにうつむきつつ言葉を漏らした。

「ギルデン卿、ご配慮感謝いたします」

「それでは、怪我人の手当てを優先して行ってください。準備が整い次第私が召喚魔法を使います。その後はまっすぐ本陣に向かってください」

 タニヤは、厳しい表情でうなずく。

「体勢を立て直して、すぐにギルデン卿の応援に戻ります」

 ラウリは、微笑みを浮かべてうなずいた。

 そうして、ラウリとタニヤが中心となって魔物を狩りはじめた。その間に、負傷者の治療を優先的に行う。

 やがて、その時が来た――――。

「カルペラ卿、準備はいいですね」

 魔術師たちの奮闘のおかげで、どうにか全員が動ける状態まで回復していた。

「はい」

 タニヤの返事を聞き、ラウリは深呼吸をして息を整える。

「ノーンハスヤ」

 ラウリがその名を呼ぶと、周囲に風が吹き荒れはじめた。

 ラウリの頭上がゆがんで渦を巻き、ぽっかりと空いた虚空から、巨大な銀色の獣が現れる。

 一見すると、狼にも似ているが、額に角を持ち、尾は蛇。何より、その体が巨大すぎた。

 狼に似た巨大な獣は、軽やかにと大地に降り立つ。

 タニヤを含めた魔術師たちは、驚愕に目を見開いた。

 そんなタニヤ達を尻目に、獣――――ノーンハスヤはラウリをちらりと一瞥してから、魔物に向き直る。

 ラウリたちを取り囲んでいた魔物たちは、ノーンハスヤを見ると怯み、動きを止めた。

 そして、じりじりと後退しはじめる。

 ラウリは足を踏み出してノーンハスヤの隣に並び、手を上げてノーンハスヤの首筋に手を触れた。

「ノーンハスヤ、今は何も言わず力を貸してくれないか。魔物を凍らせろ」

≪承知≫

 応えるなり、ノーンハスヤは巨大な咆哮を上げる。

 咆哮が空気を震わすと、周囲にいた魔物たちが、次々と凍り付いた。

 やがて、周囲に動く魔物は一匹もいなくなる。

 ラウリは、タニヤを振り返った。

「カルペラ卿、今のうちです。はやく行ってください」

 ノーンハスヤの圧倒的な力を見せつけられ、驚き固まっていたタニヤはようやく我に返る。

「わかりました。ギルデン卿、ご武運を」

 タニヤは隊に声をかけ、急いで移動を開始した。

 ラウリは、その姿をノーンハスヤとともに見送った。


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